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異世界の愚か『もの』 ~世界よ変われ~  作者: ahahaha
デルト王国 ~望んだ望まぬ名声~
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80話 悪魔の宣告

オルハウストは見ていて正直、同情を禁じ得なかった。


 グランド、その中身である令という存在をそれなりに知っている身としては、この一連の流れがこの男の掌の上だったのだと簡単に理解できた。


 まず始めに予想外のことを引き起こして場の流れを持っていき、その効果が続くうちに、相手の神経を逆なですることで相手の感情をかき乱す。そうして思考がわずかに緩んだうち、相手を焦らせ、致命的な隙をつくる。最後に相手が予想もつかない鋭い一手を以て、相手にとどめをさす。それがオルハウストの知る、令の基本手口。


 今回の場合、アリエルという目立つ駒で衆目を引き寄せ、その後の言動で完全に空気を自分のものとした。そして持前の演技力というか、芝居力というか、視線、仕草、舐めた言葉といった所作の一つ一つで相手を昂ぶらせる。オルハウスト自身もやられたことがあるが、アレは正直、腹立つ。まるで魔法のように心をかき乱される。


 その内心の揺らぎに付け込み、相手の要求を敢えて受けることで、そこに疑念と困惑を呼び込み、一気に相手の防壁へと穴をあける。普通、そんなことをすれば自身の不利益を被ることになるが、令にとっては関係がない。そんなもの、令はいくらでも『上書き』が出来るのだから。そうしてクラウスは思考力が鈍り、普段であればしない、あるいはもっと裏を読んだ上で選ぶであろう、撤退という選択肢をとった。


 令はその隙を見逃さない。一気に、『奥義書』などという、絶対に相手が見逃せない鬼札を以て、場を支配した。


 本来であればその書物が果たして本物であるかどうかを疑うものだが、クラウスは書が相手にわたり技術が拡散する可能性が僅かでもあるならば、それを見逃すことなどできない。真贋はこの場合関係がないのだ。


 性格が悪い。

 

 オルハウストは令のこの行動が、一種の意趣返しだと分かった。

 先ほど令は、おそらく濡れ衣であろう罪を着せられ、そしてデルト側が絶対に断れないように根回しされて、自身の身柄を押さえられようとしていた。

 それに対抗し、今度は自分が真贋関係なく相手が絶対に無視できない情報を盾に、相手を思い通りに支配した。やられたからやり返した。言葉にすればそれだけのこと。子供染みた癇癪。だが、それを令は実行し、実現させてしまう。


 その能力の高さに、オルハウストは令がこんな騒動を引き起こした男だというのに、ただただ感嘆するしかない。


「それで、そちらは何をお望みで?」


 脚を組んだ尊大な態度で、グランドはとぼけたように尋ねる。その傍若無人な様は、思わず溜息が洩れるほどこの男に似合っていた。


「……その『奥義書』とやら、そちらをこちらへ譲っていただきたい。そのための対価は用意いたします」


 しかし、それを受けるクラウスは気分を害した様子はない。淡々と言葉を紡ぐ。


 余計な誤魔化しを捨て、簡潔に用件を述べる。立場が劣勢になった以上、無駄な飾りや遊びは致命につながりかねない。そのことを正しく理解した、素晴らしい対応だった。そこに、悪魔の掌で弄ばれるあまり思わず憐れみの視線を向けてしまったころの彼はもういない。


 終わったこと、過ぎたことを引きずらず、切り替え、求めるものを得るために力を注ぐ。言葉にすれば簡単だが、そんな理屈に従い自分を操ることが何よりも難しいとオルハウストは知っている。

 

 グランドはその言葉を聞き、思案するように目を閉じる。

 

「では貴国へ要求します」


「なんでしょうか」


 クラウスの顔が、微かに強張る。


 無理もないとオルハウストは思う。こんな無茶な相手に何を要求されるかなど、自分なら考えるだけで鬱になりそうだ。


「一つ、私のエリュシオンへの同道の期限を一か月へと延長する。二つ、その間のデルトへのいかなる形においてもエリュシオンの国家としての干渉を禁じる」


「…………なんですと?」


 口を開け、呆けるクラウス。礼儀が成ってないと叱責されてもおかしくない醜態だが、オルハウストも気が付けば彼と全く同じ行動をとっていた。


 それだけ、令の要求というのはおかしい。せっかく相手の要求を撥ね退けうる手を握ったにも関わらず、それをこの男は捨てるという。相手の巣であるエリュシオンへ行ってしまえば、あるのは身の破滅だけだというのに。期限を延ばしただけでは、それは何の解決にもならないだろう。


 もしかすると、約束するだけしてして、期限の間に逃走するつもりなのかともオルハウストは疑ったが、次の言葉でそれも消える。


「私が逃げることを懸念しているのなら、『血の盟約』を結んでも構いませんよ」


 クラウスもオルハウストも言葉を失う。


 『血の盟約』とは、エリュシオンのみが製法を握っている特殊な紙、〈血盟紙〉を用いて交わす契約のことをさす。その紙を用い、互いに合意した約定を記入すると、その契約をたがえることは決して許されない。


 理由は簡単。


 破れば死ぬからだ。


 もし契約に背くようなことがあれば、その違反者の心の臓は活動を停止する。一体どうすればそのようなことが起こるのかは不明であるが、その残酷な末路から、『血の盟約』はあらゆる意味で最後の手段として知られている。その紙の希少性も相まって、用いられるのは国家間の条約などの重要極まる場面がほとんどで、市政に出回ることはまずない。


「持ってきてるのでしょう。貴方はエリュシオンの全権名代だ。もしもの時のため、国家間の契約を確実にするため、それを使うことは当然想定しておかなければならない」


 そして、今はその数少ない一例となりうる状況。

 大国が三国も一所に集結し、何かを話し合う。当然、容易しておいて然るべき。


 だが。今、オルハウストの目の前の男が、それを持ち出す意味は、全くない。せっかくの有利な状況を、あの時のようにまた捨てようとしている。


 クラウスは、歯を食い縛り、必死に考えを巡らせているようだった。当たり前だろう。この男が、何の意味もなくこのようなことを言い出すとは思えない。なんらかの罠か。あるいはこれもまた、何かの布石か。


「早とちりしているところすみませんが、まだ私の要求は終わっていないのですが。そちらをお話してよろしいか」


 そんな疑惑に満ちた空気のなか、グランドはオルハウストたちの勘違いを正す。彼の(攻め)はまだ終わっていない。空気が彼の続きを促すものになると、彼は次の要求を口にする。


「三つ。貴方の隣のスルス教国の……司祭の方へ、私との会談の機会を提言して頂きたい」


 そして、さらに謎が深まった。

 そんなもの、別にこの場で話を振ればいいだけのこと。わざわざエリュシオンが間を取り持つ必要は全くない。


「……………………何を考えておられる」


 脱水症状を懸念したくなるほどの冷や汗と共に、クラウスはようやくそれだけを絞り出した。

 交渉の場で、相手に目的を問うなど、下策もいいところ。そんなことをした時点で、交渉官としては失格である。だが、オルハウストは、そして他の誰もが、そのことを笑おうなどとは思えなかった。

 令はその反応を無視する。


「別に構わないでしょうなんでも。初めからそちらは、こちらがどうしようと、どうでもいいんですから」


 オルハウストはその意味が分からない。だが、クラウスの反応は顕著だった。肩を大きく震わせ、目を大きく見開く。


「以上です。これらの要求を以て、私は貴国の要求を受け入れましょう。なお、そちらがこちらの約束を違えぬ限り、こちらもあらゆる意味においてそちらの不利益となりうることはしないことを誓約いたします」


 それは単に、エリュシオンと敵対しないということのみを意味しない。奥義書とやらの内容、それに加え、あらゆる技術の拡散を厳に慎むということ。クラウスたちとしては、現時点でそれ以上の成果はない。


 まして、要求そのものにしても、確かにデルトへの干渉を禁じられるのは不利益と言えるが、その結果得られるものはそれをはるかに超える。


 グランドの要求を否定する意味は、微塵も存在しない。


 グランドの意図という、余人には想像もつかない一点をのぞいては。




◇◆◇◆




 一枚の紙に、流麗な文字が躍る。予想通りだがある意味意外でもあるという自身の相反した感想を、クラウスは持て余していた。そんな無駄な思考をするのも、そうすることで無理やり口をだそうとする自身を誤魔化すため。


 見ると、男の後ろのオルハウストも渋面で何かを耐えるようにしていた。それも仕方がない。


 今のこの状況、不自然にもほどがある。わざわざ自分の優位を確立しておきながら、今書面を書き上げている男は、それを棒に振るおうとしている。


 それは身をなげうって、デルトという国のために尽くそうという見方もできる。実際、この状況を知れば、大体の人々はそう思うだろう。高潔で素晴らしい者だと、目の前の男を賞賛するだろう。


 だが、クラウスは男がそんなキレイゴトをするような男だとは、微塵も思えなかった。


 だから、なにかの罠なのではと疑ってしまう自分を止められない。


「確認をお願いします」


 目の前に差し出された書面を確認する。

 

 双方の要求が過剰書きで記載され、下の方に男の署名と血判が押されている。

 

 間違いなく、問題なく、洩れもない。書面は一件、何の問題もないように思える。


 だが、その自分の考えが、クラウスには信じ切れなかった。

 これのどこかに、こちらにとって致命となる細工がしてあるのではと疑うのをやめられない。そのため、何度も何度も見直すが、やはりおかしいところはない。


「何か問題が?」


 声を掛けられる。もう不自然なくらい時間を無駄にしている。これ以上、時間を掛けることは出来ない。


「……いえ、大変結構です」


 苦渋の想いで、クラウスは自身も署名し、添えられた短剣で右親指の腹を軽く切り、血を擦り付ける。


 契約内容の記載。二人の契約者の名前と血判。そして、最後に一つ。


「「我、この血を以て誓う。誓約は正当なり。我らが総意なり。故、果ての如何なる咎をも受け入れん」」


 双方の合意の宣言。


 これを以て、このただの紙切れは決して破れない鋼の約定となる。

 紙面が発光し、クラウスは胸に不和を感じ取る。まるで外部から蟲が這い入ってくるような、そんな不快感。


 それを確認し、クラウスは、重くなる気分と荷が下りた安堵の矛盾した感覚を味わう。


 グランドの目的は分からない。だが、これで間違いなく彼はエリュシオンの意向に従わざるを得なくなる。この奇矯な男も、さすがに心臓が止まれば死ぬ。


 …………そのはずだ。なぜか殺しても死ななそうな気がしたが。


 なにより、これで彼の役目は終わった。グランドにもう、心乱される心配がなくなったことが、何よりも彼にはありがたかった。


 そう考えるのは、実に自然な流れと言える。


 だから、油断、そう言うにはあまりにも彼に気の毒なこと。


「では、早速ですみませんが、一つお願いします」


「ええ。分かっています」


 グランドの言葉を受け、クラウスは隣の女性に向き直る。


「アラウルラ殿、お願いしてもよろしいでしょうか」


「もちろんですぅ。まったくかまいませんよ、私もこの人ともう少し話したかったですしぃ」


 物好きな、という感想と、そういえば結局この人ははじめの方以外全然手助けしてくれなかったなという非難から、視線に不満が籠ったことを自覚する。


 だが、これで彼の契約の一つだった、『スルスとの交渉の仲立ち』は果たした。

 

 これであとは、帰るだけ、そう思った。


「いやあ、ご苦労様です。あ、最近暑いですからね、熱中症にならないようにこちらをどうぞ」


「ひゃほおぉぉおおッ!?」


 そんな彼の首元に、冷たいものが押し付けられた。

 油断しきっていた彼は、それに奇声を上げ飛び上がる。

 いつの間にか後ろに立っていたグランドが手にもっていたのは、氷だった。

 悪戯が成功した悪餓鬼のような笑みを浮かべ、手の平ほどの透明な球体を弄んでいる。

 最後の最後まで弄ばれていることに、さすがにクラウスは非難を浴びせようとする。


 そして止まった。


 今、相手が手に持っている氷。


 それは、どこから出した。


 氷なんてものを持ち歩いていれば、会談中に溶けてなくなっている。


 その事実が意味すること。


 その考えに至り、先ほどとは比較にならないほどの冷たさが彼を支配する。


 ありえない、ありえない、ありえる筈がない。


 冷や汗を垂れ流す彼に、男は変わらずの笑みで続ける。


「最近は『物騒』らしいですよ。王都でもいろいろと騒ぎが続いていまして、どこそこで人が消えた、家が燃えた、とか言われているんです」


 今の彼には。その顔が―――。




「何事もないといいですね。クラウス殿。……『お互いに』」




 ―――『悪魔』の嗤いにしか見えなかった。


 気が付けば、クラウスは部屋を飛び出していた。


 非公式とはいえ、他国の重鎮たちを前に、挨拶なしに退席するなど無礼千万という言葉すら生温い。


 だが、今の彼には、それを気にする余裕もない。

 後で後悔などいくらでもする。この頭で済むなら、幾たびでも地に擦り付けて詫びる。

 ただ、それ以上に、あの男から一秒でも一寸でも早く遠くへ離れたかった。

 だが、足を前に進めようとしても、震える足がもつれそうになり、うまく動かない。

 それでも、僅かずつでも前へ歩を進める。


 〈固有領域〉というものがある。

 例えば、ある魔導士がその魔法を及ぼすことのできる空間、対象には、限界がある。

 もしどこにでも魔法を発揮できるなら、遠い異国まで効力を及ぼしたり、あるいは敵の人体を内側から爆発させるといった凄惨な事態まで引き起こせることになる。

 常識に考えてそんなことは出来なく、そしてそれはこの概念により規定されている。

 魔法は、魔導士の精神エネルギーの魔力を源に効力を発揮する。そのため、その術者の意識の及ばないところには効力を発揮できない。

 そのため、あまりに物理的に離れていて詳しく認識できない地点。術者の意識と比べるとその本人の意識がより強く支配している肉体。それらには魔法を使うことはまずできない。

 治癒魔法など、その例外となるものもあることはある。だが、それらは相手がそれを受け入れる意志があって初めて作用するなど、特殊な条件が付きものだ。

 ある存在が、その意志を世界に繁栄することができる最大範囲。それが〈固有領域〉。


 この存在は、一般に周知のものであり、なんら特別なものではない。その本人の意識が顕在化したものであるため、人種や性別、戦士や魔導士問わず、誰もが持っているものだからだ。

 しかし、それは魔導士にとっては剣として、戦士にとっては盾として認識されている。

 仮に、ある二者が同一空間に存在するとする。領域の範囲は彼らの意志の強度によるが、ある程度近づけば当然、領域同士が重なる。

 そうなると、その領域はお互いに干渉し合い、まるで比重の異なる液体を混ぜ合わせたような混沌とした様態となる。

 その状態の空間では、魔導士は意識がうまく魔法として機能しなくなる。

 だから、仮に戦士が魔導士と対峙した場合、出来る限り近づき、その領域を潰そうと行動し、魔導士は出来るだけ離れ、より広い範囲で魔法を使用できるよう心掛けるのが常識となっている。


 ここで、グランドの先ほどの行動が問題となってくる。


 グランドは、その手に氷を持っていた。

 あれは間違いなく、魔法で創られたものだろう。それも、クラウスがアルウルラに向き直ってから背後に立つまでの一瞬で。

 しかし、クラウスの〈固有領域〉は自身の体表からおよそ五メートル。机を挟んだ真向いに座っていたはずのグランドは、間違いなくその範囲に入っていた。

 あの一瞬で、その範囲から逃れ、氷を生成し、また近づき背後に立つというのは不可能。


 考えられる答えは二つ。

 一つは、相手の意識が自身の意志よりも、くらべものにならないほど強靭なものであったため。コップ一杯の水を大河にぶちまけたところで、その流れは止まりもしなければ変わりももしないのと同じ。だが、これは同じ人間という種である以上、それほどの意志の差があるとは考えにくい。


 つまり、原因はもう一つの方。


 グランドは、クラウスの〈固有領域〉をなんらかの手により無効化した。


 それは、エリュシオンという魔導大国の出故に、なまじ一流の魔導士であったクラウスに、底知れない恐怖を味あわせた。


 固有領域を無効できるということが、どれだけ異常なことなのか理解できてしまった。


 そして、それが意味する脅威を、容易く導くことができてしまった。


 固有領域を無効化できる。それが『お互いに』であるならばまだいい。


 だが、それが一方的、すなわち、相手の主観により左右できるならば、相手へは魔法が届かず、こちらへは魔法がすべて直撃するということも考えられる。


 いや、それならばまだいい。


 最悪なのは、固有領域を超え『自身の内側』に魔法を仕込まれ、何事も分からないうちに爆散させられること。


 つまり、あの会談の場で、グランドは、いつでもクラウスを殺せたかもしれない。それも、彼自身の拠り所の一つであるはずの、魔法という分野で。


 ただ剣で切り刻まれるよりも、力づくで押し潰されるよりも、くらべものにならないほどの恐怖をそれは彼に与えた。


 だから、彼は必至に足を動かす。


 少しでもあの男から離れるために。


 と、そこで違和感を覚えた。


 自身の、エリュシオンの礼服の内ポケットの中。


 そこに、微かな膨らみを感じた。


 恐る恐る、彼はそこに手を伸ばす。


 その指先に、紙の感触が伝わる。


 出てきたのは、二枚の紙切れ。


『これあげます。捨てても構いませんが、せっかく知り合った方がいなくなるのはとても悲しいです』


 クラウスは、もう一枚の紙。複雑な文様が描かれた通信符をじっと見つめる。


 そして、精神的過負荷から意識を失い、毛足の長い高価な絨毯に斃れ伏した。 





◇◆◇◆





「……おい、お前何をした」


「さあ? 勝手に何か『妄想』でもしたんじゃないですか」


 あまりにおかしな様子で出ていった男のことを考え、ガイアスは溜息をもらす。


 気の毒に。こんな奴と関わってしまったばっかりに、あんなことになってしまった。先ほどまで憎しみすら抱いていたというのに、今は同情しか沸かない。


 ガイアスは、クラウスの内心をあまり理解していなかったが、何かをこの『悪魔』がしでかしたことは確信をもっていた。ガイアスはグランドの固有領域無効化にの事実を詳しく理解していなかったが、それは魔導士と戦士の意識の違いが大きい。


 魔力という精神エネルギーに知悉している魔導士は、意識の発露である領域を感じることも容易いが、闘気という物理エネルギーに重きを置く戦士には、それがうまく感じる事ができない。


 その差が、ガイアスのような英傑であっても正確な事態の把握を困難なものとしていた。


「さて、それではいいでしょうか、司祭殿」


「はいぃ。あ、名前で呼んでいただいて構いませんよ、そちらの方が慣れていますのでぇ」


 そんなことは知ったことかとばかりに、話を始める男。どこまでも自分を通す男である。


 クスクス、あらあらと笑い合う両者。どことなく、狐と狸の化かし合いということばがガイアスの脳裏をよぎる。


「それで、私に何のご用でしょうかぁ?」


 初めて会ったときから、終始このふわふわした空気を意地しているというのは、ある意味凄いとガイアスは思う。余程豪胆なのか、あるいは抜けているのか、もしくはその両方か。


「ではまあ、単刀直入にお聞きしますが」


 一方で、それを無視して話を進めてしまうこの男も、相変わらず図太い。

 だが、ガイアスはその『図太い』という認識が如何にか細い認識だったか思い知る。




「スルスの〈聖戦神託〉が欲しいのですが、お願いできますか」




 今日一日で、ガイアスはもう十年分は驚き徹している。

 娘を奪われそうになったこと然り、グランドがいきなり出現したこと然り、『血の盟約』などという狂ったとしか思えない提案然り。


 だが、それらすべてを足しても到底及びもつかないほど、この言葉には度胆を抜かれた。


「…………まず確認ですが、この国はこれから戦争を起こす予定でもあるのでしょうかぁ?」


「戦争と言えなくもないですね。相手は魔獣ですけど。おそらく、今までにないほど巨大なものになるでしょう、規模という点でも、被害という点でも」


「レイッ!?」


 言ってから、しまったと思う。だが、もう遅い。


「レイ、ですかぁ?」


 首を傾げながら、アルウルラは繰り返す。ガイアスは自身の迂闊さに歯噛みする。


 他国の重鎮に、グランドの真名を、グランドという存在が偽りであるという事実を知られてしまった。普段の彼であれば、考えられない失態だった。


 だが、それも仕方ないと言える。


 この場で起きた、度重なる非常識の応酬。その時点でガイアスは心を乱されていた。


 そこに、令はさらに機密事項である魔獣の侵攻を他国へ漏らしてしまったのだ。もし周辺国家へと進行の情報が出回れば、どさくさに紛れて火事場泥棒のような真似をすることが容易に想像できる。スルスを経由し、情報が出回れば、魔獣の侵攻を凌いだとしても、疲弊したところに外部からの圧力で国が崩壊するという最悪の事態すら現実みを帯びてくる。


「ええ、私のグランドって偽名ですから。本当の名前は令って言います。以後よろしくお願いしますね。あ、それと魔獣の侵攻の件はここだけの話で」


 しかし、当の本人はあっけらかんと暴露する。不足の事態に慌てる様子は全くない。


 ついでに、国の機密をあっさりもらした罪悪感もない。


「あらあら。一つ確認ですけど、聖戦というものがどういうものかを理解した上で、それを欲していらっしゃるのでしょうかぁ?」


「定義としては、人類に仇成すあらゆる事態に対処することを目的とした軍勢、あるいは勢力による対処運動ですよね。まあ一国だけでは些か小規模ではありますが、一応満たされているのではないかと」


 〈聖戦神託〉は、スルス教総本山〈スルス教国〉の、さらに神の代弁者である〈姫巫女〉のみが発令できる、最上位要請(・・)である。

 世界の危機に対し、全ての国々へそれへの軍事、物資、人材、あらゆる協力を依頼する、馬鹿馬鹿しいといっても差し支えないもの。


 それ自体はなんの強制力も権限もない、ただの要請でしかない。だが、それを発する者によって、それはほぼ命令と変わらない力をもつ。

 なにせ、信者の絶対の心服を得る姫巫女の言葉を断れば、国内の信者が一斉に反旗を翻しかねないのだ。どの国だってそんな事態は避けたい。


 とはいえ、そんな出鱈目な代物であるが故に、その発動には当然厳正な審査と長い時間を要する。

 そして、いくら他国の重臣と同等の位階にある上等司祭といえど、世界唯一の存在である姫巫女のみに発令できる〈聖戦神託〉を、どうこうできるはずがない。


「わかりましたぁ。それでは本国に伝えてみますねぇ」


 ……できるはずがない。


「いやあよかった。正直あればいいなあくらいの考えだったんですけど、そうして頂けると大分楽になりますよ」


 …………出来るはずが。


「いえいえぇ。こちらもお役に立てたのなら幸いですぅ」


「うおいッ!?」


 とうとう目の前の光景に耐え切れなくなり、思わず突っ込んでしまう。

 お互いに笑い合いながらの致命的なまでに螺子の吹っ飛んだ会話に、この話し合いに口を出して令の邪魔をしてはいけないと誓っていたガイアスの精神は限界に達した。


 ふと横を見ると、オルハウストは何かを考え込んでいる。


 そんな様子を奇妙に感じながらも、ガイアスは捲し立てる。


「さっきからどんな話をしているんだお前らは!?」


「はいはい分かりましたから。あとで説明はしますので、それまでもう暫し辛抱ください」


 返ってきたのは聞き分けのない子供を諌めるような慈愛に満ちた言葉。

 それに、一気に心の熱が冷めてしまい、気力を根こそぎ奪われる。こうしている自分が可笑しいのではないかという疑念を想わされた。


「では、本国に〈聖戦神託〉の『要請』の『要請』を私が貴女へ行います。相違ありませんか?」


「ええ、〈聖戦神託〉の『要請』は私がしっかりしておきますね、それで問題ないでしょうか?」


 そうして二人は頷き合い、そろって微笑む。


 その様子に、ガイアスの背筋を冷や汗が流れた。


 どちらも、邪気のない、澄んだ笑みだった。


 だが、アルウルラと令の笑みが、ガイアスにはあまりにもかけ離れたものに感じられた。


 例えるならば、光と闇。


 不純物のない、純そのもののそれを抽出し、人の皮に貼り付けたかのような、そんな馬鹿馬鹿しい妄想。


「では、今日はこの辺りで。お疲れ様でした」


「いえいえ、疲れてなどいませんよぉ。とても楽しかったですぅ」


「はっはっは、物好きですねえ」


 令は席を立ち、ガイアスの後ろへと回り近くの窓に寄りかかる。

 もう話は終わり、ということなのだろう。



「あらあら。本心からですよぉ。貴方のように強く他の方を想いやれる人をみたのは久しぶりだったのでぇ」



 

 ガイアスは意味が分からずアルウルラを見つめる。

 そして、次いで令の顔をみて愕然とする。


 令は、何も言わない。

 否定も、肯定も。


 ただ、彼女をひたすら強い敵意を以て睨みつける。


 激したりはせず。冷やかにもならず。しかし敵愾心のみを顕わにする。そんな令の様子を、ガイアスは初めて見た。


「あら。初めに言いましたよね、『変わった方』とぉ。誇っていいと思いますよ、その性格はぁ。自らの身を挺して彼女を庇ったのですからぁ」


 その敵意を受けても、彼女の表情は揺るがない。


 ただ慈愛に満ちた笑みで、優しく令を見つめる。


 そこに敵意は欠片もなく、相も変わらず透き通っていた。


 どこか、うすら寒さを覚えるほどに。


「ここで彼女に余計な手を打たれては困りますので。ここまで苦労してきたことがすべて水の泡になってしまう。決して善意のみではありません」


「あらあら。正直ですねぇ。善意ではないと全否定はしないのですかぁ」


「……自覚はなくとも、自身の行動が世間でそう分類されるものであるときのは知っているのでね。それで否定しても説得力はないでしょう」


 女性はクスクスと朗らかに笑う。


 そして、一転真剣な顔になる。


「ありがとうございます。貴方のおかげで私は、エリュシオンとデルトの関係悪化という最悪の事態を防ぐことができました。貴方の行動は、賞賛されて然るべき素晴らしいものです」


 静かに、深く、頭を下げる。


 その様子はどこか、神聖で、侵すべからざる貴さにあふれていた。


「……そうですか」


 永い沈黙の末、何故か掃き捨てるように言葉を受ける相手はそうこぼした。


 アルウルラはそれを聞き、悲しそうに顔を曇らせるともう一度一礼し、部屋を出ていった。


 しばらく、静かな空気が流れる。


「……失敗した。こんなにも早く相性最悪の輩が出張ってくるとは」


 令は〈偽装〉を解き、眼帯を外す。

 かろうじて聞き取れるほどの呟きを、ガイアスはかろうじて耳にした。


「レイ―――」


「すみません、気分が悪いです。話は後回しにしていただいていいでしょうか」


 それを確かめようとするが、そのまえに言葉を遮られる。


 令は窓から立ち上がると、顔を手で覆い、力なく溜息をつく。


 ここまで弱った様子のこの男をガイアスは初めて目にした。

 全く理由は分からないが、こうまで憔悴するほどのことが今回、いや、先ほどの女との会話に会ったのだろうか。


「アリエル殿。で、どうでしたか、今回の私の行動を見ていて」


 そして、唐突に話を明後日の方へと投げ出す。

 その行動が、これ以上話を続けたくないという内心を如実に示していた。


「どう、と聞かれましても」


 いきなり話を振られた、完全に空気と化していたアリエルは、戸惑ったように口ごもる。


「私と先ほどのクラウス殿。果たしてどちらが上手だと感じましたか」


「……それ、聞く意味があると思えませんが」


 何を馬鹿なことを、とでもいうようにアリエルは令をジト目で睨む。

 それも当然。あの場での勝者など、分かり切っている。


「はっはっは。まあ思っているとおり、私の方が上でしたね。終始、相手に先手を取らせず、翻弄し、自身の提案をまかりとおした。―――だけどね、交渉力、経験、そういった『力』でもので見た場合、私は確実にあの男より劣っていた」


 その言葉が素直に信じることが出来ないのか、アリエルは怪訝そうな顔をする。

 あれだけ好き勝手やらかして、力が劣る、到底信じられるものではない。


「勝敗において、『力』はそれを決定づける一要素であるが、それ以上ではないんだ。一つ負けているなら二つを。二つ負けているなら三つを。勝てる要素をかき集めて負ける要素に打ち勝てばいい。そうすれば負けはない」


 それでも、令は自身に間違いなどないとばかりに自身にあふれ続ける。


「つまり、『力』の有る無しを嘆いている時点で、貴方は間違えているのさ。考えなさいな、自分に出来ることを。何がしたいかを。貴方の目的は、果たして力が無くては出来ないものなのですか?」


 アリエルは呆けたように令をただみつめる。


 そして令は歩を進め、部屋を出ていく。


 ガイアスは、様々なものが籠った溜息を吐き出す。


 そうしなければ、胸に抱えるものに押しつぶされそうだった。


 と、そこで部屋を見回し、あることに気が付く。


「…………オルハウスト?」


 部屋の中から、一人姿が消えていることに。




◆◇◆◇


 始めに覚えたのは、些細な違和感だった。


 それはあまりにも小さいもので、あまり気にはならなかった。


 だが、彼が話を続けるごとに、それは大きくなっていった。


 あの男のすることには、無駄がない。


 いや、無駄すら『余裕』という意味あるものへと変えてしまう。


 そんな彼の行動は、今回あまりにも彼の目に不自然に映った。




 それが何なのかを悟ったのは、スルスの司祭の最後の言葉を耳にした時だった。




 もしや、という疑念が、そんな、という確信に。


 その答えに戸惑い。そして、その感情はやがていくつもの寄り道を経て、一つの結果をもたらした。


 身体が燃え盛りそうなほどの怒りという結果を。


 自分は、そんな感情を覚えるのは間違っているとわかっている。


 真意など知らないが、あちらは彼女のことを想っての行動だったのだから。


 だが。そんな正論では、この想いは消えない。

  

 あの男と、そして、そんな行動をとらせることとなってしまった自分への怒りは。


 だから。


「レイッッッ!!」


 まるで何事もなかったかのように遠ざかるその背中へと。


 気が付けば彼は、怒鳴り声を上げていた。

 




◇◆◇◆





 暇を持て余していた。


 ここまでやることがない、というのは、思えば初めてのことかもしれない。

 いままでは、暇さえあればやれ鍛錬だ、やれ勉強だ、となにかに脅されているかのように根を詰めていた。


 だが、今はとにかくやる気が起きない。

 まるで今まで自分にあった芯が、ポッキリと逝ってしまったかのように、だらけてベッドの上に寝転んでいた。

 〈天馬(ペガサス)〉が来たと知ったときですら、王城へ行くという選択肢が出てこないことに気が付いたときは内心愕然としたものだった。


 自分は、堕落してしまったのだろうか。


 そんなことを取り留めもなく考え、やはり動く気になれないことに、彼女は溜息をこぼす。

 と、何となく部屋の中を見回していると、それが目に入った。

 立ち上がり、本棚まで歩き、手に取る。


 『泣き虫の勇者』と題された、絵本だった。

 おそらく、依然この部屋を借りていた人の忘れ物を、そのままにしていたのだろう。

 その題名に、頭の記憶が刺激される。

 子供向けの物語。その内容は、勇者が魔王を退治してめでたしめでたし―――というものではない。


 この手の話としては珍しく、勇者は泣き虫の意気地なし。ヒロインのお姫様に叱咤され、いやいや旅を進めるような実に格好悪いものとして描かれていたはずだ。

 そのため、格好いい勇者に憧れる傾向が強い子供たちにはあまり受け入れられなく、たしかもう発行はされていないはず。


 だが、昔の彼女はこの本が好きだった。

 たしか王城の自分の部屋の書棚の中に、まだ眠っているはず。昔何度も読み返した。

 とはいえ、さすがに十代の半ばを過ぎた今、もう何年も手を付けていなかったが。

 ふと、この話の最後がよく思い出せないことに気が付く。

 何度も読んだのに、なぜか最後の方の場面。そして、なぜ自分がこの本が好きだったのかが思い出せなかった。


 なんとはなしに、その本の表紙に手を掛け、捲ろうと手を動かす。


「何してるんで。〈姫〉」


「ひゃわっ!?」


 と、いきなり背後から掛けられた声に本を落としてしまう。

 振り向いてみると、にこやかな憎たらしい顔が目に入る。


「ど、どこから入ってきたのよ!?」


「そこの窓」


「どうどうと不法侵入宣言してないで少しは悪びれなさい!」


 相変わらずの唯我独尊っぷりに、声を荒げる。

 目の前の男、令は相変わらずだった。

 というか、年頃の女性の部屋にいきなり現れるとか、良識から考えてアウトだと思うのだが、どうしてこう堂々と出来るのだろう。


「おや、それは……」


「え、あっ、こ、これは」


 手に持っていた本に目ををつけられる。

 この年になってまで、絵本を読んでいたととられるのは、どこか気恥ずかしいものがある。


 「ダメですよ。本は大切にしないと」


 だが、予想外にも令は、普通に本を拾い、棚へと戻す。

 それに首を傾げてしまう。いつもなら嫌味の一つとんできそうものなのに、そんな様子はない。


 いや、よく見るとどこか様子がおかしなことに気が付く。


 どこか浮ついたように身体を揺らし、鼻唄など歌っている。

 いつものような皮肉めいた笑みはなく、その顔に浮かぶのは本物の笑み。


 なにか、良いコトでもあったのだろうか。


 言ったら、藪蛇になりそうな気がしたので、何も言わないが。


「しかし正直、〈姫〉が喰っちゃ寝っていうのはどうなんですかね。健康的にも、対外的にも」


「う、うるさいわよ」


 言わなくても結局、嫌味は飛んできたが。


 そのことに、苛立ちよりも先に安堵を覚えてしまう。


 そんな自分に愕然とし、そして落ち込んだ。


「何か用なの。こんな時間に押し掛けてくるなんて」


 外はすっかり、夜の帳が下り、月明かりしか照らすものがない。

 こんな時間に、何の用もなくこの男が来る、というのは考えにくかった。

 そんな思いから、彼女は至極当然の疑問をぶつけたに過ぎない。


「ええ。用があってきました」


 しかし、その発言を、彼女は直ぐに後悔することになる。

 先ほどまでのどこか温かい雰囲気があっという間に掻き消え、そして、後に現れたのは依然と同じ、いや、それ以上に冷たく、怖気の奔る氷の笑み。


「始めに言っておきますが、これはあくまでお願いですので、別に断って頂いても構いませんよ」


 その笑みを見て、フレイナは後ずさる。

 聞いてはいけない。

 聞いたら引き返せなくなる。


 だが、強張った身体は動かず、耳をふさぐことも考え突かない。


 だから、彼女はその言葉を聞いてしまう。









「ちょっと人殺しに行くから、付き合ってくれませんか。〈姫〉」









 悪魔の宣告を。






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