表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

仮想史(戦記)

1940年夏、私、源田実はロンドンにいた。

作者: 山家

 架空戦記創作大会の本来の趣旨からは微妙にずれますが、私の脳内ではこの辺りが限界で緩く見ていただきたいと思います。

 本当に何故に私はここロンドン近くにあるホーンチャーチ飛行場に、1940年8月初めに部下と共にいるのだろう。

 勿論、その理由は自分でも表面上は分かってはいる。

 英国支援部隊として日本政府から私は、ドイツ軍の英本土侵攻作戦を阻止するために、英本土の制空権確保のための戦闘機部隊の指揮官として送られたからなのだ。

 だが、何でこうなってしまったのか。

 私は時々、暇な時に悩んでしまう。


 結局のところは、ヒトラー率いるドイツ政府の外交姿勢が結果的に一貫して中国国民党重視というのを変えなかったのが最大の要因だろう。

 そのために中国国民党と日本政府がお互いを宿敵視している以上は、日本政府とドイツ政府が手を組むことは無かったのだ。


 勿論、ドイツ政府中枢部内でもリッペントロップ元駐英大使やカナリス提督等、日本政府と手を組むべきだという方々もおられなくはなかった。

 だが、リッペントロップ元駐英大使は、その余りのスタンドプレーから軍部や外務省の中枢部から嫌われており、人望に欠けすぎていた。

 そのために外務省から情報が得られず、ヒトラー総統の信任も結果的に失ってしまった。

 また、カナリス提督は、対ソ防衛の観点から日本政府との協調を一時は考えたらしいが、日本陸軍が本気で対ソ戦を計画しているのを知って、ドイツが日ソ戦に巻き込まれるリスクを勘案し、又、ドイツ軍本体の多くが第一次世界大戦の恨みから反日論を唱えたこともあって、組織人としての立場を重んじ、といったことから日本との防共協定締結等に動くよりも反対の立場を取った。


(後、カナリス提督もやはり海軍の軍人として、ドイツ海軍の軍拡(その果てといえるのがZ艦隊計画)を支持していたのもあった。

 ドイツ海軍の軍拡のためには資源確保が必要不可欠だが、そのためには中独合作によるドイツ兵器とのバーター取引による中国からの資源輸入が重要だったのだ。

 何しろ、兵器とのバーター取引なので、資源の輸入にドイツにとって貴重な外貨を損なわずに済む利点があっては、ドイツ海軍が中独合作にのめり込むのも無理はない。

 それに対して、日本は資源小国であって中国のように資源を提供する等は夢物語だった)


 こうしたことから、盧溝橋事件が起きるとすぐにドイツは中国国民党政府支持を表明し、大規模な軍事顧問団の正式派遣等の中国政府への大規模な軍事援助を断行した。

 これ以前に満州事変により国際的孤立を深めていた日本政府は、世界に友邦無くして対中戦争に踏み出したかったものの、世界中から事実上の経済制裁を受けてしまい、更にドイツの大規模な軍事援助を受け取った中国国民党政府に対しての戦争の本格化は断念せざるを得なかった。

 そして、万里の長城以南から日本人は基本的に引き揚げざるを得なかった。

 また、このことはドイツを不倶戴天の仇敵視する動きを日本政府、軍部に刻むことになった。


 盧溝橋事件が小火で終わった後、満州を新たな地盤としてブロック経済を築き、世界的孤立の中で国力の充実を図っていた日本政府だが、そうした状況は歴史の流れの速さから急速に変わっていった。

 ズデーテン危機からチェコスロヴァキア解体といった流れは、ポーランド政府のなりふり構わない自国保全の動きを引き起こし、その動きは日本を巻き込んで、日本と英仏の接近を引き起こしたのだ。

 もし、日独防共協定が結ばれていれば、日本と英仏の接近は無かったろうが、日独防共協定が流産したうえに、盧溝橋事件の行き違いから日本にとってドイツは不俱戴天の仇敵となっている。

 そして、日本にしてみれば、英仏へ接近できることは世界的な孤立状況から脱却できることで、願ってもない出来事だったのだ。


 こうして、ポーランドを介した日本と英仏の接近はあったが、ドイツにしてみれば、最早、ポーランドに対する領土の要求は止め難いモノになっており、ポーランド回廊に対する要求等がポーランドに対してドイツから突き付けられた。

 こうした状況に鑑み、英仏はポーランドの独立を保障する一方、日本にもポーランドの独立を保障するように求めてきた。

 これに日本政府が応じたことから、ポーランドへのドイツ軍侵攻に伴い、日本も対独宣戦するという事態が起きてしまったのだ。


 もっとも、このときの近衛文麿首相率いる日本政府の考えとしては、あくまでも外交的儀礼からの形式的な参戦で済むと考えていたらしい。

 英仏の軍事力をもってすれば、最悪の場合に一時的にポーランドが制圧されることがあっても、第一次世界大戦と同様の塹壕戦に最終的にドイツと英仏との戦争は陥るだろう。

 日本は、英仏に多大な物資を売り込んで、第一次世界大戦と同様に戦争特需で潤えるだろう。

 そんな甘い考えだったと私は聞いている。

 

 だが、現実にどうなったかというと。

 ポーランドはソ連軍の侵攻もあったために1月程で崩壊してしまった。

 こうした状況に鑑み、日本も万が一の欧州派兵を検討することになった。

 とはいえ、日本は満州を確保しているものの、対ソ戦に加えて、更に中国国民党による華北方面からの遊撃戦も警戒しないといけない状況だ。

 必然的に欧州に送れる陸軍の兵力等はどこにもいない、といっても過言ではなく、欧州に派遣されるのは海空軍ということになった。

 更に言えば、ドイツ海軍の水上艦兵力は英海軍だけでも十分であることから、欧州派遣に必要なのは対潜作戦に必要な駆逐艦やフリゲート、又、航空兵力ということになった。


 しかし、駆逐艦やフリゲートにしても問題が起きた。

 日本海軍は対米戦を重視する余りに米艦隊との艦隊決戦に夢を見過ぎていたため、対潜作戦に向いた駆逐艦やフリゲート(海防艦)が欠けていたのだ。

 それこそ日本海軍が自信を持って建造中だった最新鋭の陽炎型駆逐艦でさえ、対潜能力が不足気味であると英海軍関係者には評価される有様だったのだ。

 このために改めて松型駆逐艦等が建造される事態が起きた。


 こういった事態を踏まえたことから、結果的には日本からは陸海軍航空隊、特に海軍航空隊がまずは欧州へと派遣されることになった。

 しかし、そういった欧州に派遣する部隊の編成をどうするのか等について、日本国内で揉めている間にドイツ軍のフランス本土等への侵攻作戦が発動される事態が起きてしまった。

 その結果は英仏軍のボロ負けといっても過言ではなく、フランスは本土を失陥してしまった。


 だが、日本の参戦がフランスの力になったのか。

 フランス政府はアルジェに移転して、本土解放を呼号することになった。

 その一方、日本としてはそれこそおっとり刀で欧州に航空隊を英国に至急、派遣することにもなった。

 かくして、自分は1940年7月末に英本土の土を踏むことになったのだ。


 今、私、源田は松山航空隊を率いて、ここホーンチャーチにいる。

 英国派遣の見返りとして少し早めに中佐に任じて貰えたのには感謝している。

 ここにいるのは日本海軍の最新鋭機である零式艦上戦闘機を全員が装備した54人の精鋭の海鷲達とそれを支援する様々な面々だ。

 そして、英空軍の援けにより、航空機の無線通信性能が格段に向上したのもありがたい。


 私は南方の空、ドイツ空軍の基地がある方向を睨んだ。

 ドイツ空軍の散発的な空襲は既に始まっており、間もなく本格的な空襲が連日、行われるだろう。

 ドイツ空軍の戦いはいつまで続くか分からないが、その戦いの日々において「源田部隊」の名を歴史に刻んでやる。

 ご感想等をお待ちしています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 盧溝橋事件が不発に終わり、その後以前から親密だった中独の関係が変わらないIFは確かにあり得そうで、それでもって中々取り上げられないテーマなので興味深いです。 [一言] 御参加ありがとうござ…
[良い点] 第二次大戦に出兵・従軍した生き証人が希少な時代になりました。実体験や当時の報道・風評などが遠ざかるほど、若輩の自分には架空戦記のように受け止めてしまいます。  ですが、この作品は全くのデタ…
2021/08/08 20:45 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ