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途中下車

作者: 晴間貫

人は常に日常に退屈しているのではないだろうか。主人公である僕はきっとそんな日常からささやかな逃亡を図るのだろう。

乗り換えの多い駅で、別の電車に乗り越えた後も彼女が同じ電車にいたこと、同じ車両に乗り合わせて居たことは僕の中の奇跡を持続させて、ただの移動という空虚な時間に満点の星空のような輝きを保ってくれた。普段の僕なら絶対にこんなところで知らない人に話しかけたりはしない。そこにいるのが高校時代に一緒に授業を受けていた同級生でも、大好きなドラマでヒロイン役だった超有名女優でも話しかけるなんてできないと思うし、きっと僕はしない。でも、今はとても話しかけたいと思っている。この瞬間、彼女と僕が空間を共有している今は、これまで見かけたことも、もちろん会ったこともなくて、自分の人生とは全く関わりをもたない彼女に、いま猛烈に話しかけたいと思っている。このほんの一瞬で持続性のない接点を少しでも広げたい。彼女と僕の中で相手の存在を言語化できるものにしたい。相手が「彼女」であることは嫌だ。電車での移動中にたまたま二度連続で同じ車両に乗り合わせただけの「彼女」を今自分の日常の中にインストールしたい。彼女の日常の中にどさどさと踏み入っていって、気づかれないようにそっと自分と彼女の日常をほどけないように固結びしてやりたい。彼女の中で今の僕は多分景色の一部で、電車とかいう一つの移動手段と変わらない。乗物に一体化しているようなもんだ。一番良かったとしても同じ車両に乗り合わせている乗客Bってとこだろう。たくさんいる乗客Bの一人であって、移動手段の電車の簡素な壁紙の一枚であって、彼女との出会いは一時的で瞬間的で終わりも始まりもない。もしかしたらもう一度どこかで出会うことがあるのかもしれないし、これが最後かもしれない。それにもし次どこかで彼女と出会うことができても、次に会うときの僕は次に会う時の彼女に気づくことができるのだろうか。次に会うときにも今みたいな奇跡が起こってくれるというような確証もない。僕と彼女とのこの今生の別れは挨拶すらもかわせないのかもしれない。そう思うと、今は少しだけ、でも確実に、きつい。勇気をだして話しかけてもひかれるだけかもしれないし、僕自身もなんか自分を安売りしているような気がして、そんな自分に幻滅する未来はきっとそんなに遠くじゃない。自分が自分の想像よりも、乗客Bよりも悪い、マイナスな何かになって、負の感情だけを彼女はテイクアウトして確実な今生の別れを迎えることになるかもしれない。そもそも初対面の人にそんなことするなんて僕のプライドはぜったいに許してくれないだろう。そんなことはわかってる。もしここで話しかけてこっぴどく無視でもされた暁にはきっと僕は入る穴すらも見つけられず、一瞬で色を失った世界の中で多くの乗客Bに囲まれたまま、ただただ佇むことしかできなくなるだろう。それもわかってる。折角今まで大切にとっておいたプライドが音を立てることもなく一瞬で完璧に崩れさって、僕の中での僕が一度終わる気がする。わかってる。だから僕は絶対にそんなことはしないし、できやしないと思う。でもそこに奇跡という名目があると違うのかもしれない。なにかが変わるのかもしれない。この名目はこの世界にあるどの名目よりもきっときれいで、どんなに矛盾することだってこの名目があればできるようになるような気がして、素晴らしく、完璧な名目だから。奇跡のせいにしてしまえば、きれいになる。僕のプライドを傷つけることもなく、自分の行動を自分の中で目一杯正当化して話しかけることができると信じられる。だって僕たちは奇跡でつながっているんだから。普段絶対しない行動を僕がとることでこの奇跡はようやく始動してくれるんだ。背中をドーンとおしきることができるんだ。奇跡が僕の背中を小指の先でチョンと押してくれれば、僕は、今僕が形容できる、この世の何よりも早く、猛烈に、悠然と、彼女のもとにむかうことができる。

彼女になんて話しかけようかずっと考えて居た。彼女のモデルのように姿勢の良い後姿や建築物みたいな横顔を見ながらずっと、考えて居た。奇跡の応援があれば、奇跡たちが僕や彼女の名前が書いた旗を、全力を尽くして、振り回しながら僕を応援してくれれば僕はようやく、この奇跡を動かすためのスイッチに、勇気をふりしぼって指をかけることができる。

こうやってずっと思考を繰り返していた。奇跡のすぐ隣で、奇跡のための苦労を積み重ねていた。きっとこんな苦労はこの競争が終わった瞬間にあっという間に、あっという暇すらないほど唐突に、無駄になる。そんな風に考えてしまう自分の存在にも、確かに気づきながら、ずっと考えて居るんだ。そして、いつのまにか色が薄れていた車両の隅で、まだ完全に色が落ち切っていなくて、困ったようにチカチカ光る彼女の足跡を見て、ふぅーと溜息をつく。ついさっきまで僕の背中を今にも全力で押し出してやろうと構えていた奇跡は、「またね」と空間に、一言だけ残して、静かに、絶望的に、希望を片手にちっちゃく抱えながら去っていく。僕はその場で数秒体を休める。そしてそのまま、静かに、待つことにした。

日常の中に、非日常への逃亡という挑戦が常に内包されている姿には大きく矛盾するものがあるようで、人間らしく美しい。人間らしさにある美しさを気持ち悪さやダサさで表現しようと試みました。

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