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調べは天から降りてくる。言葉は地から湧いてくる。
調べと言葉がかさなって、胸の奥でひとつになると、それは小さな歌になる。
野原にたたずみ、やわらかな陽ざしをあびながら、ティノは自分の中でひとつになったばかりの歌をくちずさんでみた。
野辺の羊は みんななかよし
春に生まれて 夏には毛刈り
秋に恋して 結婚式
ファルディリ ラリラ
フォルディリ ルララ
ホイ 結婚式
歌い終わると、楽しそうにくすくす笑った。つたない歌詞とちょっと音のはずれた歌い方が、我ながらおかしかったのだ。
息をするように自然に歌を思いつき、おしゃべりするように自然にそれを歌い、友達と遊ぶように音楽とたわむれては遊ぶ。
ものごころがついたころから、ティノはそんな男の子だった。
見渡す広い野辺の先では、刈られた毛が戻りつつある羊の群れが、いつものようにのんびりと移動している。少し離れてそれを見守る、羊飼いのおじさんの動きものんびりだ。
牧羊犬の黒い背中が、草の中で時おり元気よくはずむ。
高い空はすっかり秋の気配だが、牧草地は夏の光をいっぱいに残して、豊かにひろがる緑色が美しい。
そうした風景に誘い出されて生まれた歌を、ティノはしばらくの間、細いのどで転がしながら楽しんでいた。
けれど、やがて大事なことを思い出し、口を閉じるとあわてて向きを変えた。
いけないいけない、忘れちゃうところだった。歌が上手になるためには、好きなように歌ってるだけじゃだめなんだ。もっときちんと練習しないと。
まだ七歳のティノがそんなふうに思うようになったのには、わけがある。食堂で歌を聞いてくれたお客のひとりが、先日こんなことを言っていたのだ。
──この子はきっと吟遊詩人に向いてるぜ。まあ、ちょっと調子っぱずれだけどな。
人なつこいティノは、トーベおじさんとイリおばさんが営む食堂にちょこまかと入り込んで、ときどき歌を披露していた。
ヒバリのようにさえずる痩せっぽっちの男の子を、客たちは面白がりながら見守ってくれる。そこで気の向くままに歌っていたのだが、吟遊詩人という言葉を持ち出されたのははじめてだった。
もちろんそれは酒が入っての軽口だったし、おばさんがすぐに話を変えてしまったので、くわしいことは全然わからなかった。
でも、それを聞いて以来、ティノの胸はひそかに高鳴り続けている。
吟遊詩人……歌うことを仕事にして、みんなを喜ばせてまわる人。調子っぱずれを直しさえすれば、ティノもそういう人になれるかもしれないのだ。
ティノは、トーベおじさんとイリおばさん夫婦、それに彼らの子どもたちとともに暮らしている。両親が流行り病で早くこの世を去ったあと、父の姉であるイリおばさんが駆けつけて、甥っ子に手を差し伸べてくれた。
ほんの幼児のころの出来事なので、両親の記憶はティノの中にまったくと言っていいほど残っていない。おかげで悲しいという感覚もあまりなく、おばさんたちにも可愛がられて、のんきな毎日を送ることができている。
でも、おばさんやおじさんが言うには、彼は両親にたいそうよく似た子どもであるそうだ。
外見は父親そっくり、声や歌いかたは母親そっくり──つまり先が尖った長い耳と金の瞳は父親ゆずり、人を惹きつける魅力的な声は母親ゆずり。
そして音楽を愛する心は、まぎれもなく父と母の両方からゆずり受けたのだと、大人たちは時々感慨深げに語ってくれるのだった。
ちなみに、それを聞くたびに彼が考えてしまうのはこんなことだ。
──だとすると、ときどき音がはずれちゃうのも、お母さんに似ちゃったのかなあ?
大いなる疑問だったが、おばさんたちにそれを聞いてみたことはなかった。肯定されたら、がっかりしてしまう気がしたのだ。
それに、たとえその通りだったとしても、一生懸命練習すればきっと乗り越えることができる。できる……はずだ。
羊たちの群れに背を向けて、ティノは小走りに田舎道へと走り出た。
次の行先は決まっている。子どもの歌の練習に、飽きることなくつきあってくれる相手、ムジカのところだ。
丘のふもとの森の中、大木の根元に巻きついて、彼女は今日もティノの声にこたえてくれるだろう。
ムジカといっしょに練習していることは、誰にも言えないティノだけの秘密だった。おじさんやおばさんにも言えないものを抱えるのは、もしかすると人生ではじめてかもしれない。
でも、それを手放すつもりはなかった。
してはいけないことをしているのだと、ティノは幼いながらも知っている。本当はすぐに村長さんに報告して、討伐してもらわなければいけないのかもしれない。
だってムジカは人ではなく、魔物だったのだから。