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「ふえええ」

一期試験の結果が発表されたばかりの今。

入口の間に掲示された五枚の順位表の前に、生徒の群れができていた。


「っしゃあ!」

「ふえええ」


 それまでの努力が報われた者は握った拳を天に突き上げ、名前がなかった者は涙目だ。

 五級生から一級生まで、それぞれの等級から上位二十人の名前と点数が、こうして皆に知らされる。その瞬間を待ちわびた生徒が一堂に会しているために、空間中央は芋洗い状態である。成績優秀でない自覚のある半数の生徒は、中央の群れを横目に、左右の階段を使って教室に向かった。

 成績がどうであれ、この白亜の学舎内では、誰も彼も制服は一律だ。真っ黒い生地に、要所に走る赤い線が特徴である。学園の紋章が入った腕章に「Ⅴ」から「Ⅰ」までの古代数字が入っていて、級が判別できるようになっている。

 ノアイユ公爵家次男カイル・ノアイユ一級生は、表の前、群れの中にいた。建前上「生徒みな平等」であるものの、彼の周囲にはいつも微妙な空間がある。


(――またか)


 カイルは深く溜息を吐いて、黒髪を耳にかけた。そして自分の上にある女の名を睨んだ。

 一見黒にも見える濃い赤色の瞳には、険しかない。目の上のたんこぶな名前を見飽きている。忌々しげに眉を顰めるから、彼は誰がどう見たって不機嫌だ。

 カイルだって、何かを期待してここにいるわけではない。二十位以内に入っているのは当然なのだから、これはいわば確認作業だ。自分が万年二位で、自分の上に彼女がいるという事実をも、その目で確認しなければいけなかった。

 教室に向かおうと群れから抜け出し、左の階段を上ろうとしたところで、


「カイル様!」


 高い声に呼び止められた。振り返れば、あどけなく華やかな顔立ちをした同級生が向かってきている。豊かな亜麻色の髪を持つ子爵家令嬢。名を、マリアベル・カースエリスといった。


「次席、おめでとうございますっ」

「おまえも、三位おめでとう」

「ありがとうございます。まだまだ、カイル様には追い付けませんわね」


 朝に会えて嬉しいという感情を隠しもせず、可愛らしく微笑む彼女は、様々な事情からカイルの婚約者候補筆頭となっている。

 少し離れたところで苦笑している複数の生徒は、彼女の取り巻きだ。男子も女子もいるが、カイルとマリアベルの微笑ましい会話を見守る姿勢は、いつも変わらない。

 見目麗しい二人の立ち姿は似合っていた。二人を見て恍惚の息を吐く生徒がいるほど、理想の二人として有名だ。

 しかし恋路には邪魔者がつきもの。


「本日は答案用紙の返却のみでしょう? その後、ささやかな慰労会を開くのです。とは言っても、お茶を淹れて夏初めの花を楽しむだけですが。よろしければカイル様も是非――」


 ざわ。

 生徒の群れの中に突如生まれた動揺の空気が、マリアベルの誘いを遮った。「来た」「あれが」「なんで今……」と生徒たちの小声がさざ波のように、玄関の間を満たしていく。

 マリアベルとカイルに注がれていた視線は、玄関口へ向いていた。正しくは、そこに現れた彼女に。


 かつ、


 その足音。

 たった一音。

 それは一瞬にして、小声のさざ波を消した。

 かつ、かつ、と踏み鳴らされる、編み上げの革靴の音。

 天使の輪が光る滑らかな銀髪を揺らし、背筋を伸ばして、入り口から入って左方に進む。意思の強い瞳は深海を思わせる青色だ。銀糸の睫毛は、瞬きするたび音が鳴りそうだった。

 マリアベルとは正反対の、静寂を纏った美貌の女。


 ――アズティス・レオタール。


 誰かが呟いた。『Ⅰ・上位者』表の頂点に燦然と輝く女生徒の、その名前。

 歴史、数学、薬学、生物学、魔法実技、天文学の六つからなる試験内容は一教科百点までのはずだが、何故だか彼女の得点は六百二十八点。この余計な二十八点はどこから来るのか、この場の全員が知りたいところだった。

 アズティスは、入学してから一度として首位を譲ったことのない、いわゆる怪物だ。

 彼女は癖なのか、左の階段を選ぶ。途中で順位表を一瞥しただけで、足を止めもしなかった。自分の名がいつものようにそこにあることを、遠くから視認するのみだった。

 アズティスの進行方向にいたマリアベルは、微かに怯えた。

 見守っていたマリアベルの取り巻きたちは、アズティスに敵意の眼差しを向けた。

 カイルの表情は一切動かなかった。

 先手はアズティスである。


「おはようございます」


 涼やかな声色がホールに落ちた。

 空間はしんと静まり、三人の動向を見るばかりである。

 アズティスが階段を数段上がったところで、マリアベルがなんとか挨拶を返した。そして「……あ、アズ。ねえ、」と声をかけた。

 階段上のアズティスは振り返って、


「貴女に愛称で呼ばれたくありませんと、何度言えばご理解いただけるのやら」


 その場が凍り付いた。

 アズティスは埃を払っただけという雰囲気で前に向き直り、そのまま歩いていく。

 アズティスとマリアベルは敵対している。これが生徒たちの認識である。その理由はもちろん、アズティスが男女の仲を引き裂いているように見えるから。けれどカイルも私的理由でアズティスを敵視しているようで、ここにおかしな三角関係が形成されている。

 恋愛沙汰、成績勝者と敗者、ただただ馬が合わない、アズティスの性格が悪いだけ。――等々の推測から来るどんな噂も、本人たちが肯定も否定もしない。

 結果として三人が接触していると、生徒たちが無駄に緊張してしまう。

 ところで彼等の関係について、不可解な点があった。


「……悪いが、遠慮させてもらう」

「ぇっ」


 カイルはマリアベルの誘いを断り、アズティスを追った。

いつもこうだ。

アズティスを敵視しているカイルは、けれど彼女の傍に付く。


「……カイル様……」


 切ない表情で彼の背を見送るマリアベルに、取り巻きたちが寄り添った。「大丈夫でしたか?」「マリアベル様」「相変わらず冷たいやつだ、まったく」数人で口々に彼女を気遣い、数人はアズティスとカイルが去った方を睨み付けた。

 愛らしく心優しいマリアベルは、聖女そのものだ。成人したら生贄となる運命を、その清らかな精神で真っ直ぐに受け入れた。

 彼女は聖なるもの。奇跡の存在。だから彼女には熱狂的な信者がいた。信者は彼女の幸せを願う。聖女はすぐにでも愛するカイルと婚約し、二十歳になるまでに結婚して、甘い幸せを味わってほしい。そして人生の幸福の証として、二人の間に愛の結晶を成してほしい。――どうか、生贄として捧げられるその日までに。

 それは素敵に悲劇的な、愛の物語だ。

 だから信者にとって、アズティスは敵でしかなかった。


      *


 アズティスとカイルが教室に向かうと、廊下で多くの生徒が避けて道を開ける。最上級生への敬意よりも、畏怖のために。


「お茶会だっけ。行きたいなら行くって言ってくれた方がいい。今更、私に遠慮するよーな立場でもないんだし」


 アズティスは「な、カイル様?」と強調した。嫌味のつもりらしい。

 彼女の口調は見目の優雅さとは程遠く、少年のように中性的だ。けれど声色は女性的で穏やかだ。あまり親しくない相手には丁寧語を使うけれど、本来の口調はこちらである。

 カイルはことも無げに言う。


「あちらの集まりには興味がない」

「そか」

「参考までに聞くが、アズティス。あの二十八点はどこから来た」

「ただの加点。テスト返ってきてからじゃなきゃわかんないけど、たぶん生物学だ。妖精の項目があれば百点からが本番だから」


 なるほど怪物だ。

 カイルは深い溜息を吐いて、前方を歩く小さな背中を見る。そうして思い出す。また彼女に勝てなかったと。この悔しさが風化してしまうのは癪だ。もう一級生になった。この先彼女に勝つ機会は、そう多くない。

 在学中にはどうにかして彼女を負かそうと、カイルは思う。

 ――俺を他所に譲ったこの女に、勝たなくては。

 そう考える。貴族でいながら従者のように、今日もカイルはアズティスの傍にいる。

 そんな二人が通り過ぎた後で、ある女子生徒が言った。


「アズ様の口調ってクセあるよね」

「妖精訛りらしいね」

「妖精?」

「アズ様は昔から妖精とだけは仲がいいから、妖精と話してばかりいて、ああなったんだって。私ってカイル様と同じ授業専攻だから。カイル様がご友人と喋ってたの、ちょっと聞いたんだ」

「一級生の首位ともなるとやっぱり育ちが違うのかー! ……というか、なんだかんだ言ってカイル様が一番あの人のこと知ってるよね。仲悪いのに」

「あー、よくわかんないよねぇ、あの二人。……でも私、カイル様とのことは正直マリア様よりアズ様応援してる」

「あ、あんたそっちだったんだ」

「うん」

「……まあ、宗教と政治と学園二大美女の件は公共の場でお話しちゃいけませんってばあちゃん言ってたし」

「……だよね」


 さて。

 いかにして、このような状況ができあがったのか?

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