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いつか霧の中で

作者: つむぎ日向

~舞台「霧笛の音が聞こえたら。」アナザーストーリー~





※この短編小説は、舞台「霧笛の音が聞こえたら。」のアナザーストーリーとなります。

 舞台本編のネタバレはありませんが、気になる方は観劇の後にお読みください。





 わたしがその話を聞いたのは、冬の寒さがやってくる前のことだった。

「帯のコメントねぇ」

 仕事部屋のそこそこ高級な座椅子に背中を預け、わたしは思わず「面倒だな」という本音が声色に乗ってしまう。

 それにはわたしの編集になって間もない小林君も、どうやら気が付いたようだ。これなら、この手の仕事を編集部の時点で蹴ってくれるようになるまで、あと少しといったところか。

 これで少しは楽ができるぞ、などと考えていると、彼は「若葉先生ぇ~」と悩ましげな声を出してきた。

「そんな顔しない。仕事なんだからやりますよ」

 不安げな彼にそう言うが、小林君は納得してくれなかった。それもそうだろう。

「そんなこと言って、この前お願いした小説の推薦コメント、まだ書いてないですよね?」

「あぁ、あれね」

 えっと、出版社が売り出していきたいという、新進気鋭作家のデビュー作だったか。原稿はたしか……読んだ。読んだと思う。きっと読んだ。

「読んでないですよね」

「読んだって」

 たぶん。覚えてないけど。

 いや、そもそも問題はそこではないのだ。

「あのね、小林君。なんでライバルになるかもしれない作家の推薦をするのか、ちゃんと説明してもらえる?」

「何言ってるんです。今、日本で十本の指に入るほどの有名作家、若葉サオリ先生のライバルなんて、そんな簡単になれませんよ」

 お、小林君にしてはいいことを言うではないか。気持ちが良いから、もっと言ってくれてもいいのに。

「だから、後輩作家の為に、一肌脱いで下さいよ」

 だが、それとこれはとでは話が別だ。

「え?脱げって、それセクハラ?最低~」

「はぁ!?」

「週刊誌にでも言おうかな。えっとたしか、今度週刊文献の取材が……」

「あぁ!ちょ!ちょっと何言ってるんですか!一肌脱ぐっていうのは、ホントに脱ぐわけじゃなく」

「冗談でしょ」

 顔を赤くしてアタフタする彼を見て、わたしは吹きだす。

 彼のこういう所が面白く、また憎めない所でもある。そして、誰かさんにそっくりだ。特に、簡単な冗談ですぐ慌てるところなんて。

「勘弁して下さいよ」

「ちょっとは慣れなって」

「すみませんね、単純で」

 小林君はふて腐れたように言った。その表情もまた面白い。

「そうは言ってないよ。ただ、すぐ騙されるな~とは思ったけど」

「同じじゃないですか!」

 彼はまた顔を赤くして言う。

 だが、溜息を吐いてすぐに、彼は話を仕事に戻してきた。このまま脱線して忘れさせることはできなかったか。残念。

「もう……それより、今度の帯コメントは、ライバルとか関係ないですよ。俳優のエッセイ本なんで」

「俳優?エッセイ?」

 なんでそれをわたしが?これでも賞を最年少で総なめしたミステリー作家様だぞ。

「ほら、覚えてますかね?先生の「夜更けの村で」が映画化した時、阿良川役だった」

「あぁ……」

 そこまで言われてピンと来た。ミステリー作家の勘を嘗めないでもらいたい。

 五年ほど前だったか、わたしの著作「夜更けの村で」が実写映画化する運びとなった。その際に、まだ無名の俳優だった“彼”は、作品のキーになる阿良川という役を演じた。

 その後、彼はその映画で新人賞を取り、少しずつ他の映像作品でも顔を見るようになっていた。

 そう、過去形だ。もっと正確に言うならば、三年前までは、となる。

 何かが起きる時、それは「上手く行っているように見える時」だ。わたしもそれをよく知っている。だから、彼の身に起きたことに同情はしない。が、今彼がどうなっているのかは想像がつく。

「で、どんな本?」

「あ、えっと、コレです」

 わたしが急に興味を持ったことで驚いたのか、小林君は慌てて鞄から、まだ本になっていない原稿のコピーを取り出す。

 クリップで留められたコピー用紙の一枚目には、センスのないタイトルと、もう見ることはないかもしれないと思っていた名前が書かれている。


 ――先生のファンなんです!


 そう彼が言ったのは、映画化の顔合わせの時だった。

 なんでも、書店員としてバイトをしている時にわたしの本と出会い、それからファンでいてくれてるそうだ。

 その時は単に、簡単な感謝をしただけだった。

 だが、映画が完成し、試写会を観て、わたしの彼への感想は変わった。

 熱意があるだけの若者かと思ったが、小柄な身体からは想像もできない程大きな想いを感じた。芝居がとても上手いわけではない。それでも、彼の生み出すものからは説得力があった。そして、誰もがそれに魅了された。だからこその新人賞だっただろう。

 パラパラとページを捲り始めるわたしに、小林君が独り言のように言う。

「映画オタの先生でも納得してた、って前任の編集が言ってましたが」

「誰が映画オタか」

 映画通と言って欲しいところだ。

 わたしはページを捲る手を止めずに小林君の言葉を聞く。

「でも、あんな事がなければ、今頃有名俳優になってたんでしょうけど。もったいないですよね~」

「それはどうかな」

「え?」

 確かに、彼の身には「あんな事」なんて言葉では足りないほどの事が起きた。だがそれは、きっかけが少し早く来たに過ぎないとわたしは思う。

「結局、同じことになっていた、って事ですか?」

 “彼”はその「少し早く来たきっかけ」の後三年、名前をまったく見なくなった。そして今になって、こんなエッセイなど書いていたのか。

「わかんないけどね。でもさ、例えば……ねちっこい教師に脅迫されなくても、ヒロインの転校は決まってたわけ。だから、主人公とヒロインは別れる運命だった。それと同じ」

「それは先生の本の中の話でしょ」

「ま、そうだけどね。でも、現実は映画や小説と同じだよ」

「小説で書いてることと逆じゃないですか」

「分かってないな~」

 我が担当編集は何も分かっていない。わたしたちがブッチとサンダンスになれるまでは、まだまだかかりそうだ。

 確かに、現実の世界には、映画や小説のような奇跡は起きない。至極つまらないものだ。だが一つだけ、映画や小説と同じこともある。それは……。

「なんです?」

「教えない」

 えぇー!と脹れる小林君に、原稿を突き返す。

「それより、出版社の倉庫の空き、確保しといた方がいいよ」

「え?」

「帯、書いても良いけど、この本は売れない」

「そんな……!困ります!」

「困るって言われてもね」

 これを書いた“彼”には、どうやら文章を書くセンスはないようだ。

 自分勝手な意見に、本来持ち合わせていない自尊心やプライドを無理やり詰め込んでいる。それでも少しはマシなことも書いてあるようだが、書いた自分ですら、それに気づいていないだろう。

「売れて二冊かな」

「二冊って」

「彼の酔狂なファンが一冊と、小林君が一冊」

「ちょっと!なんで僕が買わなきゃいけないんです!?」

「ほら、自分も買いたくないような本ってことじゃん」

「あっ」

 小林君は、サスペンスドラマで、思わず犯人しか知らない事を口走ってしまった容疑者と同じような表情をした。

 その面白い顔に免じて、いじめるのはこの辺にしてあげよう。

「正直にコメント書くけどいいよね」

「それはまぁ、書いてくれるだけでも」

「仕事だからね」

 真面目にやりますとも。売り上げに貢献できるかは分からないけど。むしろ下げちゃうかも。

「それじゃあ、今週中にお願いします」

「はいはい」

 小林君は、わたしの返事を全く信用せずに、何度も「今週中ですよ」と念を押して帰って行った。

 彼を見送ってから、こもった空気を換気しようと窓を開ける。

 冷たい外気を期待していたのに、生ぬるい風が顔に当たって不快極まりない。まだ冬には遠そうだ。


 あの冬から何年経っただろう……。


 ふとそんなことを思ったのは、さっきの会話のせいだろう。

 ただ一つだけある、この現実で、映画や小説と同じこと。それは……「自分を変えるほどの出会いは、物語のように突然やってくる」、ということだ。角を曲がった先に居るかもしれないし、誰かが時を超えてやってくるかもしれない。あるいは、使われていない教室で出会うこともある。それぐらい、出会いとは突然なものだ。

「ま、君にはないかもしれないけど」

 と、そこには居ない“彼”の顔を思い出して言う。もちろん、小林君が置いていった、面白みのないエッセイを書いた張本人に向けてだ。わたしにつまらないものを読ませたのだから、それぐらい言ってもいいだろう。

 今の彼には同情もしなければ、背中を押してあげようなんて優しさは微塵もない。が、彼にもそんな出会いがあれば、とは思う。そうすればきっと、自分が書いた言葉の意味を、真に理解する日も来るだろう。「あの一件」から、再び歩き出すこともできるかもしれない。

 霧の中で迷う彼を、導くような何かがあれば。きっと。

 そしてそれは、誰にとってもあるかもしれない、この世界の唯一の奇跡だ。

「案外、すぐにあったりして」

 窓の外、遠くに見える東京タワーの明かりを見ながらそう呟く。なんだか理由もなく、そんな気がした。わたしには、先見の明でもあるのかもしれない。それとも予知能力か。

「さて、仕事しますか」

 思考を断ち切り、立ち上げたままだったパソコンから、書きかけの原稿を開く……前に、近所の映画館のスケジュールを開いた。

「あ、今からでも間に合う」

 観たかった映画の、次の回のチケットをネットで取る。便利な時代になったものだ。

 仕事は後ででもできる。それにほら、外に出れば、自分を変えるほどの出会いがあるかもしれないし。そう自分に言い訳しながら、スマホと財布、そして東京タワーのキーホルダーが付いた鍵だけを持って家を出た。外はやはり生ぬるい。

 だが、冬は待っていればどうせ来る。なら今は、この微妙な気温を楽しむことにしよう。

 そう思いながら、わたしは歩き出す。

 ふと、北から風が吹いて身体を震わせた。上着を着てくればよかったか。意外と、冬はもうすぐ近くまで来ているのかもしれない。

 だが、気持ちの悪い気温は、どう思っても気持ち悪いままだった。





■公演情報■


(劇)あかえんぴつ 第4回クリスマス公演2018~The First Day~


第1部 朗読コント「epigraph storys 2018」


第2部 舞台「霧笛の音が聞こえたら。」



■12月16日(日)

開場 13:30  開演 14:00


■場所

千葉県立茂原樟陽高校「文化ホール」

(千葉県茂原市上林283)


■無料


主催:(劇)あかえんぴつ



【あらすじ】


朗読コント「epigraph storys 2018」


短編コメディ集を朗読風にお送りする、くすっと笑える30分。

でも、どこかほっこりできる。そんなお話……かも?


そして物語は繋がっていく――。




舞台「霧笛の音が聞こえたら。」


平成最後のクリスマス。

役者として夢破れた捻くれ者が出会ったのは、昭和最後―バブル―を生きる豪快奔放男。


この出会いは運命か、それとも時のいたずらか。

取り壊し間際の小劇場が二人を繋ぐ。


これは、悩み、折れ、それでも進む貴方へ、優しく寄り添う物語。




心よりご来場をお待ちしております。

つむぎ日向(脚本/演出)



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