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任務と前兆

 王都まで二日と半日。快適とは言えない道中だったけれど、ここからは任務地まで乗り換えなしだと思うと気が軽くなる。

 アズティスが降りた『マルシュ中央駅』は、王都マルシュのマルティーク大聖堂や王城に次いで有名な建物だ。赤煉瓦造りの駅舎は外から見ても美しいけれど、今日は駅舎内を移動するだけなので、わざわざ外観を見物しようとは思わない。

 プラットホームの出入り口に立っている駅員に切符を手渡しして、次の切符をもらいに行く。構内の真ん中あたりに十個並んだ窓口のうち、本日は一番右側に向かった。他の窓口はいずれも複数人が並んでいるけれど、ここだけはいつ見てもがらんとしている。


「『国立魔術研究会附属セーレ学園』一級生です。下りを一室お願いします」

「かしこまりましたー。ええっと、そちらはペット扱いでよろしいですかね?」


 アズティスは持っていた鳥かごを窓口の高さに上げて見せた。妖精が三匹、きょとんとしている。


「はい、私の妖精です」

「妖精、三匹ですね。……はい、こちら切符です。下車まで失くされないようご注意ください」


 差し出された切符に『二十一号室』と表示され、左下の余白に『F-3』と手書きされていることを確認する。アズティスはそれを受け取り、


「今日は私の他には?」


 若い駅員は「ええと」と手元の乗客リストを確認して、


「他には居ませんね」

「良かった。ありがとう」

「いえいえ、本日もお疲れ様です」


 にこ、と外行きの笑顔で会話を終わらせた。

 学園の制服を腕章まできっちり着込んでいると、窓口のやりとりもスムーズだ。

 アズティスは駅構内の高い天井の下、軽い手荷物と鳥かごを持って歩く。鳥かごの妖精を珍しそうに見てくる人間を、妖精たちは珍しそうに眺め返している。


 普通列車へ急いで向かう一般庶民を横目に奥のホームへ向かえば、身なりの良い家族連れや、下級貴族らしき服装の男女が目立つようになってくる。

 彼らが得意そうに入り込む、鮮やかな臙脂色の列車。金で描かれた魔術研究所の紋章が特徴だ。王都から北と南へ、一日に各一本しか走らない、天下の寝台列車。

 やはり学園贔屓で、任務に赴く学生のために、常に上等な一室を空けている。日によっては複数の生徒が押し込められるけれど、駅員によれば今日はアズティス一人らしい。

 運が良い。

 アズティスは機嫌良く、席に腰を下ろした。そして特に親しくもない同級生たちを想う。他人事でいられることが心の底から嬉しい。


「今頃適当にがんばってるんだろーね?」


 アズティスが言う意味はわからないけれど飼い主が嬉しそうだから同意を示そうと、鳥かごの妖精三匹がうんうん頷いた。


 毎年恒例の任務演習がある。

 二級生が複数人でチームとなって行う遺跡探索だ。

 遺跡には魔物も出現するし、思うような撤退もできない。一級生もお目付け役として付き添うことになっていて、二級生の負傷具合によっては一級生の成績に響く。そして毎年必ずと言っていいほど負傷者が出る。

 今年はアズティスも遺跡への同行を覚悟していたが、別の任務が入った。なんとご指名だ。おかげで遺跡任務は免れて、アズティスはご機嫌だ。


 遺跡探索組もすでに出発しているし、あちらは北で、こちらは南西。どんな緊急時だってアズティスが呼び出される心配はない。


 先の折れた三角帽左のつばに、なだらかな平原地帯がある。背の高い木が等間隔に並ぶ道の先にどんと佇む邸宅を発見して、アズティスは地図をポケットにしまった。

 とある侯爵家の別荘だ。

 隠居した前侯爵が暮らしているのだという。


 玄関ポーチに上がり、ドアノッカーを打ち鳴らす。出てきたメイドに身分と任務を説明すると、屋内へ招かれた。

 リビングルームのソファには、前侯爵が置き物のように鎮座していた。


「来たのかね」

「はい。お待たせいたしました、学園の一級生アズティス・レオタールと申します」


 わざわざご指名ありがとうございます、と心の内で付け加える。

 前侯爵は月のような金色の瞳でアズティスを見遣ると、


「銀髪に青い瞳」


 ほう、と笑った。ように見えた。


「良い色だ。妖精には銀が多いからね」


 この任務の内容は『妖精について話したい』だ。のっけからの妖精トークどんとこいのアズティスは会話を続けようとするけれど、「あら、いけませんわ」新たな声がした。七十代ほどの老女だった。


「お客様を立たせておくなんて。ごめんなさいねお嬢さん、さあお座りになって」


 促されるままに、向かいのソファに座らせてもらった。程よく固めで、けれど心地が良い。一見して地味な内装だけれど、家具の素材は一級品だ。

 老女――おそらく前侯爵夫人も、向かいの前侯爵の隣に座る。鳥かごに目をやり、


「その子たちは飼われていらっしゃるのかしら」

「はい。私が学園で飼っている子たちです。なぜかみんなして着いて行きたいと騒ぐもので、妥協して三匹を連れてきてしまいました」


 三匹はカゴの中で、きょとんと夫人を見上げている。

 懇親パーティー後から、妖精がなにかと落ち着かない。学園を出る際は髪やら服やらにしがみつかれたので、多くの妖精の中から三匹を選んできた。

 夫人は「仲良しさんね」と微笑ましそうだ。


「ねぇ? さっきお話していたけれど、銀髪に青の瞳よ。妖精に多い色だけれど、もしかしてあなたも先祖のどこかに妖精がいらっしゃるの?」


 その質問には前侯爵が答える。


「アズティスさんはレオタール家の血の者だよ」

「あら、それならうちの血もあるのね」

「レオタール家と何かあるのですか? 私の育ちはカースエリス家で、戸籍もそちらにあるそうで、恥ずかしながらものをよく知らないのです。特に貴族の事情はからっきしで」


 ここまで来てこの話をするとは思わなかった。アズティスが苦笑すると、夫妻は顔を見合わせた。ちょっとどうにかしなさいよという顔で、夫人が夫を促す。


「色々と苦労したのだね。カースエリス家とレオタール家は、一昔前によく聞いた家名だ。私は若い時から個人的な研究に没頭していて、人の噂話などに興味がなかったから、詳しくは知らんがね」


 お前の方がよく知っているのだろうなという顔で夫人を見遣る前侯爵に、夫人は微笑んで何も言わなかった。


「何代か前に、当家からレオタール家に嫁を出したのだよ。それにこれは確かな話しではないが、当家には『大昔の当主が妖精を妻にした』という逸話のようなものがあってね。妖精に好かれる人間が生まれやすい。もしかしたら君にも、当家の才能が受け継がれているのかもしれない」


 つん、とアズティスの髪が引かれた。そちらを見ると、一匹の妖精が彼女の銀髪にじゃれついている。


「アズティスさんは遠い親戚ね。それで銀髪碧眼なら、うちの妖精のお嫁さんの話も本当なのかも」


 と夫人が言っている間にも、どこからかわらわらと妖精が湧いて出てきた。


「すごい数ですね。これだけの妖精を飼える人に初めてお会いしました」


 持ちうる限りの猫を被る。内面はともかく外見は貴族だから、頑張れば品良く対応できた。

 

   ぎんいろ   おきゃくさん

   おきゃくさん     まじゅつのひと

  あっちの なかま いる

     どっちのなかま?

   あっち  

  どっち

    あっち  おやまのむこう

 

 そう囁いて、肩や頭に勝手に座ってくる妖精たち。「どっち」と小首を傾げる妖精に、「あっち」と小さな指で示す妖精がいる。その方向をずうううううううっと辿れば、たしかに学園がある。彼らの無邪気さは全国どこでも変わらないようだ。


「楽しそうね。なんと言っているのかわかるの?」

「私のことを『おきゃくさん』と。私の三匹から学園の匂いも感じたようで、それを気にしているようですね」

「そうなの。妖精の声ってどうも耳を抜けていくから、覚えようにもねえ」

「それは……妖精の声はただ話すには不向きですから。本来、妖精間でのやりとりは念話で充分なんです」


 妖精と妖精は、声がなくとも念話で疎通が可能だ。俗に言うテレパシーで、世界中の同胞と会話で繋がれるのだという。

 そんな妖精にも声が存在するのは、人間と話したかったから、声を出すのが楽しいから、と様々な通説がある。アズティスが最も推す意見は、


「妖精の喉が発達したのは、歌うためだという説があります」

「それはとても可愛いことね」

「ええ。素直で純粋で、本当に可愛いです」


 その後は純度百パーセント妖精関連の話題だった。妖精が好きな植物がなかなか手に入らない、人間の食べるもので妖精に害のあるものはあるのか、妖精と何をして遊ぶ、妖精が歌ってくれない、妖精と会話するコツ、妖精が構ってくれない、等々。とても楽しかった。妖精なんて気まぐれなので、歌ってくれなくても構ってくれなくてもそのうちあちらの方から誘ってくる、というのがアズティスの結論だ。

 一段落して、前侯爵はメイドに「あれを」と指示をした。壁際に立っていたメイドが退室して、また戻ってくる。


「それを見てほしい」


 前侯爵の声と共にメイドから差し出されたのは、短い文章を記した紙片だった。線も丁寧に書かれてはいるけれど、どこか歪で強張っている印象だ。意味も知らない言語を文字の形だけ見様見真似で写したような。

 アズティスには一目でわかる、


「妖精文字ですね」


 妖精言語の響きを文字にしたものだ。


「これを書いたのは私なのだが、()()()()()()()()()()()()

「……というと?」


 アズティスは手元の文字をまじまじと眺めている。


「この字は、当家で保存している人物画に書かれていた文字を書き写したものだ。その絵はいつ誰が描いたのか、誰の絵なのか、何の必要があるのかもわからない。私はその絵を父から託されたが、その父も何もわかっていない様子だった。ただ失くさないようにとだけ言い伝えられている」


 つまりはすべてが謎なのだ。

 一呼吸おいて、


「だから学園に妖精魔術の使い手がいると聞いて、即座に君を指名した。妖精言語を使える、ならば文字も読めるかとね」

「これが妖精文字だと判別できたのですか? 貴族とはいえ、妖精文字を知る機会はなかなかないでしょう」

「最初にこの文字を見た時に、ペンを取る暇もなく倒れてしまってね。先にも話した当家の妖精の伝承の件もあって、これは通常の文字ではないと確信した。君を呼ぼうと決めて書き写してみたんだが、たったこれだけを書くのに七日はかかってしまったよ」

「納得しました」


 妖精文字は特殊だ。慣れない現代人は意味を理解できなくても、見るだけで多幸感を得るか、吐き気などを催すか、妖精との相性が悪ければ一ヵ月も昏倒してしまう。

 これを読める人間は、世界を探してもそう何人も見つからないだろう――そのうちの一人が、ここにいるわけだけれど。


「たしかに、妖精魔術には妖精文字を用いることがあります。けれど私もペンで書くことはあまりありません。妖精文字を織り込む魔法陣なんて、扱いが慎重になりますし。その人物画とやらは、まだ妖精文字が使われていた時代、少なくとも三百年以上は前に描かれたものかもしれません。詳しく見ないことには、はっきりとは言えませんが」


 三百年前に妖精魔術が失われ、同時に妖精文字も廃れた。その時に何が起こったのか、現代でも解明されていない。


「なんと書いてあるのか読めるかい?」


 アズティスにはもちろん読めた。けれど意味のないものだと思った。

「『――――』」妖精言語を呟いても、当然彼らには届かない。文字を指先でなぞる。人間の言葉にすれば、


「『彼を忘れないで』、と」


 本当にそれだけだった。

 おそらく、その人物画のモデルを指しているのだろう。

 それがどこの誰で、これを描いたあなたは誰なのか、そういった情報が一切含まれていない。そしてその絵を持っていた家系が「知らない」なら、もう「忘れて」しまっているのだ。

 示された意味を深く理解して、夫妻は残念そうに苦笑した。

 途端、


    あぶない


 声が届いた。アズティスの妖精がかごの中で騒ぎ出す。


   あぶない  あぶない

  きけん


 続いて呑気にそこらを飛んでいた妖精が、羽をばたつかせて訴えている。


 あっち

    あっち


  あっち


 そして一斉に指した。

 北だ。

 窓を見る。ついさっきまで晴れていた空が、今はどろどろとした黒い雲に覆われていた。

 




 森の中に魔物が倒れていた。皮膚を鱗で覆われていて、爬虫類のようだ。毛皮についた無数の深い歯形と裂傷から、絶えず血液が流されている。

 死体の傍にカイルが立っていた。

 魔物を仕留めた契約獣は魔法陣の中に戻しているし、任務はすでに達成している。――のだけれど。

 彼は上空を見上げている。

 朝から心がざわついていた。何かを忘れているのに、それがわからないのと似た気持ち悪さがあった。それに気付いた時には取り返しがつかないことになっている。そんな座りの悪い感覚。


「カイルさーん!」


 呼ばれて振り返ると、同級生の女子生徒が飛び跳ねるように走ってきていた。同じ一級生のはずなのに、カイルはさん付けで呼ばれることが多い。ちなみにマリアベルは「マリアさん」「マリアベル」と平均して呼びやすいように呼ばれ、アズティスは「アズ様」から「レオタール」まで振り幅が広い。

 いまカイルを呼んだ女子生徒は他魔術師の魔術威力の底上げが得意で、アズティスを「アズちゃん」と呼ぶ部類の生徒だ。

 彼女はカイルの傍に倒れている魔物をまじまじと見て、


「わお、ドラゴン! 正規の魔術師でも大変なやつでは? これもうカイルさん全部ひとりでいいんじゃないですかっ?」


 飛行型山林種竜。その体色からグリーンドラゴンと呼ばれている。木の多い森や山に住み着いて、鋭い爪を持ち、毒を吐く。


「これお持ち帰りできれば報酬三割増しくらい、――」


 おしゃべりが止まった。

 カイルも止まった。

 視界に白い粒がちらついて、再び空を見る。

 降り注ぐ氷の結晶、

 

「あれ、雪ぃ?」


 夏季休暇が明けて十日ばかりの今日。カレンダー上では冬始めに入るとはいえ、青々とした木々は紅葉の気配すら窺えない。雪の気温ではないはずなのに。

 いつの間にか呼気は白く、気温が急激に落ち込んでいた。


「カイルさん」

「ああ。もう一人も回収して戻ろう」

 

 魔術師の直感からか、人間の本能からか、二人は異常を悟った。

 風邪の心配よりももっと茫漠な不安感。


 ――地鳴りがした。


 地震が来るかと身構えたけれど、それ以降の異変は感じられなかった。

 けれどすぐに知ることになる、地鳴りの正体。


 それは後に、ノートリア・カシャッサ塩湖大崩落事故と名が付いた。

※注意:この話は『魔王様と〜』の過去です。

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