終章
「すごい、本当に傷が塞がってるよ。あんなにぐっさり貫かれてたのに」
そう言って、永久はハッカの生っ白い腹をさすった。そこに儚に穿たれていたはずの穴はなく、代わりに大きな傷痕だけが残っていた。
「ちょ、やめっ、くすぐったいよ」
「ああ、ごめん」
「もういいでしょ、しまっていいでしょ?」
「うん、いいよ。これだったら問題ないですよね、ねぇ牧師?」
しゃがんだ永久が見返った先には、帽子で顔を隠しながら仁王立ちする唐鍔牧師がいる。
「ふん、怪我人でもない人間をサボらせる道理はない。さっさと学校でもどこでも行ってこい」
「言われなくてもそのつもりです。それより二人の方はどうなのさ、そっちだってケッコー怪我したって聞いたよ?」
「あん、それなら心配ご無用さ。俺の伽藍堂や牧師の量子凝縮能力は物質や空間を操ってんだぜ? 体組織の再構築なんてチョロイチョロイ。ですよね牧師?」
「……まぁ、な」
振られた唐鍔牧師はむすっとした仏頂面で、どこか上の空だった。
「ねぇ、どうしたの社長? いつも変だけど今日は特に変だよ」
顔を近づけ永久に小声で尋ねる。
「それはね、牧師昨夜はずっと寝てないんだよ」
と永久も小声で返した時だった。
「永久!」
唐突に怒鳴り声を上げる唐鍔牧師。
「はい!」
「わたしは今から寝る、今日の礼拝の準備はお前にまかせた。以上、業務連絡終わり!」
そう言うと唐鍔牧師はエレベーターで牧師館の最上階の自室へ上がっていった。
「何あれ?」
「君らのことが心配で一睡もできなかったんだよ」
「えっ、でも傷のことなら昨日の時点でタイジョブだって──」
「牧師もあれで繊細で神経質な人でね、傷は治ってるのに痕がそのままなのが納得できないのさ」
「それは……」
すべてを拒絶し自らの殻へと閉じこもる《後天性奇形大脳皮質》。究極の現実逃避能力であるあの結界の中でおこなわれることは謂わば夢幻。儚が夢から醒め、現実を受け入れたことで《後天性奇形大脳皮質》が消え去ったと同時に、ハッカの腹の傷も消えた。
ただ、今も傷痕だけが消えない理由はただ一つ、ハッカが儚という痛みを受け入れてしまったから。しかし心配するまわりの人間をよそに、当の本人はまるで気にしていなかった。むしろまわりに気遣われるのが心苦しかった。
「麦ちゃん……、だったら俺のとっておき、見せてあげようか?」
再びしゃがみ、真正面から顔をのぞきこんで微笑む永久に、ハッカは首を傾げる。
「じゃん♪」
永久はいつも前髪で隠れていた貌の右側を見せた。
「──!?」
ハッカは戦慄した。そこには眼球がなかったからだ。右眼の周辺が白い傷痕で塗りつぶされ、眉も目蓋も〝眼〟を構成する何もかもがなくなっていた。
「はい、終わり」
掻き分けていた前髪を降す。と、その左半面の貌は満面の笑顔で彩られていた。
「どう、お揃いだろ?」
「う……、ん」
ハッカは言葉を詰まらせた。
「何さ、もしかして引いちゃった?」
そう訊かれて、ハッカはブンブンと頭を横へ振った。
「そんなこと……! そんなことないよ!」
「そ、ならよかった。まっ、理由は麦ちゃんと似たようなものだからさ。俺もね、昔受け入れちゃったんだよ」
「永久クン……」
「そんな辛気臭い顔しないでよ。ほら、笑った笑った!」
見かねた永久は、ハッカのTシャツをまくりワキワキと十指で腹をくすぐってきた。
「ちょ、永久クンっ──ひゃんっ!?」
ちーん。
不意に、エレベーターの昇降音が聞こえてきて、格子戸から儚が現れた。
「「「──あ」」」
三人が三人、異口同音としまったく同じ反応を見せる。そして空気が固まった。
「あっはははは、いやー傷は大丈夫そうだね。よかったよかった」
一番に動いたのは永久。ハッカのシャツを急いでただし、ついでに手櫛までかけてやる。
「いやー、麦ちゃんの髪はサラサラで柔らかいなー、あれだね、木炭の燃えカスみたいだよー…………」
永久の横を、俯いて顔を隠した儚が足早に通り過ぎて往く。
「木炭の燃えカスみたいだよー……、だよー……、よー……はぁ」
がっくりと肩を落とす永久。
「まぁ、まだ二日目だから仕方ないか。これからだよね、ねっ、麦ちゃん」
そう、永久が傍らの少年を見下ろした時だった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
震えていた。小さな少年は小さく丸まって小刻みに震えていた。
「麦ちゃん」
永久はハッカをそっと抱き寄せた。
「うん……ダイジョブ、ありがとう永久クン」
そう言いながら、けれどハッカは永久の黒のベストを強くつかんでいた。
それからハッカは学校へ行った。永久は酷く心配していた。
「大丈夫? 本当に大丈夫? バイクで送っていこうか。それても今日は休もうか。え? 行くの? じゃあ何かあったらすぐに電話するんだよ。ああ、もう君はもう充分がんばった別に逃げたっていいんだ。少なくとも、俺は責めたりなんかしないよ」
そう優しく励ました。
† † †
きーん、こーん、かーん、こーん。
そうして陽は西に傾き出し、その日最後に鳴る学校のチャイムが、今鳴り終わった。
まだ学校の強制下校は続いたまま、だから学校には誰もいない──ということになっている。けれど教室には一人残る儚の姿があった。補習をやらされているわけではない。ベンジンで机に書かれた落書きを落とそうと一心に磨いていた。しかし年季の入った油性マジックはなかなか落ちず、次第に頭が朦朧としてくる。
「あうぅぅ……」
もうかれこれ一時間近く机を磨いており、その他にも上履や体操着を洗っていたら、いつの間にか視界に朱色の紗幕が垂れ込む時間になっていた。
もう帰ろう、あの人たちがいる所へ。
儚の中から、真神の心は抜け落ちて、儚は本当に孤独になってしまった。祈り屋の人たちを家族のように思えるかは、わからない。でももう、ハッカにも頼れない。だから一人でがんばらないといけない。がんばって一人で強くならなくちゃいけない。そんな思いが、儚をイジメと向き合わせた。
まだこの程度のことしかできないけれど、見てみぬフリだけはもうしない。
ただそれでも、ちょっと──、
「疲れた、かな」
生徒昇降口の前で、ぺたんと座り込んだ。動きを止めると、アドレナリンが切れてどっと疲労感が増す。それでも不思議な、脱力する心地よい疲れだった。
もう、儚の中に以前のような不安や焦りはない。いや、少しはある。でも先の見えない明日に恐怖する気持ちは、あまりなかった。幸せの絶頂とは言い難い灰色の〝今〟を生きる力を、儚はつかみかけていた。
けれど少し、気を張り過ぎた。
微睡みが意識を食み、儚はその場で眠ってしまった。
「────────っ」
すると一〇分ほどで眼が醒める。憶えのある気配が、鼻腔をくすぐったから。膝に埋めていた頭をやおら上げる。すると視線の先で小動物のようなものが見えると、それは驚いて下駄箱裏へと隠れてしまう。
『莫迦者がっ! 何故隠れる!』
「うるさい、黙ってろバカ犬!」
『犬と呼ぶなと言うとろうが!」
「バカはいいのかよ!」
「ねぇ二人とも……、何シテルのかな?」
「──はっ!」『──はっ!』
ひょっこりと下駄箱の影から顔を出した儚に、隠れていた白髪の少年と、その右手にはまった犬のマペットだった。
「あっ、えっと、あっと──あっ、これ!」
「はぅっ」
困ったハッカは、咄嗟に右手を儚の眼前へ突き出した。
「真神サマ」
『儚』
その隙間は三センチほど。
「こいつをオマエに、返す」
「えっ……できるの、そんなの」
ハッカは遠慮がちにコクリと頷いた。
「こいつは、亜鳥とデミアンの仲立ちでまだぼくのところに残ってるだけだから……ホントはオマエの中じゃなきゃ消えるんだ。オマエといっしょじゃなきゃ、ダメなんだ」
「そう……なの?」
儚は真神へと問いかける。
『如何にも』
「真神サマ……儚のところに戻ってきてくれるの?」
『儂に、お前の傍ら以外に何処へ行けと言うのだ、儚よ』
「真神……サマ」
「オマエもぼくも、頭の中はまだへびつかい座ホットラインにつながってるんだ。だから気持ちを合わせれば、心を一瞬でもいいからいっしょにすれば、こいつはオマエに帰ってくる」
心をいっしょにする──なぜだかその一言が、不意に儚を不安にさせた。
「手を出して」
若干の躊躇いを見せながらも、儚は言われるがままに手を前へと差し出した。
するとハッカはその手をそっと握ってくる。
「はぅ」
思わず声が零れた。
片方はハッカの白くて柔らかい手が、もう片方は真神をはめた手が。もしかしたら自分はまだ夢を見ているのかもしれない。あのハッカが自分から手を握ってきてくれるなんて。
「目を閉じて」
目蓋を閉じると、手からの脈動と温もりが際立って伝わってきた。少し湿っていて、爪のまわりにちょっとだけささくれ立った場所がある。
鼓動がみるみる速くなる。呼吸はどんどん荒くなる。
いつの間にかハッカよりもずっと手が汗で湿っぽくなっていた。
すぅー……ふぅ……。
ふと、耳に涼やかな息の音が撫でた。ハッカはとてもゆっくり息を吸って、そして吐いている。
「すぅー……ふぅ……」
儚も自然、その呼吸に引き寄せられる。いつしか二つの呼吸は一つになっていた。
すると二人の耳の奥から踏切の音が聞こえてきた。次に電車の車輪がレールを滑らせる音、揺れる音、車窓から流れる風の戯れる音。
そして目蓋の裏に、向かい合った座席に座る、自分たちの姿があった。
すると車輌の奥から、ギシギシギシと不可思議な足音が聞こえてくる。
『儚』
と呼ばれて顔を横へ向けると、そこには大きくて立派な毛並みを揃えた、一匹の狼が立っていた。
「ふぅ……」
申し合わせたように、二人は目蓋を開けた。すると真神のマペットはハッカの右手から、儚の右手へと移っていた。
「真神サマって……本当はあんなにかっこよかったんだね」
『当然であろう、儂はお前の、お前だけの──守り神だからな』
「真神サマ」
二人の世界に浸る儚と真神をよそに、ハッカは一人昇降口前を降る階段にいた。
「あっ…………ハッ、くん」
小さな背中に投げた言葉。少年はビクリと震えた。それから数秒後、少しだけバツが悪そうに振り返る。
「こんな夕暮れに、小学生を……、子供を一人で帰らせるつもりかよ」
「え?」
今度は儚の肩と頭がピクンと跳ねた。
「帰る場所が同じなら、その……友達というか、家族というか……、その、とにかくいっしょに帰るのがフツーだろ!」
夕焼けで、顔はもちろん耳まで真っ赤にさせながら、少年は手を差しのべた。
堪らず少女は少年へと駆け出し、そして飛び込んだ。
「ハッ────────────くーーーーーーん!!」
「うわっくぅ!」
「はぁっ、はぁっ、ハッくん、ハッくん!」
「ひゃあっ、指なめるなっ! 気持ち悪っ! って、どこ触ろうとしてんだこのヤロー!!」
「えー、だってこれがフツーなんでしょー?」
「こんなのがフツーなわけあるかっ!」
「ハッくぅぅん、ハッくぅぅぅん」
「ウザっ、つうかキモっ!」
そう言うと同時に、ハッカは儚の太もも横へ痛烈な蹴りを入れた。
「はうっ!?」
儚はその場に倒れ崩れ、神経に入った衝撃で身体が麻痺して動かない。
「痛いよぉ……、動けないよぉ……」
儚は涙を流し顔をボロボロにさせる。
「知るか、一生そこで寝てろ」
「ぐずっ……ハッくぅぅぅん」
† † †
「だからひっついてくるなようっとおしい」
「うわぁ~ん、だって陽が落ちて暗いんだもの」
「嘘こけ、ネオンでめちゃくちゃ明るいだろ。というかもう着いたぞ」
二人はもう祈り屋のすぐ眼の前まで来ていた。今日は永久から仕事があると言われていたため、学校が終わったら直で教会に行くように言われていた。それが随分と時間を食ってしまった。優しい永久はともかくとして、厳しい唐鍔牧師からは折檻をもらうかもしれない。ハッカはそんな覚悟で胆を決め、メメント・モリの門をくぐり、重たい樫のフレンチドアを開けた。すると、
──ハレルヤ!!
と、口を揃えて幾人もの執事たちが祝福の言葉を投げかけると同時に、シャンパンの栓を音とクラッカーが弾ける音の二重奏が鳴り響いた。
あっという間にハッカと儚はシャンパンまみれのカラーテープまみれになってしまった。
「へ? あ? 何なの?」
『何事、敵襲か!』
「あうあう、あうあう」
ハッカも真神も儚も、一様に眼をパチクリさせたまげる。
「これは君らの歓迎パーティーさ」
執事たちの間を掻き分けて、みなより背の低い永久が三人の前へやって来た。
「歓迎パーティー?」
「ま、正確には洗礼式だ」
そう奥から声が響くと、執事たちは一斉に中央の道を空けた。
そこからいつもの黒いスーツとは真逆の純白のスーツを着こなした唐鍔牧師が歩み寄ってくる。
「仮の、だけどな」
「仮の……洗礼式?」
「うちの宗派だと正式な浸礼は一四歳以上のちゃんとした分別がつくまで勝手にやっちゃいけない規則になってるんだけど──」
「これはお前たちがわたしたちのファミリーになる儀式だからな、細かいこたぁいいんだよ。クリスチャンじゃないお前たちには神の代わりにわたしが親になってやる」
「そんで俺たちが兄弟、ブラザーさ。そうだろみんな!!」
──応ッ!!
そろって執事たちが首肯すると、そのどよめき礼拝堂はわずかに揺れた。
「それじゃあまず清き聖なる水でその身にたまった穢れ不浄、浮世の垢を洗い流してやれ!」
と唐鍔牧師がパチンと指を鳴らし合図すると、執事たちは一斉に手に持ったシャンパンをハッカと儚に浴びせてきた。
「どうだ、一本五万の白のドンペリ、しかも一〇本! 最高の洗礼だろ? この世でもっとも高価な聖水だ」
「うわっぷ!」
ハッカはあたりに立ち込める酒の臭気にむせそうになる。
「はーい、じゃあ次、お待ちかねの按手礼のお時間だ」
「よっ!」
「待ってました」
「死ぬなよ、お前ら!」
はやし立てるギャラリーに、ハッカたちはただただ混乱した。
「は? 死ぬって何────!?」
そして突如としてハッカの左頬にとんでもない衝撃が迸る。瞬間、身体が右側へ吹き飛び壁にぶつかる。
「へ? は? あれ?」
何が何だかわからない。心臓が壊れそうなほど強く速く動いている。それよりも何よりも、顔の左半面がジンジンと熱を帯びながら麻痺している。
それでも何となくだか状況が読めてきた。打たれたのだ、平手で、めっぽう強く。
「な……、何するんで、すか」
「あ? 何って按手礼だよ、按手礼。牧師の身体を通して相手の頭に直接聖霊を注ぐ儀式だよ。どうだ、ビリっと来だろ?」
「死ぬかと思いました」
「人は死の際を体感してこそ生の喜びを知るもんだ。どうだ、嬉しいだろ?」
「あまりの理不尽さにむちゃくちゃムカついてます」
「そうかそうか、逆の逆はまた真なりってな、善哉善哉」
かんらかんらと、人助けをした最後に締めの笑いをする水戸黄門もかくやの一方的で独り善がりの納得をする唐鍔牧師。
(え、というかこれ頭に、っていうか顔だよね? 按手礼っていうか闘魂注入だよね? 聖霊っていうか激痛だよね?)
「そんじゃ次は三千歳、お前だ」
「え、あっ、はい!」
矛先を向けられた儚は緊張で身体が強ばりピシャリと〝気をつけ前ならえ〟の体勢になる。すると、
「────はうっ!」
ペチン、という気の抜けたビールのような拍子抜けした音が鳴った。
「へ? は? あれ?」
蚊を殺す程度の、弱いそれだった。
「何だよ、それ! 何でぼくだけ全力でそいつには手を抜くんだ! そんなのってないよ、おかしいよ、女だからか!?」
野次を飛ばすハッカ。キョトンとする儚。
「ん? いやいやそうでなくて」
ぱあああぁぁぁん。
肉に鞭を打つような気持ちのいい音が響いた。と同時に儚の身体が横っ飛びし、ハッカと同じ壁に、むしろハッカの上に叩きつけられた。
「がはっ!」
ハッカはうめく。そして力なく項垂れる。
「身体、緊張してた。怪我する。危ない」
なぜかカタコトの単語重視の台詞。
「あんたって人は……、あんたって人は……」
「まあそう嘆きなさんな、これで正真正銘、お前らはわたしたちのファミリーだ」言いながら唐鍔牧師は歩み寄り、二人を抱え起こした。「それとお前らにいいものをやろう」
「こいつだ」
と、二人の前に出されたのはシルバーアクセサリーだった。
「これって……」
ハッカに手わたされたのは、以前二つのうちどちらのデザインがいいかで問われた翔く鳥の翼が輪になったリングだった。
儚がもらったのは折り鶴の背中にチェーンのついた片耳用ピアスだった。
「夜なべして作った。リングの方はほとんどできかかってたからよかったが、鶴の方は一晩のうちにデザインしてクレイシルバー練って焼いて彫銀した。疲れた。どっかの糞餓鬼がストックしてたデザインをアルファロメオの劣化コピーとか吐かすから」
帽子の鍔下からジト目を向けてくる唐鍔牧師。
「気にしてたんですか……、あれ?」
「どした」
「いや、その……この指輪おっきくてどの指にもはまんないんですよ」
「何ぃ? 親指にもか?」
「はい」
ハッカの言う通り、リングは細く小さい指のどれとも合わなかった。
「ちっ、あの時は色々テンパってたからサイズのこと忘れてたよ……。返せ、また新しく作り直してやる」
唐鍔牧師はぞんざいにハッカへ手をのばした。
「いえ、いいです」
「あぁ?」
「だってほら、こうして紐に通せば」
ハッカは首にかかっている螺子巻きのついた皮紐を外し、リングにそれを通した。
螺子巻きとリングが当たって、チャリンと銀の透き通った音が鳴った。
「大人になったら指にはめなす。それまではこれでいいですよね?」
「まぁ、お前がいいってんならわたしはもう作らんぜ? 言っとくが後になってやっぱヤダっていうのは無しだからな?」
「はい!」
余程首から下げるのが気に入ったのか、ハッカはチャカチャカと螺子巻きとリングを胸の前でいじくった。
「あ~あ、たくぅ。あれじゃあ直ぐに傷だらけだぞ。シルバーの傷除去は面倒なんだが……」
「いいじゃないですか牧師、あの子自身が気に入ってるなら、それで」
「ふん、それもそうだな。ヨシ! お前ら、メシにするぞメシ! 今日は永久が腕によりをかけて作ってくれた。食い終わったら他のメシ屋呑み屋で二次会三次会だ! ついて来れるな、お前ら!!」
──応ッ!!
『唐鍔御仁、唐鍔御仁! 儂には何も無いのですか、その銀細工の飾り物はないのですか!?』
「黙れ、畜生! ド畜生が! 家の中に入れてもらえるだけありがたいと思え、この畜生!」
みんなが礼拝堂の奥へ移動する中、ハッカは一人ドアの前で固まっていた。
「これが家族……か」
舌の上で転がし、確かめる。自分が想像していた家族像とは、似ても似つかずかけ離れてはあったが、
「いいもん、だな?」
深く考えるとどうにも怪しい、が。
「まっ、いいか、これで──?」
不意に、鼻の息が詰まった。次にぽたぽたとTシャツの前に紅い滴りが落ちる。
「あっ、鼻血」
唐鍔牧師に殴られた後遺症が、少し遅れて現れた。
† † †
動物たちの奇面が吊るされた回廊。
天を突くは鳥居の電波塔。
鯨の残骸。
その最奥。
山と積まれた電影を映し出す投影器。
ブゥゥゥン。ザ、ザザザザ……。
『天に精星、地に凶星。世は遍く流転、金白西秋哭。五黄、回天するは太極の器……か。
なるほど、まさかここまで早い展開になるとはね、ボクでも予想しきれなかったよ。でもこれで核となる世界卵も確認できた。直に対存在も生まれる。すべてのファクターがそろいつつある。
ん? そう言わないでおくれよ、亜鳥。ボクはもう失敗しない。これはまだほんの始まりじゃないか。ボクの普遍言語がモナドの境界を融和させる日も近い。
〝鳥は卵から出るために戦う。卵は世界である。生まれようとするものは世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアブラクサス〟
さあ亜鳥、ツァラトゥストラの一三階段はもうすぐそこだ。あれを踏破し、神の眼前へ立った時こそボクは神に言わせてやるのさ〝神は死んだ〟────とね』