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吟遊詩人はただ歌うだけではなく、評判を広めることを考えながらあちこち動いていたらしい。
村と町を行き来していたのもその一環で、村長もそれに協力していたようだ。領主との接点ができる機会だったのだろう。
結局詩人はそれきり村には戻らず、村人たちは惜しみながらも無理ないことだと納得した。はじめから長居など期待していなかったのだ。
納得する気分になれなかったのは、ティノだけだった。心底がっかりしながら、数日ぶりに丘のふもとの森に向かった。
この数日のうちに森全体の黄葉が進み、秋の気配が急速に深まってきていた。ブナの枝もナラの梢も黄色味を帯び、下生えの草も勢いを落として、陽ざしが眩しい夏場よりも明るく軽やかな景色に見える。
それとは裏腹に、小道を歩くティノの足取りは重かった。
久しぶりというほどでもないのだが、なんだかひどく決まりが悪い……だがいつもの場所に近づくと、昨日会ったばかりのようにのんきな魔物の声が聞こえてきた。
【おや、とんがり耳のチビすけ。元気がないね】
ティノは文字どおり元気なく声の主を眺めた。
魔物が巻きついているナラの大木も、梢をおおう葉がずいぶん色づいてきて、着々と落葉する準備をすすめている。だが、魔物の先端部分に生えている葉には黄葉の気配はなく、むしろ前より緑が濃くなっているようだ。
枯れていないのはいいことだが、うねうねと巻きつく幹のような部分が少し短くなり、全体的に縮んでいるように見えるのが気になった。
ティノはため息をつくと、大木のかたわらに腰をおろして膝を抱えた。
あんまり仲良くしないほうがいい──そう思ったが、気持ちをぶつける相手はやはり彼女しかいないのだ。ここ数日の出来事を説明し、どんなに自分が失望したかを正直に伝えた。
【領主の迎えじゃ断れないねえ】
と、ムジカが特に興味のない口調で言った。
「でも、教えてくれるって約束したのに。ひどいよ、ティノ、ちゃんと習おうと思って待ってたのに……」
【まあいいじゃないか、あたしに習えば】
「ムジカじゃだめなんだ」
【どうして】
「だって人間じゃないもん」
おや、いままで平気で習ってたくせに、と魔物が面白がるような声音で言う。
ティノはいっとき黙り込んだ。こんな本音を言ったのははじめてだったが、相手がちっとも応えていないようなので、思い切ってそのまま続けた。
「そ、それは仕方なくだもん。ほかに習う人がいなかったから」
【おや】
「ムジカなんて楽器も弾けないじゃない。吟遊詩人はリュートが弾けなきゃだめなんだよ。それに、それに……」
【それに?】
ティノは胸が詰まって唇をかんだ。一息に言った。
「それに、ムジカはもうすぐ歌えなくなっちゃうんでしょ」
七歳の子どもであっても、口にしていいかどうかを迷い考えることがある。その結果、言わないでおこうとずっと思ってきたのだが、言い出すともう止まらなかった。
「ティノ、知ってるんだ。マンドラゴラがおしゃべりをはじめるのは、魔物の寿命が尽きる直前だけなんだって。ムジカはもうすぐ死んじゃうんだ」
【おや】
「だからティノ、ここに来るのやめたかった。だって仲良くしてたら、別れるとき、きっと悲しくなっちゃう。そんなの嫌だもん。だから別の人に教えてもらおうと思って……」
それは、魔物にくわしい羊飼いのおじさんが教えてくれた知識だった。
マンドラゴラという魔物は、あるとき突然、人間のようにしゃべり出すことがある。その現象は寿命が尽きるきざしで、そうなった魔物はもう人間を捕食することはない。捕食する必要がないからだ──。
その説明を聞いたとき、ティノはたいしてショックも受けずにうなずいたのだった。自分が襲われもせず交流できているのは、そのためだったんだと腑に落ちた。
会うのをやめようとも思わなかった。相手は魔物、そんなに仲良くなるはずがないと思い込んでいたからだ。
ところが最近、ちょっと様子が変わってきた。想像以上に親しくなっている気がするが、これではまずいのではなかろうか。
ティノは、死んでしまった両親の記憶をほとんど何も持っていない。だから、彼らがいなくてもあまりつらいとは思わない。
一方トーベおじさんやイリおばさんは二人のことをよく覚えていて、ティノの歌声を聞くと時折涙ぐんでいる。思い出すと涙が出てくるそうだ。
おしゃべりしている相手がいなくなるのって、いったいどんな気持ちだろう──。
大木に巻きついていたマンドラゴラの先端が、ずるずると動いて幹から離れた。鎌首をもたげる蛇のように持ち上がり、膝を抱えて丸くなってしまった子どもの肩にそっと触れた。
見た目は古木のようなのに生温かい体温を感じるので、それをされるとティノはちょっと気持ちが悪い。それでも動かずおとなしくしていると、魔物がやさしくささやいた。
【泣き虫なチビだねえ】
「………」
【あたしゃ、もうとっくに死んでるよ】
「知ってる……」
【じゃあ知らないことを教えてあげようかね。マンドラゴラってのは植物にそっくりだろう?】
「うん」
【そっくりなだけじゃない。年をとると、どうやら本物の植物になっちまうらしいのさ】
「え……?」
ティノは驚いて顔をあげた。すると先端に茂っている葉っぱが、濡れたまぶたをざわざわとなでた。
くすぐったい。なんだか女の人のゆたかな長髪みたいな肌触りだ。
「ムジカ、木になっちゃうの?」
【木だか草だか……よく知らないが、そんな感じのものになる。つまり死ぬわけじゃないってことさ。別に悲しまなくていいんだよ」
「……おしゃべりできるの?」
【それはきっと無理だね】
「歌えるの?」
【それもきっと無理だね】
「それじゃ死んでるのと同じじゃない」
【どこが?】
ムジカはざわざわ葉っぱを揺らし、おかしそうに笑った。それから、いつもののんきな声で言った。
【さあ、今日も何か歌いに来たんだろう? 聴かせてほしいね。あたしゃ、チビすけの歌が気に入ってるんだ】