観賞
コーリア侯爵夫人にお忍びの話を聞いたらそんなことはないとばっさり切り捨てられてしまった。
けどそのあともう一度マルコの友達がやっているカフェに行って実家のお店の場所を教えてもらって行って女将さんに聞いてみたらやっぱりコーリア侯爵夫人だという話だったの。
ということで日頃の感謝を込めてコーリア侯爵夫人にはぜひ懐かしの食堂の味を食べてもらいたいと思って普段はやってない配達をしてもらうことになったの。王妃教育が終わったタイミングで届けてもらって受け取った侍女に持ってきてもらった。
「どうぞコーリア侯爵夫人」
「なんですかいきなり。どこから持ってきたのかわからないものは食べられませんよ。あなたは特に」
「ちゃんと毒味もしてありますわ。蓋を開けてみてくださいませ」
訝しげな表現をしたまま蓋を開けたコーリア侯爵夫人は目を瞬かせた。
「これは」
「イカ飯という物らしいですわね。コーリア侯爵夫人が陛下と妃殿下とお忍びで訪れていた食堂のものですの」
いつもこれを食べていたと聞きましたと言うとコーリア侯爵夫人はゆっくり一口噛った。
「懐かしい……」
「美味しいですか?」
「そうですね、庶民的な味で悪くはありません」
そう言いながら食べるコーリア侯爵夫人は今まで見たことないくらい穏やかに笑う。
「アンに持っていったら3つは一気に食べてしまいそう……」
「アン?モニカのお母様のことですか?」
「ご馳走さまでした。さ、今日はここまでです。また明日」
「あ、ご、ごきげんよう!!」
またはぐらかされてしまった。けどやっぱりコーリア侯爵夫人はお忍びしていたみたい。お堅いコーリア侯爵夫人の意外な一面を知ることができたわ。
ローラ様が来てから王妃教育をしながらローラ様とお話ししたり時には城下町でお忍びをしたりして1週間以上が経った。
今日は午後に公務をするというローラ様に合わせて午前中に一緒にお茶をしてから王妃教育を受けて殿下に会いに会議室まで来た。
ちょうど会議が終わったみたいで中から偉い人たちが難しそうな顔をして出てきた。
何かあったのかしら。そう思っていたら殿下が出てきた。
「殿下!!会議お疲れ様でございます」
「お前……なぜここにいる」
「殿下、何かありましたか?みなさん難しそうな顔をしていましたが」
「お前は気にしなくて良い」
「そうですのね」
殿下が気にしなくて良いと言うなら気にしても仕方ない。私に関わることなら話してくれるしそうでないなら私は知るべきではないことだもの。国政に関わってる殿下にはそういうことが多いのは10年一緒にいるとよくあること。
「で、何の用だ?」
「あ、あのですね殿下、このあとお夕食までお時間があるとお聞きしましたわ。私の家にお越しいただけませんか?」
「なにかあるのか?」
「完成したのですわ!!」
待ちに待った完成、早く殿下に見てもらいたくて興奮する私に殿下は眉間にシワを寄せる。
「なにがだ」
「殿下です!!普通に見ると普通の花壇ですが私のお部屋から見下ろすとあら不思議、殿下のご尊顔に見えるのです」
「そんなもの作るな。今すぐ撤去しろ」
「そんな!!毎日毎日心を込めてお世話しましたのに!!」
「……」
「庭師のジョージが!!」
「……あの爺まだ現役だったのか」
「はい!!今は甥のマルコと我が家の庭のお手入れをしていますわ」
「……甥。男か」
「殿下、甥は男の子ですわよ?女の子なら姪ですわ」
「そんなこと知ってる。男の使用人が増えるなら一言言えと伯爵に話していたのに……」
「どうされたのですか?」
「……コホン。バートン伯爵が私の命令に背いたんだ」
「まあ!!お父様が!?あら?そういえばマルコがうちに来た頃お父様が悩んでおられました。殿下との約束がとかマルコは男なのか女なのかって」
「は?男なんだろ?」
「マルコは男性ですが心は乙女です。私たち家族も使用人たちもマルコをジョージの甥だと紹介しますけど男性だとは思ってないのです」
「な……それなら……良いのか?いや、ダメなのか?」
「殿下、それより私の家に」
「このあと急な用事ができた。無理だ」
「え!?そんな!!昨日はそんなことおっしゃってなかったではありませんのゴードン」
殿下のお側に控えていた今日の護衛はゴードン。クレイグは殿下の命令で何かとお側を離れることが多くて殿下のお側には誰も護衛がいない時と何人かついてる時がある。
「申し訳ございません、今の会議で決まったもので」
「この珍獣が俺の予定を把握してるのはお前のせいかゴードン」
「え、いえ、あの……」
「誰に聞いても教えてくれますわ」
「ようやく白状したか。機密情報にしろ今すぐ」
「まあ殿下。殿下ともあろうお方の予定ですもの。元から機密情報ですわ」
「それならなぜお前に筒抜けなんだ」
「それは私だからですわ。陛下と妃殿下の許可をいただいておりますもの」
「……とにかくこのあとも予定が入ってる」
「仕方ありませんわ。お忙しいのは殿下が皆様に求められているからですものね」
「お前の家には今度行く」
「まあ!!本当ですの!?」
「3日後に行くから使用人全員集めておけ。あと伯爵に家にいろと伝えておけよ」
「はい!!皆で殿下を歓迎いたしますわ!!」
護衛たちと話しながら歩いていく殿下を見送った私は家に帰る。玄関で出迎えてくれるのは昔からおじいちゃんな執事。
「聞いてちょうだい。殿下今日は来れないの」
「左様でございますか。残念ですね」
「残念だわ。本当に。でも3日後に来てくれるっておっしゃってくださったの。使用人全員集めておけって。だからみんなで盛大に歓迎しましょうね」
「そうですね」
「紙吹雪なんてどうかしら」
「ようございますね。旦那様に確認してみます」
「あとはクラシックの生演奏なんてどう?」
「旦那様に手配を依頼してみましょう」
「レッドカーペットはどうかしら」
「あらあらジェシー、殿下が驚いてしまうわよ?」
「お母様!!殿下を驚かせたいのですわ!!」
階段から降りてきたのはお母様。プラチナブロンドの髪を綺麗に結い上げていて2人の子供がいるとは思えない若々しいお母様なの。
「殿下にどんなお話をして殿下はなんとおっしゃっていたのかしら?はい、まずは?」
変なお父様のことが大好きな変わり者だけどお母様はしっかりしてる。記憶力は良くても人に説明するのは苦手な私はさっきの殿下との話を思い出しながら話す。
「えっと、えっとですね、まず花壇を見にきてくださいとお誘いしました。そしたらすぐに撤去しろとおっしゃって、みんなで心を込めて作ったのですと伝えましたわ。それでマルコは男性なのか女性なのかという話になって、今日は予定があると言われて事前に聞いていた予定と違くて陛下と妃殿下に殿下の予定を聞く許可を頂いている話をしたあとに3日後に行くから使用人を全員集めておけと、それからお父様に家にいるようにとおっしゃっていましたわ」
「では3日後の使用人たちの予定を調整してちょうだい」
「承知いたしました奥様。では失礼いたします」
「ジェシー、殿下は忙しいご公務の合間にお越しくださるの。あなたがするべきは殿下を疲れさせることではなく労ることなのよ」
「疲れることはないと思いますわ。感動すると思いますの」
「お茶を飲みながらゆっくり花壇を観賞すれば良いのよ。穏やかな時間を過ごすことが殿下を労ることになるわ」
会議から出てきた人たちの様子を思い返す。何か大変なことがあるのかもしれない。
「そうですわね、さすがお母様です。殿下に穏やかな時間をお過ごしいただきますわ!!」
そして3日後、午後にいらっしゃった殿下を使用人全員と仕事を抜けて来たお父様とお母様と一緒にお迎えする。弟はまだ学生だから学園。
「殿下、この度は」
「ああ、良い。それより俺がなぜ来たのかわかるか?」
「もちろんです。うちの花壇を」
「使用人だ。ところでこれは何の真似だ?」
「何の真似とおっしゃいますと?」
「なんだこの生ぬるい風は!!おい珍獣!!」
「はい殿下!!珍獣じゃありませんけど!!」
殿下に呼ばれた私は扇を閉じてカーテシーをする。
「これは何をしているんだ」
「何って、お疲れの殿下を労ろうと思いまして気持ちいいそよ風をお送りしておりますのよ」
扇をゆっくりと動かして風を送っている普通のカーペットの両端に並んだ使用人一同を見渡した殿下。
「夫人!!」
「はい殿下」
「どうなってるんだ」
「申し訳ございません。方向転換はしてみたのですが」
「……やめさせろ」
お母様がみんなを止めると殿下はもう一度お父様に向き直る。
「俺が言ったことを覚えているかバートン伯爵」
「覚えておりますとも。なにぶん繊細なことですから」
「はぁ……まあ良いが、今度からは男でも女でも誰か雇うなら報告しろ」
「承知しました」
「……で、こいつは侍女だったな」
殿下はため息をついてから一番私に近いところにいたユーリを見てお父様に聞く。
「そうです。侍女という名の護衛です」
ユーリは私が殿下の婚約者になってからお父様が連れてきた。お茶を入れるくらいならできるけど基本的には気配を消して私の身を守るためにいてくれてる。
この家には1つのことに特化したスペシャリストたちが働いている。それ以外がてんで駄目でも1つの道を極めているような人たち。これはバートン伯爵家代々続いていることでそもそもの伯爵家自体、お父様もお祖父様も叔父様も1つのことに秀でた人だ。
殿下は使用人たちを1人1人お父様とお母様に確認していった。
「あのユーリという侍女やこの者たちはあいつについてくるのか?」
「ユーリとこの3人のメイドが仕えるというお話になっておりますわ」
「そうか。で、こいつは料理長の息子だと大分前に会ったことがあるな」
「左様でございます。あの時は見習いでしたが今は立派に働いております」
「それで、マルコという庭師は」
「マルコ、来なさい」
お父様に呼ばれたマルコがお父様の隣に立つ。
「お前がマルコだな」
背の高い殿下の頭1つ分大きいマルコがお辞儀をする。
「お初にお目にかかります殿下。マルコと申します。きゃーお嬢様かっこいいわね殿下、生殿下!!」
「そうなのよ生の殿下は姿絵の比じゃないのよー」
殿下の花壇を作ってもらうにあたって用意したのは宮廷画家が描いた姿絵。私とマルコは生殿下を前にして手を取って興奮しあう。
「……夫人」
「大変申し訳ございません。ジェシカの手綱は殿下にお任せいたしますわ」
「……おい、花壇を見せるのではなかったのか」
「はい殿下!!参りましょう!!」
私の部屋に行くために階段を上ろうとすると殿下に手首を掴まれて引き止められる。
「庭は向こうだろ」
「先日申し上げたではありませんか。私の部屋からが一番よく見えるのですわ。朝起きてすぐに殿下に会えるように作ったのです」
「そうだった……ふん、仕方ない。行くぞ」
「はい殿下!!」
すたすたと歩いていく殿下を追いかけて部屋に入る。
「ここは変わらないな」
「そうですか?」
婚約したばかりの時は勉強が嫌で王宮に行きたくないとぐずる私を迎えに、2年経つ頃にはすっかり殿下を慕っていたから殿下と離れたくなくて帰りたくないとぐずる私を送るために、殿下はよくこの屋敷を訪れていた。
「殿下、こちらですわ。こちらから見てくださいませ」
窓のそばに行って手招きすると殿下が隣に並ぶ。
「ほら、良くできてますでしょう」
「……ああ」
ふふ、反応は薄いけど喜んでくれてるに違いない。
「殿下、お茶を飲みながらゆっくり観賞しましょう」
窓のそばに置いていた椅子に殿下に座ってもらって紅茶を淹れるのが上手なマヤというメイドが入れてくれた紅茶を飲んでくれるように促す。
マヤは私が飲みたいと思った紅茶を飲みたいと思ったタイミングでちょうど良い温度で出してくれる。ただ今日は私ではなく殿下のための紅茶を淹れてもらってる。
「なぜ自分の顔を観賞しないといけないんだ……」
「殿下、飲んでみてください、リラックス効果がある紅茶だそうですのよ。お疲れの殿下にぴったりですわ。そうでした、扇ぎましょうか?」
「しなくて良い」
「わかりましたわ」
紅茶を飲みながら窓の外の花壇を見てくれる殿下の横顔を見ながら私も紅茶を飲む。
「そんなに喜んでもらえて嬉しいですわ。次は何をして殿下を慕っている気持ちを表現しましょうか。曲は私が自分で披露したのがいけなかったのだから演奏家を呼んで演奏してもらうというのはどうかしら。それともこの花壇が良いということは次は銅像というのも1つですわね。せっかくですしうちのお屋敷の前に殿下の銅像を作るというのはどうかしら。って、殿下?」
気付いたら殿下がじっと私を見ていて首をかしげる。
「なんでもない。ところでマチェルダの王女とはどうだ?」
「ローラ様ですか?すっかり親しくなりましたわ」
「代わりに最近俺のところに来ることが少なくなったな」
「はい?ああ、以前は王妃教育や妃殿下とのお茶会の前か後に殿下の予定に合わせて会いに行っていましたがさらにローラ様とお会いしているので殿下の予定となかなか合わなくて。それに最近殿下は外でのご公務が多いですし」
「本当に俺の予定を把握してるんだな」
「はい。陛下が殿下と仲良くしてねとおっしゃってくださいますから」
妃殿下とお茶をすることはよくあるけどたまに途中陛下が少しだけ来てくださることがある。その時に殿下の話をたくさんする。
「陛下は本当に殿下のことが大好きですわね。この前も殿下のお話を聞きに来てくださいましたわ」
「俺に執務を押し付けてるから暇なんだろ」
「殿下のことを優秀だと誉めていらっしゃいましたわ。さすが殿下ですわね。素敵です。それにしても……ああ、正面に殿下、左を向いても殿下、なんと素晴らしいことでしょう。ただあんなに素晴らしいと思っていた花壇も本人を目の前にすると霞んでしまいますわね。やはり花壇では殿下の溢れでる魅力は表現できませんわ。さすが殿下、魅力が大国に轟くほどですものね」
「何を言っているのかさっぱりわからん」
「ああ、素晴らしや素晴らしや」
「だから意味がわからん、拝むな」
霞んでしまう花壇ではあったけど殿下は気に入ってくれたみたいで30分ゆっくりと過ごしてくれた。少しでもリラックスできたなら嬉しいのだけど。