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 ティノの家にある絵本によれば、吟遊詩人というのは、てっぺんが三角に尖ったつば広の帽子をかぶっている。帽子には鳥の羽を飾り、髪は長く顔立ちはやさしげで、愛用のリュートを大事そうに抱えている。

 はたして、その夜ティノが食堂で目にしたのは、まさにそういう人物だった。


 まだ若そうな男の人で、かぶっている帽子は黒、脇にさした鳥の羽は灰緑、帽子の下の長い髪は赤茶色。壁際の席で足を組み、しずくを縦半分にしたようなかたちの弦楽器を、軽やかにかき鳴らしていた。

 ティノは戸口に立ったまま、息を呑んだ。リュートを──もちろん、あれはリュートに決まっている──見るのも音を聞くのも、はじめてだったのだ。 


 食堂は、いつになくたくさんの客でにぎわっていた。大半は常連の村人たちだが、めずらしいことに今夜は、すでに赤ら顔が出来上がった村長さんの姿も見えている。

 ほかの者たちも、麦酒や林檎酒、あぶり肉の串刺しなどを手にしながら、音楽を楽しんでいるようだ。


 皿を運んでいたイリおばさんが、ティノを見やって笑いながら手招きした。吟遊詩人のほうも目ざとく子どもに気づき、明るい口調で話しかけてきた。

「おや、小さなお客さんですね。次はわらべ歌にしましょうか?」


 それもいいが、ひとつロマンチックなのをやってくれよ、と客の一人が声をあげた。ほかの客たちが喜んでそれに賛同する。ティノだって反対するわけがなかった。本物の歌が聴けるのだ。

「では……」

 詩人は少し真面目な顔つきになり、膝の楽器を支え直した。

 右手でやさしく弦をなでると、切ない和音がこぼれ出て、がやがやしていた店内を清めるように散っていく。

 ティノは息を呑んだ。が、ついで歌がはじまったときには、もっと息を呑んだ。


  さやけき月の 光のもとで

  きみを思いて ひとり歌わん

  夜風がともに 歌ったならば

  弦をつまびき さらに奏でん


 静かだが朗々と響く、深い声──飲み食いしていた村人たちが、たちまちしんと静まり返る。本物の歌い手というのは、こういうふうに歌うのだ。


 詩人は、故郷に残してきた娘を思う旅人の心を切々と歌いあげ、弦の余韻を残してそれを終えた。立ち上がって帽子をとり、丁寧に礼をする。

 歌の世界から覚めた客たちが、惜しみない拍手と歓声を送った。ご祝儀とともに、もう一曲の声が飛ぶ。

 祝儀も声も、村長が一番の大盤振る舞いだったのはまちがいなかった。



 あとで知ったのだが、吟遊詩人に声をかけて食堂につれてきたのは、音楽好きな村長だった。

 詩人というのは、旅をしながら街中をまわるのを生業なりわいとする人々だ。人の多い場所でなければ成り立たないから、普通はわざわざ村までやってきたりはしない。

 黒い帽子の彼もまた、村から少し離れたタッソーの街に立ち寄って、そこで仕事をしていたらしい。


 そのタッソーまでたまたま買い出しに行ったのが村長だ。そして偶然詩人をみつけ、すっかり気に入り、頼み込んで食堂まで連れてきた。

 娯楽の少ない村人たちをたまには喜ばせてやろうという、まさに大盤振る舞いの趣向だ。 

 おかげで店は大入りになり、トーベおじさんもイリおばさんもにこにこ顔だった。

 実をいうと、客が多いわりに実入りは少なかったのだが──客たちのふところの金が、帽子の中に消えてしまうため──それでも、良い歌をたくさん聴ける機会など滅多にあるものではない。


 その夜閉店するまで店にいた詩人は、村長宅に泊まり、翌日になってもまだ村に滞在していた。

 あちらこちらに動いていたようだが旅立ったりはせず、うれしいことに夜はふたたび食堂に来て、演奏会をしてくれた。そして、その翌日も。


 ティノは詩人に顔を覚えてもらい、店の外にいるときも、顔をあわせると会話をかわす間柄になった。

 仕事中は近寄りがたい気がしたのだが、話してみると詩人はとても気さくな青年で、小さな子ども相手でもちゃんと構ってくれる。

 癖になっているらしくリュートをいつも手にしていて、ときどき声のかわりにつまびいているのが、いかにも吟遊詩人らしくて面白い。


 ティノがどきどきしながら自分の歌声を披露すると、詩人は目を丸くして驚き、これもいかにも詩人らしい言葉で賞賛した。

「口をきかないはずのエルフが急に歌い出したところに、幸運にも立ち会えたような気分だよ。うまいな、坊や」

「ほんと? 変じゃない?」

「ちっとも。都でちゃんと勉強すれば、一流の歌い手にだってなれそうだ」

「ティノ、都に行けるかな」

「うん。……ああ、いや、すぐには難しいかもしれないが」


 少し言葉を濁した吟遊詩人は、子どものとんがった耳から視線をそらして、リュートの弦をつまびいた。それから口調を変えて続けた。

「でも、きみは本当にうまいよ。一人で練習してるだけとは思えない。きっと誰かに習っているんだろう?」

 今度はティノが言葉に詰まる番だった。口ごもりながら、小さく答える。

「うん……ムジカに……」


 ここ数日、ティノは森に行っていない。名前を口にするとかすかに胸が痛んだが、それに気づかないふりをしながら、思い切って言葉をつなげた。

「あのね、お願いがあるの。……ティノに歌を教えてくれる?」


 断られるかと思ったが、吟遊詩人は断らなかった。明日ならね、と笑いながら軽く答えた。

 これからタッソーの街に行って、帰ってくるのは遅くなるから、今日は教える暇がない。でも明日の朝なら時間があるよ。気安い調子で、そんなふうに請け合った。


 ティノは安心し、詩人と別れたあともそのことばかり考えながら、一日を過ごした。

 ところが──残念なことに、その時間はやってこなかった。

 次の日の朝、領主様の使いがいきなり村長宅を訪れた。

 そして、いま評判になっている売り出し中の吟遊詩人を、領主館の演奏会に連れて行ってしまったのだった。


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 南の塔のエセルの時にも思いましたが、柚里さんは人がどんな風に、物事や人に出会っていくのか、エセルやティノの目線と心をとても生き生きと書いていらしゃいますよね。なのですっかり主人公の気持ちに…
[一言] 他の方も仰っていましたが、私も真っ先にスナフキンを思い出しました! 大好き! ムジカとティノの秘密の友情(?)は、暴かれてしまった時に悲劇を引き起こすのではないでしょうか。ティノの純粋さによ…
[良い点] 純粋なティノくんには、いつも癒されます。 長雨と理不尽な出張で荒んだ心が洗われていく気分です。 今回ふと思ったのですが、ファンタジー作品に登場する種族は、作品によって立ち位置が様々ですよね…
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