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04 節分

 芳しいコーヒーの香り。決して主張をしない、懐かしのJ-POPのメロディー。

 カウンターの上では、サイフォンが心地好い音を立てている。


 町外れの喫茶『シャングリ・ラ』は、そこに座るだけで、まるで大人の世界に足を踏み入れたように感じる。


 

「いらっしゃいませ」


 カウンターの中、コップを拭くマスターが言う。


 待ち合わせの時間を少し過ぎてしまっていた。


 閑古鳥の店内の一番奥。いつもの席に彼女の後ろ姿が見える。


 西小路紗耶香。


 気のせいかもしれないが、彼女から陽炎のようなオーラが沸き上がっている。

 時間に異常に厳しい彼女。相当怒り狂っているにちがいない。

 が、こういう時は、下手にごまかさない方がいい。

 俺は、テーブルの間をすり足で通り抜け、彼女の斜め前に立つ。


「遅れてごめんなさい」


 世の中には正しい謝り方というものがある。


 第一、言い訳をしない。


 第二、姿勢は両手を体側にピタリと張り付け、腰の角度はもちろん九十度。


 長年剣道部でしごかれ続けた賜物。これで相手は怒る勢いを失うはず。


 辛辣な罵倒を覚悟しながら、ゆっくりと頭を上げていく。

 彼女は、両肘をテーブルに置き、頬に手を当てて俯き、


 ハァ〜


と深いため息をつく。


「あ、来てたの。遅かったね」


 やっと俺に気付いた彼女は横目でチラリとこちらを見、また、テーブルの上に視線を下ろす。


「ご、ごめん」 


 なんとなく当てが外れた気がした。


 俺、ガッカリしているのか。


 ツンデレな彼女と一緒にいる内に、罵倒されることに快感を覚え始めているとでもいうのか。


 コートを椅子の背に掛けた俺は、頭を振りながら彼女の前に座り、持っていた鞄とレジ袋を足元の荷物カゴに入れる。


 テーブルの上、彼女はノートの一ページをじっと見つめていた。


「何、してるの?」


 俺の言葉にやっと顔を上げる彼女。薔薇の花びらを重ねた様な唇には、鉛筆がくわえられていた。


「んー、もうすぐ三年生卒業じゃない。その引退記念劇のシナリオ作ってるんだけど」


 演劇部に所属している彼女が学園祭で舞台に上がっているのを見たことはあったが、シナリオ作りまでしているとは知らなかった。


「最後の台詞が決まらないのよね」


 鉛筆をピクピクと動かしながら、彼女はまたため息を吐く。


「どんなストーリーなの?」


 俺は身を乗り出し、恐る恐る聞く。

 異常な程お笑いに興味を持つ彼女である。硬派で有名な演劇部がまさかの新喜劇になるのでは。


「家の流儀のせいで、想いを遂げる事ができない男女のお話」


 彼女の言葉に俺は椅子に背を付け、安堵の息を吐く。

 有名な話。シェイクスピアか。


「ご注文はいかがいたしましょうか」


 いつの間にか、マスターがテーブルの横に立っていた。


「俺は、アメリカンで」


「私はインディアンコーヒーをお願いします」


 彼女は鉛筆を口から引っこ抜いて言う。


「かしこまりました。どうぞごゆっくり」


 マスターは、テーブルに水の入ったコップとおしぼりを置きカウンターへ戻っていく。


「で、男は幼なじみの友人に連れて行かれたコンパで女に一目惚れするんだけど」


 ふむ。ん? コンパ? 仮面舞踏会じゃないんだ。

 ロミオとジュリエットを現代風に変えているのか。怪しい。非常に怪しい。

 

「それってロミオと」


「このビニール袋何なの?」


 俺の質問を遮るように、彼女がカゴの中のレジ袋を指差して言う。


「ああ、これを買いに行って遅れたんだ」


 レジ袋をテーブルの上にのせて、中身を彼女に見せる。


「太巻きねえ」


 急遽母親に頼まれ、スーパーのタイムセールで買った恵方巻。


「ほら、今日節分だし」


 言って後悔した。

 彼女の目がまさに水を得た人魚姫の目のように輝いている。


「節分、ありゃなんだ?」


 やってしまった。節分なんて突っ込み所満載じゃないか。


「そりゃ……」


 ここで『立春の前の日。各地で豆まきをしたり、恵方巻を食べたり』と説明すれば、いつも通りやり返えされてしまう。

 考えている暇はない。彼女ならちゃんと理解してくれるはず。


「そりゃ、夏本番に向けてスタミナをつけるために」


「そうそう、タレが染み込んだ蒲焼きをご飯に乗せてパクっと、てそりゃ土用やわ」


 言いながら彼女はテーブルに手をつき、もう片方の手の甲を俺の胸にしこたまぶつけてきた。


 あまりもの迫力に、俺はドヤ顔でこちらを見る彼女の顔を見ている事しかできなかった。


 しばらくそのまま俺を見た後、彼女はコホンと咳ばらいをしコーヒーカップを口に運ぶ。


「あんた、なかなかやるな。柄になく本気でツッコミ入れてしもたわ」


 インディアンコーヒーが飲み込まれる度に、真っ白な陶器の様な彼女の喉が小さく膨らむ。


「まあええわ。で節分やな。これはもう陰謀の宝箱や」


 コーヒーカップをテーブルに置いた彼女は両手を顔の横で開く。


「のり業者が考えたって言われてるね」


 俺はどこかで聞きかじった知識をひけらかす。


「ようしっとるな。確かに太巻きを普及させたのはのり業者やわ」


 めずらしく彼女が納得してくれたようだ。

 俺は悠々とコーヒーを飲む。


「が、うちはな、これ某ファーストフード会社による世界戦略やと思ってんねん」


「はぁ」


 突拍子もない彼女の言葉に俺は生返事をかえすので精一杯。


「つまりな、太巻きは日本のマ○ドに成りうるポテンシャルを持っていたはずなんや。それをなんとかしようとしてやな」


 そんな無茶苦茶な。しかし俺は想像する。頑張って想像する。



     *



 のれんをくぐると法被姿の店員が笑顔で俺と彼女を迎える。


「ダブルお新香太巻きセットと鶏卵太巻きセット、持ち帰りで」


 店員がレジを叩くと、裏の厨房でアルバイト板前が棚から取り出した具材をのりの上に敷いたご飯に乗せていく。


 レジを打ち終えた店員が、出来上がった太巻きを紙で包み、フライヤーから下足天スティックを取り上げ、専用のケースに入れる。

 最後に緑茶を紙コップに注ぎ、太巻きと下足天スティックを袋に入れた。


 店を出た俺達は、広場のベンチに腰掛け、太巻きにかじりつく。


「おいしいね」


 ニッコリ笑った彼女のパプリカの様な唇が、下足天の油でギトギトに輝いていた。



     *



「下足天スティックはやめて!!」


 静かな喫茶店に俺の叫び声が響き渡る。


「な、なんやねん急に」


 さすがの彼女も、引いてしまったらしい。


「ご、ごめん。なんか想像がエスカレートしちゃって」


 俺は頭を書きながら、恥ずかしさを紛らわすためにコーヒーを飲む。


「まあええわ。とにかく、節分以外の日に太巻き食べてたら『今日、節分やったか?』となるわけや」


「でも俺はマッ○がいい」


 もうそこは譲れなかった。


「絶対マッ○に行く」


 もう一度言い、彼女を見る。


 まるで赤鬼の様に顔を真っ赤にしていた。

 赤鬼、こんな赤鬼なら『鬼は内』になるだろう。


「そ、それ、絶対フランスで言わないでね」


 彼女は早口で言うと、席を立つ。


「どこ行くの?」


 俺の問いに彼女は顔を赤らめたまま答える。


「お手洗い」


 

     *



 一人になった俺はさっきの彼女の言葉が気になり、携帯で調べてみた。


 マック フランス語


 検索ボタンを押した俺は固まった。


 淫売 女衒


 つまり、風俗関係へ女性を斡旋すること。人身売買のこと。


 でもそんなこと言われても……。


 携帯をポケットに入れた俺は、開いたままになっている彼女のノートを見つけた。


 辺りを見回し、口笛を吹きながらノートを自分の前に引き寄せた。

 そっと視線を下ろす。




・主人公① 河内よしお、お好み焼き屋『もんた焼』の長男。

・主人公② 摂津あきえ、タコ焼き屋『きゅーぴっと』の一人娘。別露名市一の美人と評判。

・設定 『もんた焼』と『きゅーぴっと』は向かい会う店同士。以前から別露名の町を代表する粉ものについて争いが絶えない。

・第一幕

〜 舞台『きゅーぴっと』〜

かいがいしくタコ焼きをひっくり返すあきえの母。従業員のヤス。常連客のシゲルじい。

 外から帰ってくるあきえ。あきえの母が見合いの話を切り出す。→写真を見るために親子は退場。

 あきえに密かに恋していたヤスとシゲルじい。なんとか破談に持ち込もうと話し合うところに、やくざ風の男性が二人。

二人組:「邪魔するで」

ヤス、シゲル:「邪魔するんやったら帰ってや」

二人組:「ほな帰るわ」

 一旦店を出る二人。すぐに戻り一言。

二人組:「なんでやねん!」



 俺は、おしぼりを顔に押し当てて心を落ち着かせる。

 

 想像通りだ。どうしよう。


 怖いもの見たさで先を流し読む。



 やくざに騙されて五百万の借金を負った『きゅーぴっと』。

 お見合い相手は貸金会社の御曹司。

 縁談が纏まれば、『きゅーぴっと』を取り潰してパチンコ店を建設する変わりに借金を肩代わりすると言う。様々な一発芸を挟みながら。


 店が無くなると困るヤスとシゲルじいは、あきよと密かに付き合っているよしおをくっつけようと相談していた時、たまたま御曹司とやくざが仲良く話している現場を見る。


 御曹司の狙いがあきよと土地であると睨んだシゲルじいは得意の発明で、仮死状態になる薬を作り、みんなのまえで飲むようあきよに言う。


 やくざにいじくられるよしお。なぜか店に置いていたお仕置き棒で、乳首やかかとや肩をどつかれたりドリルされる中、シゲルじいの毒を飲むあきよ。




 もう読むのをやめよう。乳首をドリルされる意味が分からない。


「ちょっと、なに勝手に見てんねん」


 いつの間にか、彼女が席に戻っていた。

 

 彼女が演劇部でこのシナリオを発表すれば何が起こるのか。

 古典的な朗読劇しか演劇と認めないという、あの金塚先輩が部長を務める演劇部である。金塚先輩の頑固ぷりと、超絶美男子スタイルは校内でも有名。


 必死にこれを作ったであろう彼女が悲しむ姿を見たくない。


 なんとかやめさせなくてはいけない。それが、彼氏のつとめ。

 きっとシナリオ作りに必死になり彼女は気づいていないのだろう。


「それ、配役どうするの?」


「はあ? 演劇部でやるに決まってるやろ」


「ち、乳首ドリルは……」


 彼女はピタリと動きを止めてまた顔を赤らめる。


「演劇部は女子しかいないだろ。乳首ドリルは誰がやるんだよ。だいたい乳首ドリルって」


「乳首乳首言うなー!」


 両耳を手で抑え頭を振る彼女。

 ノートを閉じた彼女は目を充血させて言う。


「誰もしてくれないならうちが……」


「それは彼氏として絶対に許せない」


 俺の毅然とした言葉に彼女は言葉を繋げる事ができなかった。


「自分の彼女が乳首ドリルされるのを許す彼氏なんていない」


 何なんだろうこの脱力感は。俺、すごくいい事言ってるはずなのに。


 ノートを見つめていた彼女は小さく頷いた。


「分かった。そこまで言ってくれるなら、これは出さない」


 ほっと胸を撫で下ろした俺を彼女が睨む。


「そのかわり」


 彼女は丸めたノートを俺の鼻先に向ける。


「いつか、私と漫才して」


「お、おう」


 勢いで頷いた俺。なんかとんでもない事を約束してしまったような。


「絶対だからね」


 ノートを鞄に入れながら彼女がもう一度言う。


「わかったよ」


 俺は冷めたコーヒーをチビチビと飲みながら頷く。

 頷きながら何気なく見ていた彼女の鞄の中、丸められたノートの横にあるそれを見つけた。


『卒業祝公演シナリオ ロミオとジュリエット』


 背表紙には確かにそう書かれている。


「あ、ばれちゃった?」


 俺の視線に気付いた彼女は、この世の物とは思えない、まるで無垢な天使のような笑顔を俺に向ける。


 コーヒーカップを置いた置いた俺は、その笑顔に何も言えなかった。


「トイレでずっと決め台詞考えていたんだよ」


 そうか、決め台詞ってあれのことだったのか。

 なんかだまされた事に腹が立ってきた。しかえししてやる。うん。許されるはず。


「乳首乳首いうなー!」


「ちがーう!」


 彼女はまるで椿のように耳を真っ赤にして言った。



     *




 喫茶店を出ると、ちらちらと舞う粉雪が街灯に照らされていた。


 俺に身を寄せた彼女の息が白く広がる。


「来週は遅れないでね」


 もちろん。なぜならば来週は…… 恋人の日バレンタイン。


「絶対に遅れません」


 プレゼントを持っている女の子を待たせることなどできない。生まれて初めて、生まれて初めて俺は憧れの本命チョコを目にすることができるのだろう。


 本命チョコ。母親からもらうチョコとはきっと何もかもが違うはず。


「バレンタインは陰謀の塊や」


 彼女の小声は聞かなかったことにしよう。












 

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