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03 成人式

 芳しいコーヒーの香り。決して主張をしない、クラシックのメロディー。

 カウンターの上では、サイフォンが心地好い音を立てている。


 町外れの喫茶『シャングリ・ラ』は、そこに座るだけで、まるで大人の世界に足を踏み入れたように感じる。


 彼女が来るまでは。



 というか、まさに店の中は大人の世界だった。

 俺の座る店奥の席を除いて、カウンターを含め全ての席が晴着姿の女性と、スーツやら羽織を着た男性に占められている。


 剣道の試合帰り、竹刀袋を壁に立て掛け、道具袋を足元に置いた学生服の俺は完全に浮いた状況だった。


「遅くなってごめんね」


 横の席に座る振り袖の女性の首元に巻かれたポワポワを見ていた俺に女性が話かける。

 店が忙しい時だけ臨時でバイトに入る、神崎ミヤコ。

 フリルの付いたメイドエプロン、栗色のポニーテールには水色で縁取りされた布製のカチューシャ。

 喫茶店で働くアルバイトの少女。

 というか、クラスメートである。


「あんた……、臭うよ」


 テーブルにコーヒーカップを置いた彼女は、鼻をつまみながら、晴着の中に消えて行った。

 慌てて、手の甲に鼻を近寄せる。

 クラブの皆が臭い消しに使っている消毒液で何度も洗ったから大丈夫なはずだが。やっぱりシャワーに入ってからくるべきだったか。剣道部員としての性とはいえこれはまずい。

 トイレは、女性が列を作っている。

 しかたなく、テーブルの上のナフキンを数枚抜き取って手を擦る。



「オドレは、木の根っこで母親を殺されて、スカンクやらカラスやらと暮らして、カエル飛び競争の賭けにされて、それでも、母親を失った飼い主の心を和まし続けた動物か?」


 西小路紗耶香。


 ごった返す店内で俺を探し、コートを椅子に掛けて、椅子にどかりと座り、足を組み、肘をついて俺を見る。

 その台詞は、まるで誂えられたかのように一連の行為にピッタリの長さだった。


 手を擦る事を忘れていた俺は、必死に彼女の言葉の意味を考え続けていた。

 おそらく、あのアライグマの事なんだろうけど、何も反応出来ないのはみっともない。


 どうする。コーヒーカップの横の角砂糖を溶かして首をかしげるか。もしくは一円玉を大切そうに眺めるか。しかし、砂糖はもう溶かしているし、一円玉は財布にあったかな。


 フル回転する頭を持ち上げ彼女を見る。

 

 別にリアクションなんか期待してないけど


 彼女の瞳がありありとそう語っている。

 なんとかしないと。なんとかしないと。なんとか……


「キュ、キュー?」


 思わず口から絞り出たのは、おそらく、あの動物の鳴き声、なのだろうか。


「15点。ところで、なんやねん。この混みっぷりは。やっぱりあれか」


 回りを見ながら言った彼女は、言い終わると同時に俺を睨みつける。


 町の成人式が行われる市民会館から駅前に向かう道沿いにあるこの喫茶店では毎年恒例の光景である。

 つまり、成人式を終えた新成人達が二次会に行く時間つぶしである。


「成人式、ありゃなんだ?」


 やはり来たか。まあ、これに関してはおそらく話題に上がるだろうとは思っていた。


 いや、それよりも15点て……


「今年二十歳になる人達が成人した事を祝う事、かな」


 やはり、角砂糖を溶かすべきだったか。

 コーヒーカップ横の角砂糖を横目で見る。


「成人…… なるほど。成人ねえ」


 身を乗り出して舌なめずりする彼女。



「はい、チュノム、おまたせ」


 彼女の背後に立った神崎ミヤコがコーヒーカップをテーブルに置く。


「相変わらず熱々だね。紗耶香」


 空になったお盆を豊かな胸に抱いたミヤコが彼女に笑いかける。


「ば、馬鹿な事言ってないでちゃんと仕事しなよ」


 真っ赤になった顔を伏せた彼女が早口で言う。


「紗耶香、可愛い過ぎ!」


 ミヤコは彼女の光輝く黒髪を優しく撫でる。

 顔を上げた彼女がミヤコを睨みつける。


「はいはい、お邪魔様でした」


 笑いを堪えながら立ち去るミヤコ。が、立ち止まり、一瞬、俺を睨む。


「成人式、これは政府による陰謀やと思うねん」

 彼女の言葉に俺はミヤコから目を離す。


「せ、政府? 着物業界とかなら分かるけど」


 コーヒーカップに口を付けた彼女は、さげすむような視線を俺に向けていた。


「浅い……。悲しいくらい浅い思考やわ。まるで眠りに入る前の探偵の推理並やな」


 なんだよ、眠りに入る前の探偵の推理って。……、いや、口ヒゲを生やした彼の事か。でもあの人、たまに真相を言い当てたりもするのに。


「着物を売るための業界の陰謀じゃないんなら、どんな陰謀があるんだよ」


 俺の言葉を聞いた彼女は、頷きながら、腕を組み、椅子に背を預けて目を閉じた。"眠りの紗耶香"ということか。

 しかし、瞳を閉じた彼女は、まるで魔法をかけらるて眠り続けるお姫様のようで。

 

「一生の内で人は何度着物を着るか」


 張り裂けんばかりに膨らむ南天の実のような唇が開かれた。


「七五三、成人式、結婚式、お宮参り、子供の入学式、あとはお葬式や」


 眠りの紗耶香は瞳を閉じたままでニヤリと笑う。


「着物イコール宗教、にしたい政府によるマインドコントロールやな」


 そうきたか。

 俺はコーヒーカップを口に運びながら言う。


「誰がなんの為にマインドコントロールしてるんだよ」


 言いながら、ミヤコの言葉を思い出した。

 彼女が目を閉じている隙に手の甲を鼻に近づける。うん。確かに、まだ臭う。


「着物を着るのは特別な日だけや。しかも宗教に絡めるあたり、なかなか上手いことやるもんやな」


 眠りの紗耶香は、コーヒーカップを探して机の上で手をまさぐっている。

 俺はしかたなく、その手に彼女のコーヒーカップをあてがってあげた。

 まさに体は子供な彼になった気持ちである。


「日本的な文化を破壊したい某合衆国による誘導や。洋服の市場拡大にもなるしな」


 なるほど。


 俺はナフキンで手を擦りながら頷く。

 完全に和服を禁止すれば反発をくらうだろう。そうではなく、和服を特別な日に着る特別な物、しかも宗教的な色あいまで付けてしまえば、人々は自然と洋服を着るようになる、と。


 さすがは眠りの紗耶香…… 


 とでも言うと思ったか!


「でも、入学式や成人式は宗教と関係ないだろ」


 痛いところをつかれたのか、彼女は口にコーヒーカップを付けたまま固まる。


「それに……」


 俺は、ナフキンを丸めて机に置く。少し、恥ずかしいけど、言っておかなければいけない。


「紗耶香の着物姿、見てみたいし……」


 眠りの紗耶香は、コーヒーカップを揺らせながら瞳を開けていた。


「成人式が始まったのは、1946年、埼玉県蕨市。当時は戦後復興の真っ只中」


 喫茶店を一回り見回した彼女が、俺に笑いかける。


「若い彼らは、未来の日本の希望だったんだろうね」


 周りの雑音が消えていく。空気が固まるような感じ。

 彼女の笑顔は、魔法の様に俺の心臓の鼓動を激しく速めた。


 嗚呼、彼女はまさしく、俺達みたいに小さなことにくよくよして、へこんだり、文句ばっかり言っている愚民の下に現れた女神様。こころのトゲトゲがはがされていく〜。


 恍惚の表情で彼女を見る。

 鼻をつまんでいた。


「篭手くさい」


 彼女の一言に周りの雑音が消えていく。空気が固まるような感じ。


 嗚呼、彼女はまさしく、俺達みたいに小さなことにくよくよして、へこんだり、文句ばっかり言っている愚民の下に現れた小悪魔様。こころのトゲトゲが研ぎ澄まされていく。


 でも、でも、でも。

 これだけは言ってやる。 

 俺は、彼女から目を反らし、小声で呟く。


「さっきの台詞の方がくさい」


 言っちゃった〜。


 恐る恐る彼女を見る。

 俺を睨みつけているはずの彼女は目を細めて笑っていた。


「80点」


 彼女はそうに呟くと、照れを隠すようにコーヒーカップを口に運んだ。


「え……」


 唖然として口を開ける俺。



 カラン、コロン。


 喫茶店の壁に掛けられた振り子時計がベルを鳴らす。

 晴着姿の成人達が一斉に立ち上がり、店出口側のレジで会計を始めた。

 ミヤコが忙しそうにレジを打っている。


 時刻は五時。駅前の居酒屋がオープンする時間である。



     *



 トイレ前の狭い通路。小さな洗面所でハンカチを口に加えて、手を洗う。

 一気に人がいなくなった喫茶店はいつもの通りの閑古鳥。

 

「ぷっ。くさいとか言われてやんの」


 手を洗いながら顔を上げて鏡を見ると、お盆を背中に持ち、壁にもたれるミヤコがいた。

 悪戯っ子のようにニヤニヤと笑っている。


「へつにいいひ。俺、80点たし」


 俺は、ふんっと鼻で笑い、手を洗い続ける。


「80点ねえ。私の最高得点は95点。あんたもまだまだだねえ」


 な、なにぃ〜


 鏡には勝ち誇った顔のミヤコ。

 俺は水を止め、ハンカチで手を拭く。

 濡れたハンカチをきちんと畳みポケットに入れると、後ろを振り向く。


 そして、九十度腰を曲げる。


「俺、俺もっと高得点がとりたいです」


 ミヤコは、豊かな胸を見せ付けるように背を反らし、頬をぷぅと膨らませて言う。


「恋愛とお笑いは諦めたらそこでおしまい。精進せい」


 ガハハと豪快に笑いながらミヤコはトイレ前の通路から店内に戻っていった。

 と、彼女は足を止める。


「本当に高得点を取りたいなら、紗耶香の事、ちゃんと考えてあげて」


 らしくないミヤコの真顔に、俺はただ頷くことしかできなかった。



     *



 喫茶店『シャングリ・ラ』を出ると、通りにはすでに街灯が灯っていた。


 冷たい風が一吹き。彼女のスカートが揺れる。

 そういえば、今年一番の寒さになるって……


 右肩に道具袋をくくりつけた竹刀袋を担ぎ直す。


 ポケットに突っ込んでいた左手が強引に引き出された。


「こうしてると暖かいよね」


 彼女は、俺の手を両手で包んでくれていた。


「でも、においが……」


 俺は慌てて手を引こうとしたが、彼女はその手を強く握った。


「私、剣道のにおい、あんまり嫌いじゃないんだよ」


 頷いた俺は彼女の、凍えそうな、そして想像したより細いその手を握りしめた。



 恋愛とお笑いに大切なもの。


 それは相手の気持ちを想い遣る事。


 これから経験していく、俺の知らない様々な事象。それらを糧にして、人の心を思い遣る事。

 それが人として成る事。


「つまりや。政府としては箱物行政を進める口実としてやな、成人式を……」



 俺の横を歩きながら相変わらず『陰謀論』を語る彼女。


「ありがとう」


 俺はそっと呟く。


「なんやそれ。0点やわ」


 彼女はぷいと顔を横に反らすと、「うん」と小さく頷いた。

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