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大崩落-Ⅲ

 人間が五人入っても余裕のある球体は、水中を漂うばかり。そこで最も気がかりなのが酸素だ。せっかく溺死を免れたのだから、窒息もご遠慮願いたい。誰もが内心でどうするのかなと考えていたところ、マリアベルがなんということもないように、


「そろそろ酸素が欲しいですわね」


 と呟いた。そして右手を水平に出し、くい、と手首を返して上を示すと、その球体は五人を腹に入れたまま、上昇していくのだった。


「け、結界って移動できるものなんですか?」

「それ自体が移動機能を持つわけではありませんが……、底をよく見てください」


 二級生の四人が雁首揃えて底面を見る。

 濁水に浮いている塵芥が、ぐるぐると渦を巻いているようだ。

 まじまじと見ていたセリーヌが、


「水流操作、ですか~?」

「ええ。五級生で習う程度のものですけれど……、原始的だとお思いでしょうか? 一級生といえば華々しい魔術を使うものと思われがちですもの」


 その通りだった。

 難しい魔術を習得すれば、そればかりを使いたがるのが常だ。二級生諸君も身に覚えがあった。


「状況にもよりますが、より確実に、より魔力消費が少ない方法で使える魔術が一番良いのです」

「シンプルな魔術をまず完璧に習得するべき、みたいな~?」

「わたくしのやり方に合っているというだけですわ。皆様は皆様に合う魔術方式を研究なさって」


 球体の三分の一程度が水上に露出した。

 術者の意思によって、酸素は結界を通り抜けてくる。入り込んでくるひんやりとした空気に胸をなで下ろしながら、五人はしばらく無言で深呼吸する。

 いくらか余裕ができて、真っ暗な外の様子を確かめようとする。二位のライトを外に出して移動させ、壁を照らしていった。結界内に灯りはなくなったけれど、代わりに自分たちが落とされた空間の様子がわかった。

 天井は高く、まず見えない。高さを知ろうとライトを上昇させていったけれど、途中で消えてしまった。二位の魔力が及ぶ範囲を優に越しているのだ。体感であれだけ長時間落ちてきたのだから、それはわかっていた。

 どこからか流れ込んできていた水も勢いを止め、水位は上がらない。

 気になったのが、壁にびっしりとへばりつく雪のような物体だ。真っ白で、見た目はもこもこと柔らかそうだ。ライトが当たると、表面が微細に煌めく。


「雪か、雲のようですわね」

「塩では?」


 マリアベルの呟きに、リトが答えた。皆で彼を見る。


「もしかしたらこの遺跡、昔はノートリア・カシャッサ塩湖の一部だったのかもしれませんねえ。その動線のどこかがむかーし昔に塞き止められてしまって、その名残として湖水の塩分が結晶化して……とすると、この水の出どころもなんとなく察せません?」

「あー、言われてみれば乾季の塩湖に似てる」

「最近は地震が多かったからな。それで塩湖と遺跡を分断していた何かが崩れて、ということか」


 水流操作ができるなら、このまま皆で協力して、水を用いて結界を持ち上げるのはどうか。という意見があった。けれどここから地上までは、推定八千メルトルだ。平地から、世界有数の高さの山脈を飛び越えるのと、理屈は同じになる。地上まで届くほどの水量があるかのかという疑問もある。

 話し合いの末、この地点から地上までを水流操作で登り上がるのは不可能と結論が出た。


 そして一時間が経った。

 ライトを結界内に戻して、灯りはある。

 だが救助が来る様子はない。

 地上で何かあったのではないかと、誰の胸にも不安が過る。


「大丈夫だ、助けが来ないはずがない」


 モーリスが言った。自分のことのように胸を張りつつ、


「国の聖女様がこんなところにいらっしゃるとなれば、学園の信用問題にもなるだろう。今頃は上で確実な救助方法を練っていることだろうし、教会が使者を遣わしてきてもおかしくない。全勢力をもって、」

「バカ言ってんじゃないわよお坊ちゃま」


 二位が吐き捨てる。


「この際だから言っておくけど、現代において、教会が認定した聖女はいないわ」

「何を失礼なことを!」

「先に教会を蔑ろにしたのはそっちじゃないの。そもそもマリアベル先輩は、」


 二位は一度口ごもって、


「……可能性の高い候補の一人というだけで、精霊様に捧げられる人間が確定してもいないのよ」


 ――『十二年後、この国で一番の魔力を持つ人間を、生贄として捧げなさい』


 ということは。

 マリアベルより大きな魔力を持つ人間が、今日にでも生まれる可能性がある。そうしたら生贄候補はあっさり替わる。


 何より二位は、すでに最優先候補がマリアベルではないことを知っている。

 けれどそれはまだ秘匿するべき事実だった。


「極端なことを言えば、魔力を持つ国民が一人でもいれば、精霊様が仰った条件は満たされるわ」


 モーリスだって、その常識を知らないわけではあるまいに。

 候補がマリアベルでなくなる可能性から誰もが目を背けているだけで、彼女でなければならない理由はどこにもない。


「貴様、どんな立場でそんなことが言えるんだ」

「マルティーク大聖堂に一室持ってるエリート神官見習い様の立場よ」


 神官見習いにエリートも何もあったものかという意見は黙殺し、二位はモーリスに追い打ちをかける。


「この状況だって、ただの学生五人が演習中に事故に遭っただけと見なすわよ。教会は動かない」


 あんまりな言いようだ。

 長時間暗闇で監禁され、皆が緊張状態だった。

 直情的な二位はさすがに八つ当たりし過ぎたかと口を閉じようとしたけれど、


「この十年! マリアベル様以上に聖女に相応しい人間は現れなかった! 聖女はマリアベル様、ただお一人だッ!!」


 モーリスが叫んだ。

 その瞬間、二位は思わずマリアベルを見てしまった。聖女のように清らかな微笑だった。どこかで見たことがある顔だった。

 白い空間で見たあの絵がフラッシュバックする。


 ――『生贄様だよ』

 ――『お前はどうやらマリアベルより、アズティスを推しているようだね』


 絵の中で時計を見つめるマリアベル。いつの間にか、その人物画がアズティスに変わっていた。二位の育ての親たる神官が言うには、生贄様の絵だ。彼女たちの笑顔はどちらも同じように安らかだった。


 思い出して、胸を掻きむしりたくなる。

 マリアベルを妄信する目の前の男を、思いっきり張り倒してやりたくなった。


「聖女がただ一人だって、絶対だって。あんたがそう思うのは勝手だけど、さっきからマリアベル先輩に必ず死ぬんだって言ってる自覚あるの?」


 モーリスは、生まれて初めて頬を叩かれたような顔で、


「……そんな、ことは」


 マリアベルが聖女でいるのは、生贄であるという運命を笑顔で受け入れたためだ。教会の外で勝手な人間たちが聖女だなんだと言い出したせいで、マリアベルは聖女らしく華々しく切ない人生と、裏を返せば死を望まれている。

 この場にいるのがアズティスでなくて良かったと思った。

 もしもそうであったなら、二位はモーリスを歯が折れるほど殴り倒していた。


「二人とも、落ち着きなさい」


 マリアベルがようやく発言する。嫌に落ち着いた声色だった。一級生としての矜持か、聖女としての気品を保つためか、二位にはわからない。


「たしかに教会は動きませんわ。生贄が確定する『供犠大審判(コムラービス)』が今日にでも開かれていたなら、希望もあったのでしょうけれどね」


 大聖堂で開催される、生贄を決める式典だ。何百年ぶりかの大仕事になるため、教会はおおわらわになっているらしい。

 二位は話を合わせて頷いた。


「近いうちにと話は上がっていますけど、今日ではないんですよね」

「ええ。……ただ教会は動かなくても、学園ならぎりぎりまで救助を考えてくれることでしょう。なにせ貴族は『聖女』贔屓ですもの。貴族に嫌われたくない学園は、わたくしを助けようとするはずですわ」


 貴族は聖女など、清らかな偶像を崇拝する性質がある。モーリスはそれを体現している。


「貴方も、矛を収めてくださいますわね?」


 そう窘められれば、さしもの彼も従うしかない。「マリアベル様の御心のままに」と。


 やがてどうにか場を取りなそうと、リトとセリーヌが談笑を始めた。

 地下深く、五人は世にも気まずい球体の中にいる。


       *


 眼鏡の眼鏡は両側とも割れてしまった。おまけに地面に落ちてぐしゃりと踏み潰されてしまったので、あえなく予備の眼鏡を装着する。

 アズティスからの通信があって、どれほどになるだろう。


 眼鏡は腕時計を見る。


 四十分前、アズティスの妖精二匹が戦闘に加わって、少しは楽になった。彼らは基本的に空へ飛んで、人間にはよくわからない魔術らしきもので対応していた。


 三十分前、二級生の半数が魔力切れで倒れた。


 二十分前、奮戦していた戦闘狂の一級生の片腕が大火傷で動けなくなった。――状況は加速度的に悪くなった。


 十分前、ついに死者が出た。二級生が三人、カマキリ型の魔物のカマで一刀両断だった。誰もが一目で助からないと察する傷だった。


 同じく十分前、「死ぬくらいなら逃げろ、成績のことなんて考えるな」とエリオットが叫んだ。

 教官の言葉に従って潔く逃げ出してくれた生徒は、見える限りではほんの数人だった。

 

「……っ、ぁ゛」


 眼鏡の鼻からどろりと血が溢れる。

 倒れた二級生を庇い、無理をして結界を張り続けたゆえの魔力不足の症状だった。眼鏡をしたって、実は目なんてほとんど見えていない。粘膜から血の味がする。両目から垂れているのは涙でなくて真っ赤な血だった。

 そして今、その決死の結界ですら破られようとしていた。魔物は己の住処を追われた怒りを目の前の人間たちで発散しようと、炎やら爪やらで確実に押し迫っている。ぎりぎり、がりがり、

 ――ぴし、

 透明な壁に罅が入る。


 だめだ。


 眼鏡が死を覚悟した時だった。


「『警告、警告』」


 上空から声が聞こえた。

 何百人もの男女の声が寸分のズレもなく、揃いも揃って同じ言葉を地上に降らす。警告。警告。

 誰もがはっとして空を見た。

 未だ雪が降り続く灰色の曇天。

 そこに何百匹もの妖精がいた。一匹残らず人間と同じ背丈に育ち、美しい顔に微笑すら浮かべて。一様に青い粒子を振り撒いて、大きな羽を自由に動かし、地上を見下ろしていた。


 妖精は魔力の塊だ。

 魔物は人間を襲うけれど、妖精の方がずっと美味しい。

 魔物はもはや人間などどうでもいいと捨て置いて、よく育った目先の餌たちにありつこうとする。肝心の餌たちは、


「『一級生、アズティス・レオタールより警告する』」


 合唱しながら、空から降りてくる。

 精霊の使徒のように穏やかな表情で。

 その正体が、学園でちらほら見かける手の平サイズの妖精だなんて、この場の誰も気づかない。


「『大規模妖精魔術を展開する。空を見るな』」


 妖精たちは何重もの円を画くように、それぞれ等間隔に位置を取った。

 魔物の牙も届かない、まだ遠い上空だった。


 一匹一匹から、青い光の線が伸びる。それが隣り合う妖精へと繋がり、瞬く間に巨大な魔法陣が展開されていく。レースのように緻密な光の円がこの地を覆っていた。


 アズ様。

 ほとんど意識のない眼鏡が、譫言を零して気を失った。




「『繰り返す。空を見るな』」


 そんなことを言われても目を放すのが惜しかった学生と教官が、ぽかんと見上げ続ける。完成していた魔法陣の青色を、黒い色が押しつぶしていった。線を辿るように、どろどろ、ゆるゆると。

 とんでもないものを見ている。

 この魔法陣のすべてが黒色に染まったら、果たしてどうなるのだろう。


 見つめていると思考がどこかに遠退いていくような気がして、

 このまま見ていてはいけないと誰もが察して、

 即座に顔ごと目を伏せた。

 瞼を固く閉じる。

 あまりに神秘的な光景で、実感も理解もできなかった。上空にあるのは決して神聖な調べなどではなく、破壊の意思そのものなのに。


この後で何が起こるのか。皆が耳を澄ませていた。


 数瞬の空白があった。

 

 ずどんと重いものが倒れる音が重なって、それっきり。

 しん、としていた。

 皆は恐る恐る目を開けて、辺りを見回した。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……へ……?」


 先にエリオットが、再び上空を見た。

 そこに恐ろしい魔法陣はすでになく、きゃっきゃと楽しそうにじゃれ合う妖精たちがいた。彼らは仕事は果たしたとばかりに塩湖の方へ飛んでいったり、追いかけっこをして遊んでいる。


 ――援軍を許可しておいてなんだけれど。

 ――この情報量に追いつけない。


 例の一級生の偉業は、なんとなくわかる。

 配下の妖精の視界と声を介した、妖精魔術の遠隔操作。

 契約魔術と妖精魔術の掛け合わせだ。名を付けるなら、多重調律魔術。全世界に名を遺す魔術師が、人生で辿り着けるかどうかという魔術の極致だ。


 これを為した人間に教官と呼ばれる立場のエリオットは、もはや嫉妬もできなかった。

 魔術師の世界は、時として化物を生むものだ。このような時世であれば尚更。


「え、エリオット先生」


 女子生徒に話しかけられて、エリオットは「……あ、はい」と応じた。


「これは……、えっと、……こんな魔術があるんですか……?」


 一騎当千どころか、ほぼ無敵。一人で戦況を覆す魔術が。

 存在するのかと言われれば、ある、と答える。


「本で見た気がするよ。妖精魔術には、生き物を傷付けずに殺す『完璧な死』の魔術が……」


 それはいかにも眉唾物であるというような、嘲笑的な書き方だったけれど。

 今しがた発動された魔術が()()なら、その完璧な死とやらは、人間と魔物を区別できるものなのだろうか?

 こんなにも綺麗に、魔物だけを殺すなんて。


 ――上空を見ていたものだけ死んだのか?


 いや、目のない魔物もいる。長い間遺跡にいて、目が退化していたやつが。エリオットが最も手こずっていたそいつの息も、今はない。


 ――だから、別の角度から考えると?


 エリオットは魔術師らしい好奇心が高じて、先に派遣されていた妖精二匹の可能性を探ってみる。

 あの一級生なら。

 二匹を介して、この場の人間すべての魔力を覚え、それを魔術対象外とすることすらできるのではないか。それを組み込んだからこそ、あのように強大な魔法陣が必要になったのではないか。


 考えすぎかもしれないけれど。

 もしそれができたのなら、どれほどの自信と、緻密な魔力コントロールと、膨大な魔力と、途方もない処理能力を必要とするのだろう。


「これが」


 エリオットが苦笑混じりに、


「怪物かぁ……」


 今頃その怪物は、余裕の微笑を浮かべているのだろう。

 どこか遠いところで。

 魔力の風に銀髪を揺らして、冷たい青の瞳を伏せて。

 妖精の女王のような、すべてを睥睨する悪女のような、その姿で。




 遺跡までの直線距離は、アズティスのいる地方より学園からの方が近い。豊富な魔力を普段より多く取り入れ、飼主によって箍が外された妖精の速度だから、一時間もかからずに現地へ到着できた。

 膂力もないし、戦闘には向いていない。けれど、身軽さと魔力なら他のどんな種族にも負けない。これが妖精の真髄だ。


 難しいし扱いにくいしそもそも理解できないと散々な言われようの妖精魔術。

 世界で最も優美と評判の妖精魔術。

 アズティスにとってそれを扱うことは、ケーキ作りにも等しい。己が発見したレシピの通りに魔力を使って、混ぜ合わせて、形にするのみだ。


「……ん」


 アズティスは妖精との同期を一時解除した。

 瞳を開けて深呼吸する。相変わらず、凍えそうに冷たい空気だ。


「これで、ひとまずだいじょぶそーかな」


 カイルがそろそろ遺跡に着くと、妖精の一匹からテレパシーの一報が入っている。

 それなら二位の救出も問題ないだろうと、アズティスはこれ以上の介入を止めておく。

 できることは、もう何もない。


 白く凍る呼気を靡かせながら、元侯爵の家へ戻って行った。

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