悪女と被害者と娘たち
カイルは寮の部屋に戻るなりベッドに倒れ込んで、天井を茫洋と眺めていた。
ネクタイを抜いて適当に放った。シャツのボタンを外していく。呼吸が楽になる。
(まさか、本当にキスを許すほどとは思わなかったな)
彼女が流されてくれてよかった。
あのシチュエーションで、あの雰囲気で、含まれた打算に気付きもしなかっただろう。
(これほどの信用があれば、あとは容易いか……?)
弄んだと言われればそうなのかもしれない。
カイルはあくまでも冷静に、彼女を誘った。
粘膜と抱擁を介して、彼女の魔力回路を探った。魔力を作り、全身に巡らせる回路だ。その細さや配置は個人によって違っていて、その源となる『核』が――血管でいう心臓のようなものだ――必ず複数ある。
女性の核は子宮。男性は喉仏。それに加えて一つ以上の核が、体のどこかに。
妖精魔術の世界ではどうだか知らないけれど、契約魔術には『核』が重要だ。
他者の魔力を流すには、その源を染め上げてしまうのが一番いい。
(彼女の魔力の流れ方は独特だな。あれは妖精に近い型なのか……『核』が背中にある。肩甲骨あたりか)
妖精といえば背中の羽だ。その名残か、先祖返りとでもいうのだろうか。羽自体はなくても、彼女の肉体の半分は妖精と同じなのではないか。
必要な情報は手に入れた。
カイルの企みは、これまで契約してきた獣を相手にするのとはわけが違う。
(アズティスお手製の血液入りおやつで魔力を摂取するのも、慣れてきた)
――『私が蜂蜜で、彼はウォッカ。それくらいの違いですよ』
かつて五級生の任務演習で、彼女はそう言った。
けれどウォッカも蜂蜜酒くらいにはなれるのだ。
純粋で重たい蜂蜜を少しずつ中に垂らして、丁寧に混ぜてやれば。
(これで俺の魔力が彼女に何をしようが、苦痛によるショック死は免れるだろう。逆もしかりだが)
ここまで長い時間をかけた。
(あと必要なのは、彼女からの許可だ。心に一切の不審もない状態で、こちらの要求に応えさせなければ。さて、どうするか)
契約魔術は相手のほとんどを縛り付ける魔術。相手の力が強いほど、契約には手間や条件がある。
魔力の相性、相手の許可、信頼性。――様々な要素を理解し、噛み合ってこそ、契約は為されるのだ。
そう、すべて考えあってのこと。
――ではあったものの。
「……――。」
ふんわりと近づく香りに、触れた体に、合間から漏れるあえやかな声に、控えめに距離を取ろうとする淑やかな仕草に、恥ずかしそうに潤んだ純粋な瞳に、何も思わなかったと言えば嘘になる。
彼女に触れるのは嫌いではない。彼女もそうだろう。それならこのまま、少しずつ慣れさせていくべきだろうか。
(あとは『婚約者』らしく、適当に押していけばいいか)
最終的に『ずっと傍にいて』とでも言ってくれれば簡単なのに。
眼前にぬっと顔が現れた。リトが戻ってきていたらしい。にんまりと不気味な笑顔だ。
リトはカイルと違って、感情表現も豊かで器用な男だ。彼のように人当たりの柔らかい人間になれればアズティスの懐柔も楽なのだろうかと思うけれど、
「いいことでもありました? ありましたよね? へ~~~~~? ふ~~~~ん? ほぉ~~~~~~~?」
こちらは何も言っていないのにあからさまな茶々を入れてくるのがとてもうざったい。
「何が言いたい」
「いやあ、どうせその無表情の下では浮かれきった勝利確定タップダンスでもしているくせに、本当にまったく顔に出ないなんてどんな仕組みをしているんだと。ちゃんとやることやってるじゃないですか。キスをして抱き締めもして、あとは彼女をどう転がそうが自分の勝手みたいなやつですか? ろくな大人になりませんよ」
「抱き締め……?」
「違うんですか?」
「……いや、それでいい」
「ほらまた意味深なこと言う~~!」
彼女の背中に魔力の核を感知した瞬間、あまりにも嬉しくてそこに触れてしまった。傍から見れば抱擁に見えたかもしれない。
「見ていたのか」
「学舎の四階から見えたんですよ。マリアベル様もご一緒でした」
「そうか」
「わざとではないにしても、外でああいうことをするのは良くないかと思います。一級生らしく秩序を守りましょう。……マリアベル様泣きそうでしたよ」
「二股をかけているわけでもないし、あの場所はそう目につく場所でもない。たまたまお前たちが見てしまっただけで、そう非難されるものでもないだろう」
マリアベルの気持ちはわかっている。けれど告白は断ったし、筋も通している。
カイルに負い目はない。だがリトの詰問は、しばらく続いた。
*
(なんか、元気なさそう?)
アズティスはふとした時に、ぼうっとすることが多くなった。今も紅茶を揺らして、じっと眺めている。口数も少ないし。
二位はアズティスの異変に気づきつつ、どうしようもなかった。
やはり手紙の返信に手間がかかっているのだろうか。
そう思って教示要望書の受け渡しを止めようとしたけれど、アズティスは「いや、いい。ぜんぜん負担じゃないからだいじょぶ」と、むしろ要望書を歓迎する素振りすら見せるのだ。――そのわりにいつも教示を断るし、顔色が悪いけれど。
テーブルに用意されている菓子がいつもより多いのは、彼女のストレスが溜まっているせいだろう。アズティスはお菓子を作ることでストレスを発散していると聞いた。
カイルもアズティスの不調を心配しているらしい。
「……熱はないのか」「ない」と普通の会話をしながら、彼の手がアズティスの髪に触れた。何をするでもなく、艶やかな一房をくるくる手遊んでいるだけだった。
二人の椅子も、位置を互いの方向に寄せているようだ。
アズティスが目を向けたお菓子を、彼が先んじてサーブしていたりする。
婚約の噂が広まってから、開き直ったような近さだった。
というかカイルの方から歩み寄っているっぽい。
「あまり無理はするな。明日の任務を代わろう」
「いや、行くよ。だいじょぶ、へーき」
「お前になにかあったら俺が困る」
「何もないからだいじょぶ。ほら、私に構ってないで食べて」
(い、居づれぇ~~~~~~!)
カイルは普段からアズティスに甘いと思っていたけれど、さらに上の段階があったようだ。
実のところ、婚約はあくまで噂であって、誰も確かめていない。
真偽を決するのに、二人と仲の良い二位、たった一人に期待がかかっている状態だった。
けれど二位は周囲の期待なんかに応えてやらない。いつものように接するのみだ。
「そういえば先輩、ちょっと相談があるんですけど。次の試験勉強に付き合っていただけませんか」
「試験勉強? 時間がある時でいいならいいけど」
「勝ったわこれ」
「誰に?」
「いやあ、三位のやつが自分のお兄さんの過去問使ってやるって言うんで。人脈も実力の内とかいうんで。だったらこっちも最終兵器を投下しようかなって」
怪物を味方につける以上に心強いこともあるまい。
「そか、かしこいかしこい」
「えへへへへ」
二位は最近になって気づいたけれど、アズティスに褒められると、変に嬉しい。
鉄面皮の視線は痛いけれど、アズティスがよければいいのだ。
それに勉強とは建前で、今度は自分が先輩になにか用意できないかな、と思う。
(参考書ほしいとか言って、ちょっと外に連れ出したり? でも先輩そこまで活動的じゃないから、やっぱりゆっくり過ごしてもらうのもいいいかな? ブランケットとか用意してみたり?)
もちろん鉄仮面先輩を抜きにしてだ。女子同士でしかできない会話もあるし、もしかしたらぽろっと零してくれる愚痴もあるかもしれないし。
予定というか願望をあれこれ妄想していた二位は、ふと思う。
自分は二位、今回つっかかってきたのは三位、――そういえばアズティスと同じく、ずっと一位に君臨していた誰かさんがいたな、と。
「こっちの一位って、元々は先輩たちと同級生だったんですよね? あいつ頭いいんですか?」
これには鉄面皮が反応した。
「リトか。座学で言えばトップレベル、技術的には平均的といったところだな。俺のルームメイトだ」
「え、そういう繋がりがあったんですか。ちなみにあいつの苦手科目知ってます?」
「しいて言うなら歴史系が苦手と聞いた」
「へー。ちなみにカイル先輩、去年の過去問とか覚えてます?」
「……それなりに」
「っしゃ! 今回もしかしたらきたかもしれないかもっ!」
初の一位を取れるかもしれないと期待に満ちた目で、二人の先輩を見る。
カイルは「俺は協力するとは言ってない」と冷たいことを言っていた。
アズティスは、やはり茫洋としていた。やっぱり疲れているのかもしれない。
そんな会話があった、昨日の今日。
二位は朝から嫌な予感がしていた。
寮を出て学舎に向かっていると、前方にマリアベルの背を見つけた。隣には、一人の女子生徒を連れていた。
(マリアベル先輩も、ここのところ顔色悪いな)
アズティス、カイル、マリアベルの三角関係が、ついに決着してしまったのだ。口さのない生徒が裏で噂し合っているのを、三人ともが知っているのだろう。
敗者扱いされているマリアベルが一番つらい立場なのかもしれない。
とはいえ自分に何ができるわけでもなし、二位はそのまま後ろについていた。
会話が聞こえてしまう。
「大丈夫ですよ、マリアベル様。あいつはいなくなります。カイル様だってすぐに目を覚まして、戻って来られますよ」
「それは、どういうことなのでしょう?」
「ですから気にしないで、元気をだしてください」
ぴた、と足が止まった。
マリアベルにひっついていた女子生徒が、おかしなことを言っていた。
(……『あいつ』……?)
二位の心臓が大きく跳ねる。
いったいどういうことなのか。
二位は会話を聞き逃さないように、二人との距離を保って、学舎の玄関口についた。
異変があった。
人が多い。皆が、掲示された一枚の紙を注視してざわついている。
試験も始まっていないのに、試験結果が出るわけもなく。
「レオタールって……」「なにこれ」「ってかなんで今?」「誰が貼ったの、こんなやつ」「まーでもしょーがないよね、こんなことしちゃさ」「でもさあ、これって……」
喧騒に耳を傾けていたって、事態を察せるわけもなく。
あの掲示物を確かめるためには人混みを抜ける必要があり、どうしようかと思っていた、時。
「マリアベル様……っ!」
「あ、ほんとだ」
「どうしよう……」
皆がマリアベルに道を譲る。
マリアベルはどういうことかと不思議そうにしながら、掲示物の方に進む。こころなしか嬉しそうな女子生徒と共に。
二位は二人に便乗して、そうっとその紙に近づいて行った。
文章は、
『ティアデラ・レオタール元伯爵令嬢の罪状について』
とある。
文章中に、アズティスの母親の罪が、ずらずらと記されている。
(……何よこれ)
意味がわからない。文章の意味は理解できても。
こんなことをする必要性が、二位には皆目見当もつかない。
茫然とする二位の傍で、マリアベルもまた言葉を失っていた。
それもそのはず。ティアデラ・レオタールの最たる被害者は、マリアベルの母親だ。母親が被った虐めの内容が衆目に晒されて、動揺が大きい。
その横で、
「ほらっ!」
女子生徒が浮かれている。二位は知らないけれど、新入生懇親パーティーの時にもマリアベルの傍にいた。マリアベルを心から敬愛し、案じる立場の人間だった。
そんな彼女を、マリアベルは信じられない気持ちで見る。
「貴女が、こんなことを?」
「……あ……」
マリアベルが喜んでいない。
それをやっと理解した女子生徒の、紅潮していた顔が白くなる。
どうして喜んでくれないのかがわからない、と困惑しているようだった。そんな女子生徒の神経が、二位もマリアベルもわからない。
彼女はなんとか言い繕う、
「ち、違います、やったのは私じゃないっ」
「でも知っていたのでしょう? それならどうして止めてくれなかったのですか? 誰かに言うなり、対処はできたはずです」
「あ、……あ、……ちが、……マリアベル様……!」
やがて、こつ、と足音がする。革靴の音。皆が一斉にそちらを見る。
「……もしかしてめんどくさいことになってる?」
アズティス・レオタールだった。
(さては先輩、とんでもなく間が悪い人だったのね?)
直接の関係はないけれど、その場にいる二位の胃が痛む。
広い玄関ホールの隅から隅まで、沈黙で満たされている。
試験の順位表すら一瞥するだけのアズティスは、さすがに今回ばかりはその紙を直視した。
真剣な顔。二位はその横顔を見て、――ぞっとした。冷徹とか、激情とか、そんな心の一切をそぎ落としたように、なんの温度もない眼差しだった。
誰もが彼女の一挙手一投足に注目する最中で、アズティスは紙を剥がしてしまう。そして、
「はいこれ」
「……は?」
マリアベルの傍にいた女子生徒に、それを手渡した。
女子生徒の目には、アズティスへの敵意しかない。
(そっかあの人、アズティス先輩が嫌いなんだ)
二位が納得している間にも、話は進む。
「掲示物には教官の許可とサインが必要なんです。見たところこれは勝手に貼られたものっぽいから、悪いけど今は外しときます。処分するか、改めて許可取ってくるかしてください」
「私が貼ったんじゃない、です」
「そうですか? じゃあ一級生からのお願いです。処分よろしく」
拍子抜けするほど冷静な対応だった。
己の母親のことに一切触れず、淡々としている。
二位はアズティスの袖をそっと引いた。振り返った彼女は、いつものように笑ってくれた。けれど顔色が悪い。
「先輩……」
「ん、もういいよ、騒がせたね。――みんなも、そろそろ予鈴が鳴りますから、教室へ向かってください」
生徒が各々、移動を始める。
その場には二位とアズティスと、マリアベル、そして紙をぐしゃりと握りしめた女子生徒だけが残った。
「君もはやく行かないと遅刻に、」
「おかしくない?」
女子生徒がアズティスの言葉を遮って、
「なんでみんな、アンタなんかを赦せるわけ?」
地獄から這い出たような、低い声だった。
マリアベルが「ミリィ」と女子生徒の名前らしきものを呼んだけれど、本人の耳には入っていない。
瞳は苛烈にぎらつき、アズティスを睨む。
「力があれば何したっていいの? 何をしたって赦されるの……?」
「よくわかんないんですけど、私の何を、誰が赦したんですか?」
アズティスは心底わからないらしい。
言葉遣いと態度からすると、女子生徒の顔すら知らないのだろう。けれど。
「しらばっくれないでよッ!!」
女子生徒――ミリィの咆哮が、玄関ホールに響き渡る。
左右の階段を上がっていた生徒たちが一度止まり、けれど関わりたくないと思い直したのか、そそくさと立ち去っていく。
その様子に女子生徒は激しく舌打ちをした。軟弱者ども、とでも思っているのかもしれない。
問題提起や、正しいことをした。けれど周囲の人間は誰も賛同してくれず、どころか見ないふり。そのもどかしさに耐えかねて、内心の怒りを必死に押し込めながら、いずれどこかに消えていく。
大聖堂で育った二位は、そんな人間を何人か知っている。
この女子生徒は、まさに彼らと同じ顔をしていた。
「いつもそう、弱い人間は強い人間に虐げられて終わるの。マリアベル様のお母様にだって謝罪すらなかったと聞いたし、あなたのお母様のしたことを誰も裁かなかった、どういうこと?」
(いやあんたに関係ないじゃん)
二位は思うけれど、口を挟める状況ではない。
女子生徒はマリアベルの母親への仕打ちをあげつらっているけれど、核心はおそらく別にある。
「赦すとか、罪? とか? 君がなにを考えてそう言うのか知りませんけど、自分の不満を解消するのにマリアベルを使うの止めたらどうですか?」
「っ使ってなんかない!! 酷いこと言わないでよ、何も知らないくせにッ!!」
「そか。じゃあただただ、独りよがりなんですね」
アズティスはマリアベルを指さして、
「マリアベルは、君の言い分のどこにも納得してないみたいに見えますけど」
先ほどから、マリアベルは黙り込んでいた。
誰の目にも明らかな『失望』を、女子生徒へ向けて。
少し下降します
折り返し地点かなと思います




