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夜の息抜き

 夜のしじまに、乾いた音だけがする。ページを捲る音だ。

 一人で過ごすには広い礼拝堂で、アズティスは本を読んでいた。祭壇を机にして自前の椅子に座り、ろうそくに火を灯し、楽しむタイトルは『高橋家の優雅な生活』。ニホンという架空の国で過ごす一家の物語である。召喚魔術があるわけでもないのにしばしば常識外の怪獣が建造物を破壊しに来たり、魔術師の卵のような少女集団が解決しにやってきたりする。首都のシンボルタワーなど、シリーズ中で十回以上倒されているが、この展開がなかなかどうして飽きがこない。

 勉強の息抜きにはファンタジーと決まっていた。

 けれど学生の本分は勉強だ。アズティスは本にしおりを挟んで脇に置き、放置していたペンを執った。

 自分で購入した専門書に目を遣り、要所をノートに纏めていく。

 今夜は思っていた以上に肌寒くなってしまった。部屋着のワンピースで来たのを少し後悔しながら、羽織っていた大判のストールを肩に掛け直す。

 と、物音がした。

 アズティスが扉の方を見ると、見慣れた彼が正面ドアを閉じて近づいてくる。彼も制服ではなく、スラックスに黒いカットソーを着ているだけだった。彼が誰であるかなんて、耳が物音を捉えた時からわかっている。

アズティスは専門書へ視線を戻した。

 カイルはろうそくの火が届かない暗がりを抜け、


「消灯時間を過ぎている」


 その声は新月の夜のようだ。静かで、けれどたしかにそこにあって、耳を自然と傾けたくなる。アズティスは彼の声が好きだ。


「私がここにいるって、よくわかったね」

「もう日付も替わる。一級生として褒められたものじゃない」

「一級生でなくても褒められたものじゃないと思うけど、ここに来てる時点で君も同罪だからな」


 二人の瞳にちろちろと、ろうそくの火が揺れ動く。

 カイルはアズティスの前に広げられた勉強道具を見た。一見したところ難易度は高等で、一級生の範囲ですらない。正規の魔術師並みだ。


「……天才なら、ここまでする必要はないだろう」


 カイルは以前アズティスが五級生に「天才だから」と自称したのを覚えていた。

 自称天才のわりに、彼女はよくここに来る。ステンドグラスの真下にある祭壇で、勉学に励んでいる。特に深夜、この時間帯だ。傍目で見ても異常なほど、彼女は勉学に時間をかけている。


「その考え方でいったら、天才って言葉が努力をしない言い訳みたいになるな」


 アズティスは顔を上げずに言った。

 カイルはその横顔を見つめていたが、やがて深い溜息を吐いた。

 細やかに靴を鳴らし、アズティスの傍を離れ、左手奥の目立たない扉に入った。

 その数分後。

 再び姿を現したカイルは、その手にティーセットを持っていた。祭壇の片隅で、ティーポットからカップに琥珀色の液体を注ぎ入れた。それを、アズティスの邪魔にならない位置に置く。アズティスも「ありがとー」と自然に受け入れた。

 カイルはアズティスが夜中にこうしていると、お茶を淹れに来る。彼がここに来てすることといえば、本当にそれだけだ。いつのまにか、これが当たり前になっていた。

 アズティスはカップを手に取って、一口含む。


「ん、……懐かしい味だ」


 林檎の香りがするお茶。

 彼女はほうと表情を緩める。


「先日も同じものを淹れた。懐かしくはないだろう」

「そか。……そういえばそうだった。ところで君、林檎の実の花言葉って知ってるかな」

「いや」

「『最も美しいあなたへ』」

「…………。」

「妖精に恋した水の精霊が、手ずから育てた林檎の実を捧げたことが元とされるらしい」


 アズティスが面白そうにカイルを見上げるけれど、カイルはちっとも面白そうではなかった。アズティスは相変わらずだなと微笑すると、再び手元の専門書を構いだす。


「本当はね、一位とか『最も』とか、何かに順位つけるのは好きじゃないんだよ」

「その割には意地でも首位をキープしているようだが」

「あの女に負けたくないだけ。矛盾してるって、自分でもわかってる」


 だからカイルが首位になってくれるなら、それでもいいんだけど――、という余計な一言は心にしまい込んだ。上位者が何を言ったって嫌味になる。口下手を自覚している。本心を上手に伝えられたことなんて、人生で一度もない。

 かりかりかり、アズティスのペンが動き出す。

 カイルは彼女の心を知ってか知らずか、深くは突っ込まない。「話は変わるが」と前置いた。


「あの二位……二級生の女子は、教会の所属らしい。『マルティーク大聖堂』だそうだ」

「すごいな、エリートだ」


 かりかりかり。

 彼女の手は止まらない。


「親世代の貴族のごたごたにも出てこなかったくせに、今更マリアベルと敵対してる私の様子でも見に来たのかな。それか本当にただの好奇心か、たまたまか」


 かり、――止まった。

 アズティスは一瞬、ろうそくを見た。


「私たちの周りっていつもごちゃごちゃしてるな。ほんと、頭が痛くなる」


 最後の語調だけは強く、苦々しい。平素のアズティスとは少し違っていて、様子を見ていたカイルもやっと表情を動かした。怪訝そうに、


「何を苛立っている」

「……新入生懇親パーティー。今度こそ出席しろって言われた。教官に」


 八月の夏季休暇の直後に、学園の大ホールで催される恒例行事だ。参加は任意だが、成績上位者との直接の交流は新入生の良い刺激となるという理由で、アズティスは毎年熱心に誘われている。そのたびに退けてきたが、今年は学園屈指の『怪物』アズティスが在籍する最後の年だ。卒業試験は間違いなく合格すると目されているし、教官の勧誘具合も相当なものだろう。

 カイルが「出ればいい」と言うと、アズティスは一言「やだ」。ぷいと顔を背けて拗ねる様がお子様だ。


「……理由を聞こう」

「中央に引っ張り出されたら困る。あの女も出る。絶対比べられる」

「そうか、軽いダンスもあったな」


 貴族の社交場に比べたらお遊戯会も同然だが、今のアズティスは貴族未満の身分だ。社交界になど出たこともない。何かと比較され続けるマリアベルと会うことも嫌なのに、自分ばかりが無様に踊る姿を衆目に晒したくはない。

 ダンスは必須ではないけれど、会場に出れば万が一がないとも限らないのだ。


「比べられるのは嫌いだ。そもそもあんな『優等生』と私は――」

「アズティス」


 咎められて、アズティスは言いかけた言葉を飲み込んだ。

 学園の上級生の間で『優等生』は蔑称だ。自分なりの魔術方式を見つけず、学園の推奨魔術ばかりを扱う生徒を指す。アズティスや、契約魔法陣を日々勘案するカイルと違って、マリアベルは教科書から一切逸れない。得意な結界や治癒も、魔力の量と質でモノを言わせている状態だ。


 それでも学園の生徒としては、マリアベルが正しい。


 自分の発言に悪意があったことは否めなかった。アズティスはばつの悪い顔をして、けれど「ダンスの講習なんてろくに受けられなかった」と頑なになる。

 さすがのカイルも、――カイルだからこそ、彼女にそう言われると黙るしかない。


 アズティスはノートを閉じ、少し離れたところに置いた。ノートの下には紙があった。便箋だ。カイルの視線が注がれる中で、彼女はまたペンを握った。

 と、かたかたかた、とカップが震えた。お茶の水面も揺れている。


「……地震?」


 意識しなければ気づかないほどの、微かな揺れだ。月に一度は体感できるほどの揺れがある。

 

 二人は深夜一時までそこにいた。

 公爵家次男が深夜に異性といるのもよろしくないし、教官に見つかれば厳罰ものだが、二人は数年間もこんな生活を続けている。見つかったことなど一度もない。

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