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異世界の愚か『もの』 ~世界よ変われ~  作者: ahahaha
デルト王国 ~望んだ望まぬ名声~
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67話 『彼』の意志≒『彼』の答え

 『処分』。


 その言葉がガイアスに重くのしかかる。

 とはいえ、不思議と意外だとも、止めようとも思わなかった。


 彼も分かっているのだ。あいつらが、どれだけこの国に損害を与えているのかを。

 一国の元首をやっていれば、当然裏の仕事にも詳しくなる。

 邪魔になると判断し、消してきた者も一人や二人ではきかない。


 それでも、彼が思うのは冷静な否定。


「やめろ。お前が個人でどうにかできるものではないぞ」


 彼とて、ただ手をこまねいていたわけではない。

 独自に手を回し、いくつかの証拠もつかみ、貴族の何人かはどうにでもできた。


 だが、それは出来なかった。


 国の制度が、それを容認できる形にないのだ。


 本来であれば、このような事態になる前に、法律が自浄作用として働き、粛清できるはずだった。

 だが、過去の王族の意図的な改変が何度もなされた結果、それは変わった。

 改変は悪意的なものではなく、むしろ国を富ませようという清い意志のもとの行為が多かった。

 だが、複数の違う者の意志がふれることによって、元の一本化された融通の利かない穴のない法律は、小回りの利く穴だらけの法律へと変化してしまった。


 その結果が、この無残な国の残骸。


 貴族は穴を利用し私欲に耽り、王はそれを止めようとしては法律に阻まれ、民は両者の元で右往左往する。


 そのなかで、ガイアスは己の無力さに歯を食いしばり、少しでも現状を改善するために動いていた。

 腐りはてた膿を出すために。

 国が決定的な死病にかかってしまう前に。


 それでも、ガイアスは『王』。

 

 <デルト王国>の、最高権限にして頂点。

 だからこそ、そんな彼だからこそ、国の法からは逃れられない。


 『法は人に正しさを知らしめる。だが、法が正しいかはだれも知りえない』


 その昔、誰かがそういったのをガイアスは聞いた。

 全くその通りだと思う。

 本来国を守るための法が、国をむしばむなどいったい誰が想像しただろう。

 

 法律は、ガイアスではなく貴族たちへ味方するように機能していたのだから。

 いや、もしかすると過去の法の改変も、連中の悪意に唆された結果のものだったのかもしれない。


 だから、ガイアスは令を止めようとする。

 現時点で、もっとも国を変えうる可能性の高い『王』が何もできないのに、目の前の『人間』がどうして国を変えられようか。


「……く、は、あは」


 そんなガイアスに、令は笑いをかみ殺す。

 

 あまりにも、わかりやすかった。

 有能だからこそ。自分よりも優れているからこそ。

 令は、彼が考えてることが手に取るように分かった。


 彼が、全くの検討違いをしていることが。


 訝しげにする彼に、令は顔を手で押さえながら愉快さに震える声を絞り出す。


「ガイアス殿。貴方は盛大に間違えてるよ。私がいつどうにか『する』といいましたか?」


「何?」


 令は、顔を上げる。

 隠し切れない狂笑を、左手で揉むことで何とか抑えようとする。 

 だが、効果はない。

 それどころか、その動きが却って彼の表情の歪さを強調してしまうことになる。


「私はね。もうどうにか『した』んですよ」


 瞬間、沈黙が下りる。

 その言葉の意味を、誰もが理解しかねた。

 『する』と『した』。

 『未来』と『過去』。

 あまりにもわかりやすいこの二つの対比が、ガイアスたちの常識とあまりにかけ離れすぎていたために、まるで異次元の言葉のように彼らには感じられた。


「『処分する』といったから、これから行動するとでも思っていましたか? だったらすみません、言い方が悪かったですね。『処分する』のはこれからですが、もう手はうちました」


 やっと表情がいつもの笑みへと戻る令。

 そして、ガイアスたちは聞いてしまう。


「あいつらはもう、詰んでいる。だからその辺りの心配は無用ですよ。ガイアス殿」


 詰んでいる。

 もう心配いらない。


「…………………………………………馬鹿なっッッ!?」


 彼らしくない、数秒の硬直の後にその言葉をようやく把握したとき、とうとうガイアスは椅子を吹き飛ばす勢いで立ち上がった。


 ありえない。

 この短時間で、こちらが何年もかけて解決の糸口すら見つけられなかった。


 それなのに目の前の男は、こともなげに既に解決したという。


「これから微調整は必要だろうが、基本放置で問題ない。そうだな、片が付くまでざっと、一か月ってところか。それでいろいろと終わる。後はあれらが勝手に、『勘違いして』、『疑って』、『安心して』、『裏切られて』、『終わりを選ぶ』のを待つだけだ。簡単だね」


 一か月。

 それで片が付くと断言した。

 だが、当然混乱したガイアスの頭はそれを受け入れられない。

 ここまで思考が乱れたのは、彼の人生で初かもしれない。


「そんなこと―――」


「国を『変える』というならば、貴方の考えた通り『王』以上に優れたものはいない。『王』というのはそもそも国家の最高意思決定機関であり、ゆえに国に対し最上位の干渉権を持つ。その『王』に出来ないならば、他の誰にも変えることはできない」


 その茹だった頭に、冷静な声が冷や水を浴びせる。


「だがね」


 令は、なくなったガイアスのコップに再び茶を注ぐ。


「何かを『壊す』ことに最も適しているのは、いつだって何も考えず、ただ己の欲の実現のために邁進する『愚か者』だ」


 そして、自嘲するように笑った。


 令は背もたれに持たれる。


 ガイアスは目の前の湯気を上げる茶を見つめる。

 透き通った赤色の液体。

 それがどこか、令がしでかすこれからの流血を、惨状を連想させた。


 そんな思考を、ガイアスは押し殺し、カップを手に取った。


 そして口をつける。


 自分の想像のせいで、一瞬だけ血の匂いを幻視し、吐き気がした。


 それが、自分が目の前の存在に気圧されているせいと悟り、ガイアスは己の至らなさに怒りを抱く。

 

 血に染まることなど今までに何度もあった。

 何度も血を流し、流させてきた。

 比喩的にも、直接的にも。


 いまさら、仮にこれが本当の血だとしても、それを厭う理由がどこにあるだろうか。


 ガイアスは揺れに揺れていた思考を強引に盛り返す。


 直ぐに元の芳しい香りを感じ、ゆっくりと飲み下す。


 令に僅かでも畏怖を抱いた自分もろとも。


 そうして、ガイアスは常の自分を取り戻す。


 令は自分のカップにも茶を注ぐとそれを呑む。


「レイ」


 ガイアスの思考までは思い浮かばない令は、話しかけてきたガイアスを見やる。


「お前の取る手は穏便なものではあるまい。他に手はないのか」


 この問いには、ガイアス自身答えが分かり切っていた。

 だから、力づくな手では納得しないであろう身内のためのもの。


「無理だね」


 案の定、返ってくるのは否定。

 それに反応するものが一人。


「どうしてよ。別に殺さなくても貴族位を剥奪だけなら署名でどうにかできるんでしょう?」


 フレイナは邪魔者を消すという行為にまだ慣れていないために、より穏便な手を取るべきだと暗に主張する。

 昨日見せた、貴族位剥奪請求の署名を使えば、それができるはずだと。


 そんなフレイナに、令は無言で書類を取り出し渡す。


 それは昨日オルダインの醜態の発端となった、件の書類だった。


「これがどうしたの?」


「よく見るといい。それ、次やったら絶対に署名なんか集まらんから」


 不思議そうに、フレイナは書類を見つめる。

 興味が惹かれたのか、オルハウストら<四剣>の面々も覗き込む。

 その中でガイアスはひとりだけ困ったように顔を歪める。


 書類自体に、特に問題は見当たらない。


 文体も、様式も、しっかり押さえられている。

 そして集められた署名も、しっかりと記載されている。


「特におかしなところなんてないけど……」


「その字体」


「字体……?」


 再度、目を向ける。

 いつも本や書類で見かけるような、流麗な字だった。


「……これって……!?」


 そして気付く。

 その文があまりにも綺麗な字で書かれていること、それが伴うある問題について。

 彼らにとってはそれが普通だったために、気づくのが遅れた。


「<流字体>!? これじゃあ平民の人たちは読めないじゃない!」


 そして令へと詰め寄るフレイナ。


「近いぞ」


 令は口にする。

 確かにフレイナと令の顔は近い。さすがじゃじゃ馬と言うべきか。

 だが、今気にすべきことではない。


「そんなことはどうでもいいのよ! どういうことよこれ!?」


 さらに詰め寄るフレイナに令はのけぞる。


 <流字体>というのは、一般的な書類や本の編纂に用いられている、流れるように字を繋げて書くことで、文章の作成時間を短縮するために生まれた字体だ。

 これは通常の、字を離してしっかりと書く<単字体>と比べ、多くの利点を伴う。

 だが、一つだけ欠点がある。


 <単字体>で慣れてしまっている人間には、うまく読むことができないのだ。


 <デルト>に限らず、平民の識字率は低い。騎士階級のものにも読めない人間がちらほら居るくらいだ。

 <単字体>ですらかける人間が少ないのだから、<流字体>が読める人間など市井にはほぼ皆無である。


 つまり、これに署名した人間のほとんどは、いったい何の署名なのかすらわからないまま記名したということ。


「どうもこうも、そういうことだ」


 端的に言ってしまえば、だまして書かせていたのだ。


「そういうことだって、そんな不義理なことをしたって言うのあんたはっ!」


「まあ不義理の極みだろうなー。何を書かされてるか分からない連中に、未亡人の美女に請わせる形でやらせたんだから。その女性も自分が何の署名を集めさせられているのか教えていなかった。否定のしようもなく、申し訳なくてならない」


「このっッッ―――」


 根が真っ直ぐであるフレイナにとっては、それは許せるわけではなかった。

 何しろ、だまされた人間の数が数だ。

 王女である以上、フレイナにしても、この手の黒いことに関しては納得してはいないが多少の理解はある。

 だが、署名した四千人近い人間をだましていたと言われて許容できるほど、こなれてはいない。

 

 ましてや、人の感情を利用したと言われては。


「―――あんたには人情ってものがないのッッ!?」


 だから、叫んだ。

 自分の感情の赴くままに。


 その様子にガイアスたちは呆気にとられていた。

 彼女が激することはよくあることだった。

 だが、それは些事や個人的な事情の時に限ってのこと。


 このような、政の事情が複雑に絡んだときのことでは、彼女は自分の能力を理解しているために、どれだけ気に入らないことがあろうと大声を出すことはなかった。


 フレイナはそんな周囲の様子に気が付かず、息を荒げ、令を睨み付けている。


「誰か不利益を被ったのか?」


 感情的になったフレイナだったが、不思議そうな声が冷や水を浴びせる。

 令の表情に罪悪感はない。悲壮感もない。

 ただただ、不思議そうだった。


 その顔に文句を言ってやりたかった。

 だが、一瞬だけ怯み、その隙に令の言葉の意味を考える余裕ができてしまったことにより、その意志は崩れる。


 そう、誰も被害を受けていない。あのフレイナから見てもいけ好かない放蕩貴族を除いて。


「あれがあの場合では一番手っ取り早く効果的な方法だった。結果、あのクズは地位を喪失し、貴族は己の立場が絶対ではないと悟り、国民は脅威に抗う術を知り、俺とデルト上層部はこれからのことへの足がかりを得た」


「っ! それでも、手段を選ばなくてもいい理由にはならないわ……。そして、人を利用していい理由にも」


「正論だね。ああ正論だ。この上なく正しい。手段を選ばなくなっては争いは泥沼化する。だから人は理性を重んじ、協調し、相手のことを慮り行動する」


 歯を噛みしめ、フレイナは意地だけで反論する。

 それに対し、令はその言を認める。


「だがな、そんな正論が通用するのは常に『正しい』場面だけなんだよ」


 どこか、馬鹿にするように。


 そんな令を、フレイナは怒りを籠めて睨み付ける。


 令はその感情を見て、顎に手を当てる。


 ―――そして、面白そうに嗤った。


「俺が協力を依頼した女性は未亡人だった。なぜかわかるか?」


 いきなりの話題の転換に彼女は困惑する。


「<デルト-クリミル戦争>で夫を喪ったんだよ。対外的には、<デルト>が起こしたとされる戦争でな」


 そして固まった。

 あの戦争は、実情では彼ら上層部が起こしたものではない。

 だが、そんな言い訳が諸外国に、民に通用するわけがない。


「彼女は年端もいかない息子をつれ、路頭に迷い、身を売る瀬戸際まで追いやられてたそうだ。だが、今回の以来の報酬で当分はその心配はなくなるだろう。結構な額を渡したからな」


 <デルト>では、戦死者の遺族に対し、それなりの額の補償金を支払っている。

 だが所詮、それなりにしかすぎず、喪った家族がこれから得るであろう額には及びもつかず、何より金で心の傷まで癒されるはずがない。


 家族を喪った悲しみにまともに働くこともできず、得た補償金も遠くないうちに尽きてしまい路頭に迷う。そんな人間は少なくはない。


「さて、お前の言う正論で、果たして同じことができたかな? ただ一人とはいえ、悲嘆にくれるものに道を示せたかな?」


 無理だ。

 フレイナは何度も、自身の個人的な資産からそういったものたちへの寄付を行おうとした過去がある。

 だが、それは父や<四剣>たちに止められた。

 王女が、一部の人間にだけそういった『不平等』を行うわけにはいかないと。

 その時もフレイナは感情的になって反論した。生活できない人間に援助することのどこが不平等なのかと。

 だが、そう言うと彼らは一様に厳しい表情をして黙り込んでしまった。


 もちろん、彼女も分かっていた。

 施し手と受け手、当事者がどう思うかなど些細なこと。それを周囲の人間がどう思うのかが問題なのだと。

 真面目に働いている人がいる中で、不幸ごとがあったとはいえ、働かない人間に援助が下りる。

 文句を言う人間など、掃いて捨てるほど出てくる。場合によっては苛立ちから、暴力的な行為に発展することもありえる。


 だから、フレイナはその時、自分の発言を後悔し、謝ってから引いた。


 そして、『王女』という立場を呪った。


 地位だけで、何もできていないでいる自分を。


 俯くフレイナだが、令の悪意はまだ尽きない。


「ところでディック殿、そっちの調子はどうです?」


 令は突然、符の向こうの人物へと声を向ける。


『……ここでそれを聞いてくるとか、お前鬼だな』


「褒め言葉だ。で、どうなんです」


『物資の調達は完了。街の権力者の協力は確約を得た。<ネスト>デルト王国本部・支部各所への通達、応援の派遣要請も通った。あと終わっていないのは国の許可が必要なものだけだ』


「さすが。仕事が早い」


『……おぜん立てをすべて整えていたお前が言うと、嫌味にしか聞こえん』


 フレイナも、ガイアスも、何のことを話しているのかわからなかった。

 しかし、直ぐに判明する。


「都市防衛設備の増強、および対魔獣最前線の構築。それだけ終わっているなら侵攻に間に合いそうですね」


「なっ……」


 そのあまりの内容に絶句するフレイナ。


 こちらが手をこまねいて、驚くことしかできないでいる中、すでにこの男は手を打っていたという。

 <ルッソ>は<デルト王国>の<魔の森>最近辺、つまり侵攻があったとき真っ先に衝突する地点。

 そこに防衛線を構築するのは、戦いを優位に進めるための必須事項だ。


 ありえないのは、この短い時間でそれを為したということ。

 令とディックが接触して、まだひと月ほどしかたっていない。


 それなのに、未だ噂の段階に過ぎない、虚言妄想の類を解決するために、街一つが一丸となって戦線を構築しているという事実。


 普通、そんなものを都市の有力者たちは相手にしないはずであるのに。


 どうしてそんなことができるのか。


『当然、どいつも初めは渋っていたのだがな。対談でお前の、グランドの名を出すだけで面白いほど空気が一変したぞ。一応調査団を派遣したところ、森に踏み込んでいないにも関わらず死者と重傷者しか出なかったという惨事になった』


「死人がでましたか」


『全滅でない時点で上等だ。<刃虎>がでたらしいからな。国民全体に妙な信頼を得ているお前の言葉でなければあいつらは舐めてかかってより酷い結果になっただろうよ』


「おおう。……まさか私の口八丁が本当になるとは」

 

 フレイナのその疑問は、目の前で繰り広げられる会話で解消された。

 

 実に簡単な話だった。


 目の前の男が、いままでの行動によって、国民に絶対の信頼と期待をかちとっていたというだけのこと。


 だから、人々は令の言葉を信じ、一丸となって、強力したのだ。


『おかげで儂の仕事量も殺人的なものになったがな。全くあいつら、お前との窓口が儂にしかないからと言って次々と仕事を押し付けて来よる』


「ご苦労様です」


 そして、そのことを疑問にも思わない。

 今のディックのように、愚痴に近いことを言っても、それは表面上だけなのだ。


 令の言いたいことが、直接言葉にしなくても分かってしまう。


 この『国』は、お前という人物ではなく『グランド』という虚像を信頼しているのだと。


 民が期待しているのは、何もしない『正しい』『王女』ではなく、滅茶苦茶であっても行動する『愚者』なのだと。


「言いたいことがなくなったなら下がってろ『おひめさま』。邪魔だ」


 その言葉を聞いた途端、彼女は泣きたい思いに駆られた。

 ああその通りだ。

 自分はお飾りで何もできない『おひめさま』だ。


 俯いて下がった彼女を、オルハウストとアリエルは心配そうに見つめていたが、フレイナはそれに気付かない。


 そんな、盛大に一切の情け容赦なく論破された娘を、ガイアスは困ったように見ていた。


「手厳しいな」


「本当にどうしてか理由も分かっていない人間だったら手心も加える。だが、分かっていながら感情のまま突っかかる子供の癇癪にどうして遠慮する必要がある」


 フレイナに対して遠慮のない言葉。

 少なくとも文面だけは。


「その割には、少し嬉しそうだが」


 令の動きが固まる。

 だが、直ぐにそっけなく茶を飲み始める。

 そんな令の様子を、しばらくの間彼は見つめていた。


「既に調査は行ったようだが、それを鵜呑みにするわけにもいかん。こちらでも調査は行わせてもらうぞ」


「ご自由に。せいぜい同じ目合わないよう、腕利きを選んでください」


 そっけない言葉。

 だが、ガイアスにとってはそのそっけなさが、何となくこの男の見せた年相応の一面に感じられ面白かった。


「で、その名簿はいったいなんなんだ」


「……………………ああ」


 それは、話をもとの枠に戻すためのものだった。

 フレイナの登場によって少し脱線した空気を戻すための。


 だがその瞬間、周囲の空気が一気に冷え込んだように感じられた。

 男にそれまであった人間味は消え失せ、機械的なものへと転換する。


「これはとある『もの』の顧客名簿です」


「……『もの』? 顧客?」


 疑問符を浮かべるガイアスに、令は聞く。


「あの大聖堂、たてられたのはこの国の建国と同年ですよね。かなり古いものだ」


「ああ。初代が国民の慰撫のために当時すでに存在した<スルス>に依頼し常住司祭を派遣してもらったことが始まりだ。だからこの国で一番古いものと言って間違いない。……跡形もないが」


 それだけの重要建築物を木端微塵にしてくれた男に目を向ける。

 あれだけ歴史の深いものならば、文化遺産と登録されて当然。それが今や跡形もない。


「薄汚れ、黴の生えた汚濁塗れの欲望の牙城が国民の慰撫のためか。はりぼての虚構にしてももっと笑えるものを用意してほしかったものだ」


 令はここにいない誰かに呪詛を吐き捨てる。

 その言葉になにかを言われる前に彼は続ける。


「あの地下隠し部屋。壁面の材質から見てつくられたのはここ二、三〇年でのことだ」


「なに?」


 何の関係もなさそうで、それはある矛盾を生んだ。

 隠し部屋の中のあの財宝の山。


 あれは、たった数十年で溜められる額を遥かに超えている。

 

 寄付金やお布施は、少ないわけではないが、そんなに高額なわけではない。

 それを周囲に気づかれないように一部をかすめ取りため込んでいたのだと思われるが、そんな手法ではとてもあの額には及ばない。

 

 よく考えれば、いままでおかしいと思わなかった理由も令の金貨を差し出してきたときの令の一言が原因だったと気づく。


『おそらく、御布施や寄付金の横領、それらで手に入れた数十年、もしかしたら数百年分の汚れた金の山だ』。


 あの発言で、あの金の出どころを疑問に思わないようにしていたのか。


「つまり、あの金には実は横領以外の金が混じっていたと」


「そういうことです」


 ガイアスはその令の怒りを押し殺したような様子と、そして朝に聞いたフレイナのあの司祭に関する噂から、その『もの』についての予測がついてしまった。


 だから、その『もの』について何も効かない。何も言えない。


 無駄にこちらの陣営の精神を揺さぶる必要もない。

 

 それがこの男なりの配慮なのだろうから。


「その名簿、そもそもどこから持ってきたんだ?」


 だから別の話題を振る。

 その疑問の答えもまた単純。


「何のために私が最初にあの部屋に潜ったと思ってるんですか」


 つまり、あの中にあった書類を盗んでいたということ。


 事件究明のための証拠品をかっぱらったと堂々と公言する男に呆れた視線が向く。

 と、そこで新しい疑問が浮かぶ。


「あの部屋に入るとき、何かしていたな。あれは何だ?」


 令は隠し部屋の扉に符を張り付けていた。

 あれは何だったのか。


「あああれ。<魔式改編グラム・アルティレイション>。<魔法>の構成式に直接割り込んで、<魔法>の結果を書き換える技術ですよ」


「……お前、自分がどれだけ滅茶苦茶なことを言っているか理解してるか」


 こともなげに言う令に、ガイアスは馬鹿を見る目を向ける。

 他の人も同様。

 魔導士でもあるアリエルなど、目が死んでいる。


 この男はつまり、自分は魔法を無効化できると断言したのだ。

 世の魔導士が聞いたら発狂しかねない。


 だが、令は困り顔で否定を入れる。


「そんな便利なものではないですよ。昨日、大量の符を周囲に張り巡らせてましたよね」


「む? ああ」


 ガイアスは、昨日自分たちを見下ろすように取り囲んでいた紙たちを思い出す。


「あれ、今回は魔法の増強装置として貼ったんですけどね、かなり多めに見積もって用意したのに今回の式を無効化するのに全部使い切る羽目になった。とんでもなく燃費と実用性が悪いんですよ」


 言葉を失った。


 あの数百に至る符の山が、すべてあの一瞬のための増幅装置。

 一つの魔法を消すためにあれだけの符が必要になるのなら、戦闘の際に仕込むのはかなり厳しい。

 成程。それならば緊急の役には立たない。ましてや、戦闘中の魔法の無力化は不可能だろう。

 

「ちなみにあのとき無効化した魔法式は、開けたときに内部の部屋が崩壊するように仕組まれていました。もしみつかったらその人間もろともドカン。かなりあくどい」


 お前が言うな、とその場の誰もが思った。

 だが、そうも言ってもいられない。

 重要建築物が、いつの間にか何者かによって私物化されていたのだ。

 その衝撃は大きい。


「個人的には自分の与り知らないところで何が起ころうとどうでもいいんですけど―――目の前で気に入らんコトされるのは気に入らない」


 令はコツリと指先で台を小突く。

 その音が不自然に響いた。 


「ガイアス殿、私はまどろっこしい言い方はきら―――相手をいたぶるときを除いて、嫌いですから、単刀直入に伺いますね」


 何やら非常に聞き捨てならない発言があった気がしたが、ガイアスは勤めてそれを無視した。


 幸いと言うべきか、そのことはすぐに気にならなくなった。


「貴方は、私と手を組む気はありますか」


 最大の爆弾の投下により。


 目を見開くガイアスたちをよそに、令は続ける。


「私はこれから、今の<デルト>を壊すために行動を始めます。『貴族』を。『在り方』を。あの宣言通りに」


 あの演説で言った言葉を実行に移す。

 つまりはそういうこと。


「貴方が協力する意志があるのなら、私は形式的に貴方の下に就きます。行動を制限させはしませんが、常に貴方方を立てるよう行動することを誓います」


「その言を信じろと?」


 動揺の心を抑え、ガイアスは冷静に、信じるに足るものを示せるのかを尋ねる。


 正直な話、ガイアスにとって彼の提案は非常に魅力的だった。

 形式的な下に就くと言っている時点で、この男は命令をされる気も、そして命令する気もないのだろう。


 ただ、自分のやることに国王の影をちらつかせ、動きやすくしたいだけ。


 そして、そうなるとガイアスも、令―――対外的にはグランド―――というある意味では百万の軍勢よりもよほど厄介な存在を従えている図を周囲の者に見せつけることができる。


 それに対する国民や貴族への影響は計り知れない。

 たとえ形だけでも、現在の国民の人気をほしいままにしている存在。貴族の権威を脅かしかねない存在。それが近くに居る、というだけで絶大な効果が期待できる。


 だが、ガイアスはこの提案に乗るわけにはいかない。

 信用し、裏切られたときのことを考えないわけにはいかないのだ。


 そんな考えを敢えて透かして見せるガイアスに、令は苦笑する。


「今まで、私が貴方がた自体に対して何らかの不利益をもたらしたことが、一度でもありましたか」


 そして微笑み、晒す。


「私の素顔を晒すだけでは足りませんか」


 自身の今までの行動を。


「私が腕の一本を預けるだけでは足りませんか」


 信用を、『対等』を得るために積み上げたものを。


「非武装でこの場に立っていることは、信じるに足りませんか」


 己なりの、誠意の数々を。


 見落としても仕方ないともいえるが、令の行動は<デルト>や貴族たちには被害甚大そのものだが、直接ガイアスたちに不利益を与えたことは一度もない。

 そして、ここにきて、今までの不可解な行動の答えが示される。


 素顔を晒したのは分かりやすい形で自分を知ってもらうため。

 腕を切り落としたのは、相手に警戒を与えないため。

 武器を持たないのは、歩み寄る意志を示すため。


 この時点で、すでにガイアスは心情的に令を疑うことが出来なくなる。


「この国が今も形を残しているという事実は、それらの証明には不足ですか」


 そして、この言葉がとどめ。


 もし、令が彼らに対して敵意を持っていたら。

 もし、令が積み上げた洗脳を捨てずに、未だ持ち続けていたら。


 果たして、どれだけの被害が、損害があったことだろうか。


 それがないことが、令を信用するに足る十分な根拠だった。


「……具体的には何をする気だ」


 ガイアスは瞑目し、問う。

 令はそれを受け止め、真剣な表情で返す。

 


「ひとまず諸侯から軍の統帥権をはく奪、それを<剣王>である貴方へ譲渡、軍の指揮系統を一元化し、より幅広く小回りの利く戦略行為を可能とし、魔獣を撃退する。その後、とある手によって無駄な『棄族(・・)』たちには消えてもらい、合法的に領土と財産を接収、王家直轄領として再整備・開発を行い国に溜まった膿を出しつくす。諸侯の縁者たち、そして僻地で埋没している中で有能な人材、身の丈をわきまえている人材を登用、国の体制を強化、来る日に備える」


 静寂。

 周囲の面々は頭を振るい、ガイアスはこめかみを抑え頭が痛そうにする。


「………………夢物語だな」


 令の言葉はあまりにも現実離れしていて、子供の理想論のようなものだった。

 話し合って戦争をやめましょうなどという戯言と同等のもの。

 そんなものができれば誰も苦労などしない。

 少しでも期待した自分が馬鹿だったと失望し、見切りをつける。


 そうなるはずだった。


「そんな戯言すら信じられると思えるのだから、本当に毒されている」


 それが彼の目の前の男から発せられていなければ。


 発言者が変わるだけで、こうも受ける言葉の印象が変わってしまう。

 まるで、技術としてではない、本当の意味での『魔法』を味わっているかのようだった。


「形式的に下の立場、か。お前。大聖堂の破壊は計画的なものだったな?」


「ご理解が早くて幸いです」


 グランドが形だけでもガイアスの下に就く。

 令が、『国王』の勢力下に入る。


 己の敵となりうる二大存在が手を組む、貴族たちにとってこれ以上の悪夢はない。

 知れば必ず邪魔をしようとするだろう。


 だから、令は大聖堂を破壊したのだ。


 重要建築物を破壊した罰として、『国王』の監視下にて無償奉仕させる。


 そう言ってしまえば、阻止することはできない。

 はたから見れば、それが建前というのはすぐに分かる。

 だが、正当だ。

 『正しい』のだ。建前であっても。

 だから、法という『正しさ』を順守しなければならない貴族は、それを否定できない。

 してしまえば、自分たちの利権を正当たらしめていた、法を自ら破ることになるのだから。


「お前は、なぜそこまでして貴族を廃そうとするのだ」


 ガイアスの意志は、この時点で半ば決まりかけていた。

 だから、その最後の決め手としてこの問いを発する。


 この男がここまでかたくなに、貴族に敵意を見せるのはなぜなのか。

 連中が悪政を働こうとも、この男に一切の害はない筈である。

 だから、知りたかった。その理由が。


「……ねえガイアス殿、皆さん。『国』ってなんでしょうね」


 そして出てくるのは何の脈絡のない言葉。

 首を傾げる周囲に、令は取り合わない。


「始まりは、なにもなかった。緑豊かな森林、広大な草原、雄大な山脈、静謐な大海。それ以外は何もなかった。そのなかで人は生きるため、今を過ごすため、共同体をつくり上げた。最小単位の個人、つがいをつくり家族、それが集まり村へ」


 だが、その語りはどこか神聖で、誰も口を挟もうとは思えない。


「やがて、人は人同士で利権を争うようになった。そうして生まれる勝者と敗者。勝った者は敗者からすべてを奪い、村は村を飲み込み、またよりちいさな村をのみこんでいった」


 令は、そんな回りの反応を知っても特に反応を示さない。


「それが、『国』の誕生」


 ただ、カップを弄ぶ。 


「領土が肥大化した国では、それによる問題が生まれた。そして人々はそれを解決するために、能力のある者へ権力を与え、自身を庇護する存在を作り上げた。それが『貴族』だ」


 だが、それまでの静かな気配が微かに翳る。


「『国あっての民か』。『民あっての国か』」


 まるで聖句のようだった言葉にも、何かの感情が籠る。


「これは人によって答えがさまざまだろうさ。そして明確な答えもまたない。『民』が居なくては『国』は虚ろな入れ物に過ぎず、『国』がなくては『民』は生き場を喪う。どちらが大事というわけではない」


 途方もない、激した色が。


「だがね。たかが入れ物が、無機物風情が、今を生きるものに害を与えるのが果たして正しいのか?」


 それでいながら、あまりにも気配が澄んだ色が。


「本来生み出された側である『貴族』たちがその本分を忘れ暴走する。人々を庇護するという目的は手段へとなり下がり、権力という手段が目的へと成り果てる。それが果たして正しいのか?」


 彼は目を伏せ、その左手にカップを握りしめる。


「そんなわけが―――あってたまるか」


 ピシリと悲鳴を上げる。


「そんなことが在りえる『国』ならば、そんなクズしかいない『世界』ならば―――」


 容器そのものに罅が入る。






「―――そんなもの『壊れて』しまえ」






 壊れた。


 破片が、台の上へと広がる。


 破片とともに、赤い液体も。


 砕けた破片が肉に食い込み、血管を突き破った。


 令は、左手から血を滴らせながら息をつく。


 その光景を見て、ガイアスは、あまりにも馬鹿馬鹿しいかもしれないことを考えていた。


 ああそうか。


 この男も―――『人間』なのか。


 嫌なことに対しては怒りを抱く。

 傷つけば血を流す。

 そんな、当たり前のことが、当たり前にありえる存在なのだ。


 ガイアスは、 じっと考え込む。


 貴族という害虫に食い散らされた虫食いだらけの国が、未だ国家としての体裁を保てているのは、一重にガイアスと『四剣』が有能であればこそ。

 書類処理に長けるアリエルが情報を整理し、貴族に顔が利くガルディオルが貴族を威嚇し、オルハウストがやさしさで民を慰撫し、ザルツが持前の気さくさで正規軍の意志を統一させる。

 そしてその頂点にたつ国王が、全般を取り仕切り国を治める。


 そうして今までやってきていたのだが、それも限界に来ていた。


 このままでは、遠からず、周囲の諸国へ甚大な影響を波及させながら自滅するだろう。


 そんなことを許すわけにはいかない。


 過去には国を守ってきた先人たち。現在は国に根を下ろす民草。そして未来はこれから生まれいづる子供たち。


 それらをすべて、無に帰すことになるのだから。



 聞きたいことは聞いた。

 この男の人となりも、わかってしまった。


 だから、ガイアスは答えた。


「断る」


 明確な、拒否の宣言を。

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