65話 無情の答え
「あの若造がっ!」
ある一室のなか、数人の男が集まっていた。
煌びやかな衣を纏い、高価な装飾品を身に着けていることから、かなり裕福なものたちと分かる。
その中の一人が、異常なほどの怒気を上げて卓を殴りつけた。
歯をむき出し、額に青筋を浮かべ、拳は割れそうなほど握りしめられている。
彼らは、<デルト王国>に古くから君臨する貴族たち。これまで、その権勢をふるい、思うが儘の行いをしてきた者たち。
そして、今回の令の行動で、一番の被害を受けているであろう者たち。
「あまりそうがなるな。こちらの耳まで痛くなる。過ぎたことだろうが」
いきり立つ男を、苛立ち混じりに諌める声。
だがそのような正論も、今の猛る男には届かない。
「過ぎたことだと!? 俺があの魔導具を手に入れるのにどれだけの苦労を掛けたと思っている! それをあの男はこのわずかな時間で無にしてくれたのだっ!」
しかも、とさらに顔を憤怒に染め上げ、怒りのあまり声が潜む。
「あいつは……あいつは……俺が苦労して手に入れた魔導具をあろうことかジャガイモで壊しよったのだぞ……! おちょくってるとしか思えん……!」
周囲の者も、その突きつけられた事実に、渋面を晒し黙り込む。
彼は魔導具大枚をはたいてある魔導具を手に入れていた。
その効果は、一言でいえば『監視』。
豆粒ほどの小さな端末が捉えた光景を、対となる水晶版が映し出すというもの。
今回の件で令を警戒することにした彼らは、それをひそかに、実際に今彼らが居る尋問室や、王の執務室など、彼らにとって害となる話が行われそうな場所に仕掛けていた。
ばれれば厳罰は免れないが、それでも彼らは、それに見合うだけの情報を期待し、実行したのだ。
そして、その目論見は文字通りつぶされた。
……あろうことか、野菜によって。
苦労して手に入れたものを壊されただけでも噴飯ものだろうに、その元凶が芋。
その事実が、怒りをさらに助長する。
もしこれをあの男が狙ってやったとしたら、相当性根がねじくれていることだろう。
「そうわめくな。別に成果がなかったわけでもなかろう。それをもとに、これから対処を考えていけばよい」
先ほど窘めた人物が再び口を開くと、今度こそ、不満そうな空気があるものの議場が静まる。
その様子から、その人物がこの場の中心だとわかる。
「そうですな。あやつめが用いる姿を変える魔法。その存在が分かっただけでもよしとしましょう」
「うむ。あれにさえ気を付ければ、あとは我らの権力でどうとでもできるだろう」
口ぐちに勝手なことを言い始め、空気は愉悦に満ち始める。
そう、彼らにしても収穫はあった。
尋問室を訪れたグランドが、その場で何やら黒髪黒瞳の令と名乗る人物に、姿を変えた。
姿を自在に変えられる魔法。
そのことを理解したときの、彼らの驚きようは端から見るものが居れば笑いがこみあげてしまいそうなほどだった。
だが、冷静さを取り戻すと、今度はそれだけ有益な魔法を知りえたことによる優越感が彼らを支配した。
もし知らなければ、自身の親しいものに化けられて不利益を受けていたかもしれない。
だが、知った以上、気を付けていれば、もう怖くはない。
そんな、この場に本人がいれば、あまりの愚かさに溜息を吐いてしまいそうな、ずれた確信を彼らは得ていた。
それに気が付いているものはいない。
「静かにしろ」
だが、訝しんでいる者ならばいる。
この場の中心、その名を、<四家>の一角、<オーラン家>の現当主、グルド=オーランという。
「この場に集まった者は、この国の行く末を憂う者、つまりは同士のはずだ。勝手な物言いで場を乱されれば困る」
静かな宣言に、再度静まり返る場。
グルドは、令の行動には何かしらの意味があるものと考えていた。
それは、ただの勘。
だが、確信に似た何か。
水晶版は、その役目を全うする間際、あるものを彼に示していた。
端末に芋を投げつけて、令の周囲の人間は残らずそれを目で追った。
彼の周囲の人間も、同じく投擲物に注意を惹きつけられていたために、それを目にしたものはグルドただ一人。
令が浮かべていた、その嘲りの嗤いを。
<四剣>の座を、アリエルに奪われたと言えど、<四家>の者として一流以上の実力を持つ彼をして、寒気を感じさせた不吉な笑み。
下手に動けば、こちらは途方もない打撃を受けるかもしれない。
だからこそ、慎重をきし、確実な手を打たねばならない。
この場で妙な仲間割れを起こされては、彼としては非常に困るのだ。
「我々が今なすべきことは、有意義な意見を出し合い、いかにあいつを貶めるのかを話し合うことだ。そのためにも―――」
そんな考えのもと、ある種の警戒を抱いていたからだろう。彼がそのことに気が付けたのは。
グルドは言葉を切ると、唐突に懐からナイフを取り出し虚空へ投げつける。
誰もが驚くなか、そのナイフの行く先に目を向ける。
そして、小さなものが慌てて走り去る様を目撃する。
灰色の小さな体躯の、すばしっこい影。
鼠。
その存在を確認し、安堵の息を吐く音。
そして、数名のものが鼠に対し過剰な反応を示した男へと侮蔑と侮りの目を向ける。
さすがに、彼らをまとめるものに皮肉を口にする者はいなかったが。
「すまなかったな。それでは始めるとしよう」
グルドも自身の勘違いだったと考え、気を取り直し、とうとう会議を始める。
この国の行く末を憂う者という題目で集めた、その実、自身の欲望を満たすことしか考えられない者たちが、その行く末を話し合った。
誰も疑問を覚えない。
臆病なはずの鼠が、ナイフが掠めて鳴き声の一つも上げなかったことも。
グルドのその技量により、たしかに掠めたはずのナイフに、一滴の血もつかなかったことも。
彼らもまた、あの男に歯車を狂わされているがために。
―――哀れな道化たちが、『何』に手をだそうとしていたのかを悟るのは、まだ先の話。
令は鼻歌を歌いながら、ひとりひとりの前にカップを置き、茶を注ぎ、茶菓子を置いていく。
隻腕にも関わらず、無駄ともいえるほど洗練された動作で。
宙に浮かんだ魔方陣から水球が生成されポットへと滴り、おかわりの分の茶を用意したところでようやく動きを止める。
「さてさて、これで皆さんに行き渡りましたね。それでは始めましょうか」
「……何をだ」
セッティングを終え、満足げにうなづく令に、ガイアスは突っ込みを入れる。
それに対し、令は肩を竦め、ことさら大きく息を吐く。
非常に癇に障る仕草だが、ガイアスは何とか自制する。
「何って―――お茶会に決まってるじゃないですか」
「さっきまでの空気をぶち壊しにしてくれる答えをどうもありがとう。では俺はこう言わせてもらおうか―――ふざけるな」
だがすぐに化けの皮は剥がれかけ、噴出した怒気により、ガイアスの周囲に座る面々が顔をこわばらせ、居心地悪そうに身動ぎをする。
ガイアスの真正面、令のとなりに座っているせいで、まともにその怒気を浴びたセフィリアの顔色が青を通り越して白くなっているのが気の毒である。
一定の実力を得たものの凄味は、まさにそれだけで凶器と言ってもいいほどの暴力となりうる。
全く顔色を変えないのは、元凶の令と、ガイアスの隣で腕を組んでいるガルディオルくらいだ。
「別にふざけてはないよ。話の席で飲み物は付き物だろう。それに、ささくれた心には茶の香りはなかなかに効く」
笑いをかみ殺す令に、ガイアスは今度は諦観を籠めて溜息をもらす。
彼は今自分が居る部屋の隅へ目を向ける。
「で、あれはあのままでいいのか? いきなり机をひっくり返してぶちまけて」
「ええ。茶話には無粋ですから」
そこには、先ほどまで取調台の上に上がっていた装備の数々が、無造作に転がっていた。
それら、身を守るものを自らから遠ざけていながら、令の態度の軽さは些かの衰えも見せない。
令は、先ほどの提案をガイアスが拒否すると、直ぐに纏う空気を切り替えた。
『魔王』ともいえる厳格と静謐に満ちた気配から、稚気と喧騒に満ちた『愚者』へと。
冗談を言い。空気を和らげ。解していった。
そしてそうした理由は、こちらの感情の整理をつける時間を与えるため。
その事実が、ガイアスを呆れさせた。
理解できないのだ、そこに至る思考回路が。
自身の有利を、いとも容易くかなぐり捨ててしまうことが。
先ほどもそう。
時間は数日しかかかっていないものの、それに至るまでに多大な労力をかけた、ガイアスたちデルト上昇部への『洗脳』ともいえる凶悪無比な暴挙。
それを、この男は『必要がなくなった』というだけで、捨てた。
あっさりと。なんの呵責もなく。
そして今度もまた。
このままこちらの混乱が収まるのを待たずに畳みかければいいものを、敢えて見逃している。
『対等』などという、戯言のために。
自身の命が奪われてもおかしくないこの状況で。
周りを世界有数の実力者に囲まれ、自身は非武装であるにも関わらず。
まるで極寒の中で全裸でいるかのようなその自殺行為が、彼には本当に理解できなかった。
自分の身を危険にさらしてまで相手を慮るなど、聖人でも君子でもない。ただの愚者だ。
そんなガイアスのに内心のわだかまりを他所に、令は普段通りの振る舞いを見せている。
いや、そもそもガイアスはこの男の『常態』というものを知らないのだから、普段通りというのは語弊があるのかもしれないが。
ガイアスは軽く頭を振る。
どうにも、思考が空回りをしてしまう。これ以上考えても意味がないと判断し、強引に切り上げ、令に目を向ける。
「……何をしている」
いつの間にか、目の前の狂人はその手に一枚の札を握りしめていた。
「もう一人の出席者を呼びに」
その言葉を理解するのに数瞬。
それを止めなければと思い至るのにさらに数瞬。
故に、その行動を止めることは不可能。
『……なあ、お前は儂のことが嫌いだな』
札が光を発し、数秒後におどろおどろしい声が耳に当たる。
元々年嵩を感じるしわがれた声であろうが、さらに恐ろしく感じられた。
『嫌い』と疑問ではなく断定の当たり、声の主の苦労のほどが思われる。
聞いた覚えのある声にすぐに思い至る。ディックという、<デルト>のネストキーパーを務める老翁だと。
そして、あの謁見での話ぶりや、レイのすぐそばに孫娘がいることから彼に協力している者だということも分かっていた。
そして、本人が稀に見る能力の持ち主だとも一度実際に会ったことのあるガイアスは知っていた。
だがそれでも、このようなこれから重大な国事を話合う場――だと思われる――に部外者を紛れ込ませるのは、好ましく思えるはずもない。
どうせいつものように何らかの意味があるのだろうが、それでも容易く認めるわけにはいかない。
だが、このようなことに一番口うるさい堅物の声がないことに気が付き、そちらへ目を向ける。
「ガルディオル……?」
老齢の将は、隠し切れない皺が寄った目元を見開いて、普段見せない驚愕の面を露わにしていた。
「やー。別にそんなことはないですよ。誕生日のケーキの蝋燭くらいは好きですから」
『ほう。つまり火を吹き消したあとは用済みな存在だと』
「お、お爺様!? なにやら怒気で札の回りが陽炎のように揺らいでるんですけどっ!? もう御年なんですから落ち着いてください、身体に障ります!」
なにやら騒いでいるようだが、それさえ気にならないほど、その様子は珍しいものだった。
ガルディオルは何度か口を開閉したあと、掠れた声で、茫然とつぶやく。
「……その声……ディオセリクスか……?」
『っ!?』
札の向こうで狼狽した気配が伝わる。
視線がガルディオルへと集まる中、ガイアスはディックと呼ばなかったことに疑問を覚えつつ、頭の中でディオセリクスという単語を検索する。
聞き覚えのある名。
しかし、どこで聞いただろうか。
少なくとも、彼が把握しているガルディオルの交友関係にはない。
ただ一つ分かるのは、少なくとも、なぜか友好的な印象を受けない名だということ。
『どういうことだレイ! なぜお前の前にガルディオルが居るっ!』
ディックが令へと怒鳴る。
怒りよりも焦りが先行した、切迫したどこか悲鳴じみた声。
「そうですね、とりあえず現状の説明からします。セリア殿も手伝ってください」
「……あの。私もよくわかって無いんですけど。……ああはい聞くわけありませんね分かりましたよこのヤロウ」
「こいつらはここがどんな場所か本当に分かってるんだろうな……」
目の前で罵倒混じりに何かを話し始めた二人……三人をどこか茫洋とした感覚で見ながら、独り言ちる。
多分に諦めの念が籠められていた。これは何を言っても無意味だろうと。
とはいえ、分からないことは少しでも減らしていたほうがいいとも思う。
「で、お前は何をそんなに驚いている」
だから、ガルディオルに向き直り尋ねる。
「……………………」
だが、主君に尋ねられているにも関わらず、ガルディオルは口を割ろうとしない。
「ガルディオル」
催促の声。
そこでようやく老将が重い腰を上げる。
射抜くように札へ鋭い視線を向ける。まるで、積年の仇敵を睨み付けるように。
「……<大青杖>だ」
「は……?」
答えとしてはあまりに短い言葉、というよりは単語。
だが、それだけで十分だった。
あまりに予想外の単語に、柄にもなく呆けてしまうガイアス。
周りも彼と同様に驚きに目を見開く。
人名を出されて分からなくとも仕方がない。
その異名の認知度が高すぎるせいで、その持ち主の存在は食いつぶされ、薄らいでいるのだから。
それほどその名は彼らに、いや、この国にとって大きなものだった。
かつての、『敵』として。
ガルディオルにとっての、まるで、ではなく文字通りの『仇敵』。
「―――とまあこんな具合ですね。質問は?」
『受け付ける気があるのか?』
「ええ。納得できないのであれば」
と、そんなやり取りをしている内に向こうの話も終わったらしい。
名前を明かさんと言っていたにも関わらずあっさり破りおって糞餓鬼が。という罵声を最後に内輪揉めを終える。
「さて、と。こちらは話が付きました。この札の向こうにいる人物はディック。知っての通り私の協力者です」
それだけではないだろう。
そう、ガイアスを含む、デルト側の全員が視線で訴える。
「今の彼はディックです」
だが、それに令が真向から立ち塞がる。
「ディオセリクスなどという者ではなく、<大青杖>などという大層なものでもなく、<デルト>という国に属する貴方の民であり、ネストの優秀な長の一人であり、そして、孫娘を大切に思うただの糞爺だ」
身構えるわけでもなく、こちらを威圧するでもない。
親愛が籠った柔らかい表情で、罵声を吐く。
なのにその様は、下手な宣誓よりも余程強い気迫を相手に見せる。
絶対に引かないという気概に、ガイアスは令と暫し睨み合う。
やがて、ガイアスの方から口火を切る。
「そこまで大切に思うのなら、そもそもなぜこのような場に呼び出した。こうなることくらいわかっていただろう」
いくらかつての地位を捨てたといえど、それで過去のことを水に流せるわけではない。
実際に会い、人柄を知っていて令のディックへの評価に偽りがないことを分かっていても、立場から追いそれと認めるわけにもいかない。
それをわかっていながら、なぜこのような真似をしたのか。
それに対する返答は、極めて簡潔。
「必要であるがゆえに」
見方によっては、答えになっていない。
だが幸いにというべきか、その一言だけでガイアスには意味が通じた。
「……つまり、お前はそれほどの火急の事態があると言いたいのか」
敵とすらいえるものを使ってでも、不和を生みかねない要因をわざわざ開示してでも、解決、あるいは避けなければならないコト。
それが迫っていると、ガイアスの前に座る男は言っている。
思えば、この男の行動は、滅茶苦茶に見えてある共通点があった。
令の行動は、一つ一つが非常に大規模かつ効果的なものだ。
だが、大きな影響を与えるものはえてして、その弊害も大きくなるのが常。
大きな大木を切り倒すために、倒す場所を計算して、工具を用いて精確に作業を進めるのではなく、何も考えずに根本に爆薬を仕掛けて吹き飛ばす。令の行動はいわばそれほど大ざっぱなのだ。
そんなことをしてはどの場所にどのような被害が行くのか分かったものではない。
令が犯した暴挙のしわ寄せは、必ずどこかで返ってくる。
そして目の前の男が、そのようなことが分からない筈がない。
その気になれば、もっと穏便に、そしてなんの問題もなく、今以上の結果を出すことも可能だろうに、敢えてそのようなことをする理由はただ一つ。
「その通り、と言っておきましょう」
『何か』を、急いでいる。
そしてその何かは、令の行動の過激さと比例し、相当に重大なコト。
だから、ガイアスは問う。
「では。―――それはいったいナニだ」
射抜かんばかりの眼光を贈り、相手の返しを待つ。
直接ではないものの、令の近くにいたためにその視線の余波をうけてセフィリアはうめき声を漏らす。
物理的な圧力すら幻視するそれに、セフィリアは大量の冷や汗を流す。
当事者でないものに心労を与えてしまうことに、若干の申し訳なさも感じたが、譲れないことであるために、勤めて無視する。
「……教えてもいい」
遠回しの肯定が返る。
それでもガイアスの眼光は衰えない。
「そちらが要求するのであれば、対等であるならば、こちらも要求がしたい」
「なんだ」
警戒をしつつ、ある程度の譲歩も辞さない考えを持ちながらガイアスは相槌を打つ。
「先ほどの隠し財産の統計結果。それをこちらにも公開して頂きたい」
ガイアスは少しだけ考える。
そう、少しだけ。
すぐに、先ほど調査員から渡された報告書を懐から取り出し、差し出す。
この場での膠着よりも、明確な決着を望んだ。
目の前の男は書類を目で精査する。
ところどころで顔を顰め、読み進めるにつれて徐々に眉間に皺が寄っていく。
「ずいぶんため込んでましたねー。あの聖堂十回立て直してもお釣り来るんじゃないですか」
「そうだな。そしてそれだけのことを好き勝手やられていたということだ。正直、自分に自信がなくなった」
令の言葉にガイアスは、それだけの莫大な不正蓄財を許してしまった事実に苦笑を浮かべることしかできない。忸怩たる思いにとらわれているところに、男はポツリと口にする。
「少なくとも貴方だけのせいではないでしょうねえ。こんな額を蓄えて足跡を残さず捕まらず、などできるわけがないですから」
「……お前も国の人間が絡んでると思うか?」
「ええ」
金の流れというのは、どうやったところで完全に情報を遮断することなどできない。
何もないところから降って湧くわけなどなく、必ず元が存在する。
そのため、不正な貯蓄や横領などというのは、やろうと思えばそれなりに簡単に行うことができるのだが、それを隠し切るのは至難の業なのだ。
だから、この場合は第三者の介入が予測された。
いくつもの元をつくり、その中をたらいまわしにするように金を回せば、金の流れを追うのは難しくなる。
そして、この場合のその第三者はおそらく、貴族。
それもこれだけの額となると、複数の存在が透けてくる。
「腐ってしまったものだ、戦士の国も」
「貴方や回りの『四剣』がまともであるならば、まだ見込みはありますよ」
溜息をつきながらのつい口からでた愚痴は、予想外にも励ましの言葉を受ける。
それに驚き目を向けるが、令は相変わらず書類を読み続ける。
本当に、何をしてくるかわからない男だ。
「まあ、『見込み』があったところで、『これから』がなければ何の意味もないわけで」
本当に、何を言ってくるか分からない男だ。
凄まじい不吉さを覚える言葉に、背筋に寒気が走る。
『お前たちは部外者がいるのになぜそんなに不吉な話をする』
「貴方がやっていることに関係あることです。貴方が居てくれないと困る」
『……符はそのままにしておく。貴様が察しているように、儂には今すべきことがある。声の内容を聞き取ることはできる位置に居てやる』
ディックとの話が、その感覚をさらにつりあげる。
この話よりも優先すべきことなど一体なんなのか。
その葛藤を知ってか知らずか、令は読み終えたところで、書類を聴取台に数度打ち付け、整える。
それを自身の脇に置くと、残った腕を真横に水平に突き出す。
そして、その手指を小器用に一動作させると、その手に別の書類が出現した。
「今のはなんだ……?」
「《書庫》と私は呼んでいます。見えない倉庫にものを出し入れしできる魔法でして、書類とか入れておくのに使ってますね」
一体この男はどれだけ引き出しを持ってるのかと、今まで何度考えたのか分からない疑問がまたも脳裏をよぎる。
そして、常識外れの魔法に驚きはしても、それを表に出さずにすんでいることから、本当に自分の理性が毒されていることを自覚する。
溜息を吐きながら、ふと思い立つ。
「おい。お前持ち物はあれで全部じゃなかったのか」
「『持って』はいなかったでしょう」
先ほどの『俺が持っているのはこれで全部だ』という発言の是非を問うととんでもない屁理屈が返ってくる。
だが、ガイアスはその屁理屈を追及するよりも気にかかることがあった。
「とはいえ、見た目ほどの利便性がないんですよね。重いものとか必要以上にかさばるものはそれだけ魔力を消費するので費用対効果が悪いのでつかえないですし」
「そうか。だが、ナイフ程度は入れておくことができるんじゃないのか?」
「ええ、まあ」
ガイアスがそれを口にすると、令は軽く答える。
そして、予想通りの返答に、考えていた通りに返す。
「お前は、どうして俺たちにわざと警戒させようとする」
書類など、そのまま手で持っていればいい。なのに、わざわざ《書庫》などと言うものを使い、自身がその気になれば凶器を誰にもばれずに隠しもてるということを晒す。
そんなことをすれば、誰だって警戒をする。
恐ろしいまでの力でこちらに脅威を覚えさせた。
それを恐ろしいまでの誠意で解消させた。
そして最後には、恐ろしいまでの不用意さで警戒を抱かせた。
二転三転する事態、そしてそれとともに、知れば知るほど分からなくなる男の考え。
「さて、なんででしょうね」
この静かに笑う男は何を求めているのか。
「答える気はなしか」
それが分からないために、ガイアスから語ることは何もない。
腕を組み、待ちの姿勢に入る。
《四剣》や彼の娘は、未知の魔法を見せつけられた警戒を隠そうともしていないようだが、それは彼らの職業柄仕方がないだろう。
だが、ガイアスは静かに警戒を解く。
相手が、『対等』な関係を望んでいるのならば、力の天秤が傾くことはない筈、そう考えた。
実際その通りである。
令はこの《書庫》を『そういえば空想の主人公たちはよく何もないところからものをとりだしてたなあ』という軽い動機から興味本位で開発したものだったりする。
そんなふざけた理由でつくりあげてしまった――一応、相応の努力はあった――この魔法だが、物を『消し』、『取り出す』という結果は確認できるものの、なぜそうなってるのかの過程は観測できないため知る由がない。もしかしたらとんでもない化学反応をおこして、令の想像を絶する事態の結果かもしれないのだ。
そのため、物を預けると消失や変質の危険があり、さらになぜか生き物の転送もできないという制限もある。
しかも、想像のつきにくい『空間』という概念のためイメージは明確にできず、そのため足りない理解を補うために素で相当の魔力を消費してしまい、保管するものの質量や体積に比例し、消費量はさらに増大する。
そのため、これを使うのは質量の軽い紙類や、これからの『芝居』に有益となりそうな代物に限られる。
ちなみに、茶具一式や野菜は後者に分類されるため、別に常備されているわけではない。
確かにやろうと思えばナイフの一本や二本、極端な話、巨大な攻城鎚であろうと保管は可能だ。
しかし、その後の戦闘を考えた場合、質量、密度の大きい金属を保管するのは相対的に不利となるためやらないのだ。
この場合、それをわざと説明しないのは、説明したところでそれが令であれば裏を勘ぐってしまうので意味がないこと。そして何より、仕方がないとはいえ、自分からそうなるように仕向けたとはいえ、大勢の敵意を持った存在に囲まれている現状に少なからず苛立ち、溜飲を下げるために少し脅してやれ、という実に捻くれた彼らしい理由がほとんどだったりする。
………彼の隣で、さらに強烈になった敵意に顔をますます青くしている女性には気の毒であるが。
「とりあえずどうぞ。私なりの現状をまとめた報告書です」
笑顔で差し出してくる書類を、ガイアスは手に取る。
そして、同時に内心驚きを露わにする。
つい先ほどまでの笑顔と違い、緊張に強張っているように感じられた。
今までのどの行動よりも、それは珍しいものとして彼の目に映る。
元が傲岸不遜を絵にかいたような存在であるだけに、ほんの些細な表情の変化が余計に際立って見えたのだ。
それほど警戒するべきことなのだろうか。
刹那の間瞑目し、腹へと力を籠め、いかなる衝撃にも耐えきれるように覚悟を固める。
そして、書類へ視線を落とす。
その書類は、まずはじめの一枚に核心と結論を論じていた。
以降の数十枚にわたる内容はすべて、その結論の説明や補足に終始していた。
だが、その仕様は逆効果だったと言えるだろう。
なぜなら、覚悟を決めたはずのガイアスであっても、一枚目に軽く目を通しただけで、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けて思考を停止してしまったのだから。
その内容をまとめるとこうなる。
『《魔の森》の魔獣が活性化。暴走の兆しあり』
『ひと月に満たぬ期間の後、殺戮の対象を求め《デルト王国》を脅かす可能性高し』
『かの《危険域》にての魔獣の生息分布、生態系、個体数。《デルト王国》の既存の戦力、国力、現状を考慮の末の結論』
『現状を以ての危急の際の事態の打破は―――不可能である』