02
「失礼しました~」
抑揚のない声でそう言うと、俺はドアの前で一礼し、職員室をあとにした。
「はぁ~、めんどくせぇ」
廊下に出ると、思わずため息が漏れた。携帯で時間を確認すると、すでに午後5時を回っている。いつも使っている電車はとっくに行ってしまっただろう。俺は仕方なく、携帯を手に取り、次の電車の時刻を確認する。
放課後の呼び出しは酷いものだった。
まずは数学のプリント未提出の件。プリントは終わらせたが家に忘れてきた、と正直に答えると、「だったら今すぐできるよな?」と木村の機嫌を損ねてしまったらしく、俺だけ居残りでプリントをやらされた。その後進路指導を受け、今のままじゃ大学進学は絶望的だの、君は将来の自分が見えていないだのボロくそ言われ、精神的に参っている次第である。
大体将来とか言われてもなぁ...。みんな働きたい訳でもないだろうに。あ、それとも何?木村俺のこと好きなの?好きだから理由つけて居残りとかさせちゃってるわけ?いやいやさすがに無理だから。性別と顔と年齢考えてから出直してこい!
などと下らないことを考えながら、携帯の着信履歴を確認していると、
「げっ、ヤバいな」
着信履歴は10件以上。その全てが、“水渡辺未来”と電話帳に登録された携帯からだった。ついでにメールフォルダを確認すると、同じく10件以上ものメールがきている。誰から、など言うまでもなかった。
ー16時17分ー
From 水渡辺未来
Sub 着いたよー♪
兄ちゃん、今駅前の広場についたよー\(^o^)/あとどれくらいで来れるのかな?気づいたら連絡ちょーだーいd=(^o^)=b
ー16時25分ー
From 水渡辺未来
Sub 着いたよー♪
兄ちゃんまだ?もう待ちくたびれないよ~(´・ω・`)このままだと、未来ナンパされてどっかに連れていかれて%@♂※★*&¥されちゃうよーΣ(゜Д゜)助けて~(/≧◇≦\)
ー16時32分ー
From 水渡辺未来
Sub 着いたよー♪
兄ちゃんもしかして約束忘れてないよね?もし、未来との約束放り出して他の女の子とイチャイチャしてたら、許さないゾ~(`□´)
ー16時37分ー
兄ちゃんまだ~?早く来てー(´・ω・`)
ー16時41分ー
早く来てよー、兄ちゃん(´・ω・`)
ー16時43分ー
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ー16時45分ー
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ー16時47分ー
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ー16時56分ー
早く来い
その瞬間、俺は全身の鳥肌が立つのを感じた。
うわ、怖っ!並のホラー映画よりも背筋が凍り付いたんですけど。こいつどんだけ俺のこと好きなんだよ。それにしても、普段要らんほど絵文字使ってるやつがいきなり使わなくなるとこれほど怖いもんなんだな。つーかこれほとんど脅迫だろ。
「こりゃあ、またなんか買わされるな」
俺は再びため息をつくと、謝罪とこれから駅に向かうという旨を伝えるメールを送信し、荷物を取るべく教室へと向かった。
この学校は北校舎と南校舎に別れており、二階の渡り廊下で繋がっている。職員室は南校舎二階の一番端にあり、俺の教室である二年五組は同じ南校舎二階の職員室とは反対側に位置している。もちろん職員室と二年五組の間には他の教室があるわけで、いつもなら各教室で吹奏楽部が絶え間なく楽器を演奏しているのだが、
ーなんだ?
廊下を半分ほど歩いたところで、俺は違和感を感じた。
職員室で凝ってりしぼられていた時には、トランペットをはじめその他吹奏楽部の金管楽器がやかましい音をたてていたのに、今はまったくの無音だ。楽器の演奏の音だけではない。いつもは教室に残っていつまでも喋っている女子生徒たちの喧騒すら、昔のことのように、残響すら残されていない。まるで最初から人がいなかったかのように、校舎内にはまったく人の気配が感じられなかった。
ー 気味わりぃな。
静かすぎる廊下を歩きながら、俺は身震いした。今はまだ二月の上旬。ただでさえこたつが恋しくなるこの時期に、不気味な静けさが相まって、体感温度が二、三度下がったような錯覚を覚える。
ーとっとと帰るか。
歩調を早め、目的の教室にたどり着く。すると教室から、今までとは比べ物にならない違和感を感じた。ここは本当に俺の知っている教室なのか、そんな疑念すら覚えた。
まるで教室を丸ごと取り替えたような、そこだけがまったくの異質に見えた。
ともあれ、この教室にあるはずの荷物を持ち帰らなければならない。俺はかすかな緊張感とともに、いつの間にか閉まっていた教室のドアを開けたーー
突然だが、俺は妄想が大好きだ。愛していると言ってもいい。事実、俺は1日の活動時間の大半は頭の中で様々な妄想を働かすことに費やしている。痛い奴かって?そんなことは地動説が明らかになる前から知ってるさ。でも、よく考えてみてくれ。俺ぐらいの男子高校生ってみんな漫画やアニメを見て想像の翼を羽ばたかせるだろ?ようはそれと同じようなもんさ。どちらにしても頭の中で妄想するのに変わりはない。だから俺のことを痛い奴だと言う輩は、自分のことも痛い奴だと言っている自虐野郎ってことだ。つまり、俺のような妄想男が社会に出ても何ら痛い奴ではない。人類皆中二。万歳。
話が少し逸れたが、ここからが本題だ。妄想は所詮妄想でしかないのであり、それが現実になることなどあり得ない。いや、そうなってはならないのだ。現実にポケットなんたらやら妖怪なんたらやらが出てきてしまっては、人類がこれまで発見してきた自然の法則が全て瓦解してしまう。妄想とは決して現実にならないからこそ、そこに夢を見ることができ、楽しむことができるのだ。
したがって、現実を逸脱した非日常は、決して存在してはならないのである。
ーー 瞬間、俺は絶句した。
まず、列ごとに並べられていた机と椅子が、見るも無惨な姿となって床に転がっていた。あるものは潰され、あるものは綺麗に真っ二つにされ、無傷であるものは一つもない。窓ガラスは割れ、机や椅子とともに床に散らばっている。
そして、おそらくこの惨状を引き起こしたと思われる二つの影が、教室の真ん中で対峙していた。
片方の影は、有に二メートルは越すであろう巨体に、両の腕には銀に輝く鉤爪。からだ中には無数の赤い線が走り、頭部の三つの青い眼光が、その正体が人間ではないことを明らかにしている。
もう片方の影は、怪物の二回り以上小さく細い体に、長い黒髪。夕陽で顔はわからないが、姿形から察するに、性別は女、それもまだ少女と言えるほどの年齢だろう。そしてその少女の右手には、その細い体には到底似合わない、少女の身の丈ほどの長刀が握られている。
俺がその事実を認識したときには既に、怪物が少女に襲いかかっていた。
怪物は少女の体を引き裂こうと、両の鉤爪を振り回す。右から左へ、上から下へ、あらゆる角度から連撃を、少女はある瞬間は半歩後ろに下がり、ある瞬間はその長刀を攻撃に合わせて弾き、危なげなくさばいていく。 しびれを切らした怪物は、両腕を頭上高々と振り上げ、力任せに振り下ろした。
そこから少女は、まるで時間を忘れされるような、滑らかな動きをみせた。
怪物の連打が止まるのを待っていたかのように、少女は一度態勢を低くし、斜め右上に跳躍。振り下ろされた怪物の一撃を、身を捩りながら回避すると、そのまま怪物を踏み台にし、再び跳躍。空中で後方宙返りを決め、天井に両足を着地させると、長刀を右肩に構え、怪物目掛けて勢いよく飛び出す。そして、
「はああああああ!!!」
掛け声とともに、右肩に構えられた長刀を振り下ろした。
そのまま、振り下ろされた少女の長刀によって、怪物は真っ二つに切り裂かれる、はずだった。 しかし、振り下ろされた長刀が、怪物の頭部を真っ二つに切り裂く瞬間、怪物の三つ眼が大きく見開かれた。同時に開かれた犬歯まみれの禍々しい口部から、鼓膜を破るような甲高い雄叫びが発せられる。教室中の大気が激しく振動し、床や壁に亀裂が走る。その爆弾の衝撃波のような雄叫びに、俺は必死に両手で耳を塞いだ。
轟音は廊下を駆け抜け、遠くで木霊をつくった。体中の骨が軋み、痛みを訴えかけてくる。俺は体を固くし、ひたすらその痛みに耐えた。
果たして、痛みがいくらか引いていくと、俺は状況を確認するべく、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
眼前に飛び込んできたのは、残骸の山と化した、見るも無残な俺の学舎だった。天井と床には、教室の中心から波紋上に広がる無数の亀裂。壁には、万力で無理矢理押し付けられかのように粉砕された机と椅子の数々。その瓦礫の中に、横たわる一人の少女の姿があった。
な、なんだこれ?
教室の廊下側の壁に叩きつけられた少女は、意識はあるようだが、動くことができないようだった。
あれか、こいつらもしかしてこの学校の演劇部だったりするのか?それにしてもここまで迫力のある演技ができるなら、もっと部としては名が知られてもおかしくはないはずだ。少なくとも、俺はこの学校に演劇部があるなんて知らなかった。
怪物はゆっくりとした足取りで、倒れている少女へと一歩一歩近づいていく。
それにしても、あの怪物型のぬいぐるみは凄い。何かのキャラクターをモデルにしているのか、それともオリジナルで作ったのかは分からんが、物凄い細部まで表現されている。胴体を走る赤い線は本当に血が流れているように見えるし、三つの青い目にも意志があるように感じることができる。何より、口部の犬歯や光る唾液が、俺の身体の奥から恐怖という感覚を込み上げらせる。このぬいぐるみの製作者は絶対業界でやっていけるな。俺が保証するぜ。
怪物が、倒れている少女へ、少しずつ距離を詰めていく。
やべー。あの子マジ可愛い。あんな子この学校にいたか?まあ俺は同じクラスの女子の顔や名前すらまともに覚えていないからな。知らなくても無理はないな。一体何年だろう。一年か?三年か?取り敢えず一年か二年であることを願おう。年上は俺のストライクゾーンではないんでな。
怪物が、更に少女との距離を詰めていく。
さてと、観客としてはこれから起こる展開を想像するのが楽しみな訳だが...如何せんシチュエーションがベッタベタだからな~。まあ、あとは大抵あの女の子が覚醒して怪物を倒すとか、第三者が介入してきて女の子を助けるとか、そんなとこだろう。この妄想男をなめるなよ?これくらい想像するのは朝飯前だ。
怪物が、少女の元へとたどり着く。
よし、オチは分かっちまったからな。そろそろ引き上げるとしようか。これ以上ここにいて稽古の邪魔しちゃ悪いし、何よりオチが分かっちまった物語は途端につまらなくなるもんだ。やめろって言ってんのに修斗もよくマンガのネタバレするしな。 今度は学校行く前に朝一で立ち読みしよう。ネタバレするのは面白いからな。
怪物が、右の腕をゆっくりと後ろに引き絞る。
.........まったく、そんなわけねぇだろうが。
怪物が引き絞った右腕に力を込める。
この訳の分からない状況で、俺がすべきことは一つ。
一刻も早く、この場から逃げることだ。身の安全を考えれば、俺にあの少女を助ける理由など存在しない。俺は正義のヒーローじゃないんだ。精々画面の端の方で逃げ回るモブキャラの一人でしかない。しかしそれでいい。メインキャラなんてめんどくさいだけだ。俺は、わざわざ自分の身を危険に晒すようなバカじゃない。
なのに.....
「くッ..........!」
どうして.......
「くッッ................!!」
どうして俺は、前へと足を踏み出そうとしている?
「おッッ........がぁッッ!!」
身体は正直だ。喉は声を出すことを拒み、足はすくんで歩くこともままならない。それで良いじゃないか。怖いのは当然だ。死にたくはない。ここでじっとしていれば、少なくとも今、俺の身に危険は及ばないのだから。
それなのに.....
「..め...ろ....」
口から、カスカスの声が漏れ出す。
「...や....め..ろ.....」
視界が霞んでいく。
「グガァァッッッッ!!!」
怪物が、死の鉄槌を放つ。
「やめろぉぉぉぉ!!!!」
もう駄目だと思ったその瞬間。
世界が、停止した。
....ッ!!!??
俺は目を疑った。少女を砕かんと放たれた怪物の右腕は、怪物と少女の真ん中で止まったままである。
一体何が...?
俺はなんとか状況を理解しようとした。しかしまたしても、信じられないことが起こった。
《............》
突如、俺の頭の中に、誰かの声が響いた。
《.................》
頭の中の声が再びささやく。だが、何を言おうとしているのか分からない。
《.....................》
それは優しく、暖かかった。声無き声は俺の恐怖を包み込むように癒し、体の震えを止め、硬直していた体を優しくほどいていく。
《..................》
最後に、その声は微笑んでいるようだった。心地の良いその声に、俺は背中を押された気がした。
呼応するように、止まっていた時間が動き出す。
「間に合えぇぇぇぇ!!」
俺は床を一歩踏み出すと、自分でも信じられないスピードで駆けていた。一瞬で怪物と少女の前に立ち塞がる。しかし、間に合ったは良いものの、怪物の拳は俺の目と鼻の先まで迫っていた。
「くッッ!!」
俺は怪物の一撃を覚悟して目を反らした。
しかし、待っていたのは自分の体を引き裂かれる痛み、ではなく、キィィィィン!という甲高い音と、少し遅れて響いたドン!という鈍い音だけだった。
恐る恐る目を開くと、目に入ってきたのは、窓側の壁に叩きつけられて伸びている怪物の巨体と、自分の頭の少し上に輝いている直径30センチほどの円形の模様だった。
わけがわからず後ろを振り向くと、倒れていた少女が、驚きに見開かれた目でこちらを見上げている。
「グガ、ガガガガガアア」
しかし、すぐに俺から目を反らすと、目にも止まらぬ速さで俺のわきを駆けていった。後方から怪物の唸り声がする。慌てて振り返ると、ちょうど少女が長刀を高々と振り上げていた。
『我はその罪を、痛みと共に断罪する』
大上段に掲げられた長刀が、彼女の美しい言葉と共に、夕焼けの朱色の中で三日月色に輝く。教室中の空気が長刀に圧縮され、一気に気温が下がる。
そして、一閃。
「氷華月光ッ!!」
短い掛け声ともに、長刀が降り下ろされた。俺はそのあまりにも速い太刀筋に、目がついていかなかった。
少女が刀を振り切ると、少し遅れて怪物のからだから、大量のどす黒い液体が噴き出した。
俺が何か声をかけようと言葉をさがしていると、少女がゆっくりとこちらを振り返った。
俺は、言葉を忘れた。
斜陽に染まる少女の容姿は、まるで人形のように美しく、しかしこちらを見据える鋭い瞳が、その容貌に決して稚拙さを感じさせることはない。その凛とした立ち姿を、俺は1つの芸術のように感じた。例えるなら、どこまでも続く緑の草原に、悠然と花開かせる一輪の白いコスモス。それほどに、俺は彼女の姿に目を奪われていた。
「あなた、誰?」
少女が真っ直ぐに俺を見つめ、凛とした声を響かせた。