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大崩落-Ⅳ

「アズティスのお菓子って美味しいのかしら」

「美味しいですよ。食べたことないんですか?」

「あら、彼女の手作りを食べられるような間柄だとお思いですの?」

「思いませんねえ」

「……ふふ。すみません、少し意地悪な言い方をしてしまいましたわ」

「いやいやいや。全然そんなことないです」

「あなたはカイル様ともよくお話をなさるの?」

「んー、わたしとアズティス先輩が話してると、カイル先輩がちらっと入ってくる程度ですかね。よく話すってほどじゃないです全然」

「あの二人の間によく入っていけますわね。わたくしでさえ躊躇するのに」

「いやあ、思ってたよりゆるゆるですよあの二人。……聞いていいのかわからないんですけど、どうしてアズティス先輩とカイル先輩は、仲が悪いってことになってるんですか? 誰が見たって常に一緒にいる感じじゃないですか」

「常に、というわけではありませんけれど。やはりカイル様の態度のせいでしょうね。アズティスだけには負けたくないと常々仰っておりますし。模擬戦など、アズティスが相手の時だけ少々お口が悪くなります」


 あれは見ものですわよ、とマリアベルは笑う。


「口が悪く?」

「『この女』『ふざけるな』『人の心がないのか』『クソ』などですわ。目つきもそれはもうすごいことになりますし、その時のカイル様からすれば、アズティスは『邪知暴虐の権化』なのだそうです」

「あの人なにやらかしてるんですか……」

「それにカイル様が契約した獣は皆、アズティスに牙を向けられなくなるものですから。カイル様自身も戸惑っているところもあるのでは?」


 あまり知られていないけれど、契約魔術には弱点がある。

 主人が己より上位、または庇護対象と認識している相手を、害せなくなる。契約獣が主人に懐くほどその心を汲み取ってしまう。契約魔術を専攻とするカイルがそのデメリットを知らないはずはないから、自分の契約獣がアズティスに懐いてしまうのも、演習とはいえ彼女に立ち向かえないのも、黙認せざるをえないのだろう。


 二位が思い返せば、アウルベアの任務で彼が召喚した獣は、ことごとくアズティスに好意的な様子だった。あれはそういうことだったのか、と嘆息してしまう。

 絶対に負けたくない相手にのみ、己の得意魔術が封じられるのだ。なんて理不尽だ。


「率直に言って可哀想」

「ええ本当に。それにカイル様がアズティスに弱いからといって、彼女は手心を加えません。いつでも人を揶揄うことに全力ですわ」

「うっわあ……」


 おちょくられているんだろうな。

 アズティスに翻弄されるカイルを想像して、ほんの少し不憫に思う。


 そんな目に遭って、どうして彼は今もアズティスの傍にいるのだろう。

 もしやそういう嗜好の人なのだろうか。いかにも嗜虐的な趣味がありそうな外見と声と態度をしておいて、真逆の世界に目覚めてしまっていたのだろうか。

 二位の頭の中で、首輪を着けられて「わん」と無表情に鳴くカイルと、彼に繋がる鎖を持ってにこにこしているアズティスが思い浮かんだ。悲しいくらいに違和感がなかった。


「カイル様はきっと、アズティスと自分を引き離そうとする者が許せないのです。それがアズティス本人であっても」


 マリアベルは「アズティスがカイル様をわたくしにくださったことがありまして。彼のコンプレックスはそこからかしら」と続けた。

 これには、話を聞いていた他の三人も素っ頓狂な声をあげた。ノアイユ公爵家の次男を、くださるとか譲るとか、そんな物のように扱えるわけがないのだ。貴族の階級からすれば、マリアベルもアズティスも彼の下になるのに。

 マリアベルも、詳しくは語らない。

 二位は貴族の文化ってほんとわかんねえなという顔で黙っている。


「飼い主と離れたくないがために、飼い主の腕を噛んで放さないのです。忠犬なのだか猛犬なのだか、子供なのだか男性なのだか。まったくおかしいことですわね」


 穏やかな笑みがふっと陰って、


「よりによって()は、そんな彼を好いてしまったのですけれど」


 二位はマリアベルの声に、滲むものを感じた。

 隠していた本心のような、気づいてはいけないような。

 訊ねたいけれど、マリアベルがわざと二位から視線を逸らしているから。過去を懐かしがるように遠くを見て、聞かないでほしいと言わんばかりの態度に、二位はやはり突っ込んで行けなかった。

 いかな心臓ふさふさ女といえど、他人の心に踏み入る趣味はない。


 ぐら、と全員のバランスが崩れた。

 結界が揺れたのだ。慌てて外の様子を見る。黒い獣の腕に抱えられ、持ち上げられているようだ。

 大きなその両腕に抱え込まれるまで視認できなかったほど真っ黒で、異様に静かな、それは巨大ないきもの。結界内からでは、ドラゴンのような何かであるとしか判別できない。

 水面ぎりぎりの低空飛行で、遺跡の奥へ運ばれていく。


「ま、魔物~~? だったらやばくなぁい?」


 慌てるセリーヌに、二位は「……や、見たことあるわ。この手の形」。冷静に返して、自分たちを持ち上げる真っ黒い三本爪の生物は絶対にどこかで知っていると記憶を掘り返す。

 これを初めて見たのは、あの二人のお茶会に初めて参加したあの時。

 そう、これは。


「カイル先輩の契約獣じゃない?」


       *


 五人が呆気にとられているうちに遺跡の奥へ運ばれ、ある地点から急激な上昇に耐え、崩落した塩湖の大穴から脱出した。

 雪が降っていることも、そこで初めて知った。

 

 塩なのだか雪なのだか判別できない純白の平原に、真っ黒い先輩と知らない男女が立っていた。マリアベルが言うには、いずれも一級生なのだという。

 人の顔も判別できないほど高い上空なのに、獣が巨大な翼で羽ばたくたび地面の雪だか塩だかの白い粒子が風圧で吹き散らかされる。ぶわっさぶわっさ。五人が入った結界を運んでいるこの獣は、闇の中でなくともやはり真っ黒だ。

 巨大な影を、無理やり生き物の形に固めたようだった。肌と言うのか外殻というのか、その輪郭から黒い湯気のようなものを発しているせいで、存在自体がゆらゆらと曖昧な印象がある。


 三本指。というか、三本爪。

 二位がこれまで見てきた『前足』は、もっと小さかった。

 けれど、学園の学舎ほどもある巨体それこそが、きっと本性なのだろう。だからわざわざ、穴の大きい塩湖の方まで運ばれたのか――と考えて、二位はノートリア・カシャッサ塩湖崩落の事実を受け入れた。


 黒い獣は、抱えた獲物の様子を確認するように首をもたげる。

 慄く二位たちを見つめる双眸は血のような赤で、縦長の瞳孔を針のように引き絞った。

 額に埋まる石も、同じ赤。

 トカゲに鋭い爪と牙を持たせて、翼をくっつけて凶暴化させたようなドラゴン型。ゆらめく黒い湯気の中にも、強靭な筋肉や角の隆起が窺える。


 二位はぽかんと見上げて、


「まさか黒竜……!?」


 世界の有名な魔術研究者たちと主要な八か国の代表者が即時討伐対象として挙げた、強大な魔物。『ブラックリスト』と呼ばれる薄い冊子に、黒竜は載っている。

 それがまさか、人に――それも身近な先輩に使役されていたなんて。


(というか使役できるもんだっけ?)


 二位含めた二級生たちがぽかんとしていると、黒竜は何が気に喰わなかったのか、その場で抱えている結界を落とした。


「えっ」

「おやぁ?」

「あらあら~」

「うおっ」

「っ!」


 短い悲鳴を出したっきり、五人は恐怖のあまり黙って落ちていく。

 遠くで頭を抱えたカイルが、地面を爪先で小突く。

 五人の落下予測地点に巨大な魔法陣が張られて、姿を現したのは白い狼だった。二位が以前に見た――アウルベアの件で一人行動するアズティスに寄り添っていた――時よりも大きく、五人が入っている球体をもっふもふと受け止めてくれた。


 マリアベルの結界はぱちんと弾け、五人は真の意味で解放された。


 黒竜は役目は果たしたとばかりに、別に展開されている巨大な魔法陣の中に飛び込んでいた。


 二位はもふもふに埋もれながら、


「カイル先輩って、もしかしてすごい人だったの……?」

「そりゃもう……。上に怪物がいなかったら、文句なしで史上最高の首位になれたはずの逸材ですから……」


 何故かリトが返答した。


 魔術師の卵が五人集まっても抜け出せなかった地下から、カイルはいとも簡単に運び出してくれた。

 カイル先輩はアズティス先輩と正反対で、大きな力仕事が得意なのだろうな、と二位は察した。

 魔力操作に特化し、繊細で優美な魔術方式が妖精魔術。複雑な契約魔術を描ける知識と、獣好みの膨大な魔力が必要なのが契約魔術。

 魔術師にもタイプがあることは、長い学生生活で身に染みてわかっている。その人がいるかいないかで、生存率すら段違いになるのだ。その極端な例を改めて認識した。


 二位が呆ける側で、マリアベルがそそくさと白狼から地上に降りた。

 制服のスカートを摘まみ、それはもう優雅な所作だった。


 残る二級生諸君はこの毛並みが惜しくて留まっていたかったけれど、息を吐く間も与えられず、当の狼にぶるるるると振るい落とされてしまう。


 地上に尻もちをつく彼らにマリアベルは苦笑しながら、


「先ほどのお話に通じますが、カイル様の契約獣はカイル様とアズティス以外には愛想がありませんわ。お気をつけてね」


 すぐ近くにやってきて「なにを話していた」と眉根を寄せるカイルに、マリアベルは「カイル様とアズティスのことをほんの少し」。ころころ笑って、カイルの問いを避けていた。


「すまない。俺の契約獣は淡白な性格が多くてな」

「飼い主に似すぎててびっくりなんですけど」


 無事でよかったと声をかけてきたのは、カイルの傍にいた一級生の男女だ。探知に特化した男子生徒と、さらに他人の魔術の底上げを得意とする女子生徒。この二人の指示に従って契約獣に命令を飛ばしたカイル。

 地下の水に閉じ込められた五人を救ったのは、三人の連携らしい。


「時間がない。マリアベルをあちらに送る」

「え」


 カイルが白狼を呼び寄せるので、マリアベルは珍しく固まった。

 あちらとは?


「遺跡の方に怪我人が多数いる。治療に優れる者を優先的に送りたい」

「何があったのですか?」

「遺跡から追い出された魔物の大群と、演習にきていた学生一同が交戦した」


 五人の顔色が変わった。

 地下から救援要請なんてしたけれど、その向こうでは――と。


「アズティスは? 来なかったのですか?」

「本人の代わりに契約している妖精が来たらしい。大規模な魔術を展開したと聞いたが、詳しいことは知らない」


 続いて彼は白狼に目配せをする。白狼はへっへっへと飼犬のような顔で飼主の意向に答え、その巨体を半分ほどに縮ませた。


「魔物の殲滅自体は済んでいるし、治療をするならマリアベルの方が得意だろう。今はアズティスがいなくても問題はない」

「……酷い方ね」


 まるでこちらを選んでくれたような、この場限りの言葉に嬉しくなってしまう。酷い男だ。手の平で転がされているような気持ちになって、マリアベルは泣きそうになる。

 カイルなんかに乙女心が理解できるわけもなく。

 話を聞いていた二位も、後でうっかりこいつの足を踏んでやろうと決意した。




 マリアベルは怪訝そうな彼に「行ってまいりますわ」と言い置いて、白狼に跨り、遺跡へ送られた。乗り心地は良くないけれど、これも自分がアズティスだったら違ったのだろうか、なんて考えてしまう。

 心が痛い。

 その感傷に付き合う時間など無く、潤む視界の先に怪我人が見えてくる。

 白狼は速度を緩めない。長い被毛を、マリアベルは左手でしっかり掴んだ。

 涙を拭った右腕を前に突き出して、多くの怪我人が倒れる地面に魔法陣を展開した。


 ――範囲治療(エリアヒール)




「カイルは色んな人に好かれて羨ましいですねぇ」

「何の話だ」

「いやいや、ちょっと寂しくなっちゃって。親友がでっかくなっちゃってまあ」

「親友」

「ええ。同じような環境で同じように過ごした、まさしく親友ってやつですよ」


 カイルはその発言をどう捉えたのか、ルームメイトのリトを一瞥した。

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