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聖女ときれいごと

 押し黙ってしまったミリィから、マリアベルは目を逸らす。名前が似ていて、いつも傍にいてくれて、他の生徒より信用していたのに。

 彼女との今後の関係はさて置くとして、やらなければいけないことがある。

 学園二大美女と勝手に持ち上げられて、自分が先導したわけでもないけれど、これまで放置していた責任はある。自分の信者に過激な者がいることも知りながら、見過ごしてきた。――だから、形だけでも謝罪をしなければ。


「わたくしからも謝罪いたします。彼女にはわたくしからも言っておきますわ。のちほど改めて謝罪に伺いますので、どうかこの場は収めていただけないでしょうか」

「こっちも大事にしたいわけじゃないよ。君の謝罪も必要ないから、もう忘れていい」


 アズティスは素っ気なく言って、二位に「行こっか」と優しい一言をかけて踵を返す。

 マリアベルはミリィの目を見ず、


「あなたも、もう教室へ向かいなさい。お話は後でお聞きしますわ」

「……はい」


 今にも泣きそうな返答だった。

 マリアベルだって泣きたいのに。

 ミリィをそこに置いて、マリアベルも教室へ行こうと足を踏み出す。

 双方共に、一応の決着はついた。けれどこの騒動の噂は、マリアベルの名前と共に今日中にも広まるだろう。それを思うと気が重くなる。


「マリアベル様は、あいつが、アズティス・レオタールが、憎くないんですか?」


 ミリィの声だ。

 マリアベルは足を止めはするけれど、振り返れない。

 答えは決まっていた、はずだった。


 ――憎くはありません。アズティスはわたくしの大事な、たった一人の姉なのですから。


 これが正解だ。けれどマリアベルの口は、てんで動かなかった。


(憎んでなんていないのに)





 授業が終わってもなんとなく動く気になれなくて、その場でぼうっとしていた。

 カイルはしばらく任務でいない。アズティスは教官に呼び出されて、声をかける暇もなかった。かくいうマリアベルも、今は誰とも話をしたくない。

 本でも読もうかと、図書棟へ向かう。

 学舎にも簡易な図書室があるけれど、図書棟とは蔵書量が比べ物にならない。街中の図書館にも劣らない、知識の宝庫だ。一階は趣味や創作など一般向けの書、二階から四階は歴史や魔術に関する書、五階は専門書。

 今のマリアベルは知識より、ファンタジーを望んでいた。一階を見るだけでこと足りる。

 目についた『高橋家の優雅な生活』の一巻を抜き取ったところで、本棚の向こうから声がする。


「カイル様とアズ様、やっぱり付き合い始めたのかな」

「婚約って聞きましたけど。家の関係では?」

「ノアイユ家とレオタール家が?」

「アズ様はカースエリス家ですよ。レオタールはもうなくなっています」


 複数人の女子生徒の声だ。


「実は最初から付き合ってたりして。距離感おかしかったし」

「あー、いま思うとそうですよね。仲悪い素振り見せといて、なんか拗らせた事情みたいのがあったとかなんとか? よく知らないですけど」

「誰から聞いたのそんなの」

「みんな言ってまーす」

「そういう話の『みんな』ほど信用ないもんってないよね」


 図書棟は本棚が多く、死角も数えきれないほどあって、どこに誰がいるのかもわからず、噂話をするには向かない場所だ。

 そんなこともわからない彼女たちは、等級が付いて間もない生徒なのだろうか?

 顔や腕章を確かめはしない。密やかな声だけが聞こえている。

 彼女たちに悪意は感じられない。陰湿な愉悦が滴るような『日常会話』。


「どー考えてもマリアベル先輩に勝ち目なかったくないです?」

「朝のアレさ、アズティス先輩への嫌がらせなんじゃないかってさ。カイル様を取られたから」

「えー聖女が?」

「あれはマリアベル様本人でなくて、林檎磨きの仕業でしょう?」


 違う、ミリィは犯人ではない。知っていただけで、少なくとも実行犯ではないはずだ。

 マリアベルは、けれど何も言えなかった。実行犯も自分の信者かもしれないと、怪しんでいる自分がいるからだ。

 ミリィはもしかしたら、マリアベルへのこんな嘲笑の気配を感じ取っていたのかもしれない、といま思った。だから敵対位置にいるアズティスをなんとか貶めようと焦っていて、実行犯に同調した、とか。――彼女の考えは、また後でよく聞き出すとしよう。


「ふつーに信心の暴走っぽいよ、『聖女』の派閥は過激派だし。『悪女』の林檎磨きは気が強いだけで、何もしてくれなさそうだけど」

「あれね。マルティークのエリートなんだっけ?」

「にしては神聖さが足りませんよね。魔術も過激なものがお得意とか」


 彼女たちの話題は、すぐに別の方に移っていった。

 怒る気も起きない。人間なんてこんなものだ。有名人にまつわる流言飛語。それをまことしやかに囁いて、他者との交流とする。

 この不快感は、アズティスの方が多く味わったはずだ。どういう気分だったのだろう。……彼女のことだから、僅かな興味もなく、素知らぬ顔をしていたのだろうか。


(わたくしだって、知らぬ者に軽んじられていようが、それはそれで良いのだけど。卒業も間近だし、どうせ先などないのだし。味方さえ理解してくれていれば、カイルさえ傍に、……いて、くれれば……)


 なんだか虚しくなって、つい、とんでもないことを考えてしまう。


供犠大審判(コムラービス)が、はやく始まってくれないかしら)


 今とても、消えたくてたまらない。


 母を殺した女の娘にカイルを取られた、なんて思ってはならない。

 才能を羨んでもいけない。

 どうしてわたくしが謝らなければいけなかったの、なんて憎まれ口を叩いてはいけない。



 本を手に突っ立ったままでいると、後ろから声をかけられた。


「あんなの、真に受けちゃダメですよ」


 知っている男子生徒だ。振り返って顔を確かめると、彼はにこりと穏やかな笑みを浮かべていた。

 マリアベルの周囲にいる一人、


「……リト?」


       *


「明日にでも卒業しなぁい?」

「……え」

「無理にとは言わないけどぉ」


 教官に呼ばれてついて行った先で、アズティスはぽかんと話を聞いていた。

 担当教官ララ・イルエラに与えられた、狭い個室だった。椅子に深く腰掛ける教官の前に突っ立ったまま、また「え?」と零す。


「塩湖の件を目撃してたエリオットさんが第一推薦者。あとはー、このわたしも第二推薦者。魔術師資格を持つに十分だって。教員会議にて、アズティスさんの早期卒業が満場一致で可決されちゃいましたー!」


 手振りで「ぱんぱかぱーん!」とお祝いの意を表現された。

 まだ事情を飲み込めていないアズティスに、ララが苦笑する。こほん、と咳払いして、


「貴女も自覚はしているでしょうー? マリアベルさんの魔力が暴走した時も、塩湖の件も、貴女の魔力と実力を示すに充分な対応だったわー。毎回の試験の成績も鑑みてね。これ以上の時間を学業に費やさせるのもどうなの? ってことでねー」

「魔術を評価していただけるのは嬉しく思います。けれど私には経験が足りません。アウルベアの件で一般人を巻き込んだこともあります」

「経験なんて卒業してからが本番よー」

「まだ進路も決まっていません」

「そうなのよねぇ。でもねぇアズティスさん。はっきり言っちゃうと、魔術研究会は貴女の席をすでに用意しているわ。わかるでしょ?」

「う……」


 貴重な妖精魔術の使い手だ。

 好奇心で動く魔術師たちにとってアズティスがどんな存在であるか、想像するだけで頭が痛い。


 突然卒業なんて言われても、困る。

 どうせ将来はわかりきっているから、それまでの『腰掛け場所』をぎりぎりまで考えるつもりでいたのだ。学生の時間をのんびりほどよく謳歌するつもりだった。

 けれどアズティスの事情なんて、学園側の誰にも言っていないから。


「わたし個人の意見としてはね。どうしても進路が決められないなら、とりあえず魔術師仲間がいっぱいいるところでいっか、くらいに思っておけばいいわぁ」


 ララは頬杖をついた。童顔で、口調は童女のように無邪気なのに、余裕そうに微笑む様はやっぱり年上の女性なんだなとアズティスは思う。


「もちろん、誰かと結婚して家庭に入るでもいいし、別のどこかに行くのでもいいけど。どんな進路を選んでも、魔術師資格を持った妖精魔術使いになる以上は、いつでも依頼がくるかもしれないってことだけは忘れないでね」

「…………。」

「早期卒業の話にしたって、結局はあなたの意思次第。そういう話が来てるってことは覚えておいて。あなたが卒業したいと言えば、翌日にでも卒業させられるくらいの準備は整っているから」

「承知しました。考えておきます」


 アズティスは一礼して、「じゃあねー」と呑気な声を背に退室した。


 まだ午前だ。一級生にとっては放課後でも、他の等級の生徒はまだ授業がある。

 廊下を歩きながら窓に目を向ける。ここからでは天文棟が見えて、先日カイルとキスをしてしまったことを思い出した。あの時ここを誰かが通ったら、見えていただろうか。


 空はどんよりしていた。この分では、またいつ雪が降り出すかもわからない。塩湖崩落と同時期に降り出した雪の気配が、この国に留まっている。時折覗く晴れ間も一日見えれば良い方で、積雪が溶けきる間もなく、また二日以上の雪が続く。

 例年の気候などあてにならないまま、完全な冬になった。


 一階に降りると、薬草学の教科書を携えた三級生の集団とすれ違った。あの方向は温室に行くのだろうなと思った。少人数に班分けされた五級生もちらほら見えた。

 学舎一階の学園内カフェでお茶とケーキを喫食し、寮に戻る途中。

 頭から水を浴びた。

 玄関から出たところ、上からいきなり降ってきたのだ。


「ひゃあっ!」


 この寒い時期に、心構えもなく、冷たい水。

 前髪から水を滴らせながら、アズティスは呆然とした。

「……ええ……?」と呟きながら、上を見る。学舎の三階あたりに人がいたようだったけれど、その姿はもう見えない。

 誰かの魔術の暴発かもしれない。嫌がらせの可能性もある。

 とりあえず、寒いなあと思った。

 アズティスは魔術に精通してはいても、常日頃から気を張ってはいない。誰からも遠巻きにされる生活に慣れているので、むしろ人より気を緩めているくらいだった。

 本人よりぎょっとしている周囲の生徒の中から、「あ、あの」と見知らぬ男子生徒が声をかけてくる。腕章は二級生だ。おそるおそるハンカチを差し出してくる。


(……なんか、やだな)


 彼の視線が不快だ。

 素知らぬ風で、水に濡れたアズティスの体をしっかり見ている。生地の厚い冬服になっているとはいえ、スカートが両足に張り付いて、普段よりもラインが強調されてはいるのだ。

 ――ぞっとする。

 好きでもない異性から、こういう目で見られたくはない。

 とはいえ親切に声をかけてくれた彼に当たりを強くするわけにもいかなかった。礼を言って、けれどハンカチは受け取らない。でも、と食い下がる彼に、アズティスは冷静に返す。


「大丈夫です、すぐに乾かせるので」


 ぱん、と両手を打ち鳴らした。

 彼女の髪や服に染み込んだ水が抜けて、中空で球体になり、彼女が指先でそれを指す。人差し指が「ほいっ」と道脇の草花のほうに向けば、水はそこへ着地した。

 彼女がさらりと髪を払えば、もういつもの通り、冷たく完璧な美貌がある。

 男子生徒は「す、すみません……」とどこか残念そうにハンカチをしまい入れ、ふらふら去って行った。彼の行為自体は間違いなく善行ではあるけれど、アズティスの心にはもやもやだけが残った。


「先輩っ! 大丈夫ですか!? こんな寒い時期にー!」


 見ていたらしい二位が、玄関ホールの階段を駆け下りてやってくる。


「ていうかびっくりしました。そんな魔術があるんですね。……あれ? 乾かせるなら、研究室でカイル先輩に髪を拭かせる必要ありました?」

「それはあいつの趣味だから、できなくなったらかわいそーだろ。ていうかあいつも、私が乾かせるの知っててやってるから」

「ほんとどういう関係なんです……?」


 若干引きぎみの二位に、アズティスは「そういう関係」と一言返した。

 その場で二位と別れ、寮に戻った。どこぞの貴族に呼ばれていて、明日は王都に出向かなければいけないのだ。


 今日は朝から変な日だった。

 変な掲示物、卒業匂わせ、頭から水を被った。これ以上は何もなければいいのに。


 寮に着いて、珍しく寮母から手紙を受け取った。

 学園外からの手紙は寮母が一括で受け取り、個人ごとに仕分けされて渡されるのだ。

 真っ白な封筒。遠い昔に見覚えある、忘れようにも忘れられない紋章。

 一目でわかる。

 

(……カースエリス子爵)


 寮母に礼を言い、部屋で手紙を開けてみると、だいたい予想通りの文面だった。


『わかっているだろうがカイル様とお前は釣り合わない』

『カイル様はすでにお前の従者ではない』


(わかってる)


『マリアベルが傷ついている』『姉として妹を幸せにしたいとは思わないのか』『もうすぐ贄となってしまうあの子が哀れではないのか』


(そんなの知らない。贄になるのは私だ)


『おまえはいつもそうだ、身勝手で傲慢で』『母親のようにはなるな』『あの子は純粋にカイル様を愛している』『おまえは知らないだろうが、公式のパーティーでは最高のカップルと称賛されるほどだ』『二人を引き裂くことに罪悪感はないのか』『長女としてはしたないとは思わないか』『すぐに婚約を解消しなさい』


 父親は悲しいほど昔のままだった。

 純愛は尊ばれるべきだと。真の愛は優先されるべきだと。自分が守れなかった愛を愛娘に託したいと。幼い日のアズティスですら、貴族の恋愛結婚はままならないものと理解していたのに、どうして父親はいつまでたってもこうなのだろう。

 アズティスだって、愛を唾棄することはない。ただ――、


(そこまで愛を語るなら、どうして母上の精一杯の愛を否定したんだ。愛してくれた母上を、どうして殺したんだ。どうして勝手に私の縁談を募ったりするんだ。なにもかもおかしいじゃないか!)


 虫酸が走る。

 この男の血が流れている、自分の身が呪わしい。

 ぎり、と歯を噛み締めた。手に力が入って、手紙にくしゃりと皺がよる。


 アズティスは返信に、


『公爵に言ってください』


 とだけ書き殴った。

 蜂蜜色の蝋を溶かし、封筒に垂らして、デスクシールをむんずとわし掴み、嫌味のようにはっきり丁寧に押し付けた。

 アズティスは個人の紋章を持っている。髪の長い雌妖精をメインとし、周囲に林檎の葉を散らした幻想的なデザインだ。封蝋は紋章を元に少々の簡略化がなされ、妖精の羽と林檎の葉のみが採用されている。


 できあがった手紙を、ふんと憤り混じりに寮母に託した。明日にでも配達員に回収されるだろう。

 再び部屋へ戻ると、ベッドにばったり倒れ込む。


(手紙といえば……)


 机の上に溜まった、数通の手紙をちらりと一瞥した。

 どれも()()()()()()()()手紙だ。すべて、二位が届ける教示要望書に混じっていた、私的な――有体にいえば、悪意の手紙。

 これは、自分とカイルとの婚約がなされてすぐに始まった。


 ――『おかしいな、渡されたの四人だと思ってたんですけど……一通多い……?』


 二位が不審がりながら渋々と渡してくれた手紙の中に、アズティスの母親についての手紙が混じっていた。それからしばらく、内容は違えど嫌がらせの手紙が相次いでいる。

 二位の『先輩宛のいろいろ箱』を利用して、手紙が確実に届くように仕向けているのだろうとアズティスは考えていた。


(そして今朝はとうとう、その嫌がらせを公に晒してきた。水は事故かもしれないにしても、掲示物はどう考えても初めの手紙が関わってる。私が動じないと思って業を煮やしたか、初めからそのつもりで計画してたのか。……いずれにせよ、相手はそれなりに組織化してる)


 なにせ一斉に始まった嫌がらせだ。『悪女の娘アズティス』に向けられていた白い目とは、毛色が違っている。

 たとえばミリィ。マリアベルの側近のような女子生徒が、アズティス個人を憎悪しているのはたしかだ。ただその動機がわからない。


 ――まあ、でも。


 アズティスは、手紙を寄越してきた一人の動機には心当たりがった。

 始まりの手紙にあった、頭文字。


(私に恨みをもつ『R.W』といえば、あいつしかいないんだよね)


 予想が当たっていたなら、その恨みだけは、受け止めなくてはいけないと思う。

 アズティスはずっと、『R.W』に弱かった。


 そして嫌がらせが加速する。

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