No.10 天使
空にあこがれる少年の話。
自分のいる場所から逃げ出したかった。逃げだす術なんて何も知らなかったけど。
這いつくばるのは得意だった。いつだって這いつくばって、頭を下げて、薄汚れて、見つめるのは足元ばかりだった。怒声と、饐えたにおいのする路地裏で、息をしていた。
空を見上げる余裕なんてなかった。だから、空を見上げてもいい人間になりたかった。ほんの一瞬見上げた、あの透き通るような空気の中を飛んでみたかった。薄汚い俺たちのことなんか知らない顔して、ただある空の、あの中に入ってみたいと思った。あの柔らかな白い雲に指をかけて、ただ流されるままに。
きっと罰が当たったんだ。
希望なんて持つから。こんな目に合う。
誰かが連れだしてくれることなんてなかった。差し出された手は握ってはいけないものだった。
ひとり自嘲した。身じろぎすれば、背中から広がる骨の重みで体がきしきしと悲鳴を上げた。
望みを持っていいのは恵まれた人間だけだ。何も考えず空を眺めていいのは、汚れていない人だけなのだ。
背中から飛び出た2対の骨が重たくて自然と前かがみになった。白い床が目に入る。もう見慣れてしまった塵1つない床。以前のように這いつくばってももう汚れない。糞尿も、腐ったにおいもしない部屋。組み立てられたベッド。ここに来る前よりもずっといい生活のはずだった。それなのに、どうして。
ベッドに身を預ければ、柔らかい感触に沈んでいく。麻が素肌をこする。背中に広がる骨が痛くていつからか仰向けになれなくなった。うつぶせになれば骨の重みで胸が圧迫されて、少し息苦しくなる。その息苦しさにも、もう慣れた。
ゆっくりと目を閉じる。体の中で骨がきしんで成長する音が聞こえる。背中の皮膚が熱くなって。骨が俺を圧迫していく。
2対の骨は、枝分かれして、俺を包み込むように広がっていく。毎日、少しずつ、少しずつ。
確実に地面につなぎとめていく音。
空を眺めていたかった。眺めてもいい人間になりたかった。
空を飛んでみたかった。何もかもを捨てて。
「これじゃ、とべないなぁ。」
いつか起き上がれなくなるだろう、骨でできた翼に抱かれて、這いつくばって死んでいく。重みに耐えきれずにつぶされる。これまで通り。空を眺めることもなく。
読んでいただいてありがとうございました。