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魔女と聖女

 アズティスは学生寮にいた。一人部屋はこのような時に都合が良い。

 カイルに早く寝ろと言われ続けても夜更かしを止めなかった、そのツケが表れたのだ。身体が怠くて、今日は休むことにした。けれど目が冴えてしまって眠ろうにも眠れない。

 窓を開けて妖精たちを迎え入れた。

 肩に乗ってきた妖精を指でくすぐっていると、


 ――いやぁあああああッ!


 遠くで悲鳴が上がった。聞いたことのある声だった。「……?」アズティスが首を傾げた途端。

 どん、と。

 大地が揺れた。否。アズティスが一瞬、圧された。


「なに……?」


 襲撃だろうか。この学園に。誰が。魔物か?

 アズティスは窓から外界を見る。数人の学生が地面に頽れていた。失神している者もいた。よろけながらどこかに向かうのは教官で、動けるだけマシといった有様だ。

 天井、壁、窓、どれも変化はない。撓むことも揺れることもないから、この時点で原因は絞られた。

 魔力を含む者のみに影響している。誰かの魔力が暴走したのだ。それも大きな力の持ち主だ。

 以前にアズティスが下級生を脅した時のような、理性のある使い方では明らかにない。

 肉体の構成に魔力を必要としない人間ですら倒れている。魔力で生き、魔力の影響を特に受けやすい生物には、毒のようなものだ。


(この圧力に、妖精は耐えられない)


 周囲に群がっていた妖精たちは、皆で机の上に固まった。そのうち数匹が、近寄ってきたアズティスに訴える。彼女の服をぎゅっと握り、


 あず

 こわい

 こわいよう


 アズティスのおともだちが、怯えている。


「っ……!」


 アズティスは焦りながら、服を握っている小さな手を優しく解いてやって、彼らに結界を張った。椅子の背もたれにかけていたストールを羽織った。部屋着のロングワンピースだが構わなかった。部屋を飛び出し、廊下で倒れている寮母には見向きもせずに走る。

 誰が見ても、彼女は怒っていた。


(暴走した魔力に勝てるのは、より大きな魔力だけ。いま垂れ流しの、こんなに質量のある魔力の持ち主は何人もいない)


 アズティスはこの魔力と、あの悲鳴の持ち主が判っていた。


(国で二番目に大きい、マリアベルの!)


 誰かが育てていた鉢植えの、魔力を含む薬草が枯れている。

 いたるところで生徒が倒れ呻いていた。教官すら這って動いている。

 この魔力の元はどこにいるのか――探らなくても感覚でわかっていた。これほど垂れ流しなのだ。目を閉じていても辿り着ける。


 全速力で走り、着いたのは噴水の傍だった。

 マリアベルは白い石畳にぺたりと座り込んで、その手に何かを持っていた。彼女を目掛けて多くの教員が集まっているようだが、誰も近寄れない。杖で地面をついてやっと立っている有様だった。「ぐ、」と呻く声がする。健気にマリアベルを呼ぶ声もする。災害級の魔力源とこれだけ近い距離にいて意識を保っているのだから、教官たちは皆優秀だ。

 アズティスがマリアベルの方を注意深く見ると、その向こうの噴水の中に光るものを見つけた。一匹の妖精だ。生きてはいるようだが、魔力に圧されて浮いてこられないらしい。


(妖精の羽が水に濡れるのは危ないのに――!)


 アズティスは拳を握り、先に見覚えのある人に近づいて行った。


「――教官」


 声をかけると、教官はびくりと肩を揺らした。つい最近、五級生の実習でご一緒した教官だった。冷や汗が頬を伝っていた。呼吸も苦しそうで、平和そうな雰囲気が掻き消えている。


「あ、あずてぃす、さん?」


 ――なんで、この魔力の中で平気なの?

 という視線にアズティスは答えない。彼女は猛然と、それはもう激しく、腸が煮えくり返っていた。


「私が行ってもいいですか?」


 その怒りに圧された教官からの「……できるなら」という言葉に、アズティスは頷いた。唖然とした表情を顧みることなく、ただ一つの標的へ突き進んでいく。

 滑り込む勢いでマリアベルの前に立ち、腕を大きく振り上げ、力いっぱいマリアベルの頬を叩いた。

 ぱぁん。

 マリアベルの細い身体は、吹き飛ぶ――ことはなかった。アズティスは非力だ。マリアベルの体をふらつかせた程度の衝撃だったが、それでも正気を取り戻すには十分だったらしい。学園中を押しつぶしていた不可視の錘が掻き消える。


「……え?」


 じわじわと熱を持っていく頬に手を添えたマリアベルは、目の前に仁王立ちするアズティスを茫然と見上げた。


「アズ?」

「愛称で呼ぶなって何度も言ってる」


 ぞんざいに言い捨てると、アズティスは噴水へ向かった。そこに沈んでいた妖精を丁寧に掬い上げて様子を見る。手のひらの上で、妖精はぷるぷると首を振って水気を飛ばす。そして礼を言うようにぺこりと頭を下げた。命に別状はないようだ。その妖精を優しくポケットに入れて、一先ずの目的は果たされた。

 けれど学園全体に及ぼした影響は看過できず、アズティスは改めて周囲を見る。妖精に向いていた意識をやっと外へ向けた。


「派手にやったね、マリアベル。人はともかく薬草類に被害甚大なんだけど」

「あ……ごめんなさい……、いま治すから……」

「今さっき暴走した奴に魔術なんて使わせてらんないよ。私がやる」


 魔力を含む動植物に被害があったということは、妖精の餌となる薬草たちも壊滅的だ。妖精は魔力を含む植物や果実を主食としている。これは由々しき事態だ。自分でどうにかできる人間と違って、彼らはか弱い存在なんだから。

 アズティスは再び教官と目を合わせる。教官はその一瞬で察して、力強く頷いた。

 マリアベルの傍に膝を着く。「えっ」と狼狽えるマリアベルの腕を引っ張り、


「ちょっとこれ貸して。持ってきてないから」


 腕章と袖の間にそっと指を潜らせて、ちょうど『Ⅰ』の刺繍の裏に描かれている小さな魔法陣の感触を認めた。学生内で特権階級にいる一級生たちは、腕章のつくりも一味違うのだ。

 魔法陣に魔力を流し、声を張る。

 すると彼女の声はその場だけでなく、学園中に点在する拡声器へ転送され、


「『こちら国立魔術研究会附属セーレ学園、アズティス・レオタール一級生です。学園内、および学園から半径五キロメルトルの範囲内でお過ごしの皆さまにお伝えいたします』」


 一呼吸、


「『学園周辺の魔性植物への甚大なる被害を認め、これより再生を試みます。この宣言終了後、十秒の間をとり、魔術を発動します。地面に展開される()()()()()()()()()()いただきますように、お願いいたします』」


 この魔法陣には危険が伴うことを知らせ、


「『なお、魔術発動はララ・イルエラ先生の承認を受けております』」


 教官の許可は重要なので付け加え、


「『繰り返しお伝えします。学園と周辺を対象とした魔術を行います。魔法陣の直視はしないように。失神、嘔吐感、眠気、幻覚、その他諸症状を誘発します。特に任務前の生徒は絶対に見ないこと。十秒後に始めます』」


 後半は投げやりに終わらせた。

 マリアベルから三歩離れたところに立って、十秒を数える。「じゅう、きゅう、はち――」

 ぜろ。

 同時にその場で、とん、と片脚を踏みしめる。肩幅程度に開いた両脚で地面の感触を確かめ、アズティスは深く息を吸った。


「『 』」

 

 短い、言葉のようなものを声にする。最初の一言はいつも「開始」を示しているけれど、それもアズティス以外にはわからない。

 ふわ、と彼女の髪が風を含んで揺れた。

 そして続く、歌うような一節。その連なり。


「『    』」

 ――戻せよ。


「『   』」

 ――癒せよ。


「『  、   、 』」

 ――聞きなせ、正せ、思い出せ。


 意味どころか響きさえ、正確に聞き取れる者はいなかった。

 けれどその場に居合わせた一級生と教官は、彼女の言語が何であるかは知っている。

 アズティスの足元で、マリアベルが茫然と呟く。


「……妖精言語……」


 入学時からずっと同級生だったのに、それでも稀にしか聞けない特殊な言葉だ。アズティスは魔術を使う際に、妖精言語を使用することがある。

 彼女が扱うのは、妖精魔術と呼ばれる魔術方式だ。誰にでもわかりやすいように画一化された学園の推奨魔術と違って、覚えにくく、扱いにくい。魔法陣も特殊で、常人が直視すると体調に異変をきたす。アズティスが才能を覚醒させるまでは、三百年以来の失われた魔術(ロスト・マジック)だった。今でも妖精魔術の使い手は、やはり彼女しか確認されていない。

 身体の八割が魔力で構成されている妖精の言語を使うことにより、より自然で繊細な魔力操作を可能とさせる。

 アズティスの足元から一瞬にして、巨大な魔法陣が広がった。彼女が言葉を紡ぐたび、細い光の線が地面に伸び、魔法陣を描いていく。


「『  、   、  、   』」

 ――応え従じよ、逆巻き戻せ。

 

「『   ・ ・    』」

 ――この魔力を糧として。


 彼女を中心に、冷たく甘い風が巻き起こった。

 昏倒している人間は引き続き倒れたまま、魔法陣を注視した生徒がその場で新たに気を失ったので、人的被害の収支はむしろマイナスだ。けれど目的は達成された。しおれていた薬草類が戻ったよ、と配下の妖精から報告を受けたアズティスは、指先で妖精を構いながらようやく一息を吐く。


「こんなもんかな」


 そんな彼女の足元で、「アズ」と細い声がした。信じられないものを見たという顔で、マリアベルが見上げている。

 アズティスは彼女にそっと手を出して、


 ぐぎゅぎゅぎゅっ、


 と頬をつねり上げた。


「いひゃひゃひゃひゃっ!?」

「君の暴走で、この私に手間をかけさせたんだから、ちょっと反省しろ」

「ほへんにゃひゃいほへんにゃはいっ!」


 ごめんなさいと涙目で叫ぶマリアベルに満足したのか、アズティスはその手をぱっと放した。次は手首を握って無理に立ち上がらせて、ずんずん歩き出す。二人は氷の魔女と連行される気弱な姫のような有様であったが、引き留める者は誰もいない。


「彼女を医務室に連れて行きます」

「はい……」


 すれ違った教官に一言置いた。

 アズティスは最初から最後まで、わかりやすく怒っていた。


 医務室に着くまで空気が重かったけれど、ついてからも重い。保険医の姿はなかった。きっとどこかで倒れているのかもしれない。道中で何人かマリアベル派の学生と目が合ったから、医務室に彼女を置いておけばいずれ誰かが介抱しに来るだろう。

 アズティスはスツールに座らせたマリアベルへ、湯で濡らしたタオルを差し出した。


「え……」

「目元」


 アズティスに言われて初めて泣いていたのだと自覚したらしく、マリアベルの瞳からぼろぼろと涙があふれる。


「何をやってるんだ、君」

「……ひ、ぅ……う、」

「自分の魔力ぐらい自分でどうにかできないで、何が聖女だ」


 鬱陶しいと言わんばかりのアズティスがマリアベルを見下ろした。マリアベルは何かを言おうとするけれど、唇は嗚咽に震えるばかりで言葉を成さない。

 アズティスは、マリアベルが握っているものに目を向けた。金色の懐中時計だった。


「お、お母様の、形見なの」

「…………。」


 それは壊れていた。文字盤を覆う硝子は細かく割れている上に、濡れている。

 だから噴水の傍だったのかとアズティスは察した。誰かに盗まれて、壊された末に水中へ捨てられたのだ。


(そういえば、こいつの母親も)


 父親が愛した庶民の女も、たしか母親の形見を壊されたのだったか。それを思い出したって、何も言うことはないけれど。


「じゃーね」

「アズ……!」


 医務室を出ようとすれば咄嗟に伸びてきた白い手に袖を掴まれて、アズティスは止まる。振り向いた彼女は「まだ何かあるのか」と言いたげに相手を見下ろした。

 堪らずに縋りの言葉を吐こうとしたマリアベルが、この場で最適な言い方をどうにか探して、探して、探して――探し終えるまで待ってあげるほどアズティスは優しくない。半分血の繋がったかつての妹の手を、強かに叩き落とす。

 ぱしん、と。その頬を打った時と同じような音を発した。マリアベルの涙がぽたりと床に散った。


「君がなんのつもりで、私を頑なにアズって呼ぶのか、大体わかるよ」


 見上げてくるマリアベルの瞳は大きくて小動物じみていて、ここにあるのが健全な人間関係であれば、アズティスも絆されていたかもしれない。十分に庇護欲をそそる。この桃色の小花のような可憐さは、聖女ともてはやされる要因の一つだろう。

 アズティスはマリアベルの頬に手を当てた。

 冷たい美貌でうっそり微笑し、優しい声を、聖女の耳に吹き込んだ。


「でも残念だったな。私の家族は母上だけだ」


 ばたばたと騒々しい複数の足音が聞こえる。医務室の扉を開ける音すらうるさかった。雪崩れ込んできた生徒たちは下級生から上級生までいて、皆が焦っていた。


「アズティス・レオタール……? どうしてここに!」

「医務室に連れてきただけ。私はもう戻るから、あとは好きにしろ」


 待って! と呼び止める声がしたけれど、アズティスは振り返らずに去った。

 

 

 その直後、半数の一級生と複数の二級生が医務室へ運び込まれた。

 上級生は学習意欲が強い。知的好奇心に負けて、アズティスの魔法陣を直視したのだそうだ。

 翌朝の空席が目立つ教室を見て、アズティスはだから言わんこっちゃないと呆れていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] マリアベルにも大事なものはあるんですね。 というか読んだ限りでは別にヒロインが疎んじられているのはマリアベルのせいでもないし、取り巻きに嘘をついてけしかけてるようでもないし… 面白いキャラ…
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