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研究室の問い

「『    』」


 ぽそぽそと呟いている。

 無重力の空間に、ぽや、と水球が生まれて漂う。


「『      』」


 かと思いきや、葉や花弁まで現れた。火の粉のようなものまで舞っているのに、どこにも燃え移らない。


「『 』」


 そうして繰り返し繰り返し、彼女の周囲には物質が生まれ、舞って、消えていく。

 星のような光、シャボン玉、風――。たくさんの綺麗なもの。

 無邪気な妖精の世界が、そこに切り取られているような。


「『   、     、              ?』」

「『    』」


 妖精言語だ。極端に短いのと、息継ぎが心配になるほど長いものがある。単語も文章も関係なく吐き出し続けているのだ、と二位は思った。彼女の囁きが耳に染み入る。眠るときに近くで聞いていたい心地良さだ。そうしていると頭がだんだんふわふわしてきて、


 理解しようとするな。

 聞き続けるのもやめておけ。


 思い出して、二位はばっと両耳を塞いだ。アズティスの声を物理的に遮断する。あらかじめ二位に忠告してくれていたカイルは相も変わらず無表情で、耳を塞ぐ素振りもせず、隣に突っ立ったままでいる。


 アズティスの絶えない囁きに応じて、きりっ! とした顔の妖精たちが二匹がかりで一本の羽ペンを支え動かし、紙に字を書いている。彼らが記録係なのだろう。


 アズティスは、深い魔術の世界に潜り込んだまま浮き上がってこない。


「『    』」「『      』」「『  』」「『      』」


(……先輩の新しい妖精魔術って、全部、こんな風に考えてできてるのかしら)


 常識外の存在に憑りつかれた廃人そのもので、ぞっとする。恐ろしい光景だった。

 大聖堂の礼拝を思い出した。厳かで、理解の及ばない領域に足を踏み入れてしまった居心地の悪さ。ただ不思議と、不快ではないのだ。

 しばらくするとアズティスは目を閉じて、ゆっくり床に降り立った。魔法陣の光も消えていく。ふらついたのを、いつの間にか彼女の傍にいたカイルが支えた。

 アズティスは慣れたように彼の懐に手をついて、はっとして、


「あれ、いつから? ……二位もいる」

「少し前からいた。お前に用があるらしい」

「そか。ちょっと待っててくれるかな。お湯浴びてくる」


 それはいいですけど、と二位が返事をすると、彼女はふらふらと奥の部屋へ消えていった。シャワーがあるということは、ここに何日か籠る生徒がいて当たり前ということだろうか。

 二位は来年の自分を想像したけれど、そんなに熱心になれている気がしない。

 ふとカイルを見上げて、


(……うん?)


 違和感があった。

 彼女を見送るカイルが、少し不機嫌そうに見えた。


(気のせい?)


 学園の怪物以上によくわからない人だ。

 カイルは二位に構わず辺りを見回して、床に落ちているストールを拾っていた。アズティスのものだ。


「先輩、ずっと聞いていて平気なんですか?」

「妖精言語のことなら、耳に入れないようにしている。彼女の傍にいれば多少は慣れる」


 そういうものだろうか。

 遠くで水音がしていた。やがてそれも止まり、濡れ髪のアズティスが帰ってきた。


 アズティスの後ろで、カイルがタオルドライから風魔法での乾燥までこなしていく。「結うか?」「ん。すっきりめのやつがいい。この後いろいろ纏めるから、髪は邪魔」「了解した」と当然のように要望と受諾が為されて、二位はなんとなく入っていけなかった。

 人の目があまり無いところだと、二人はいつもこんなに気安い会話をするのだろうか。


「で、どした? 急ぎの話だった?」

「先輩にお届けものです」


 言いながら、例のブツを見せる。

 彼女は封筒の山を見て、


「無理。諦めて」


 爽やかな笑顔だった。


「わたしに言われても。返事は本人にしてあげてください」

「えー、こんなにあるのに。……わかった妖精に届けさせるよ。簡単な一言でいいよね」

「それで十分だと思います」


 会話している間にも彼女の髪は細いリボンで結われ、ピンで後ろに纏められていた。


(カイル先輩いつもヘア用品持ち歩いてんの?)


 どこで学んだのか、玄人の技術だ。

 アズティスには見えないけれど、二位からは見える。彼女の髪を扱う手つきの優しさが。滑らかな髪を撫でるように大切に、決して雑にはしない。長い指には艶めかしさすら感じられて、けれど卑しさはなく、見ているこちらが恥ずかしくなる。

 まるで愛するような仕草。


(カイル先輩がモテるのって、顔と家柄と学力だけだって思ってたけど。変なところで優しいのってアズティス先輩に似たの……?)


 なんとなく、ここにいたくない。邪魔をしている気分だ。

 二位は「わたしもご飯食べるので失礼します」と言うが早いが、そそくさとその場を抜けた。

 最後に、


「あ、さっきカイル先輩が下級生を泣かせてましたよ」


 と余計な一言を置いて。


       *


「泣かせたのか?」

「…………。」

「こら。虐めたらダメだろ」

「……言い過ぎたとは思う」


 机に散乱する紙束は、すべてアズティスのひとり言を妖精が書きとったものだ。これからそれを纏める作業を行うのだけれど、カイルは出て行こうとしない。彼女の髪は必要以上に整っているし、彼が残る必要もないのに。

 アズティスはペンを取りながら、おかしそうに笑う。


「にしても、こんなところまで誰かを連れてくるなんて珍しいね。君も二位が気に入った?」

「試しただけだ」

「二位を?」

「違う」


 彼女が座る椅子の背を、カイルが握った。

 彼が試したのはアズティスその人だ。


「以前のお前なら、二位の気配に気づいたはずだ。魔術思考中に俺以外の気配があるのを嫌がっていた」


 アズティスが真上を見る。頭がとんと、背後に立つカイルに当たった。

 彼は真顔で、彼女を見下ろしていた。覆い被さるように。近い距離。

 互いに逆さまに映って、その視線だけが強く繋がる。


「なぜ二位を傍に置く。妖精はまだいい。だがやつだけがわからない」

「なんでだろ。不思議だね」

「距離も近かった。アウルベアの時も、野宿の時にはわざわざ自分の近くに誘ったな。あれをそこまで可愛がる意味があるのか」

「なんだ、気にしてたんだ?」

「……二位は教会の者だぞ」

「知ってる。だけど何かされたわけじゃないし」


 アズティスはしかめっ面の彼に、


「そーいえば妖精の画家って知ってる?」


 雑な話題逸らしだ。

 カイルは不満ながら、「聞いたことはないな」と答えた。


「だよね。金髪金眼の綺麗な少年って聞いたら、誰を真っ先に思い出す?」

「時の精霊だな」

「ん。君と反対の色だ」


「二位にも聞こ」と呟いた彼女の言葉を、カイルは抜け目なく耳に入れていた。二位に近づいてほしくないとあからさまに示したのに、結果はこれだ。

 相変わらず人の機微がわからない女だとカイルは内心思っていた。

 そして今の彼女には、カイルの意思などどうでもよかった。


 彼は溜息混じりに、懐の裏ポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは手紙だ。受け取ったアズティスは若干眉を顰めた。

 事務的な教示要望書よりも高級感が漂って、一目みただけで勝手に背筋が伸びる。白百合の紋が綺麗な、封蝋。ノアイユ公爵家だ。

 差出人、クロード・ノアイユ。

 宛先、アズティス・カースエリス。――アズティスの正式な家名が使われている。正統な手紙だと示しているのか。


「なんで公爵が私に?」

「夏季長期休暇で城に泊まった時、父はいなかっただろう。それを惜しんでいるようだ。一度話したいと」

「私が公爵と何を話すんだ? 君の学園の様子とか? 何が悲しくて貴族のトップと三者面談しなくちゃいけないんだほんとわかんないぞ」

「俺は行けないから二者面談だな。お前だけでも城に送れと言われた」


 彼は彼で、アズティスとは別に手紙を受け取ったのだろう。彼女の手紙の内容を知っているようだ。

 アズティスは「嫌な予感がする」とぼやきながら開封し、手紙を読み進めた。

 お手本のような字体で、公爵の城に招きたいと書かれていた。休暇を取らせるのも悪いから、任務扱いとして学園に指名依頼すると。公爵がどれほどの依頼料を用意したかはアズティスにはわからないけれど、少なくとも他の任務より優先される額だろう。


「なんだろ。公爵に喧嘩売ったことないんだけどな」

「諦めろ」

「諦めてるよ。お金もらって貴族と会うだけなんて、いよいよ私も魔術師らしくなってきた気がする」


 以前に会った前侯爵とは、まだ『妖精について話す』という任務があった。けれど魔術もクソもない面会に何の意味があるのか、アズティスにはわからない。

 とはいえ、逆らう気力もない。


       *


「……う……っ」

「泣かないでよ……わかってたことでしょ……」


 絶対に無理だって。

 けれど友人は「そうじゃなくて」と、手紙を二位に広げて見せた。

 教示要望書の返信。


「予想以上に丁寧なお断りをいただいてしまった……!」

「……………。」


 繊細な文字だった。季節の挨拶から始まり、自分を選んでくれたことへの礼を置き、己の至らなさによって人に教えられる状況ではないと述べ、気持ちはありがたく受け取ると気遣いまで書き添えて、ご自愛がどうのと手紙を終わらせていた。

 一言で返事するって言ってなかったっけ。

 気まぐれにもほどがある。


 翌日、アズティスが朝も早よから任務地へ向かったと聞いた。忙しい人なのだ。

 二位は教科書を抱えながら、学舎でも人気のない一階端っこの廊下を歩いていた。提出した課題について、教官に呼び出されていたのだ。

 無事に話を終え、寮へ向かおうとしていた。

 と。

 どこからかさわさわと、複数人の男女が囁き合う声がする。近くの教室からだ。


(補講? いや、教示要望書で承諾した誰かの授業中? まあこのへんって空き教室ばかりだし、使い勝手は良いか)


 さして不思議には思わなかった。

 二位は勝手に納得して、足を進める。


「…………。」


 一度振り返った。

 なんだか少し、引っかかる。


「……気のせい、よね」


 二位はそのまま、寮へ帰っていった。

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