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異世界の愚か『もの』 ~世界よ変われ~  作者: ahahaha
デルト王国 ~望んだ望まぬ名声~
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79話 無謀の策② 受難


 人通りの多い町中を、一人の女性が駆ける。

 周りの人々は、ぶつかりそうな女性に迷惑そうな顔を向け、それが誰かに気が付くと驚き、自然と道を空ける。

 結果的に、女性は誰も怪我させることなく、目的地へと向かうことに成功している。


 あの時、空に響いた特徴的な嘶きは〈天馬(ペガサス)〉のもの。

 彼らはスルスにしか生息せず、このような遠く離れた人里に下りてくるなどありえない。間違いなく人に使役された種。

 そして、〈聖獣騎兵団〉の中でも強力な〈天馬〉を派遣するには、スルスの上層部の命令が不可欠。


 何かが起きている。


 アリエルは危機感に呑まれ、必死に足を動かす。

 待ち合わせをしていた姫と女性がいたが、そこを気に掛ける余裕すら今の彼女にはなかった。


「アリエル殿。何をしようとしているのですか」


 背景を振り切りそうな勢いで疾走する彼女だが、それに追いつき、合わせる影が一つ。

 並走するその男に言葉を返さず、足も止めない。

 一刻も早く、城へ、主の元へ行かなければならない。

 その想いに駆られ、うるさい隣人を振り切ろうとさらに脚に力を籠める。


「言い方を変えましょうか。貴女如きに、行って何が出来ると言うのですか。〈四剣第四位〉」


「ッ……!」


 だが、無情な現実に溜めていた力は霧散する。

 こんな簡単なコトで心乱された事実に沸き立つ苛立ちを、男を睨むことでぶつける。


「私にも出来ることくらい―――」


「自分でも思っていないことを言わないでください。正直、時間の無駄です」


 そしてそれすら切って捨てられる。


 〈四剣第四位〉。

 彼女にとって最高の名誉であり、そして最低の現実の証明。

 その数字は、彼女の力以外の能力の不足を、これ以上ないほど明確に突きつけていた。

 四剣の数字は、能力の序列。

 直接的な力以外の、人間としての『強さ』を示すすべてを鑑みた上での数字。

 彼女は、デルトという戦士の国で五本の指に入る『超人』の一人である。

 そして同時に、その中で最も能力が劣る『凡人』である。

 そのことを、彼女はほかの誰よりも知っていた。

 鍛錬に鍛錬を重ね、身も心も苛め抜き、力は手にできた。

 十数年にも及ぶ鍛錬が報われ、平民として初めての〈四剣〉となった時は、天にも昇る気持ちだった。

 その事実に気付くまでは。

 十数年。彼女にとっての人生の大半を鍛錬に費やした事実は、彼女から教養の機会を完全に奪っていた。

 もちろん、彼女とて人並みの知識は有している。

 文字の読み書きも、数の計算も。むしろ、世間一般では極めて優秀な部類に入る。

 だが、彼女の立場に求められるのは、そのようなものではない。

 他国との関係を考慮する頭脳。人の思惑を見抜く眼力。そしてコトの先を読み抜く勘。

 それは、幼い時からの教育とそれを実践する恵まれた機会を積み重ねることで磨かれる。

 これまで武の錬磨に明け暮れていた彼女には、それを成熟させる時間などなかった。


「…………お前が……!」


 声が震えるのを自覚する。

 それでも、止まらなかった。


「お前が言うのか!? 私からあの人の元へと向かう資格を、力を、無理やり剥ぎ取っていったお前がッッ!!??」


 気が付けば、叫んでいた。

 今まで、ここまで声帯を震わせた覚えはない。

 ただ、目の前で自分をつまらなさそうに見る男が、我慢ならなかった。


 皮肉なことに彼女は、人より優れた知能を有していたが故、能力の不足を精確に感じ取ってしまった。

 このままでは、主君に、国に、迷惑がかかる。

 そう考えた彼女は、悩み、苦しんだ末に答えを出す。


 仮面を纏った。

 無表情と言う名の、仮面を。


 〈四剣〉ともなれば、他国の賓客を相手する機会などザラである。

 そんな場での、不用意な発言、反応は、命取りとなりかねない。

 だから、彼女はそれを隠すことを選んだ。

 表情を固め、平淡にふるまい、何を考えているかを悟らせない。

 そしてその試みは、成功したと言える。

 彼女と対峙した相手は、伝え聞く彼女の武勲と、その冷然な振る舞いを恐れ、その鍛えた交渉の手を揮う機会を潰された。

 彼女は、自身の力を揮う場を作った。

 そして、それは同時に訓練場でもある。

 そこで交渉の経験を積み、錬磨を続ければ、いずれ、他の〈四剣〉と同じ場所へ行けるはず。その想いを実現させるための、鍛錬の場。

 

 だが、それは簡単に崩された。

 無表情の仮面は、目の前の男に、いともあっさりと剥ぎ取られてしまった。


 永い時間を掛けて被ったものをまた被り直すのは、容易ではない。いや、不可能と言えるだろう。

 もはや、簡単に喜怒哀楽を顕わにする彼女の本性は、王都の街中に広がっている。仮面は、それを彼女の素顔だと錯覚させることに意味があった。

 知られてしまった以上、もう意味がない。


 だから、彼女は許せなかった。

 彼女から、慕う人の元へとはせ参じる資格を奪い取った、目の前の男が。

 男のこととなると、簡単に敵愾心をむき出しにするのは、そういう事情も含まれている。


「く……ふふっ……」


 そんな、敵意と怨みをこれでもかと言うほど籠めたというのに、男は耐え切れない、というように肩を震わせる。


「なにが可笑しい……!」


「いやあ……やっと吐き出したものだなあ、と。全く、十日とかどれだけ手間取らせてくれるんだか、時間もないっていうのに」


 意味が分からない。

 本当に、この男は意味が分からない。

 不快だ。

 心の底から、そう思う。


 そんな心の黒いもやを抑える彼女の前で、男はふーむと何かを考え込む。


「そうだな……ねえ、アリエル殿」


「うるさい」


 思わず吐き捨てる。もはや反射の域だった。

 そして、やはりというべきか、男は気にしない。


「貴女、持久走で短距離走の走者より早くゴールできると思いますか」


 いきなり何を言い出すのか。意味が分からない。

 理解が及ばず静止する彼女に、男は諭すように続ける。


「出来るわけがない。どれだけ闘気で身体が壊れるまで強化しようと、数十倍の距離を覆すのは基本不可能だ、余程の反則をしない限りは。貴女がしようとしていたのはそれだよ。たった数年の経験で、ガイアス殿が、ガルディオル殿が、ザルツ殿が、オルハウストが、その生涯を掛けて培ってきたものと比べものになると思っているのか」


 先ほどとは別の理由で、彼女の動きが止まった。

 先ほどまで彼女を占めていたのは、烈火の如き激情。


「舐めるなよ青二才。人の力は、そう簡単にどうにかできるものじゃない」


 今は、氷柱を突きつけられたように凍え切る。


「……だったら」


 だったら、どうすればよかったのだ。

 アリエルは口惜しさに歯を食い縛る。

 そんなこと、言われずとも初めからわかっていた。

 それでも、目を背けていた。

 直視しては、身動きが取れなくなってしまうから。

 自分が、永遠に『彼』の傍へ行けないのだと、悟ってしまうのが怖かったから。

 だから、分からないと自分に言い聞かせ、もがいて、足掻いて、今まで耐えていたのに。

 

 そして、どうしようもない、と自分でも思う。

 こんな男に、たかが言葉で諭されただけで、簡単に『実感』してしまった自分の弱さに呆れる。

 仮面と同じだ。

 一度実感してしまえば、もう後には戻れない。


「私は……これから何を支えにすれば……」


 眦から涙が零れるのを、止めることができない。

 自覚して、長年仮面でせき止めていたものが一度に押し寄せてきた。

 自分の弱さが、ひどく恨めしい。


「……くだらない」


「え……」


 それは、彼女がいままで聞いた中で、尤も平淡な声だった。


「どうしてお前らはそうなんだろうな。出来ないのなら出来ないで仕方ない。だが、どうしてそれで自分の可能性を諦める」


 独白のようなそれは、気に留めるには小さく、聞き逃すには大きい。

 耳には入っても、意味が理解できない。

 すると、男はアリエルの首根っこをひっつかむ。


「ちょっ!?」


 猫を持ち上げるかのように、そんなに身長差がないのに軽々と持ち上げられる。

 抗議の声も聞かず令は歩き出す。

 その様子は、普段と変わらないようにみえた。


「道端で泣いている人を放っておくわけにもいかないので、さっさと行きますよ」


「ちょっ……行くってどこへ」


 泣いていたことで回りの注目を集めていたことに気が付き、赤面するのを自覚しながらも尋ねる。

 涙をぬぐうことも忘れない。


「王城」


 男はさも当然のように言う。

 一方、アリエルは相変わらず意味が分からない。

 さっきまではこちらが向かうのを止めるように言っていたのに、まるで無かったかのように振る舞っている。


「理由がないならば、私が作ってあげます。もう貴女を連れまわす必要もなくなりましたからね。返品がてら、次いでに貴女を『贈り』届けてあげますよ」


「さっきから何を!? ですから私はそこにいく資格がありません!」


 傷む心を抑え、それでも彼女はそう叫ぶ。

 自分で力の無さを言葉にするのは辛い。

 だが、力の無い自分に、交渉の場に赴いたとしても邪魔になるだけ。

 ついさっきまでは、がむじゃらにガイアスの元へ突き進んでいたというのに、この体たらく。彼女は自分に憤りを覚えるが、それでも自覚した以上、行くわけにはいかない。


「気にしないでください。資格? 理由? そんなものどうとでもなります。なんなら私が作ってあげますよ」


 なのに、男のこの言葉。

 本当に、何がなんだか、意味が分からない。

 この男は一体何をどうしたいのか想像もつかない。

 この男が、益のない嘘を言うとは思えない。

 だが、彼女にはどういうことなのか分からなかった。


「それは、貴女が自分で気付かなければいけないことです」


 そんなこちらの心を読んだかのように、男は独り言ちる。

 彼女は訳も分からず、ただ手を引かれるしかない。


 そのまましばらく進む。

 そして、王城の外門が見えて来た時。


「あ」


 彼は、唐突に止まった。


「うっかりしてた。これはやっとかないと」


 突然方向を変え、裏路地へと引っ張られる。

 もはや言葉も意見も挟む暇もなく、彼女はおとなしくブラブラと揺れながら連れていかれる。


「な、何を―――」


 何をするのか、そんな言葉は、形になることはなかった。

 男は振り返ると、とても、それはもう、とても愉しそうな笑みを浮かべていた。




「『贈り物』には、ラッピングかデコレートが基本ですよね?」




 どこから取り出したのか、その手に、色とりどりのレースやリボン、飾り布なんかを満載にして。

 

 彼女は、『ラッピング』や『デコレート』なるものについて聞いたことがない。

 だがそれでも、良くないものだというのは、その黒い笑みでよく分かった。


 だから、逃げた。

 それはもう、逃げた。


 今までで一番速かったと断言できるほどに。




「知っていますか―――『魔王』からは逃げられないんですよ」




 無駄だったが。 




◇◆◇◆



「とまあそんなことがありましたとさ、まる」


「欠片も説明になっていないんだよ馬鹿」


「あらあらまあまあ。変わった方ですねえ」


 ……いったいどこから突っこむべきなのだろう。

 その様子を見ていた彼は、混乱仕切りの脳内で、そう独り言ちた。


 数日前、いつも通り、彼の主から下された命令。

 あまりにも無茶で、文字通り何の意味もないそれに、彼は無理やり遣わされた。

 いつものことだが、彼女の気まぐれに付き合わされると、目をつけられるだけの能力と才があったことが非常に恨めしく感じられる。

 自分に他の下種で愚劣な貴族たちのように欠片も才が無ければ、あるいは、その無茶に振り回されないほどの才の際立ちがあれば、そんなこともなかっただろうに。

 絶世を一つ二つ飛び越えたところの美貌で、こちらが見惚れるほどの笑みを湛え、それを全て台無しにする馬鹿なことを命じる彼女のことを思いっきり罵倒してやりたい思いが胸中を満たした。が、皮肉なことに、彼女を超える能力を持つ者を彼はほかに知らない。だから、彼女の命令に従うしかない。もしあそこで反論していれば、彼女の庇護はなくなり、他の家格というハリボテの栄光に縋る愚か者に従うことになっただろう。それだけは、彼には耐えられなかった。


 彼のハルハウス家は、伯爵位を持つ名家の一つだが、彼自身はそこの三男に過ぎない。いくら才があろうと、長男でなければ家の相続は容易ではない。仮に長男が死去しても、そこにはまだ次男がいる。彼に御鉢がまわることはまずないだろう。

 何もしないでいれば、政略結婚の道具にされるぐらいが関の山。それならば、現在のまま、元首の懐刀的な立ち位置の方が気楽でいい。尤も、彼の裏の立ち位置を知る者は彼の主と〈赤〉と〈黄〉ぐらいの者であり、公的な権威はないに等しいが。


 だが、それでも今目の前の化け物たちを相手にしていることを考えると、やはり命令を断るべきだったという考えが鎌首をもたげてしまう。


 はじめはいつも通りに、口八丁で乗り切るつもりだった。

 事実、途中まではそれがなんとかいっていたのだ。

 魔法至上主義の彼の国でも畏怖を以てその勇名が語られる超人たち。

 彼らを前にしながら、震える身体を抑えて、何とか話を進めた。

 当然だと分かる敵意に耐えながら、表情を取り繕い、話を進めた。

 呆れるほど妥当だと理解できる殺意に凍えそうになりながら、内心で必死に謝り倒し、ようやくこの用件は山場を超えた。

 あとは、返答に気を付けて、ゆっくりと下るだけだった。


 だが、どうやらまだ、より高い天嶮が聳え立っていたらしい。


 いきなり訳の分からない紙が降ってきて、思わず呆けつつ成り行きを見守っていた。

 そうしたら、件の人物が何もないところから現れた。


 ………その背中に、〈四剣〉の一人のアリエルを簀巻きにして。


 意味が分からない。


 訳が分からない。


 主の〈魔女〉を前にしても、彼はここまで混乱したことは……まあ、数えるぐらいしかない。

 とはいえ、それでも超人の一人の彼女が、囚われの姫君のように着飾り、目の前に現れれば、誰であろうと同じ考えを持つだろうと確信する。

 挙句、その下手人は何やら経緯のようなものを話し始め、温厚な貴公子である筈のオルハウストが巷の不良のように青筋を浮かべて襟首をつかみ、隣の女性はホンワカと微笑む。


 誰か何が起こっているのか教えてくれ。


 そんな叫びをこらえるのが、今の彼には精一杯だった。


「何だこの状況……」


 ガイアスの疲れたような呟きが、不思議なほど彼の心を癒してくれた。

 この状況で、心が通じ合う同志がいるのは、不思議なほどの安心感があった。

 はじめ内心怖がって申し訳ない。こんな状況をつくる原因となって申し訳ない。心の中で、彼、クラウスは何度もガイアスに謝罪する。


 平静を取り繕うのは一級品でも、実は結構ビビりな彼は、〈剣王〉への申し訳なさでいっぱいだった。

 それでも、それを顔に出さないところは流石である。


 ちなみに、そのビビりっぷりを酒の肴にしてよく主が楽しんでいることを彼は知らない。

 もし知っていたら、彼は絶望に溺れ自決しかねない。


「はーいお届け物でーす。こちらの用件が終わったのでお返ししますよー。あ、飾り付けているのは心ばかりのお返しです」


「何がお返しだ!?」


 ガイアスは令から大剣を奪い取ると、その金属のあまりの軽さに驚きながら、彼女を戒めている縄をほどいていく。

 元から美人な彼女が、見るからに高価そうな布やレースやらで装飾された様は、万人が見惚れてしまいそうなものであるが、ガイアスは少なくとも表面上は平静を保ったままだ。

 しかし、ところどころで手が不自然に震えていたり目を逸らしていることを、彼はしっかり目撃していた。


 どこか共感を覚える反応だった。


 頑張ってください、〈剣王〉様。

 いつの間にか、彼は心の中でガイアスを様づけで呼んでいた。

 敬意でなく、同情心からだが。


 そしてガイアスは最後に、その猿轡を外す。


「が……ガイアス様……」


 すると、彼女は力なく主君に手を伸ばす。


「介錯してくださいまし……私はもう生きて行けません……」


「お前一体何やらかしたあのアリエルがどうしてこんなにしおらしくなるとかありえんぞッ!?」


 ガイアスの胸に顔を埋めて泣き出したアリエルを見て、ガイアスは下手人に叫ぶ。

 しかし、その顔は怒りよりも現状に対する困惑に一杯一杯だった。言葉も何やらいろいろとおかしなことになっている。


「……え、言ってほしいんですか? 他の人もいるのに?」


「他の奴に聞かれたらまずいようなコトやったのかおまえは!?」


 首を傾げると、ガイアスの叫びが甲高くなる。


「あのねえ、ガイアス殿」


 そんな彼に、グランドはやれやれと首を振る。


「この世には、知るべきではないことが山ほどあるんですよ」


「この悪魔がッッッ!」


「『悪魔』です。ちなみに『魔王』とも呼ばれてました」


 グランドは悪い顔でクツクツと哂う。

 その黒く笑む様は、まさに悪徳を成す魔そのものだった。


「まあいいじゃないか。別に問題はなかろうに」


「その言葉は全面的に否定させてもらう」


 クラウスもガイアスに全面的に同意する。

 そんな非難は聞き流し、グランドはそのままオルハウストの肩を組む。


「大変だったね。と言うわけで選手交代だよ、オルハウスト。後は任せなさいな」


 叩きながら笑いかけると、オルハウストは反論して額に青筋を浮かべた。


「別に君が割り込まなくとも何とかなったぞ」


「さっきアリエル殿にもいったが、自分で思ってもいないことを言わないでくれ。はっきり言うが、この手の輩には、お前たちは相手にもならんよ」


「……我々には役不足だと?」


「違う。そうだな、強いて言えば相性の問題だよ。まあ気にするな」


 グランドはそう説明するが、当然そんな曖昧な説明で納得するはずがない。

 凄まじく何か言いたそうな顔をしていた彼に、グランドは少し考えてから切り出す。


「お前は、相手の目的が何だと考えてる」


 突然の質問に、オルハウストは訝しげな顔をするが、直ぐに答える。


「君の持つ技術を欲し、無理やりに犯罪の事実を作り上げて君を拘束すること。そうならずとも、断ったというその弱みに付け込み何らかの利益を得ること」


 そこで一端切る。


「そう思っていた」


「ふむ」


「そう思わせることが向こうの策であり、二択のように見せて君の身柄の重要性をあまり意識指せないようにしていただけのこと。向こうの目的は最初から君自身だろう。どこかの琴線に触れたのか、暴走ともいえる暴挙をしてまで欲するほどに君は一目置かれているようだ」


 神妙な顔でオルハウストは囁く。


「成程……」


 グランドはそれを聞き、真面目な顔で頷く。

 目を閉じ、少しの間考え込み、口を開く。




「おめでとう。大不正解だ」




 最高に不愉快を誘う笑みを浮かべると、その顔面に拳が飛ぶ。

 腕の振りと腰の捻転。体術に詳しくないクラウスでさえ、異常と分かる力強さ。芸術的とすら呼べるほどの惚れ惚れする一撃。

 グランドは飛び退いて躱す。

 拳の風圧が、離れたクラウスにまで届いた。

 自分のことでないのに、内心血の気が引く。

 オルハウストは無意識だったのだろう、咄嗟の自分の行動に驚き、そしてグランドの顔を見て青い顔で慌てだす。


「さて、と。では選手交代ですガイアス殿」


「っておい血、血!? というかお前が出てきては話が―――」


「別にイイですよ? 泣いてる彼女を放っておけるものならね」


 グランドの頬を、紅いものが通過していく。

 傷はなかなかに深いらしく液体は止まる気配がない。足元の最高級品の絨毯を次第に血腥く染め直す。

 掠った風圧だけで肉まで裂けるとかどれだけだ、そしてなぜお前はそんなに冷静なんだ。もはやクラウスは驚きを通り超え諦めの境地に達しつつあった。


「何だこの状況……」


 そして、ガイアスの再びのこの言葉。

 目の前に血がだらだらと垂れ流しになっていて、顔も服も割と洒落にならない状態の男。

 後ろに思わず殴りかかり、怪我を負わせたことでオロオロと慌てる臣下。

 腕の中に、悲痛に泣く煌びやかに着飾った女性。


 あまりにあんまりな状況に何とも名状しがたい表情を浮かべるガイアス。

 とはいえ、戦士として、闘う者として、泣く女性を放っておくという選択肢が取れないのだろう、素直にアリエルの相手をし出した。


 貴方は素晴らしい方です。クラウスは零れそうになる涙をこらえるのに必死だった。


「さっすが〈剣王〉。騎士のかっがみー」


「黙ってろ諸悪の根源」


「おや、手厳しい」


 グランドが茶かすと、令は凄まじい目で睨まれた。

 あの視線に自分が晒されたらと思うと、身がすくむ。

 

 そして、とうとうグランドの矛先がこちらへ向く。


「こんにちはーお待たせしましたお二人さん」


「っは……、失礼」


「こんにちはぁ。まあまあ、痛そうですね、私が治しましょうかぁ?」


 なんとか意識を取り直し、臨戦する。隣の女性は令の身を気遣う。

 さっきから思っていたが、なぜ彼女はこんなにニコニコしてるのだろう。

 一応、主の要請でスルスからこの場に派遣されているのだから、もっと能動的に手助けしてくれてもいいのではないか。

 本来あらゆる意味で中立でなければならない司祭としての職務を全うしているに過ぎない彼女に、そんな益体もないことを考えるのも、混乱しているからか。

 自分の視線が、グランドの顔と血が滴る先の間で視線がせわしなく動いているのを自覚する。

 血塗れの男との交渉など経験がある筈もないから、仕方ないと割り切る。


「お初にお目にかかります。当てもなき流浪人、冒険者のグランドと言います。此の度、デルト王国よりの招待を受け、この場へはせ参じた次第です。貴方たちのお名前をお聞きしても」


 ちらりとデルト側に目を向けると、うわあ……とう声が聞こえてきそうな顔をしていた。

 しかし、それを否定することはしないらしい。

 取り敢えず、デルト側の要請で来た、ということにしたいようだ。


 まあ、いいだろう。

 クラウスからすれば、そのようなことはどうでもいいのだ。

 この場に、要となる人物が来た、ということだけが重要。


「……これは失礼を。私は―――」


「エリュシオン公国臨時全権大使クラウス・ハルハウス殿にスルス教団上等司祭アラウルラ殿ですね。存じておりますので結構です」


「…………」


「…………」


「あらあら」


 これまでのことで分かっていたことだが、相当『イイ』性格をしているらしい。

 主の相手でこの手の相手には耐性が着いているので、この程度の嫌味など慣れている。

 なのに、なぜか。

 この男の視線、表情、手振り、身動ぎ一つ、それらが異常なほど癪に障る。

 腹になにか、黒いものがこみあげてくる。

 クラウスはそれを何とか抑える。


「こちらの話は聞いていたことだと思いますが、そのことについてはどうお考えですか」


 クラウスは目を瞑り、余計な情報を遮断する。

 彼の経験上、この手の輩はまともに相手をしてはいけない。余計なことを省き、早急に用件を済ませることが肝心。

 だから、彼はそう問いかけた。

 これ以上、場の主導権を握らせるわけにはいかない。ゆえに、こちらが優位に立てる情報を流す。


「ああそれですか。別に構いませんよ」


「………………」


「………………」


「………………」


「あらあら。まあまあ」


 だというのに、目の前の男はことごとくクラウスの思惑をぶち破る。

 顔を見なくても、デルト側も相当アレな表情をしているのが、空気で分かるほどだ。

 目を閉じたままの彼の頬を、冷や汗が伝う。


「……構わないというのはあれですか。エリュシオンへ同道して頂けると」


「おや? それ以外に何かあるので」


 ええー、と心の中で嘆きつつ、クラウスは一体相手の狙いは何なのか考えを巡らせる。

 彼は、ここで拒否したグランドを相手に優位に事態を進めるつもりだった。

 なのに、相手の答えは了承。こうなると、もう自分は余計な手を打てない。

 あれやこれやと余計なことをして話を伸ばすのは、こちらの本来の目的である筈の『グランドの身柄』以外に本当の目的があることを喧伝するようなものだからだ。


 事実、彼の目的はそれではない。

 正確には、グランド以外にもまだ、主から命じられた目的がある。

 およそ、常人に理解できるようなことではない、イカれたものが。

 このままでは、それが達成できなくなる。


 どうする。

 何をする。

 頭で必死に思考を続けるクラウス。




 だから、『それ』に気が付くのが遅れた。




 顔は冷静を取り繕うものの、もはやクラウスは限界だった。

 人は、意味不明な状況に晒されると、自然と周囲の情報をかき集め、打開策を見つけようとする。

 それは意志でどうにかするのは難しく、もはや本能に近い。

 だから。彼は余計な情報を得ないように、目を閉じていることに決めたにも関わらず、相手の顔を見てしまう。


 ―――背筋が凍った。


 顔は笑顔だ。

 表情も普通。空気も穏やか。およそ、警戒すべきものは何一つない。


 その眼を除いて。


 浄も不浄も。正も負も。何もかもをまとめて呑み込んでしまいそうな黒。

 見ているだけで心の奥の奥まで見透かされてしまいそうなほど、綺麗すぎていっそ悍ましいとすらいえる、澄み渡った闇景色。


 喉元に切っ先を突きつけられたような怖気に晒されながら、クラウスは一つ確信する。




 これは、『人間』がしていい『モノ』ではない、と。




「おや、気づかれた」


 気が付けば、相手は悪戯がばれた子供のように笑む。

 慌てて、クラウスは表情を取り繕い、視線を外す。

 全身からどっと冷や汗があふれるのを自覚し、震えそうになる身体を叱咤しながら、正確に理解する。

 

 何かを、知られた。

 今の一瞬の隙をついて、こちらが知ってほしくない情報を持っていかれた。

 理屈ではなく、ただ、そう悟る。


 不味い。

 その単語が脳内を駆け巡る。


 混乱が尽きない中、彼は結論を下す。


「分かりました、それでは、そちらのご都合はいつごろがよろしいでしょうか」


「へえ、こちらの都合に合わせて頂けるのですね。てっきり無理やり連れていかれるのかと思っていましたよ」


「証拠があれば『出頭命令』ですのでその通りですが、今回はただの『出頭要請』ですので。そちらに合わせるのが当然でしょう」


 早々にこの話を切り上げる。

 これ以上続けていては、いずれ致命的な情報まで吸い上げられるかもしれない。

 目の前の男には、そう思わせられるだけの、何かがあった。


「では、ひと月後はいかがですか。それまではいろいろとやることがあるのですが」


「流石にそこまでは……」


 グランドの提言に、クラウスは難色を示す。

 さすがに、ひと月も放置しては、失踪されてしまう可能性が高い。

 もはやこうなれば、グランドには悪いが、彼の身柄だけでも押さえておきたい。


「成程。では、三日で」


「……いきなり期限が縮みすぎではないですか」


「なにか不都合でも」


「……いえ」


 今度の提言には、クラウスは悩んだものの了承する。

 不自然な流れ。何らかの策を思わせるものがあったが、それを気にしても、今の彼に確かめる術はない。

 

「では、そういうことで。三日後にはそちらの大使館に伺います。その時にまたお会いしましょう」


「…………ええ、そうですね」


「さてと。ではもう、話すことはないですね」


「…………はい」


 一応、自分の思い通りに場が動いている。

 だが、そのことに安堵は全く感じない。

 彼にはずっと気にかかるコトがあった。


 グランドが何も抵抗をしないのもそう。

 思い通りに行き過ぎているのもそう。


 だがなにより、さっきから、デルト側の動きが全くと言っていいほどない。

 密かにそちらを窺うも、ガイアスとオルハウストは、表情の乏しい顔で微動だにしない。アリエルはそもそも論外。

 グランドが出てくるまで、二人は明らかにグランドを庇うように動いていたはずであるのに。

 そして一つ分かることがあった。

 クラウスは、ビビりであるゆえに、身を守るため、人の感情の機微を読むことに長けている。

 その彼の鋭い感覚が、彼らの乏しい表情からでも、ある感情の存在を察していた。


 それは、まがうことなき憐憫だった。


 それが、彼は不安で仕方がない。

 それなりに、彼らには恨まれることをしたとクラウスは自覚している。

 なのに、どうして憐れまれているのだろうか。

 

 クラウスの能力は、高い。

 彼の主から、一定以上の信用を得るほどに。

 だが彼の一番の力、クラウスの主が、クラウスを重用するその理由の最たるものは、危機能力の高さである。

 彼は、決して自身の能力を超える相手とは、真向から相対することをしない。

 あらゆる手を尽くし、自身の優位な場を作り、そしてそこから安全ならば相手へと踏み込み、危険ならば迷わず退く。

 その能力は外交の場で尤も求められる能力であり、奇しくも、単体の戦闘能力が高すぎるアリエルに最も足りないものでもあった。

 彼の隠れビビりという性格は、コト交渉の場において、大きな力を発揮する。

 だからこそ、未だに主の命令は達成できていないものの、彼は一定の成果を上げることでよしとし、身を引いた。

 これ以上続けて成功したとしても、それ以上の損失があっては意味がない。

 欲を出さず、引き際を見極めた彼のこの決断は、英断と言える。


「ああ、そうそう、ガイアス殿」


 ただ。惜しいことに。

 彼には見誤っていることがあった。


「なんだ」


「これあげます」


 それはグランド――令という存在の、キチガイっぷりである。


 いきなり話を振られたガイアスは、グランドが手渡したものを受け取る。

 それは、それなりに使いこまれた手帳だった。

 直ぐに帰ろうと身体を浮かせていたクラウスだが、さすがにそのやり取りを聞き流すほどの距離は開いていない。


「……なんだこれは」


 当然。ガイアスは疑問の声をかける。

 グランドは、微笑んで答える。




「私の魔法の神髄を書き記した、まあいわゆる奥義書ですね」



 

 空気が死んだ。


 息をする音すらしなくなる。


 夕焼けに染まった外から、烏の鳴く声が聞こえた。


「「「………………はあ!?」」」


「あらあら。そうきましたかぁ」


 そして、静寂が破られた。


「ちょっとまてそんなもの受け取れるか!?」


「いえいえいいから持っていてくださいよ。今までのほんの心ばかりのお返しです」


 騒ぐ二人をしり目に、クラウスは頭が過負荷に耐え切れず動作不良を起こす寸前だった。

 だが、それでもなんとか、言葉を絞り出す。


「ま、まってくださいグランド殿! そんなものを渡されては困ります!」


 そう、困る。

 せっかくグランドの身柄を抑える約束を取り付けたというのに、その技術を押さえる前に流出させられてしまっては、これまでの意味がなくなってしまう。

 慌てるクラウスをしり目に、だがグランドは、口を三日月に歪めた。


「と言っても、私がそちらに配慮する必要はありませんよね。何せ私はデルトの要請でここに来て、そちらの提案を受け入れて、そしてそちらとの話はもう終わっているのですから」


「っ……!」


 やられた。

 クラウスは、説明口調のグランドの言葉に自分の失敗を悟る。

 グランドははじめ、デルトの要請で来たというように語っていた。そして、自分はさきほどグランドへ、エリュシオンへの同道は要請だと告げている。それは、彼の現在の所属がデルトであり、エリュシオンのもとにはないということを意味する。具体的には、彼が三日後、デルト王国のエリュシオン大使館に入るまで、グランドの身柄はデルトの法によって守られる。

 グランドがその『善意』から、自身の持ち物を誰かに委譲することを阻止することはできない。たとえその中に、エリュシオンから盗み出されたとされる情報が載っていたとしても、渡すのはあくまで、一個人の一冊の手帳に過ぎない。一度ガイアスの手に渡れば、それはガイアス個人の財産となる。

 そして何より、クラウスは先ほど自分で返答してしまっている。『もう話すことはないか』という問いに、はい、と。

 その時点で、クラウスは彼らデルト陣営の内部で交わされる『取引』に対し、介入する権利を放棄してしまっている。一度自分で繋がりを断ち切った以上、それに口を出すことはできない。


 これは、一概に彼の失態とも言い切れない。

 普通、自身の編み出した秘奥をいうのは、その本人のとって、何にも代えがたい絶対の財産なのだ。

 自身の生涯を掛けた、文字通りその人のすべてを抽出した結晶体。

 それを、こうも容易く他人へと譲渡しようとするなど、正気の沙汰ではない。そんなこと、誰も考えすらしない。


 グランドの技術が流出すれば、自国の権益に甚大な被害が及ぶ恐れがある。

 又聞きでも相当な技術を持っている彼の秘奥など、巷に流れればどうなってしまうか、考えることも恐ろしい。


 だから、クラウスは、背を嫌な冷や汗が流れるのを自覚しながらも、口を開く。


「その件、待っていただきたい」


「おや、話はもう終わり(・・・)ですよね」


 終わり、を強調した言い方をするグランド。

 歯を食い縛り、クラウスは頷く。


「ええ。そうですが、他にもお話ししたいことがありました。お手数ですが、もう暫しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 そう、新しい話を切り出す。

 もう一度話合うことで、その奥義書の譲渡をやめてもらう、それがクラウスに残された、唯一の道。


 だが、それにはこちらから話を持ち出さなければならない。

 話を持ち出すということは、こちらが相手に遜るということ。

 つまり、相手よりも立場が下がる。




 ここに、状況は逆転した。


 絶対優位にいたはずのクラウスは、いつの間にか最底辺へ。

 そして、ただの虜囚となる筈だった男は、君臨する支配者へ。



 グランドは、笑んだ。

 脚を組み、尊大に背を凭れ、クラウスを見下す。


「いいぞ。ビビりな羊くん」


 其処に、先ほどまで居た礼儀正しい教養高い青年はいない。

 その姿をみて、己を貶める言葉を聞いて、クラウスは不思議と嫌悪を覚えない。

 この姿こそこの男の本来の形だと、自然に信じらるほど、その姿は完成していた。


 クラウスは、ある言葉を思い出す。

 はじめに自称するのを聞いたとき、何を大げさなと呆れた言葉。

 そして、半ば諦めに近い感情を抱えながら、深く納得する。

 消え入りそうな声で、それを呟く。




「……ああ、これが『魔王』だ」




 ―――彼の受難は終わらない。 






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