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昔話α-Ⅰ

 この世は『精霊』が支配している。

 水の精霊、火の精霊、風の精霊、地の精霊、そして時の精霊。どれか一つでも欠かせば生活も困難になるから、世界中の人間が精霊を崇めた。精霊を怒らせれば洪水も起こるし、火事は多発するし、嵐が一国に三つもやってくるし、大きな地震があるかもしれない。

 五大精霊は世界に一つずつ、託宣するための教会を持っていた。

 時の精霊を奉る教会は、この国にあった。


 時の精霊を崇め奉る国には、こんな話がある。

 そう遠くない昔のことだ。

 カースエリス子爵家現当主は学生時代、婚約者がいる身でありながら、他の女に恋をした。相手は庶民だった。秘めた魔力は王族にも引けを取らず、頑張り屋でおっちょこちょいの、おっとりとした後輩だった。二人は瞬く間に惹かれ合っていく。

 それを良しとしなかったのが、婚約者のレオタール家令嬢である。

 令嬢は学生の頃から気性が荒く、冷徹だった。何人もの手下を使い、婚約者が愛した女生徒を苛め抜いた。その手口は陰湿で、相手が不登校に陥らなかったのが奇跡だったという。

 苛めの決定的な証拠はなかった。証拠があっても、いじめの原因は浮気なのだ。世間体的な事情がついて回った。レオタール家からの融資ももらわなければならなかった。

 誰も味方をしてくれない。手を貸してくれようとした貴族の瞳には好奇が見えて、疑心暗鬼にすらなった。

 愛し合った男女は苦しんだ。

 けれど渦中の庶民は、やがてその事態を受け入れた。そして言った。


 ――婚約者がいる相手を愛する私も、浮気をしている貴方も悪いのです。

 ――だからこれは私たちの過失。黙って受け入れましょう――。


 そう笑った庶民の女は、嵌められた。

 レオタール家令嬢の衣装を破いた。泥水をかけた。持ち物を壊された。などと濡れ衣を着せられた。それはすべて、自分がやられたことだった。

 結果、婚約者たちは卒業後、決められていた通りに結婚した。

 庶民の女はカースエリス家現当主の愛人となることができたけれど、心労が祟って病死した。

 八年後、世界を揺るがす事件が起きた。

 突然、前触れもなく、時の精霊が言ったらしい。


『永遠の夏か、永遠の冬か、選びなさい』


 それは困ると、誰もが考えた。

 永遠の夏などとんでもない。雨が降らねば水もすぐに干からびてしまうし、何より農作物がすべてだめになるだろう。ものが傷んでしまうのだって速い。

 永遠の冬も言語道断だ。今までどれほどの人間や家畜が凍えて死んだ? 低温に備える期間があったから、これまで凌いでいたのに。

 北上や南下などして住み良い場所を探すにも、あと何年かければそんなことが可能だろうか。世界中の季節が同時に止まってしまっては――。

 七日間、世界中で散々に会議が開かれ、嘆かれた。

 時の精霊が再び降臨し、告げた。


『決められないというならば、十二年後、この国で一番の魔力を持つ人間を、生贄として捧げなさい』


 非情な二択だった。

 けれど決断は一時間あれば足りた。

 国中で一番魔力の高い人間を探した。そして一人の子供を見つけた。

 時の精霊を信仰する教会に、それは居た。

 八歳のマリアベルである。

 奇しくもその子供は、カースエリス現当主と、彼が真に愛した女との庶子であった。

 悲劇だ。身分違いの恋に敗れた女の娘が、まさか、国の犠牲になる運命だなんて。

 この噂は民衆の間でまことしやかに伝えられた。マリアベル自身が幼くして大人びていて、真摯で見目麗しい。己に課せられた宿命を受け止めて、ふわりと微笑を浮かべさえしたものだから。

 悲しい美談は、そこに成り立った。聖女マリアベルの誕生である。


 ――ここまでが、国中で信じられている昔話だ。

 国民が悲劇にむせび泣き、マリアベルを聖女と謳うその裏で、カースエリス夫人の娘もひっそりと生きていた。


 アズティス・カースエリス。


 カースエリス夫人は娘のアズティスを大層可愛がっていて、得意な魔術を教え、お菓子を与え、甘やかした。アズティスが庭でたくさんの『おともだち』と話している時も、微笑んでそこにいた。アズティスにとっては優しい母だった。

 けれど反面、周囲の者から嫌われていた。

 屋敷の者は特に、学生時代の当主の懊悩を見ていたのだ。それに夫人は我儘で、娘以外には辛辣で、人を馬車馬のごとくにこき使うし、使用人を人扱いしない。

 周囲から、夫人と娘は恨まれていた。媚び諂う者はいたし、教師や使用人は仕事の手を抜くことはなかったけれど、それでも彼等は人間だ。できることなら関わりたくない母娘と思われていた。

 アズティスだって、それを解っていた。

 子供は大人の不穏な視線に敏感で、だから余計に人が怖くて、母親の元を離れられなかった。


『――? ――』

『――――っ』

「ん、ありがとー!」


 アズティスの『おともだち』――妖精はアズティスの味方だった。

 母親に読んでもらう絵本と、妖精の独特な歌声を聞いて、アズティスは育った。

 アズティスが五歳の時、同い年の少年を拾った。少年は腹を空かせていた。カイルと名乗った少年に、アズティスは服と食事と小さな空き部屋を与えた。

 カイルはすぐに彼女の一番の従者となった。それもそのはず。アズティスにとって一番の従者など、最初から居なかったからだ。

 一番嬉しかったのが、カイルのこの一言だ。


「貴女が私を要らないと言うまで、ずっとお傍にいます」


 笑顔も繕わない彼からのまっすぐな声が、アズティスの小さな心を揺らした。じわりと滲む涙を拭わず、アズティスはへにゃりと笑った。

それから、カイルが淹れるお茶、不慣れながらも作ってくれたお菓子、そのすべてが嬉しくてたまらなかった。


 アズティスが八歳の時、カースエリス家はマリアベルを引き取った。

 多くの人間に歓迎されながら屋敷にやってきたマリアベルを、アズティスは遠くから見つめた。

 マリアベルは母親の違う妹で、聖女様らしい。

 可愛がられている。アズティスは父親から褒められたことも、目を合わせてもらったこともないのに、マリアベルは褒められる。使用人とも笑いあって、楽しそうだった。

 羨ましいと思った。

 そういう時、アズティスは母親の元に駆けた。母親の上質なドレスにしがみついて、思う存分に慰めてもらう。お友達の妖精だっているし、それにカイルがいた。彼はマリアベルに話しかけられれば応じるものの、いつもアズティスの側にいる。

 マリアベルはかわいくて気立てもよく、人気者で父親もいるけれど、母親もカイルも妖精もいない。時々は妬ましくなるけれど、それでもアズティスにとって、マリアベルは同い年の妹だった。

お互いにないものを、お互いが持っていた。


 九歳の頃、マリアベルがカイルに恋をしていると気がついた。マリアベルは己の感情を隠す術がないようで、誰が見てもわかりやすかった。


「あのね、今からお茶を淹れてもらうの。一緒にこない? 美味しいものもたくさん用意してくれるって言ってたわ、執事長様もいいって言ってくれてるわ、だから、だからね、わたくしとね、」


 マリアベルがカイルをお茶に誘う。

 けれど彼はそれを断って、「アズティス様の御世話があるので」と自分の主を優先する。そんなカイルに嬉しくなったアズティスだけれど、ふとマリアベルを見て凍り付いた。


「……ぁ……」


 妹が今にも泣きだしそうに、こちらを見ている。

 これまで何度もあったことだった。最初は気丈にしていたマリアベルも、だんだんとその感情を抑えられなくなっているようだった。

アズティスは、可哀想だな、と思った。

 だって話によると、妹はあと十一年とちょっとしか生きられないのだ。

 それにあの子が来てからアズティスは勉強のほとんどを免除されて、代わりにマリアベルが様々な習い事に拘束されている。

 心を許せる使用人を気に入ってくれたのは嬉しい。彼は仕事のできる少年だ。ほしいものを言わなくてもくれることがあるし、よく仕えてくれる。それはきっと、主人がマリアベルになっても変わらないだろう。

 寂しいけど、でも。


 ――マリアベルは短命だ――私より可哀想だ――だから少しくらい、いいんじゃないか――。


 カイルをマリアベルに貸したって、彼と会えなくなるわけではない。彼に会うついでに、マリアベルと遊んでやればいい。マリアベルが悔いなく過ごせるように。そうすればきっと、自分だって寂しくはないはずだ。

 何かあったら返してもらえばいい。

要らないなんて言わない。

ただちょっと哀れな妹に、一時的に貸すだけだ。

彼はいつだって戻ってきてくれる。

 アズティスは稚く考えた。

想像の中では、みんなが笑っていた。


「これからマリアベルに付いてやって」

「は?」


 呆けたような声だった。


「私に何か、不手際がありましたか」

「そんなのじゃない。ただあの子は、カイルと居たいんじゃないかって気がする」


 もの言いたげなカイルだったけれど、よくできた使用人の彼は、主の言い付けに逆らうことはなかった。

 アズティスは満足していた。初めて人のために『いいこと』をしたと思った。

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