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異世界の愚か『もの』 ~世界よ変われ~  作者: ahahaha
デルト王国 ~望んだ望まぬ名声~
64/84

番外編 ある日の彼と彼女『陽姫①の1』

 デルト王国、ルッソの街。

 そこのある比較的大きな屋敷の一室で、数人の男女が集まっていた。

 一人につき一台机と椅子が与えられており、どこからか持ってきたのか移動式の黒板まで用意している。

 そして黒板の前に一人の男がたち、指示棒を持ちながら何事かを生徒たちに話していた。


「―――つまり、魔法というものに最低限必要なものは術者の意志と魔力のみというわけだ。

 とはいえ、その二つだけでは本当に最低限のものでしかなく高い効果は期待できないし、何より先ほど説明した『固有領域』内では魔法陣なしでの行使は不可能な以上、何らかの補助要素は不可欠と考えてもらっていい。

 だから俺はその問題の解決策の一つとして、『グリモワール』を作成した。

 あれさえあれば、魔法の構築速度を飛躍的に上げることができ、戦闘の際にできる隙を小さくできる。

 まああれも、上位魔法の行使を優先したから下位の魔法の補助には糞の役にも立たんという欠点はあるんだが」


 三人の男女の前にたち、黒板を指示棒で指し示しながらそう説明するのは長身の男性。

 目にかかるかかからないかギリギリのところまでその黒髪を伸ばしながら、不思議とそれが不精に感じず、一種の魅力となっている。

 そして彼、令はその深い闇色の瞳で彼の前に座る男女を見渡す。


 今令が行っているのは、彼自身の考える、魔法と闘気についての解説。

 実証を終えた自身の研究内容を授業形式で公開しているのだ。

 この授業は既に数度に渡って行われており、たった三人の受講者たちの大きな力となっている。


 ちなみに、三人と数が合わないのは、話始めて二分で船を漕ぎ、五分経てば熟睡する馬鹿がいるためである。

 その後、その人物は見るも無残なボロ布へと華麗な変身を遂げた。


 令の視線を受け、それが質問を求めていることに気がつくと彼らは直ぐに反応を示す。


「ですが、レイさんは時々道具はおろか魔法陣も詠唱もなしで魔法を使っていませんでしたか?」


「それに、先ほどの説明の通りだとすれば大した効果は出ない筈ですのに、十分人を殺傷できそうなほど強力でしたが」


 月のように優しく、儚げな印象を持たせる銀髪を肩口で切りそろえた少女、ルルが初めに疑問を口にする。

 小首を傾げるその様が、どこか小動物を思わせる。


 ルルの発言を補足する形で質問した最年少のクルスは、何がそんなに楽しいのか、嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。

 やや白味の強い、ひだまりのような暖かさを抱かせる金色の髪にその笑顔は、よく映えている。


 そんな彼らの反応を見て令は嬉しそうに微笑む。


「うん、よく見てたようで安心した。

 後で飴ちゃんあげよう」


「いえ、今は別に……」


「それよりは質問の答えを……」


 令に子供扱いされた二人は少しだけむっとするのだが、その顔には隠しきれない期待が滲んでいる。

 お菓子作りが無駄に上手い令が作るお菓子を、彼らはかなり気に入っていた。


「君らの質問に答えるとだな、補助なしで不自然に威力が高いのは極力この世界の法則に逆らわない形で魔法を行使しているからだ」


 むくれる二人を見てさらに笑みを深めながら、令は口を動かす。

 とはいえ、それだけでは理解できないのかクルスとルルの顔には疑問符が浮かぶ。

 予想できたことなので、令は特に気にせず説明を続ける。


「そうだな、例えば火を熾そうとした場合に、いきなり何もないところから火を生み出そうとすればまず上手くいかない。

 だが、どうすれば火を起こせるのか、何故火が熾るのかを理解し、それに沿う形で念じれば、案外簡単に火の魔法が発現する。

 この違いは簡単にいえば、目的地までの道筋を正しく理解しているかどうかだ。

 火を熾すという目的地までに、法則という道筋が存在し、当然それに逆らう形で無理に強行すれば目的地にたどり着けず、最悪の場合遭難してしまう。

 だが、その道筋を正しく歩めば、特に苦労なく目的地に着くことができる。

 そうすることで魔法の効率が良くなり、少ない魔力でも魔法が使えるようになるので自然と威力も上がる」


「へえ、なるほど」


「よく分かりました。

 ありがとうございます」


 令の説明に納得が言った二人は、感心したように何度も頷く。


 この説明を聞いて、クルスとルルは後で自分も試してみようと決意していた。

 思いついたことがあればやってみたい、そんな子供だが、純粋で澄んだ衝動。

 それは、令によって吹き飛ばされる。


「とはいえ、覚えておいてもいいが、あまり君ら二人には関係がないぞ」


「どうしてです?」


 思いついたことを即座に潰されて、少し唖然とした後、面白くなさそうに聞き返すクルスに令は困ったような笑みを浮かべる。

 そして令は、この世界で言えば実に当たり前なことを口にする。


「君らはもう、魔法ではなく闘気を選択してるだろう。

 『大原則』にもあるように、闘気と魔力の併用は自分を危険に晒すだけだ」



 その令の言葉を聞くと、ルルとクルスは怪訝な色を浮かべる。

 この様子を他の者が見れば、その人物が彼らに疑問を感じることだろう。

 それほど令の言っていることは当たり前の事なのだ。


 とはいえ、その原因は令自身にある。

 二人とも『大原則』のことはよく理解している。

 そしてつい最近までそれを当然のことと思い、疑問に思うことはなかった。

 だが、今目の前に居る男自身がその原則を真っ向から否定しているのだ。

 そんな男に、闘気と魔力の併用が危険などと言われても首を傾げるしかないだろう。


 令はそんな二人を見て説明に困る。


「いや、俺の場合は裏道というか裏技というか……バグ技というのが一番近いか?

 あれは俺が抱える欠陥を逆手に取っているから可能なだけであってまともな人間にはまず不可能だ。

 事実、俺の戦い方って気がつけば呆れるぐらい明確な欠陥があるぞ」


「はあ」


「そうなんですか?」


「そうなんだ。

 はい、この話はもう終わり」


 令は手をパンパンと叩き、話を打ち切る。

 結局、令は説明に苦慮した結果答えになってもいない言葉でお茶を濁した。


「それじゃ、『魔法実戦術・基礎編』はもう忘却の彼方に追いやってと」


「いえ、忘れたらまずいんじゃないですか」


「言葉の綾だよルル、気にするな」


「その台詞、今日で八回目ですね」


「おいおい、人の揚げ足ばかりとっていてはまともな人間になれないぞ、クルス」


 やれやれと呆れたような動作をする男。

 その仕草に少年少女の心が一つになる。


「「一番人が嫌がることが好きそうな貴方が言わないでください!」」


 見事なシンクロと共に、突っ込まれた。

 普段から人が嫌がること――主な対象は仲間内最年長の男性――ばかりする貴方がそれを言うな。

 そんな意味が籠められた辛辣な言葉だったのだが、令は動じない。


「はっはっは、嫌がらせが大好きだからこんな人間になってるんだろう」


 高らかに笑いながら男は満面の笑みを浮かべる。

 曰く、自分自身がまともな人間でないからこそまともな人間になれないと断言できる、ということ。

 その言葉は、実に説得力に満ちていた。

 思わず黙り込む二人を眺め、令は指示棒をクルクルと指先で回しながら気を取り直す。


「さてさて、気分転換も済んだところで、次は『闘気実践術・応用編』にいきたいんだが―――」


 しかし、途中で言葉を切り、ある人物に目を向ける。


「エルス、さっきの話、理解できたか」


 令が声をかけるとその女性、エルスは頷きを返す。


「はい、とりあえずは。

 説明も分かりやすかったですし、私は魔法専門なのでイメージもしやすかったです」


 その動作と共に、クルスよりも輝きの強い、太陽のような黄金の髪が揺れる。

 豪奢ではあるが、決して派手ではないその髪と、優れた容貌は世の男を惹きつけてやまないだろう。


「…………ふむ」


 だが、令はそんな魅力的な彼女の容姿に関心を示さずジッと見つめる。


「義兄様?」


 そう声をかけられても、令はエルスから視線を外さない。

 その視線の意味を測れず、首を傾げる年少の二人。

 令がこのような思わせぶりな行動をするときは、大抵なにかがあるとき。

 そう理解している二人は、何かあるのかと思いエルスにも目を向けるが、特におかしな様子はなかった。


「あの、何か……?」


「何もない」


 沈黙に耐え切れず声を挙げるエルスに令はそう短く告げる。

 その言葉に何故かエルスは一瞬安堵したような様子を見せる。

 その様子を令は見逃さなかった。


「何もないのなら―――」


「今日の授業が始まってからさっきまでずっと、何も喋らなかったな、君は。

 動くのもメモを取る最小限のものだけ。

 何もなさすぎて、逆に妙だ」


 鋭い令の指摘に、言葉を紡ごうとしたエルスの表情が凍りつく。


 そのまましばらく沈黙が降りる。


 二人は状況が読めず困惑し、一人はうっすらと冷や汗を流し、一人は無言で彼らを見下ろす。


 誰も、何も言わない。


「なあ、エルス。

 君は―――」


 唐突に、令が何かを言おうとする。

 しかしそれがどのような言葉だったのかは誰にも分からなかった。


『へぶぉおっ!?』


 爆音とともに、蛙の潰れるような声が響いた。


 どう考えても、何かあったとしか思えないその現象。

 既に聞きなれてしまった令は、それがどういう意味なのかを正しく理解する。


「……あんの糞馬鹿が」


 令の顔にうっすらとした笑みと、はっきりとした青筋が浮かぶ。

 そして彼は踵を返し部屋を出て行く。

 その動作が講義終了の合図だと分かった二人は、苦笑を浮かべながらついていく。

 それを最後に一人が追う。


―――最後の一人の顔には、気づかれずに済んだことへの安堵が滲んでいた。









「これを言うのは何度目になるだろうな」


 そこは、令が講義をしていた建物、デルト王国ルッソの街ネストキーパー、ディックの邸宅の庭園。

 一般家庭のものに比べて遥かに広く、整えられた草木に小さな小川まで流れている。


「お前は一体何をやってるんだ?」


 そんな庭の一角が無残にえぐれ、そこに黒焦げのナマモノが存在していた。

 否、それは人である。

 令は、自身の目の前で服を焦がして黒煙を上げている男にそう尋ねた。


 すると男は、死人がでてもおかしくないほどの爆発を真っ向から浴びておきながら、実に滑らかな動作で立ち上がる。


 身体を払い、煤を落とす。

 するとその下から、実に見事な銀色が姿を現した。

 刃のように鋭い銀色の髪をもつその男、レオンはドヤ顔で言い放つ。


「いや、俺にもお前みたいに魔法が使えねえかなあ、と。

 それでちょっと実験を」


 それを聞いて、そしてその表情をみて、令の顔に青筋が増設される。

 そして彼の唇が開かれる。


「お前、小遣い半減」


「な!? ちょ、それは―――」


 紡がれたのはただただ一方的な、提案以前の通達だった。


 それを聞いてレオンは慌てる。


 ここで言う小遣いというのは、武具や消耗品、そして生活用品を除いた娯楽や外食のための費用、つまり交遊費のことである。

 彼らの蓄えている資金はすべて令が管理し、必要に応じて振り分けられる。

 そしてその額は一月ごとに上限が設定されており、一週間ごとにその時々の働きによって増減される。

 ここで半分というのは、一月ごとの小遣いが半分飛んでいくことを示している。


 ちなみにこの令が資金を管理するという方式は、誰が決めたというものではなく気がついたらそうなっていた。

 人の悪意というものが最も絡みやすい金銭。

 そういった類に最も敏感なこの男が、そういったものを担当するのはある意味自然と言えるだろう。


 交遊費というのは在って困るようなものではない。

 彼らも人であるのだから、遊びたいと思うのは自然の流れだ。

 それが半分になってしまうのは、当人としては死活問題であった。

 だからこそ、レオンは何とか考え直してもらおうと口を開く。

 だがレオンの声帯が音を発する前に、彼に巧みな言葉が飛ぶ。


「文句でもあるのか、おい。

 クルス、これでこいつがこれをしでかすのが何度目になるか言ってみろ」


「十四回目ですね。

 今時は獣でも三回ぐらい経験すれば学習するでしょうに、二桁を超えるなど驚きを通り越して感心します」


 令が声をかけると、近くで苦笑を浮かべていたクルスが困ったようにレオンに追い討ちかける。


「うっ」


 レオンの顔が引き攣る。

 一度なら良かったろう。

 それならば単なる失敗ということで納得はできる。

 だが、それが何度も続くとなれば、もうわざとやっているとしか思えない。

 そんな彼に、反論の余地があるわけが無かった。

 

 令は今度は、女性の方へ目を向ける。


「エルス、この黒焦げになった服は誰が仕立てたものだったか」


「上着は店で買ったものですが、下地はレイ様が下さったものです。

 そしてそれを毎回毎回破っています。

 掛かった労力と材料の出費、それに上着の代金。

 それを考えれば、かなりの損害ですね」


 女性、エルスは、その髪の輝きにも負けないほどの敵意の籠った視線を男へと向けていた。


「ぐっ」


 レオンの息が詰まる。

 そこらの衣服では彼らの動きについて来るだけの強度を持たず、専用のものではかなり値が張るために、あまり数を揃えることが難しい。

 それを令は、シャツなどのアンダー系のもの――女性陣の下着以外――を自身で、魔獣の素材で作り上げ、彼らに配っている。

 流石に上着は、デザインなどの技術まではさすがの令も持ち合わせてはいなかったので、作るのを断念していた。

 それでも、相当な経費の削減にはなっていた。


 それなのに、この男はそれを平気で何枚も、それも上着ごとぶち破ってくれやがるのだ。


 作成した労力と損害を考えれば、主人に――もうその関係は半ば形骸化しているといってもいのだが―― 迷惑をかけるこの男に強い視線を向けるのも当然である。


 顔色が悪くなり始めたレオンを見て、令は愉悦を深くする。

 そして止めを刺す。


「ルル、こんな兄を見て君はどう思う」


 声をかけられたルルは問いかけてきた令に視線を向け、次にその視線をレオンへと向け、また令へと視線を戻した。


 そしてニッコリと笑い―――


「兄? 誰のことですかそれは」


―――レオン()の存在すら否定した。


 ドサリ、という音がした。

 そこへ視線を向けてみると、一人の妹魂(シスコン)が意識を手放していた。

 それを見て令は、驚きと呆れが等分に入り混じった表情になる。


「言葉で気絶するか普通」


「言わないでください、頭が痛くなります」


 兄の普段みせるだらし無さにため息を吐く少女。

 それを横目で見ながら令はレオンの焦げている襟首をつかむ。


「エルス、少しいいか」


 まるで猫を掴むかのように持ち上げ、エルスへと声をかける。


 しかし、その声をかけられたエルスは下を向いていて反応を見せない。


「……エルス」


「え? ……は、はい! なんでしょう?」


 もう一度声をかけると、彼女は弾かれたように顔を上げ、慌てて令に向き合う。


「コレを部屋に置いてくる。

 その間の彼らの監督、と言ってもコレがいなくなれば問題起こすような馬鹿はいないんだが、それを任せた」


「はい、分かりました」


「ああそれと」


 令はエルスが頷いたのを確認すると、懐から紙を取り出し、何事かを書き込む。


「もしディック殿かセフィリアさんが来たら、これを渡しておいてくれ」


そう言って、その紙を投げる。


エルスは自身に向かい、クルクルと回りながら飛んで来る手紙に手を伸ばし――


「え?」


 ――それを取り損なった。


 その様に、ルルが驚き、エルスが紙を受け取ろうと手を伸ばした姿勢のまま、無言で顔色を悪くする。


「じゃあ任せた」


 その様子を見て、令は一瞬目を鋭くさせるが、特に何かをするでもなく踵を返す。


「あ、は、はい……」


 エルスの、ホッとしたような、どこか残念そうな言葉を最後に、令はその場を去る。


 男を地べたに引きずりながら。









 令はしばらく歩き、拠点としている宿の一室に入ると立ち止まる。

 そしてあたりに人がいないことを確認したあと。


 ここまで引きずってきた男の腹部へと、踵落としをきめた。


「~~~~~~~~!!??」


 苦悶の言葉すら口に出せず、レオステッドは地べたを転げ回る。

 その様子から、その苦痛は推して知るべし。


「なにしやが……る……」


 ひとしきり転がった後、その顔を憤怒に染め上げ令に怒鳴り散らそうとした。


 だが、その怒りは令の氷のような能面に吹き消される。

 そこにあるのは、レオンのそれよりも数段上で、精錬された怒りだった。


「あー、その―――」


「なにしやがるだトそれは俺の台詞だこのやろウ俺の苦労の身にもなりやがレお前俺がどれだけ苦労してあの服作ってるか知ってるカいや知ってるわけないカもし少しでも理解してるならあんな馬鹿なことするわけがないもんナ三十分だヨあの下着一式作るのにそれだけかかってるんダなに短いだっテお前俺はあれをイメージが必要な魔法で織ってるんだゾ電気的にグランドワームの生糸ほぐしてまた結合させるって複雑な方法で布を作るのにどれだけ頭を酷使してるかわかってねえだロほんとどうしてお前はいつもいつも俺の邪魔をしてくれるのかナ俺お前のために結構色々してきたと思うんだけドねエねエお前ってもしかして俺のこと嫌いなノそうなノどうなノねエどうなノ」


「あ、その……誠に……申し訳ありませんでした……」


 文字どおり、息もつかぬ罵詈雑言の嵐にレオンは全力で平服し、頭を地面に擦り付けて許しを請う。

 男としては情けない限りの姿だが、それも無理はないだろう。

 無機質な笑みで、しかも片言になりながらひたすら罵声を繰り返すその様は、ひたすらに怖い。

 許してもらえるなら土下座位安いものだった。


 そんな情けないレオンの姿を見て溜飲を下げたのか、令はしばらくゴミを見るような目で彼を眺めた後ため息を吐く。

 そして部屋の棚の中に手を突っ込むとそこから服を引っ張りだし、それを土下座したままのレオンの頭にかぶせる。


「あ、ど、ども」


 てっきりまだ口撃が続くと思い覚悟を固めていたレオンは、その令の動きに呆気にとられながらも何とか礼を口にする。

 この状況で服を差し出されたら、それを着ろと言っているとしか思えない。

 想定外の親切な行為に、もう怒っていないのだと察し、レオンは警戒を解き安堵のため息をついた。


―――それがどれだけ愚かな考えだったのか、直ぐに思い知らされる。


「とっとと着替えろ。

 そんな格好じゃあ外に出られ……ないこともないな。

 もう街のみんなはお前がそういうやつだって理解し始めてるし」


「ちょっ、それどういうこと!?

 そういうやつって何!?」


 令の聞き捨てならない言葉に、レオンはかけられた服を振り払い立ち上がる。

 令はどこからか取り出したメモ帳から目を外し、レオンにニッコリと笑いかけて告げる。


「ボロボロの服で街中を歩いて、人にその姿を見られることに多大な昂奮を得る性癖持ち」


「ド変態じゃねえか!」


 予想だにしない自身の名誉毀損に驚愕するレオン。

 令はそこにさらに追い討ちをかける。


「大丈夫だ。

 この街の人はみんないい人だからだいたいの人は嫌ったり引いたりせずにこう言ってたぞ。

 ―――かわいそうな人だって」


「嫌われたほうがましだよ畜生!」


 再度、地面に崩れ落ちるレオン。

 嫌いと言われるよりもその反応のほうが精神的にまいる。

 しかも、だいたいということは当然明確に嫌っている人間も居るということ。

 反応の種類が増えれば、それだけ精神的重圧が増える。

 一体何故そのような噂が流れてしまったのかと疑問に思うが、その答えは直ぐに判明する。


「ちなみにその噂を積極的に広めたのは―――俺だ」


「てめえかぁぁぁああああ!!」


 足を瞬時に強化し、感情のまま目にも止まらぬ速さで野獣のように令に飛びかかるレオン。

 怒ったり土下座したり挫折したり襲いかかったり、忙しい男である。


 しかしそんな感情的な動きが令に通じるわけもなく、ひらりと躱され、今度は脇腹に右フックを喰らう。

 三度崩れ落ちる銀髪の男。


「お前が何度も服を破るんだからこれくらいしてもいいだろう。

 明確な損が無いとお前は自分からやめようとしないだろうし」


 令がこんなことをしたのは、単純にレオンがもう服を破らないようにするため。

 これだけやっておけば、もうその心配は要らないだろう、もしこれでも続ければ、社会的に死ぬ。


―――宿までの道中で見られた哀れみの視線からすると、もしかしたら手遅れかもしれないが。


 そんなことを億尾にも出さず、令は倒れてるレオンに近づく。


「畜生……。

 これから俺はどのツラ下げて街歩けばいいんだ……」


「その馬鹿面で歩き回ればいいだろ」


「喧嘩売ってんのかてめえは。

 俺を社会的に抹殺寸前まで追い込んだ張本人の癖に」


「過ぎたことをとやかく言っても仕方がない。

 これからを見て、俺の仕業だということをさっさと忘れるんだな」


「お前ぜってえいつかぶっ飛ばしてやるからな。

 つうかそもそもお前が俺に魔法とか闘気のことを教えてくれてれば……」


レオンは立ち上がると愚痴を零しながら着替え始める。


「ほほう。それが居眠りを繰り返した劣等生の言葉なのか。

 これは驚いた。これからはもっと、しっかり、じっくり、調教が必要だということだな」


「すみません、勘弁してください、俺が全面的に悪うござんした……」


 令は爆破された服を受け取り、新しい上着も投げ渡しながらレオンと向き合うことはせずに嫌味を返す。

 レオンは震え上がり、頭をしっかりと下げた。


 その様子はまるで主人と飼い犬のような光景だった。


 そしてそれ以上に、何故か仲の良さを感じさせる光景だった。


 油断したところに言葉の集中爆撃を食らったレオンは、深く反省した。


 そう、した、過去形である。


「ああそういえばレイ。

 最近エルスの様子がおかしいんだが、何か知らないか?」


「おや、気づいてたのか」


 レオンがしれっと振ってきた唐突な話題に、令は驚いた顔をする。

 そしてそれ以上に、顔に呆れの色を濃くする。

 あそこまでの精神口撃を行って、もう立ち直っている。

 あまりにも早い立ち直りの良さ。

 もはや感心すら覚える。

 しかもこれでいて、先ほどの反省を忘れて居るわけではなく、しっかりと同じ間違いを起こさないのだから驚きである。


「いやあ、なんかよくわからんが、なんとなく勘で」


 そして直ぐにその顔は呆れ一色となる。


「……なんだろう、たまにお前がものすごいやつなんじゃないかって錯覚する時がある」


「それほどでも」


「褒めてない褒めてない」


 勘等というもので様子がおかしいと断言したこともそうだが、その勘が的を射ているところがさらに呆れを誘った。

 エルスは一見するとなにもおかしなところが無いように振る舞っていて、それは令でもふとすれば見逃していたかもしれない見事なものだったのだ。

 一体どういう思考回路をしているのかと令は思わずため息を吐く。


「それで、お前はあいつが何考えてんのか分かってるんだろ。

 どうしたんだあいつ」


「……んー、まあ気にしないことだな、今できることは何もない。

 そうだな……後二日もすれば元に戻るだろ」


「ふうん、そんなもんか」


 特に深刻に気にしていたわけではなかったのか、レオンは令の言葉にあっさりと納得する。

 その理由には、多分に令のことを信頼していることも含まれているだろう。


 だから、令の返答に一瞬間があったことには気がつかなかった。


「ところでレオンよ、小遣い半減は止めて欲しいか」


「あ、あれ本気だったのかやっぱり」


「当たり前だ。

 お前自分がどれだけ損害出してるか分かってないだろ。

 だが、今から俺が言うことをしてくれれば無しにしてもいい」


 その令の言葉に、レオンは黙り込み、ジッと令の顔を伺う。


 その顔は警戒一色。

 どのような提案をしてくるのか恐ろしい。

 だがそれでも、小遣い半減令が撤回されるのは魅力的だからさっさと断ることができない。


 そんなレオンの葛藤がありありと伝わってき、令は苦笑しながらメモ帳を取り出し何かを書き込んでいく。


「そう警戒するな。

 ここに書いてあるものを買ってこい、それだけで今回は勘弁してやる」


「はい?」


 令はレオンにメモ帳の一ページを破って手渡す。

 レオンはあまりに簡単そうな内容に呆気にとられ、呆然と紙を見つめる。


「ほら、さっさといって来い。

 今日中に買えなかったら今度は小遣い全額無しにするぞ」


「な!? この鬼畜野郎!」


「はっはっは、卑怯鬼畜外道は褒め言葉だ」


 そんなレオンに発破をかける令。

 令の言葉にレオンは急いで部屋を飛び出していき、令はその背中に笑いかける。


 ドタドタという足音が徐々に遠ざかっていく。

 そして足音が聞こえなくなったところで、令は室内の備え付けられた椅子に座る。


「そう、二日ってところだな。

 彼女が限界になるまで」


 座りながら、窓から外を見やる彼の顔には、微かな憂いが滲んでいた。


 見つめる空は、彼が小憎らしく感じるほど綺麗な快晴だった。









 慌てて部屋を飛び出していったレオン。

 彼は初めこそ凄まじい速さで街を駆け巡っていたのだが、その足は店を訪れる度に鈍重になっていった。


「畜生……どうして……」


 そして今、耐え切れなくなったレオンはとうとう立ち止まり路地裏でうずくまっている。

 近くにはレオンが買ったお使いの品が置かれていた。


「どうして俺が……こんな目に……」


 さめざめと涙まで流しながら、嗚咽を漏らす。


 このような状況になった原因は、店を訪れたときの店員の反応。


 そう、彼は忘れていたのだ、今自分にどのような疑いがかけられているのかを。


 一軒目、訪れた肉屋で対応したのは若い男だった。


『なあ、あんた。

 ……まあ……その、なんだ……頑張れよ』


 無理に作ったであろう笑顔で、まるで変わってしまった友人を心配するかのような口調でそう言われた。


 二軒目、訪れた八百屋で対応したのはふわふわした雰囲気の婦人だった。


『いらっしゃ~い、なんにする~?

 あ、私娘がいるんだけどあってもなるべく話さないでね?』


 柔らかな物腰と口調に合わない、それでも有無を言わせない笑っていない目でそう警告された。


 その後も、街で見かける人に妙に生暖かい目で見られたり、道行く子供の一人に「ねえ、お兄さんってヘンタイさんなの?」と、恐らくどういう意味なのか分かっていないであろう純粋な瞳でそう聞かれた。


 その時点で既に、レオンの精神は限界に近かった。

 だが、それでも彼はめげずに頑張った。

 ちょちょ切れそうになる涙をこらえ、前を向いて歩き続けた。


―――そんな頑張りも、ついさっき訪れた店で霧散させられた。


 その店、調味料を扱っている店で対応したのは、中年の男性だった。

 彼はレオンに、普通の対応をしてくれた。

 それがレオンには嬉しく、買い物を済ませた後で自然と話が弾んだ。


 だが、話を唐突に途切らせ、レオンに近づいてきてこう言った。


『なああんた。

 実は俺もお前と同じ趣味を持ってるんだ』


 ―――この言葉を聞いた途端、レオンは全力で身体を強化して脱兎の如く逃げ出した。


 そして現在に至る。


「俺が一体何をした!」


 心の叫び。


 この世の理不尽を呪うかのように、レオンは涙を流しながら慟哭する。


 路地裏とはいえ、地面に蹲り、盛大に嗚咽する。

 傍から見られれば、この状況が自分の立場をより一層悪くするであろうことを、彼は理解していない。


「……ああ、もう。

 さっさと終わらせちまおう……」


 しばらくそうして居たが、このような苦行をはやく乗り越えようと思いレオンは立ち上がる。


「これ済ませれば、多分レイが何とかするだろうしな」


 令は悪戯好きで人が嫌がることが大好きだが、それで無意味に人が傷つくことを良しとするような男ではない。

 今回令がこのようなことをしたのは、レオンを反省させるため。

 なのでレオンが痛い目を見れば用は終わる。

 ならば、この事態を収拾する策は用意している筈なのだ。


 ―――そう信じるしか、やってられないという思いもあったが。


「確か次が最後だったよな……」


 そう言いレオンは、令から手渡された紙に目を向ける。

 

 そして、最後のお使いの品を目に留める。


「……なんだこれ?」


 そして訝しげな顔をする。


 それがなんなのか分からない、という訳ではない。


 一体何に使うのかが分からなかった。


 そこに書かれていたもの。


―――『赤い毛糸』


「……まさか編み物をするわけでもあるまいし」


 令のイメージからして、編み物などするとは全く思えない。

 そもそも自分で素材から服を作れる以上、わざわざ毛糸を買ってくる必要すらないのだ。


「なあに考えてんだろうなあ……」


 疑問に思いつつも、レオンは最後のお使いを済ませに行く。


 自分の好みの女性に、ゴミを見るような視線でことさら慇懃に接さられたことで、軽く人間不信に陥りかけながらもレオンは任務を達成した。









 これが彼らの日常。

 レオンが馬鹿をやり、令が弄り、残された三人がその様子を苦笑しながら、それでいて楽しそうに眺める。

 それだけで、彼らは満足だった。


 そして二日後、その日常から外れた出来事が起きる。


―――エルスが、倒れた。



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