階段から落ちる
止め時を見失いました。
文量がいつもの二話分くらいあります。
王都からの帰りに、アズティスは伝書烏からついでの任務をもらった。
ちょうど帰路に重なる、ある村の珍事についての相談だ。昼日中、村人が一斉に眠ってしまうという。原因は付近に巣食った妖精の合唱だったので、アズティスが交渉して共棲をお願いした。
その頃カイルは、先の折れた三角帽型のセツィア国、北西のとある地方にいた。
雪山での遭難者探索である。契約獣を呼び出し、遭難者の私物に染み付いた臭いで対象を探り当てた。
けれど時はすでに遅く、対象は亡くなっていた。
彼は次の任務地を目指した。
三日後のアズティスは、午前中まで学園にいた。
本来なら数日の休暇がとれるはずだったのに、急務ということで午後に任務へ向かった。珍しい薬草の採取だ。正確な情報収集が必要で、さらに危険が伴う作業により、ほぼ万能型のアズティスが派遣されたのだった。夜間にしか咲かない花のため、ほぼ徹夜だった。
その頃のカイルは、アズティスと入れ違いに学園へ帰ってきていた。
彼女がいないと知って、明日の午後にはまた出てほしいと言われ、早々にベッドへ戻った。
もちろん疲労は残ったまま、翌朝に学園を出た。
人探し、農作物の保護協力、とても雑用では済まされない採集作業、薬品作り、その他もろもろ。
優秀な人間には多くの仕事が与えられてしまうのが世の常で、二人はそれぞれ疲弊していた。
アズティスは這う這うの体で学園に帰った。
疲れていた。もう何も考えたくなかった。
カイルの手入れを受けられないからか、髪の艶も保てなくなってきている。
すれ違う学生に「アズ様、お加減がよろしくないのかしら……」と心配されながら学舎を歩き、任務の報告を終えて、さっさと寮で眠ろうと三階の階段を下りていた。
三段目に足を置こうとした時、
――とん。
突如、背中を押された。
(油断した……っ! 疲れてるからって!)
勢いをつけられたせいで、犯人の顔を確認できないままバランスを崩した。
足音が逃げ去っていくのを遠く聞きながら、「くそ……っ」と悪態をついた。
真横に転げるならまだしも、頭からはまずい。咄嗟に結界を張った。とはいえ勢いに変わりはなく、結界の中で受け身を取りながら、踊り場に転がり落ちた。
「せっ、先輩っ!」
今度は階下から、二位の声がする。
移動教室で集団行動をしていた二級生の中から、二位が人を掻き分けて駆け上がってきた。焦った様子であわあわとアズティスの元に辿り付き、
「大丈夫ですか? 骨とか、えっとえっと、医務室っ! 頭くらくらしたりとか、」
「だいじょぶ、落ち着いて。なんか変なとこでよく会うね」
「わたしもびっくりですよ。なんで見るたびどっかしら変なことになってるんですか。とにかく医務室行ってください。……面倒くさがらないでくださいね?」
「君も私の性格わかってきてるね」
ふらつく頭を抑えて立ち上がる。
横合いから、「すみません、これ……」と男子生徒が割り込んだ。
「うん?」
紙を一枚差し出されたので、アズティスは受け取った。書いてある内容は、
『本日、三階の薬品倉庫にて話があります。
マリアベル・カースエリス』
――しまった。
アズティスの顔が、一瞬強張った。
これではトラブルの末の傷害事件と思われてしまう。
アズティスは、こんな手紙を見たこともない。筆跡だってマリアベル本人と違う――とは言い切れなかった。手紙のやり取りをする関係でもないから、字の特徴なんてわからない。
「こんなのどこに落ちてたんですか?」
「上に」
男子生徒はいかにもマズいものを見てしまったという顔で、居たたまれなさそうにしている。
アズティスを呼び出す手紙が、アズティスが突き落とされた現場に。これがどういうことか、容易に連想できてしまう状況だ。
「先輩のかと思って。……もしかしてマリアベル先輩が、その……」
「違います」
アズティスは犯人を見てはいないけれど、マリアベルではない確信があった。
犯人はアズティスの背を押すついでに、この紙をわざと落としていったのだ。――罠である可能性が高い。
「誰かに突き落とされたのは間違いないですけど、この手紙は初めて見ました。マリアベルではありません」
そう言っても、この場にいた二級生たちは納得しきれていないようだ。互いに目を合わせて、一応は頷いたものの、不信感は残ってしまっただろう。
アズティスは図らずも、異母妹を庇ったような格好になってしまった。マリアベルが一方的に悪者になる。だからといって沈黙しているわけにもいかず、しかしうまい言い訳を思いつかない。なにを言っても、一度芽生えた疑念は簡単には拭えない。
(私を傷つけたいんじゃないのか?)
犯人の意図がわからない。
ただでさえ良くない姉妹関係を引っ掻き回されていることだけは理解した。
「なんかよくわかんないですけど、とにかく医務室です! ほら行きますよ!」
「行くから、きみも次の授業行って。……嘘じゃないから」
*
五クラス分余裕で収容できる礼拝堂は、信徒席の前半分が埋まっていた。
着席しているのは、十歳になるかならないかという基礎課程の生徒たちだ。皆が一冊の教科書を開いて、真剣な顔で話に聞き入っている。
礼拝堂は外の冷気を閉じ込めて、大きな保冷庫状態だった。木枯らしが吹いて久しい時期に、この礼拝堂での講義は地獄である。
「――えー、というわけで、時の聖霊様が植えた種はみるみる成長し、それはもう立派な大樹に――」
祭壇の前でありがたい長話をする教官は暖かそうなコートを着ているのに、生徒たちは制服のみだ。
「言い伝えによりますれば、えー、時の聖霊様の傍には、それはもう美しい妖精が――」
カイルは許可されたコートとマフラーを遠慮なく着込み、礼拝堂の後方信徒席に一人で座りながら、真顔の下で教官の「えー」を数えていた。進んでいく話に合わせて、懐かしい教科書のページを捲る。
今日は教官の手伝いに借り出されたのだ。
ふと、ページに落としていた視線を上げた。
彼の視線は幼い後輩たちの列に向いていた。
一人の生徒の後ろ頭を見留めた。そのまま左側方に待機させておいた白猫に視線を移すと、上品にお座りをしていた白猫は飼主の意を汲んで動き出す。とととと、しなやかな動きで信徒席の間を歩いて、一人の女子生徒の足元で再び座る。
その合図を受け取った、別の一級生救護班の一人が、女子生徒を誘導して医務室まで連れて行った。
現在行われている講義は、別名冬季の洗礼である。
礼拝堂内で精霊にまつわる話を生徒たちに叩き込みながら、忍耐力を養うことがねらいの軍隊じみた行事だ。
生徒が低体温症になる前に、特有の魔力の揺れを感知し、離脱させていく。それがこの場の一級生に割り当てられた任務だ。
約二時間に渡る講義――の名を借りた耐久訓練が終了した。地味に厳しい行事をやりきった後輩たちは晴れやかな顔をして、学食に向かっていく。
カイルも教官に任務終了を言い渡されると、すぐに礼拝堂を後にした。
白い息を吐き出す。寒いのは少し苦手だ。
マフラーに口元を埋めるようにして、彼は温かい室内を目指した。
行く当てもなく学舎に入って、そして玄関ホールの異様な空気に気がついた。
「――ね、まさか……」
「嘘でしょ。なにかあったんだよきっと」
「でもあの二人でしょー……? ついにやっちゃったのかなって」
二人の女子生徒が、小声で話をしながらカイルの傍を通り過ぎた。
別の方向からやってきた男子生徒三人組も、同じ話題で盛り上がっているようだ。
「ありえねえだろ……あの二人って、あれで穏健派じゃなかったのかよ」
「でもわかんないよ。女って怖いし」
「前にもなんか掲示物関係でなかったっけ?」
「いやそれにしたってよ、まさか――」
――聖女様がアズティス先輩を突き落とすなんて。
それを耳に入れた瞬間、カイルは目の前を横切っていった男子生徒の肩をがしりと掴んだ。
「ひぃあっ!?」
「っおわ……!?」
「いま何と言った」
「カイルせんぱ……?」
「何と言った。聖女とアズティスがどうと聞こえたが」
「え、……えぇ……?」
どうしよう? どうしよっか? どうする?
三人組は目配せして、口を噤んだ。
カイルは怪訝に思った。それとなく周囲を見るが、誰もが気まずそうにしている。目が合えば視線を逸らし、そそくさと去っていく有様だった。
三人組の一人が、カイルと目を合わせないまま言う。
「アズティス先輩が階段から突き落とされたって、噂が……。マリアベル先輩と口論があったとかで」
「アズティスの怪我は。医務室にいるのか」
「そこまでは聞いてません、すみません」
「……わかった。ありがとう」
カイルは急に呼び止めたことを三人に謝ると、ひとまず医務室へ直行した。
ドアを開けると、すぐ目の前に当のアズティスがいる。
「わっ……?」
目を見開いて、カイルを見上げている。医務室から出るところだったらしい。
大きな瞳を瞬かせて、
「きみ……、どした? 休めてない? 隈とかすごい、せっかくの美貌が台無しだ。なんでそんな疲れてるんだ、任務やっぱり多すぎないか? とにかくここで休んだほーがいい」
自分を棚に上げて、カイルの心配をしてくる。
見たところ彼女は正常に動いているし、大きな怪我をした様子もない。
「怪我はないのか。階段から落ちたと聞いた」
「怪我らしい怪我は治してもらったから、だいじょぶ。それより君が、」
彼女が言い終える前に、その手首を掴んだ。「え」と呆ける彼女の手を引いて、医務室から引き返した。「ちょっと」「なに」と喚く彼女が逃げないように、目的地へ向かう。とはいえ足を悪くしているかもしれないから、急く心をだいぶ抑えて。
多くの生徒の目に触れているけれど、気にならなかった。
向かった先は、一級生御用達の研究室だ。
何のつもりかと見ている彼女を無視して受付表に名前を書き入れ、空いている『Ⅲ』部屋へ入った。
「この後の急ぎの用事は?」
「もっと先に聞くべきだよねそれ。……今日は予定ないから、すぐ休もうかなって思ってた」
好都合だ。
何も知らされないままに連れてこられた彼女は若干機嫌が悪そうにしているけれど、身内に甘い彼女らしく素直に答えて、カイルの説明を待っていてくれる。
カイルは爪先で床を小突くと、展開した魔法陣で大きなもふもふの獣を召喚した。彼女がめっぽう弱くなる、魅惑の毛並みの黒狐。狐は主人の意図を読み取ったのか、嫌に優しい瞳をしていた。
普段の十倍の大きさをとって、床に体を横たえる。
「どしたのこの子」
「ただの昼寝だ」
カイルはコートとブレザーを脱いで、狐によりかかる形で寝転がった。引っ張られた彼女も、カイルの上にぽすりと倒れ込む。
「君のやりたいことはよくわかったんだけど、私を連れて来る必要あった?」
「あった」
「…………そか。もっと具体的に答えてくれないとさ……」
カイルの懐に顔を埋めながら、もごもごと文句を言う彼女。逃げ出す様子はないので、この行いは許されたらしい。しばらくカイルの上で身じろぎながら冬服の上着を脱いで、綺麗な俯せで落ち着いた。
絶妙な傾斜と絶妙な毛並み。だが毛皮は、直接触れるには獣くさい。カイルは身を挺して彼女のベッドマットになったつもりだ。
彼女といれば癒されるなんてそんなことは全然ない――と思いたい。
ただ連続した任務で深刻な疲労を感じていた時、彼女を思い出した。任務地への往復路の寝台列車で、個室の扉が開いて同級生が入ってくると、アズティスでないことにがっかりした。だから自分は嘘偽りのない気持ちで彼女に会いたいのかと自覚した。
会って、触れて、同じ時を過ごして、そうすれば満たされる気がして、それだけだ。
ふと、彼女の指がカイルの目元に触れる。ひんやりして心地良い。
「ほんとに隈がすごいね。お疲れ様だ」
「……何も言わないのか。くっつかれたくはないと以前に言っていただろう」
「今はしょーがないよ。君は特にね、ふらふらしてたら命に関わるんだし。どーせまた任務があるんだろうし。私とこうしてることで君が元気になるんなら、今だけ見逃してあげる。休んでないのは私も一緒だし」
彼女もしばらく眠れていなかったようだ。カイルの体を覆うように散らばる長い銀髪を、そうっと撫でてやる。ケアを怠ったのか艶が足りていない。
彼女は眠そうにしながら、「ふふ」と悪戯っぽく笑って、
「大事なものを抱えて帰って、とっても大切にしまい込む。獣は獣でも、君はわんわんみたいだね。首輪とか、鎖があったらしっくりするかも。ほしい?」
首輪。所有の証。
カイルは思わず彼女の手首をつかみ、
「くれるのか」
聞いていた。
「それともお前が、俺の首輪になってくれるのか?」
彼女は、前のめりな彼に呆気に取られていた。そして自分の軽率な発言を振り返ったのか、いかにも「まずい」という顔で、
「冗談、だけど。……そんな食いつかれるとは」
カイルはすん、と表情をなくした。
彼女のこんなところが心底嫌いだ。
「残酷。極悪非道だ。どうしてお前はいつもそうなんだ」
「どっちかっていうと首輪を望む方がダメじゃないか? これじゃ飼い主離れできないよ」
よくそんなことが言えたな。
カイルは呆れを通り越して感心すらする。
彼女は飼い主離れとか言っておいて、しばしば中途半端な態度をとる。
いまさっき抱き寄せた時もそうだ。下になるカイルに体重をかけないようにするくらいの気遣いがまったくなかった。全体重そのままを異性に任せて、あろうことかそこで落ち着いてしまえる態度に、無意識下の信頼が見える。
気まぐれで淡泊な妖精の性質なのか、彼女の性格がそもそも優柔不断なのか。小憎たらしい。非道だ。詐欺だとすら思える。
彼女はカイルを寝具代わりに、呑気にしている。二つの膨らみがカイルに押し付けられてもいるけれど、本人は気にしてもいないだろう。
「ね。ノアイユ家の血の獣って、やっぱり犬なのかな」
「知らない。獣としか伝わっていないらしい。……血のことは、やはり父から聞いたのか」
「ん。私の家のことも知ってた。君の中の獣は妖精を食べたりするのか?」
「何を聞いたんだ……。お前が望むなら食ってやってもいい」
「だーめ」
ぽつぽつと話していると、やがて彼女は眠ってしまった。
彼女の体温と香りが、カイルの全身に伝わる。自分も眠ろうとした矢先、ドア前に何者かの気配を認めた。けれど慌てず、ふ、と微かに勝者の笑みを浮かべて、今度こそ寝入っていく。
黒狐は尻尾を動かし、もふもふで飼主ペアを包み込んだ。
カイルの契約獣たちにとって、二人は完全に番だ。だからそのように扱っている。知らないのはアズティスだけだった。
*
二位はアズティスを捜していた。
多くの目撃情報を頼りに居場所を突き止め、運よく眼鏡先輩の助力も得て、二人がいる研究室フロアの『Ⅲ』のドア前までは辿り着けた。
けれど、そこにいた白猫に足止めを食らっていた。
ふしゃー! と毛を逆立てて、今にも飛び掛かりそうな勢いで二位たちを睨んでいる。
猫を見て、眼鏡が怯んだ。
「カイルくんの猫。たぶん邪魔するなってこと。ごめん。手に負えない」
「そうですか……」
話したかったことがあるのだけれど。
今頃このドア一枚挟んだ向こうでどんなクソ甘空間が広がっているのかと思うと、入れなくてよかった気もするのだった。
その夜に、二位は行動を起こした。
学舎ではカイルの妨害があるかもしれないし、明日にはまた任務に行ってしまうかもしれない。だから今夜、勝負をかけることにしたのだった。
二位も馬鹿ではない。
今まで自分が届けてきた手紙が、不審なことに気づいている。
自分の鞄を意識してしばしば確認していると、移動教室の後などに、鞄の持ち物の配置に違和感を覚えることがあった。そういう時は、先輩あてのいろいろ箱に手紙が増えている。
先輩のために持ってきていた缶を利用されていた事実に、猛然と腹が立った。
ただアズティスに宛てた『教示要望書』と銘打ったその手紙を、自分が開封してまで覗き見ることもできなくて。
アズティスがそれでもいいと言うから従ってしまっていたけれど、それもやめますと、はっきり言わなければいけなかった。
女子寮にはカイルの手が及ばない。
二位は部屋着に簡単な上着をひっかけて、アズティスの個室に向かった。意外にも二位の部屋と近かった。
個室の階層や配置には、等級の判別がない。学業に躓いて退学した生徒から抜けていくから、その穴に新入生が収まる形になっている。自分さえ順調なら、部屋は卒業まで使い続けていられるのだ。
そういえば二位は、寮でアズティスに会ったことがない。相当に親しくなければ、下級生が上級生の部屋を訪ねることさえ珍しい。
ドアの前に立って、緊張した。ただのドアとしてそこにあるだけなのに、ずももも、と威圧すら感じられる。ドアの下の狭い隙間からは、内部の光が漏れ見えていた。おそらくアズティスの魔術のライトだ。――目当ての人物は在室だし、起きてもいる。
深呼吸して、ノックする。
少し待つとドアはあっさり開かれて、「はい?」と落ち着いた声で迎えられた。
アズティスは昼日中の学舎で見るより、楽そうな格好をしていた。フード付きのロングワンピースはだぼっとしてふくらはぎまでを隠している。フリース素材で温かそうだ。髪はもこもこのシュシュとヘアクリップでまとめられて、普段の冷たい美貌が和らいで見えた。
「急用?」
「急用ってわけじゃないんですけど、お話がありまして。学舎じゃちゃんと話せなかったから」
「ふうん。まあいいや、入って。ちょっと散らかってるけど」
初めて入ったその部屋は、お世辞など言えないほど散らかっていた。一人部屋だからできる散らかしようだ。棚や机の瓶類は綺麗に配置されているけれど、本が棚から溢れて床にある。
「とりあえずベッド座って」と言ってくれたので、二位は示された位置に腰掛けた。
「あ、机に小瓶があるけど、あんまり見ないで。妖精文字の仕掛けがしてある」と言われて、それだけは見ないように目を逸らしながら、
「一人部屋って、どうやったらもらえるんですか? 一級生の特権とか?」
「一級生になったらたしかに一人部屋への移動もできるけれど、私は入学した時から一人部屋をもらってるよ。入学試験トップのご褒美でね。三位以内なら同じように優遇されてたはずだから、一匹狼のカイルにルームメイトがいるのはちょっと意外だなって思ったよ」
言いながらアズティスは火と三脚とビーカーで、カモミールティーを用意してくれた。
室内に実験器具があるなんて、さすが学園屈指の怪物だと二位は思った。
二位が本題を口にする前に、アズティスが先制する。
「確認なんだけど、君の名前はレナだよね。ファミリーネームは?」
二位は「ほんと今更じゃん」と言いたかったけれど、アズティスのただならぬ様子に怯んだ。
綺麗な青い瞳はいつもと同じなのに、今日は怖い。――硝子の蔦に、固く絡めとられているような。
「チェルティ。レナ・チェルティです」
ちなみに頭文字は、R.Cだ。
「他になにかある? ミドルネームとか。君は聖堂育ちだそうだけど、母方も父方もわからない?」
「わからないですけど……なんなんですか? 先輩なら、わたしのファミリーネームなんて簡単に調べられますよね」
「そーだね、知ってた。疑ってたわけじゃないけど、本人から直接確認したかったんだ。犯人は知ってるけど、つい。きみはタイミングいい時にいたから、気になってもいたし」
「犯人ってなんですか?」
「で、きみの用事は?」
「疑ってたってなんですか?」
「きみの用事は?」
「…………。」
この話はもうおしまいだ。
先と同じく強制力のある瞳で、二位の疑問は簡単にねじ伏せられる。
いまの二位はアズティスに逆らえない――不可解なほどに。
夜の気配がそうさせるのだろうか。
普段なら二位には向けられない、冷淡で強圧的な視線。『怪物』の、これが本性なのだろうか。いや、以前にも似た目を向けられたことはある。アズティスとの初めてのお茶会でモーリスと一戦交えようとした時に、魔力で圧し潰された。
彼女がおしまいと言ったらおしまいなのだ。
二位は促されるまま、本題を果たそうとする。
「今までわたしが渡してきた手紙。教示要望書ばっかりでしたけど、本当にそうでしたか?」
「そうじゃなかったらなんだと思った?」
「わかりませんけど。でも……、もう届けるのは止めます。危険かもしれない手紙を無責任にお渡しできません」
震える声で、「先輩」
「今までわたしは、先輩に、なにを渡してしまっていたんですか」




