その腕の中に落ちる
緩やかに沈む。自分の体と意識が、青い空のそこへ、青い海のそこへ、沈んでいく。どこまでも沈んでいく。終わりはない。どこまでも落ちていく。螺旋を描いて青い空の中を、白い雲の中突き抜けて落ちていく。どこまで落ちていくんだろう。そんな疑問が頭に浮かんでは消えていく。空気が耳に轟音を響かせる。下に広がるのは青い海。けれど、どこまでも海にはたどりつけない。地球の法則を無視して俺の体は延々と空を落ちていく。いつ海の中へ落ちるのか。落ちたら多分死ぬんだろうな。そんな事を思いながら目覚めた。
目が覚めてから、なんとなく不思議な夢だったので午後になってもその事を覚えていた。午後に彼女と久々に学校で会った。最近はそれぞれの事で忙しくて、学校ではろくに顔をあわせていなかったから、ついでとばかりに一緒に昼食をとった。高校三年生の秋はそれなりに忙しいものだ。俺も彼女も進む方向が違うならなおさら会う時間なんてない。久々の逢瀬に、たいした内容の会話などなかった。俺は近くのコンビニで買ってきたおにぎりとお茶をもぐもぐと食べ、彼女は自分で作ったらしい女の子らしい小さな弁当に時々手をつけながら、最近の事をひそひそと話した。近況はひっそり話し合う中、ふと彼女は夢の話を始めた。彼女の声は雑踏に紛れるような小ささだったが、俺の耳にはきちんと届いていた。
「昨日不思議な夢、みたよ」
うつむいて弁当の中のウィンナーをピンクの柄のフォークでつつく。その瞳にはうっすらとクマが見えて最近は眠れていないのか、なんて事を思った。
「どんな?」
おにぎりにかぶりつきながら尋ねると、彼女は少しだけ眉をひそめて答えた。
「広ーい海に、浮かんでるの。周り、何にもなくってさ。魚も泳いでないの」
「……寂しい海だな」
思ったままの事を告げると、彼女が小さく頷いて話を続ける。
「でも、色はすごく綺麗。真っ青で、外国の海みたいで。空もね、すごい青かった」
絵みたいだった、と呟く彼女は少し嬉しそうで、少し悲しそうだった。こちらが気のない返事をしても、彼女は気にしない。自分でもくだらない話だとわかっているのかもしれない。だけれど、沈黙だけの逢瀬にしたくないから、きっと話しているのだと思う。俺も面白い話しが出来ればいいのだが、そこまで面白い体験も発想も出来ないのが現実だ。近くではもっと楽しそうに話すカップルもいる。そんな風になれたら、と心のそこで思ったが、そう簡単に自分を変えられるはずもない。彼女の話は続く。
「空を見るとね、空から高槻君が落ちてくるのが見えたよ」
ふいに呼ばれた名前に驚いて、彼女の方を見た。真正面から見る彼女の瞳にドキリとする。けれど、それを悟られたくなくてわざわざしかめっ面を作って尋ねた。
「……俺が?」
「うん」
聞き返すと、頷いて彼女は喋るのをやめる。沈黙が二人の間に落ちてきた。彼女がお茶を飲んで喉を潤す。その様子を見ながら、おれも同じように喉を潤した。彼女がフォークを弁当の中において話をまた始めた。
「でも、いつまでも落ちてこなかった」
少し拗ねたような口調だった。そこまで来て、俺はそういえば自分も似たような夢を見たなぁと思った。拗ねたようにこちらを見る彼女は少しだけ膨れていた。
「落ちてくるって思って、受け止めようと待ってたのに」
告げられた言葉に驚いた。その華奢な腕で俺を受け止めるって、無謀にもほどがある。そんな俺の内心が表情に出ていたのか、彼女がさらに膨れて告げる。
「いいじゃない、夢だもの」
「夢だからって、なぁ」
それはいくらなんでも無理じゃないか。苦笑をたたえながらそんな言葉を続ければ、整えられた彼女の眉が跳ね上がる。
「無理でもやる! だって、高槻君、あんな高いところから海に叩きつけられたら死んじゃう!」
「……なんでそこだけ妙に現実的なんだよ」
雄々しい言葉に苦笑する。すると、ふくれっつらで憤慨しながら彼女は続けた。
「だって、だって、私だって高槻君を守りたいって思ってる。危なかったら助けたいって思う。それが夢でも」
それほどまでに腹立たしい事だったのだろうか。俺はそんな事を思いながら、自分を彼女の立場に置き換えて考えてみた。空から落ちてくる彼女を受け止めようと待ち続ける自分。だけれど、彼女はいっこうに空から俺の元へとやってこない。確かにこれは腹立たしい。それでいて、もどかしい。いくら両手を伸ばしても、彼女の体温に触れられない。これは腹立たしい事この上ないだろう。怒りに任せて彼女は黙ってうつむいてしまった。俺は沈黙をなくすように口を開く。
「……じゃあ、今度は安心して海に落ちる」
「え?」
俺の言葉にはじかれたように彼女が顔を上げる。驚きの表情を浮かべる彼女に今更ながら恥ずかしいと思いながら、言葉を続けた。
「お前が受け止めてくれるんだろ?」
告げると、ぱっと彼女の瞳が輝いた。子供みたいにきらきらした瞳で、うん、絶対に受け止めるなんて何度も言うものだから俺は恥ずかしくてそっぽを向いた。そんな会話で昼食を締めくくり、その日は彼女と別れた。どうせまた後でメールも電話もするんだけどさ。やっぱり別れるときは少し寂しかった。
次の授業に向かいながら、今度あの夢を見たら、なんて考えた。そのときは、何も考えず彼女の元へ落ちていこう。小さく決意して授業に向かうと、何故か友人達に軽く肘で腹を小突かれた。どうも彼女と二人で昼食を食べていたのを見られていたらしい。会話まで聞かれたら死ねる。そんな事を思いながら友人たちを追い払って自分の席に着いた。
空と海が好きで、なんとなくお話に組み込んでみたかったんです。わりとありきたりな話ですが、自分的にはお気に入りです。学校生活でのワンシーン的なお話でした。