アウルベア-Ⅲ
見つけた川から少し離れた森林の中で野営し、詳しい探索は明日に行うことになった。
今夜は補助魔術が得意な眼鏡とカイル班の男子生徒が協力して周囲を結界で覆い、安全を確保することにした。
ぱちぱちと火が爆ぜる。おいしくない携帯食料を腹に収めて一時間も経った時には、結界係の眼鏡を残して皆が就寝体勢に入っていた。夏とはいえ、山奥は流石に冷える。
二枚の薄い敷物一枚を、女子二人で使用していた。焚火を挟んで反対側には男子二人がいて、これまた一枚の敷物の上に並んで寝転んでいた。被る寝具は持ち前の上着のみだった。
二位はアズティスに腕枕されていた。眠れずにいたところ「腕枕でも進呈しよーか?」と冗談を言われたので、二位も負けず嫌いの血が騒いで「そうですね」と応じてしまい、お互い引くに引けなくなったというのっぴきならない事情のためだった。
先輩は眠ってしまっただろうか。二位は、腕を貸してくれているアズティスをちらりと見上げた。彼女は静かに目を閉じていた。近くで見ても整っている白磁の肌に、焚火の光が滑って揺れる。
共有することになった上着の下では、彼女の体温が籠って生々しく感じられた。
――なんでだろう。
二位はだんだん仲良くなる上瞼と下瞼を根性で引き剥がし、考えた。
――なんでだろう。
(どうして先輩の傍は、心地良いんだろう)
知り合って半年も経たない先輩との至近距離でも、嫌な気がしない。睡魔すら違和感なくやってきた。
(ふしぎ……)
二位が見つめる中、アズティスの唇がそっと動いた。
「何か不安?」
まだ起きていたとは思わなかった。ずっと見ていたこともばれてしまっているだろうか。
「……学生が任務で歓迎されてないって、知りませんでした。研究所があまり好かれていないことも。ちょっとショックで」
「二位は都会育ちだし、あんまりピンとこないかも」
「関係あるんですかそれ。……え、都会育ちに見えます?」
「マルティーク大聖堂の出身って聞いてるし、だったら王都だろ。その周辺なら、うちの学生は間違いなく歓迎されてるよ。貴族が集まるし、魔術師もいい顔して仕事するから評判がいい。同じ理由で、大貴族が治める地方都市もね。学生の嫌われ具合で、地域の田舎度がわかるよ」
「なるほど……」
「君、卒業したらどーする?」
二位は動揺を押し殺して、小声で答えた。
「聖堂に戻りますよ」
「魔術師にはならないのか?」
「ええ。私が生涯精霊様にお仕えするのは、小さい頃から決まっていることです」
「なんか大変そーだな」
「そんなことないですよ。先輩は、卒業後はやはり研究所に?」
「どうだろうね」
「決まっていないんですか?」
「なりたいものがないんだよ。できるだけ適当に、好きなことだけして生きていければ、それでいいかなって思ってる」
将来の展望がない若者そのものの言い草だった。それでも先輩ならどこへでも行けるだろうと二位は思った。学園首位の鬼才なんて引っ張りだこのはずなのだから――、
(……あれ?)
二位は、卒業後のアズティスの姿をうまく想像できない。
二位はその夜、夢を見た。幼い自分がマルティーク大聖堂の廊下を歩いている夢だ。そしてそんな夢の中で、ふと気が付いた。
(先輩の傍は、聖堂の中と似ているんだ)
聖堂は白い。壁も、床も、天井も。快晴の空の下にあると、その純白が目に痛いほどだった。けれど一歩中に入ると、聖堂はいつもほんのりとした青色に満たされていて、呼吸をすると若干の甘さを感じた。
その感覚が、アズティスの魔力とよく似ている。
一夜明け、朝日が地面を温める。けれど木々の乱立する森はまだ肌寒い。
五人は散策を開始した。
妖精を見送ったアズティスは、ある木を指して二位に問う。
「私たちの頭より上に綺麗な三本爪の痕。ついでに季節は夏。この魔物はなーんだ?」
「……アウルベア、ですか」
「あたり」
淀みなく返ってきた答えに、アズティスは頷いた。アウルベアは全国に生存が確認されて、発見報告が多い魔物だ。本任務の標的と目されていた。
しかし一瞬にして、アズティスの顔付きが変わった。
眠そうだった視線は鋭いものになり、幹についた傷を睨む。
彼女の頭の中で危険な可能性が浮かび上がっていた。カイルの冷静すぎる声が、それを肯定する。
「あれを」
アズティスが見ていた木の、さらに奥の針葉樹の幹だった。
柔らかな朝日を冒涜する異常。
折れてささくれ立った枝に、白い枝のようなものが刺しかかっていた。複雑に構成された、五本指の――人間の手の骨。こびりついた肉片に蠅と虫がたかっている。自然に白骨化したのではなく、肉をこそぎ食われたのだろうと窺えた。
「ひっ……!?」二位は引き攣った声をあげる。
アズティスは険しい顔で、
「伝書烏を出すにしても、ここから向こうまで二十時間。それから新しく魔術師を出発させて、最速でも六時間くらい、かな。……普通に一日以上かかる」
手紙を飛ばして正規の魔術師を呼んだとしても、魔物が活発になる時間帯には間に合わない。
「そして最悪なことに、今日は満月だ」
満月。魔物の特性を考えると、今夜に襲撃があるかもしれない。魔物は特に月の出ている夜を好むのだ。早めの解決が望ましい。
「どちらにせよ、俺達は撤退できない」
「ん」
頷いたアズティスは、隣で固まる二位を呼んだ。
「だいたいわかると思うけど緊急事態だ。君、『乗っ取り』って知ってるかな」
「……たしか教科書にありました。魔物の餌食になった人間が魔物の意思を凌駕し、魔物の肉体を乗っ取る場合があるって」
「それは昔の話ね。二級生の教科書、更新されてないのかな」
アズティスは細く溜息を吐く。
「ええと、……昔は暴力一辺倒だった魔物も、知能を得るために色々と進化しようとしてるんだって。乗っ取りは進化途中だって言われてる」
アズティスは後輩に講義する。
事態を理解してきた二位も、生唾を飲む。
「進化方法がまだ中途半端なんだ。人間を食べて知能を奪おうとするけど、都合よく知能だけを抜き出して学ぶことはできなくて、被害者の自我と魔物の本能やらが中途半端に混ざって、自分を人間と勘違いする。その被害者になった気で人語を話すし、人間らしい生活習慣をなぞろうとする事例もある。それで昔は、魔物の体を犠牲者の強い意志が乗っ取った……魔物の体になってしまっただけの人間だと考えられた」
再びアレを見上げて、
「あの手は乗っ取りの習性。人の意識と魔物の本能が見事にごっちゃになっちゃって、わけがわからなくなってる」
「あれって、……手ですか」
「ん。縄張りの主張。普通の動物がテリトリーに臭い付けするのと同じで、乗っ取りはああやって自分の一部を利用する」
人間気取りの乗っ取りにとって、その死体は自分だ。「では今ここにいる自分は?」なんて難しいことは考えられず、ただ『自分』を利用する。魔物の習性と混じり合った結果、そんな猟奇的な状況になってしまっている。
――あの大きさは、きっと子供だ。
「乗っ取りは概して強力だ。この分だと難易度も爆上がり。下級生の見学どうこうって話じゃなくなってくる」
「…………。」
「一級生は撤退を許されないけど、君は想定外の件に巻き込まれただけだ。帰ってもいい。居てもいい。どうする?」
「居ます」
二位は自分でも驚くほど、返答を迷わなかった。