アウルベア-Ⅳ
「歴史は繰り返すってやつっすかね」
カイル班の男子が言う。アズティスとカイルが、ざ、と振り向いた。男子はあからさまにやっちまったという顔で「あっ、悪い!」と手を合わせる。
眼鏡が内心「馬鹿」と思う。
「……ちょっと辺り見てくる。カイルはここにいて」
アズティスは一人で、森の奥に行く。
カイルは物言いたそうに彼女の背中を見ていたが、言われた通り、彼女を追わなかった。ツートップは纏まらない方がいい。白狼を召喚して、自分の代わりに彼女の護衛とした。
追い付いた白狼に驚くことなく、アズティスが毛皮をひと撫でする。その小さな背中を見届けながら――この場の空気が重くなる。
一人だけ事情のわからない二位がおろついていると、眼鏡がこそっと、
「アズ様は、去年の今頃にも乗っ取りに遭遇した。当時の一級生について、魔物の討伐に参加した時に。……カイルくんもいた。詳しくはわからないけど」
その解説もばっちり聞こえていた。
カイルは二位に、珍しく先輩らしいアドバイスをする。
「乗っ取りは人間の記憶を引き継ぎながら、人間を食べる。所詮は魔物だ。躊躇う必要は無い」
伝書烏は飛ばしたけれど、正規の魔術師が到着する可能性は低い。日暮れを刻限と考えると、今から準備をしておくにこしたことはない。
「いつものように単純な囮作戦でいく。結界におびき寄せ、火力で叩く」
カイルは、複雑な計画を労するよりもわかりやすい方法を好んだ。
「補助魔術が得意な二人は結界を頼む。三十メルトル四方で二重にする。どちらが外側でも構わない」
「うぃっすうぃっす」
「……了解」
頷いたのは、金髪と眼鏡である。
「アズティスは予備戦力として結界外に待機」
「意義あり」
「本任務の決定権は俺にある。従ってもらう」
「納得いかない。私の仕事がない。なんで私を入れないのか明確な説明を所望する」
「お前がいなくても十分だからだ」
「いた方が十二分だろ」
不満たらたらのアズティスである。拗ねた子供のようだが、たしかに彼女を中に入れない理由はない。無言の睨み合いの末、カイルが折れた。
「俺は結界外にいる。以上だ」
二位が微かにあれ、と呟いた。
カイルは主力班であるはずなのに、安全な外にいるのかと。けれど二位も優秀だ。よく考えるまでもなく、すぐに教科書の一文を思い出して納得した。一瞬でも「自分は安全なところにいるのかよ」と思ってしまったのを勘付かれたのか、カイルに睨まれた気がした。
カイルが外にいるのは、そうしなければならないと解っているからだ。
契約魔術を扱う魔術師が魔物を仕留めようと動く時、術者だけは安全な位置にいるのが基本である。契約獣は術者に害が及ぶのを厭う。術者が危ういと感じれば、攻撃を止めて庇ってしまう。
カイルは己の契約獣の邪魔になる気はないのだろう。
「二位は結界の外で見学」
「……え?」
「不満か?」
「いや、……え? 戦闘はできないでしょうけど、囮は誰が」
「囮は私が作るよ。大事な後輩にやらせるわけない」
作る、とは。
二位の疑問に答えて、アズティスは人差し指で川を示した。
「見てく? 魔法陣は使わないからだいじょぶだよ」
とのことだ。
――魔法陣を出すのは危険なの?
二位は深く考えず、アズティスの傍に付くことにした。
白い石を踏みしめて立った川べりで、アズティスはすうと深く息を吸い込む。魔術を使うらしい。二位は彼女の魔力による威圧は受けたことがあるけれど、術そのものはまだ知らないのだ。
学園の首位であるアズティス・レオタールの魔術は、見るだけでも価値がある。
一挙一動を見逃すまいとする自分の鋭い眼差しを自覚すると、自分も『魔術師』だと嫌でも理解させられるのだ。ふと周囲を見れば、向こうに置いてきたはずの先輩方がいつの間にかそこにいた。彼らは一様にアズティスの様子を見守っている。
その瞳に浮かぶのは憧憬と嫉妬と探求心。
もう少しで魔術師資格を習得する一級生諸君は、選び抜かれた貪欲である。
アズティスは口を開き、
「『――・――、――』」
アズティスの前に、川から分かれた水が浮かぶ。しゅるりと細かに渦巻きながら透明な球となった。彼女がその球の下に手を伸ばし、また不思議な言葉を発音した。
妖精言語。
「『――、――』」
水球が形を変えて、人型に。そして薄い羽ができあがる。
やがて白いワンピースをふわりと揺らし、アズティスの手のひらに降り立ったのは、可憐な妖精だ。瞳は深海の青。髪は銀。作り手の色味を映した偽物の妖精は、作り手よりも大人しそうだった。
アズティスが満足そうに、そしてどことなく寂しそうに「よろしくな」と言うのは、たった今作り上げたそれに命など宿っていないからだ。
不可侵の光景は――彼女は、神様めいていた。
禁忌を見た心地がする。
二位は、背筋に走る忌避感とも畏敬ともつかぬ寒気を忘れることにした。
野営地に戻った時、そこに見慣れない籠があった。中には数個のパンと、手紙が入っていた。手紙は、
――おかあさんがごめんなさい。
と、子供の文字で書かれていた。