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パーティーとカーテシー

 そんなこんなで休暇明け。

 学園が誇る大広間にて、毎年恒例の新入生懇親パーティーが開催された。

 確固とした主役はいない。けれどやはり、多くが集まる場において『主役格』は存在してしまう。服装、纏うオーラ、振る舞い、様々な要因から人目を惹く人物。その多くが、一級生や貴族だった。

 煌びやかな会場に、彼女は壮麗な青を纏って現れた。


 こつ、


 その足音。

 たった一音。

 それは一瞬にして、小声のさざ波を消した。

 こつこつとささやかに踏み鳴らされる、細いヒールの音。

 アズティスだった。


 ドレスはオフショルダーで、マーメイドラインに似た形ながら、それより高い位置からスカートが広がるトランペットライン。夜空のように濃い青から、裾に向かって清潔な白へのグラデーションが美しい。エンプロイダリーには銀糸を用いて、光の角度によって控えめに煌めいていた。

 オプションの一つは、植物の枝葉を模した銀細工に青の宝石をあしらったサークレットだ。宝石はコーンフラワーブルーサファイアというらしいけれど、アズティスには価値がよくわからない。オプションその二は、両腕の周りに纏った純白のショール。重ねたシルクオーガンジーをたっぷり用いて作らせたそれにも繊細な模様が入っていて、上品な肌見せが可能になる。

 どちらもアズティスは「どうせ一度のことなんだから、宝石を模した硝子で良いし、生地だって安物でいい」と主張したのに、カイルに「俺の立場でその買い物はない」とばっさり切り捨てられた末に贈られた逸品だった。


 今のアズティスは、まさしく貴族令嬢だ。


 彼女は会場中を見渡して人が薄い場所を見つけると、好奇の視線をいくつも引き連れながら壁際に向かった。学園主催のパーティーにパートナー制度もなく、彼女は一人だ。ある男子学生が彼女に声をかけようと動いたところで、


『えー、それでは、もうお集りと思いますけども――』


 学園長の長いお話が始まった。

 



 オニオンソースのローストビーフに、サーモンのサラダと、五種のプティフール。その他各種の料理。立食形式パーティーだ。学生たちは友人と連れ立って、あっちやそっちと思い思いの料理を皿に確保している。

 ダンスは踊りたい者が踊ればいいし、マナーは気にしない。

 貴族も庶民もなく、心地良い雰囲気があった。

 カイルの隣のアズティス以外は。

 腕を組んで壁に寄りかかっていたカイルの右隣で、彼女が無心で壁になろうとしていた。

 ホールの中央で、マリアベルが二級生の男子生徒と踊っている。いま最も輝いている宿敵とは正反対のアズティスに、彼はさすがに声をかけた。


「アズティス」

「私は壁」


 おそろしく真顔だ。せめて壁の花と言ってほしい。


「馬鹿なことを言っていないで、料理の一つでも持ってきたらどうだ」

「やだ」

「お前の好きなマカロニグラタンと、チョコカスタードプリンタルトもあった」

「知ってる。案内状にメニューあったし」


 カイルは呆れていた。社交的な場ではとことん臆病な彼女は、ここから動かない気だ。

 今も二人には異性からの視線がちらちら向けられている。二人が近い距離にいるから他の生徒が寄ってこないけれど、どちらかが離れれば、蟻に群がられる砂糖になるだろう。

 壁になる努力を続けるアズティスの腹が、きゅうと鳴った。


「き、聞いた?」


 真っ赤な顔で尋ねられた。もちろんカイルに聞こえていた。

 料理の香ばしさが立ち込めるホール内で、動けないというのも辛そうだ。

 カイルは自分の胸ポケットの白い造花をアズティスに手渡した。


「ここに居ろ」


 そう言い置いた彼は、群れに突っ込んでいく。存在感のある一級生の上位者に、生徒がざっと道を開けていく様が壮観だ。

 アズティスは手渡された花を見た。白いアマリリスだ。

 パーティーの受付で渡される造花は男子が白、女子が赤だ。生徒間では、ダンスの相手に予約の意味で造花を渡すという伝統がある。カイルはこれを渡すことで、声をかけられる可能性を少しでも減らしたのだった。

 そう経たないうちにカイルが戻ってきた。皿にはマカロニグラタンのココットと、チョコカスタードタルト、端にはサラダが添えられている。

 アズティスは目を輝かせて皿を受け取った。

 食事に没頭する彼女の隣に、カイルがじっと立っていた。


「アズティス、カイル様、ごきげんよう」


 聞こえた声に、当事者以外の誰かが息を飲んだ。

 マリアベル・カースエリス――アズティスとはハブとマングースの関係である女子生徒が、そこにいた。そして鉄壁の笑顔を崩さず、目当てのカイルにすり寄った。


「ダンスにお誘いしてもよろしくて?」

「俺は構わないが」


 明らかにアズティスを気にしているカイルに、彼女はこくりと頷く。さすがのアズティスも、パーティーの雰囲気を壊したくはない。そもそもカイルを止める権利がない。


「いーよ。私は料理食べたから、もう出る」


 去ろうとするアズティスを、マリアベルが「待って」と止めて、


「あなたとも、踊りたいと」

「……男性パートは踊れない」

「でしたら、僭越ながらわたくしが男性役になりますわ」


 女性同士のダンスなんて、正式なパーティーでは眉を顰められる。けれど今は残念ながら、大抵のことなら許される学園のパーティーだった。

 アズティスは一瞬考えた。


「……わかった」

「よかった。お待ちくださいね」


 にこ、とお手本のように微笑んだマリアベルが、カイルを連れて中央に行く。二人は社交界でも何度か踊っているのだろう。「お二人のダンスは何度見てもお似合いですわ」とかいう声が、そこかしこから漏れ聞こえた。

 一人になったアズティスに、あからさまな嘲笑を向ける生徒もいた。


 カイルと入れ違いに、アズティスが初めてホールに出る。

 まさかそんなと皆が目を剥く中で、異母姉妹が向かい合う。

 プリンセスラインの愛らしいドレスを着たマリアベルと、洗練されたドレスのアズティス。シャンデリアから注ぐ灯りの下、二大派閥の御旗が静かに手を取り合う。


 踊り出すと、パーティーらしい喧騒が鎮まった。嫌に静かで、音楽しか聞こえない。誰もが二人に注目していた。それでも二人は、相手以外を意識の外にやっていた。

 代表的なダンスの一つ、ワルツ。ピアノの音の粒が軽やかに弾む。

 華やかでありながら、どこか荒さのある四分の三拍子。


「踊れたのですね」

「休暇中に練習しただけの付け焼刃だけど」

「とてもそうは思えませんわ。さすが天才と言ってもよろしいのかしら」

「というか、私が踊れないと思っていたなら誘わないでほしかったんだけど」

「踊れなかったらそうと言うでしょう。貴女は負けず嫌いだけれど、変に素直なところがあるから」


 アズティスはどこか冷めた目をしている。マリアベルはわざと媚びるように、「どなたと、どこで練習なさったの?」相手の顔を覗き込んだ。


「さあ、君には関係ない」

「カイル様のご実家かしら?」

「…………。」

「休暇中に『ヴェルス』で見かけたと噂を聞きましたわ。事実のようですわね」


 事実だった。ダンスを教えてほしいと思いつきでカイルに願った結果、彼はアズティスをノアイユ家本邸に招いて、ダンス講師と共にアズティスを扱き上げた。精々一泊と目されていた旅は四泊になった。こんな時にも『怪物』のポテンシャルが発揮されてしまったから笑えない。


「細身のドレスほどステップのミスを誤魔化しにくいもの。よほど厳しく教えてくださったのでしょうね、カイル様は。そしてそのドレスを贈ってくださったのも……」

「どこで聞いた」

「わかりますわよ。あなたたちのことを一番よく知っているのはわたくしですもの」


 ひらりとターンする。両者の裾が軽やかに靡く。レースが光を透かして、誰の目にも幻想的に映った。天使と女神のうんちゃら、太陽と月がどうたら、と詩的な表現をするのは専ら貴族の子息だった。


「そういう話がしたくて、私を誘ったのか? 文句なら直接あいつに言ってほしいな」


 マリアベルの手に力が籠る。

 このダンスの最中だけは、誰にも邪魔をさせない気でいるのだ。

 とん、と再びのターン。後方で俺が育てましたという顔で見守っている彼よりも、今はお互いだけを瞳に映す。


「わたくしなりに色々と考えておりますのよ。アズ、……いえ、お義姉さまからしたら、馬鹿げたお話なのかもしれませんけれど」


 マリアベルにお義姉さまと呼ばれたアズティスは、何故か今だけは咎める気になれなかった。かつて同じ屋敷で過ごしていても、決して同じ部屋にはいなかった。相手の存在だけを認識していた、薄っぺらい姉妹関係。自分たちを姉とも妹とも思っていないのに、向かい合えば不思議と腑に落ちてしまう。

 相手の半分と自分の半分は、同じだと。


「お義姉さまは、どうしてあの日、動けたのですか?」


 あの日。マリアベルの魔力が暴走した時。


「わたくしの魔力の渦の中で、どうしてお義姉さまだけがわたくしを救えたのでしょう。それがずっと気になっていたのに、貴女はわたくしを避けてばかりだし、わたくしも怖くて聞けなくて。もしかしたらお義姉さまの魔力は、わたくしに匹敵する――」

「待って。それは言えない」

「……言えないということは、理解はしているんですのね」

「当然。だけど君がその謎を知るのは、たぶん卒業してからになるんじゃないかな。いずれわかることだよ」

「ではその時を待つことにいたしましょう。ご存じのとおりわたくしの命は長くありませんので、答えをくださるならお早めになさってね」


 にこ、と微笑むマリアベル。

 アズティスは否も応も返さなかった。

 曲はそろそろ終盤に入る。


「君は生贄として死ぬことを、どう思ってる?」

「わたくしは」


 間を置いて、


「誇りに思います」


 迷いなく答える。強い瞳だ。その光に、アズティスの瞳が眩むほど。――眩しすぎて、眉を顰めたくもなる。


「ほんと、聖女になるために生まれてきたみたいな女だね。君みたいなやつが相応しいよ」


 ――相応しいのに。

 低く呟かれた声は、間近にいる義妹にも届かない。


「アズ……?」

「じゃあね、()()()


 初めての愛称呼びに、マリアベルは息を飲んだ。お返しとばかりに優しく笑うアズティスを、ただ見つめる。


「もう君と踊ることはない。価値観が違うよ。私達はやっぱり、あんまり近づかない方がいい」


 曲が終わった。

 何か言いたそうにするマリアベルの背をそっと押して促すと、彼女は渋々とアズティスの傍から去って行った。


 次に近づいてくるのは、存在感のある黒い男。カイルだ。

 彼の手を取る。曲が始まる。ワルツだけれど、今度は違う曲だ。ヴァイオリンの音が強い。川のせせらぎを思わせる静かな出だしから、壮大なオーケストラへ転じていく。タイトルに青という文字が入っている、有名な一曲。

 アズティスは曲名なんてどうでも良くて、ましてや目の前の彼のこともどうでもよくて、意識はマリアベルとの会話の尾を追っていた。自分が生贄になる運命だったら、誇りだなんて思えない。愛娘のために自分の娘を無理やり犠牲にする父親なんて苦しんで死ねばいい。こっちの気も知らないで聖女だなんだと生贄を持ち上げる人間たちも呪ってやる。死んでからも憎み続けてやる。だからやっぱり自分なんて聖なる生贄なんて器じゃないのに、どうして――。


 むっとした顔で考えながら、足さばきだけは完璧だった。気もそぞろで、音楽なんてほとんど聞いちゃいない。

 と、彼と繋いでいた右手が動かされた。覚えていたはずの振りと違う。

 異変を察したアズティスの目の前で、手の甲に唇を落とされた。

 さら、と動いた黒髪の隙間から、艶のある視線に射抜かれる。


「は?」


 呆けるアズティス。ざわめく観衆。

 彼女と周囲に特大の衝撃を与えた本人は、しれっとお手本のようなダンスを続ける。


「相手に集中しろ」

「…………ぁえ……?」


 仔猫みたいに愛らしい声しか出なかった。彼女の顔は真っ赤で、涙目で、足の動きなんて傍目から見てもがたがたになった。「~~ばかっ!」「そうだな」「人前で!」「人前でなければいいのか」「そういうことじゃなくて! き、君は貴族だから、普通のことかもしれないけどっ!」「やっても本当に口は付けない」「じゃあますますダメじゃんどういうつもりだセクハラだ」「嫌か?」「嫌じゃないけど」「だろうな」

 顔なんて合わせられないのに、アズティスは「俯くな。またされたいのか」と脅されれば従うしかなかった。喉の奥でくつくつ笑うカイルを必死の形相で睨み付ける。


「覚えたての威嚇をする仔猫のようだな」

「……かわいいやつじゃないか」


 しゃー! と威嚇する自分を想像したアズティスは、喜んでいいのかわからない。自分をそこまで微笑ましい存在とも思わないし、きっと彼も褒めているつもりはないだろう。「生後三週間くらいか」と要らない補足をつけられて、そのマイペースさに呆れもする。自分も自分の速度で生きているつもりだけれど、彼も独特の速度と感性で生きているのだ。魔術師って変な人が多いなと自分を棚に上げて実感する。

 そんな二人の外で、


「鉄面皮が笑った……? あいつの表情筋は石でできているんじゃなかったのか?」

「すごい、怪物が動揺してる」

「珍しいもんが見れたな。パーティーに出て良かった」


 ざわめく観衆の中でも、アズティス派は「やはり仲がよろしいのね」と好き勝手に解釈している。

 彼女の足さばきは本調子になったけれど、心の中はぐちゃぐちゃだった。

 曲が終わる。

 やっとの思いで手を放して中央から脱しようとしたアズティスは、予想外の好意的な視線で足が止まってしまった。


「アズ様すてきー!」

「やはり気品がお有りだわ」


 多くの人間が褒めてくれる。

 こんなに脚光を浴びる機会はなかったから、アズティスは面映ゆくてたまらなくなった。

 この場には思った以上に、味方らしき人間が多くいた。

 知らないふりができない。衆人環視のホールに隠れる場所がない。だからってありがとうと口にするのも、ましてや手を振るのも、この場ではそぐわない気がする。

 だから。


「……――。」


 彼らへの複雑な感情すべてをひっくるめて、礼をする。

 音もなく片脚を引くことから始まり、柔らかな微笑を交えたそれは、誰の目から見ても完成されたカーテシーだった。

 悪女の母親の陰に隠れて、誰もが忘れている事実――アズティス・レオタールは貴族の血筋だ。自分の魅せ方を知っている。彼女が貴族社会に残っていれば、社交界の華になっていた。その様をありありと想像させる、清艶どちらも併せ持った淑女の姿。


 カイルと手を取り合って会場を去る姿は、誰がどう見たって、高位の貴族そのものだった。



 会場を出ながら、カイルが訊ねる。


「カーテシーはどこで習った」


 ノアイユ家のダンスの練習中に、礼の仕方も覚えておくべきなのでまずは基本からと言った講師を一発で黙らせたのが、先のカーテシーだった。


「母上のカーテシーは世界一だから覚えてた」

「なるほど」


 アズティスの母親は、社交界に顔を出していた頃、自分が最もよく見えるカーテシーを得意としていた。その美しさで右に出る者はいなかったという。

 

       *


 複数の視線が注がれる先、二人は何かを話しながら出口へ向かう。マリアベルは彼らの背中を悄然と見送っていた。

 ダンス中、カイルがアズティスの気を引こうとしていた。

 彼はそんなに意地らしい人だっただろうか。


「……カイル……」


 呼んだのは無意識だった。

 彼はマリアベルに笑ってくれたことはない。

 社交界で何度もダンスの相手をしてもらった。けれど手の甲にキスなんて一度もしてくれなかった。ドレスを選んでもらったことも、贈られたことも、公爵邸に招かれたことすらなかった。

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