60話 彼が望むコト⑦ 『目』
「たっだいま~。
て、お前またかよ」
「ああ、『 』さん。
おかえりなさい」
男が、彼らが拠点としている建物の中に陽気な様子で入ると、中で行われていた光景を目にし呆れた様子になる。
少年は男を一瞥し決まり文句と化した言葉を男へ告げると、再び作業に戻る。
その少年の手は淀み無く動き、彼の腕の中にいる小鳥の、怪我をした翼を治療していく。
しかも、その鳥の数が尋常ではない。
ざっと見て三○羽は居るだろう。
不思議なことにそのどれもが少年の傍を離れようとはしていなかった。
「いや、別に文句があるわけじゃねえがよ。
お前拾ってきすぎ。
少しは自重しろ」
「動物の治療で問題になるのはその世話の費用です。
しかし彼らの世話をする費用はすべて私が稼いだ金で賄っているのですから、貴方に文句を言われる筋合いはありません」
「おいおい……。
稼いだってお前、それ人を罠にはめたり口車にのせたり貢がせたりして奪い取ったもんだろうが」
少年の言い分に冷や汗を流す男。
その冷淡な様子に戦慄を禁じ得ない。
じつのところ、少年は莫大な資産を所持している。
本来ならばこのようなスラムじみた場所ではなく、大富豪が暮らすような豪邸に住み着けるほどの額を。
だがその金額は、すべて少年が他人から掠め取ったものだ。
その手腕は恐ろしいの一言で、狙った相手からは余程のことがない限り必ず大金を掠め取っている。
酷い時は、僅か数日で自己破産に追いやったことすらあるくらいだ。
だが少年は悪びれた様子も見せない。
「人ではなくクズです。
そんなものらが金を持っていたってろくなことになりません。
それに金は使わなければ市場に回らない。
そして膨大な蓄財は経済を鈍化させます。
素晴らしいことではありませんか、私はクズどもが貯めに貯めた金を平和のために奪い取り、代わりに世界経済のために使ってやってるんですよ。
その余剰分を彼ら動物に使っていても、褒められこそすれ、責められる言われはありません」
「……ああ、さいですか」
相変わらずの容赦のない、それでいてどこまでも正論な物言いに何も言えなくなり、男は達観した目を少年に向ける。
事実、金というものは使うことでしか意味はない。
散財することは悪いこととされていることが多いが、それは個人規模の話であり、もっと広い社会規模での話となるといいこと尽くめだ。
使われることで金は社会を巡る。
その使われた金は仕事を生み出し、仕事は人々に所得を与え、その所得は人々の生活を支え、そして社会生活はさらなる金の消費を生み出す。
使われなければこの連鎖は発生せず、社会は緩やかに、そして確実な死を迎えることだろう。
その観点で言えば、少年の動物の世話による散財は決して無駄ではない。
さらに、少年が金を奪い取った相手は、そのすべてが汚職、強姦、暴行、人身売買など、良心が働いているとは思えないようなことをする連中だった。
この少年が、そういった悪事に手を染めていない人間にご無体な真似をしたことは一度たりともない。
男としては、そのような危険が伴うような稼ぎ方は止めて欲しかったのだが、この少年の思いも理解しているので今まで止めることはなかった。
「それで、それはどうしたんだ?」
「私が外を歩いている時に、近くの街のクズどもが彼らの翼に縄をつけて競争させて遊んでいたのですよ、恐らくそういう競技なのだと思います。
ちょっと頭に来たんで、二度とそんな行いをしたくなくなるように『色々』やって帰ってきました。
私につながるような代物も一切出してはいませんから後の危険もありません。」
「それってなんか伝統的な行事なんじゃないのか?
もしそうで邪魔したらまずいだろ」
「いえ、そこで今年から流行り始めた馬鹿な遊びだったようで、単なる娯楽だったようです。
というか私がそういう手を下すのはちゃんと下調べしたあとだって貴方も知っているじゃないですか」
少年が男の物言いにむっとした様子で口にする。
そこには先ほどまでの冷厳な様子は見られず、年相応の子どもの仕草だった。
その様子に男は笑みを浮かべる。
変わったものだ、そう心の中で思いながら。
最初会ったころは、機械のようにただ淡々としており、こんな様子などまったくみせてはくれなかった。
それが今では、年相応の仕草や、うっすらではあるが笑みを浮かべることさえあるのだ。
それが男には嬉しくてたまらなかった。
尤も、不幸な者たちがされた『いろいろ』の内容を思うと、微妙な気持ちになるのだが。
「それにしても相変わらず明確に分けてんだな。
クズ認定したやつはまったく気にしないのに、そうでないのには例え動物でも丁寧に扱うんだから。
それに、いくら金はあるっつったって、育てるとなれば相応の手間がかかるし、餌だって自分が配合したものやってるし。
ホント、お前は―――」
「そうそう、『 』さん。
一つ、注意して頂きたい」
そのまま続けようとする男を、少年が遮る。
その顔に若干の敵意が宿っていた。
キョトンとする男に、普通とはかけ離れたことを、それでいてあまりに彼らしいことを口にする。
「動物をそれ、とよんだり、彼らが食べるものを餌とよばないでください。
貴方にその気がないのは分かってはいますが、その言葉はかれらへの無意識な差別や見下しに取られかねない。
主に私に」
そう言い捨てると彼は少年は男から視線を外し、治療に戻る。
「……はは、そうだな。
悪いなお前ら、失礼なこといって」
苦笑を浮かべながらの言葉に、小鳥たちが応えるように一声鳴く。
少年は「こら」と軽く怒りながら的確な治療を続ける。
男は暖かい気持ちで少年をみやる。
この少年は、動物に対する認識が他の者と違う。
ほとんど人間と同等に扱っているのだ。
それは少年をよく知らない者から見たら、人間を軽視しているかのように思われるかもしれない。
だが男はそこに彼の優しさを視た。
少年は変わった。
だが、その芯は何一つ変わってはいない。
その深い慈愛の心が。
いつもクズと認定していない人間を助け、そして動物を救う。
自分では『好きでやっている』と言うばかりで美徳と感じることはないが、その行いは世間の目から見ても間違いなく善良と言えるだろう。
だがそれを嬉しく思うと同時に、男は不安も感じていた。
少年の、行動と思いやりの抱える危うさに。
彼は気づいているのだろうか、自分が何故、気に入らない存在を『クズ』と呼称しているのかを。
男は、このままではいつか少年に破綻が訪れる気がしてならなかった。
だからこんなことを口にしていた。
「お前、もう少し人を『信頼』することを覚えたほうがいいぞ」
それは男の願い。
この危うくも愛おしい存在が、自分以外にも支えとするものを持ってほしかった。
少しの間をあけたあと、彼は治療を止めず答えた。
「……『師匠』、それは無理だと思います。
私は、その目をした貴方以外を信頼できる気がしません」
「まあそうだろうが……ん?
目ってどういうことだ?」
少年は男から教えを受けるときや、自身が何かを男に伝えようとするとき、彼を『 』ではなく『師匠』と呼ぶ。
返ってきた返答の半分は理解できたが、もう半分は初耳でよくわからなかった。
「私が『師匠』を信頼しようという気にさせられたのは、その瞳が切っ掛けなんです。
人の内心を測るときの表現には、様々な比喩的な表現がありますが、それには『目』という言葉がよく付きます。
それは何故だと思いますか?」
人の内心を表す言葉に、『目は口ほどにモノを言う』や『目の色が違う』のようなものがある。
男はそれを知っていたが少年の質問の意図が分からず首をふる。
「これは私の私見ではありますが、それは眼球というものは人にとって最も多くの時間をともに過ごす器官だからだと考えています。
時間と共に身体は成長し、ほとんどの器官や臓器はその大きさを変えます。
ですが眼球、目だけはその大きさを変えることなく、その人が人生を終えるまで同じ大きさのままなんです。
つまり、その人の人生のありのままを、ありのままの姿で見ることになるわけです」
男は少年の言葉に耳を傾ける。
「だからこそ、目はその人物を表す指標になり得る。
その人物が経験してきたものを無意識の内に蓄え、それを外へと表す。
人はその人物を判断するときに目を見るのは、その人物が経験した内容をおぼろげながら理解することが出来るから」
少年は小鳥たちへの治療の手を止め、男へと身体を向ける。
その目を見て、確かに男は理解した。
少年のなかに潜む、諦観を。
「特に私は過去の体験からそういったことに余計に敏感に感じ取ってしまうんです。
だから人の目を見て、その人間のことがだいたい分かってしまう。
腐った人間の中身であろうとね……」
人の醜さを知っているからこそ、少年は人を信頼できない。
どんな善良な人間がいても、その人物はいずれあの腐った連中と同じになってしまうのではないか。
そんな思考が先に立ってしまう。
「そんななか、貴方に私は出会った」
だからこそ、男は少年にとって鮮烈な存在だった。
「初めて見たときは驚きました。
私より年上なのに、まったくその目は澱んでいなかった。
むしろ年月を経たおかげなのか、不思議な深みを感じた。
どこまでも無垢で、純粋で、鮮烈だった……。
だからこそ私は貴方に憧れ、そして―――」
最後の言葉を切り、少年は俯いてしまう。
そして小鳥の治療を再開する。
少年の言葉を、その治療を、男は静かに眺めていた。
そして少年は作業を終える。
「……よし、これで君らの治療は終わりだ。
あとは好きにするといい」
少年は立ち上がりながらそうこぼす。
そして男は、予想通りの光景を目にする。
「…………重い」
「アハハハッ!
本当に懐かれ易いな、お前!」
男は朗らかに、腹を抱えて笑う。
少年の頭や肩などに、みっしりと小鳥が留まったのだ。
これがいつも通りの光景。
今まで何度も少年は怪我をした動物を拾っているのだが、大抵このように治療が終わるとまとわりつかれるのだ。
「なんでこういつも……」
「分からないのか?
お前が好きなんだよそいつら」
「……そうですか」
そのまま彼は本を読み始める。
その動物の扱いにもなれたもので、留まった小鳥たちを気にしないことにしたらしい。
ちなみにこの動物たちは、少年が命じればどこかに飛んでいくことだろう。
不思議なことに、少年と付き合った動物は彼の言葉を理解できるようで、命令に従ってくれるのだ。
今こうしているのは、少年に思うところがいろいろとあるからだろう。
男はその光景を見ていて思う。
この少年はまるで、夜のようだと。
夜は暗闇。
その安らぎはすべての生物を平等に包み込み、そしてときに破滅も与える。
時に儚さと危うさ、そして悲しさを感じさせるその目。
そして動物を助け、己の敵を苛烈に追い立てる彼の生き様は、彼のその容姿とは裏腹に、夜という表現がピタリと一致しているように思えた。
だが、彼にはあるべきものが足りていない。
夜を彩り、夜を終わらせるものが。
「いつか、あらわれるさ。
絶対に」
だから男は口にする。
少年が、いつの日かそれを手に入れられることを願って。
少年は本から目を外し、不思議そうに男を見やる。
「お前が、信頼の置ける奴らがさ」
そして男の言葉に目を見開く。
そのまましばらくの間何の音もしなくなる。
「……そう、ですか」
やがて、呟きが部屋を満たす。
その声の主は、窓から空を見上げた。
「そうだと、いいな……」
その返事は、小さく、そして渇望に満ちていた。
少年が言外に、自分が他の者と歩むことを肯定したことに男は笑みを深める。
昔の彼ならば、突っぱねていただろう。
と、少年は気が済んだのか空から目を外すと、今度は男を見やる。
「ですけれどね、『師匠』」
そして、口を開く。
今まで男が見たことのない、穏やかな、希望に溢れた表情で。
「生きてる、はずですよね……」
その事実に彼女は実感が沸かず、呆然と呟く。
それほど彼女にとって自分がまだ存在していることは不可思議なものだった。
今の状況を確かめるために、身体に鞭を打ち立ち上がろうとする。
「くうっ……!」
まるで全身がばらばらになったかのような激痛。
立ち上がるという単純な動作でさえこれほどなのだ、これで本格的に動こうと思ったらどうなるのかまったく想像がつかない。
全身の痛覚を直接刺激されたかのような、死んだ方が楽なのではないかと思える痛み。
それでも奇跡的に身体にある傷は擦過傷や打撲がほとんどで、骨折といった深刻なものが無かったこともあり何とか立ち上がる。
そして彼女は周りを見回す。
そこにはある意味予想通りであり、それでいて想像を遥かに超えた光景が広がっていた。
先ほどのものとは比較にならないほどの破壊の痕跡。
もはや原型を留めていなかった。
舞い上がる粉塵でまさしく一寸先は闇。
うっすらと影だけ見える大聖堂だったものは、ただの瓦礫の山と化している。
言葉にするのも馬鹿馬鹿しいほどの破壊。
その結果に驚くのも億劫になるほどの暴虐。
今の一撃は、遠くからの方が何が起きたのか分かりやすかっただろう。
隕石。
非現実的な話だが、それがその現象を最も的確に言い表していた。
それだけでも異常であるのに、さらに令が言っていた内容が彼女に重くのしかかる。
(これで……三割……)
出力三十。
先ほど令が魔法を行使するときに言っていた言葉だ。
つまりそれが本当ならば、これだけの威力でありながら全力の三分の一以下なのだ。
令自身が語っていたその事実を信じたく無い。
真実であれば、全力を出したときどうなるのか、想像するのも恐ろしい。
ただこちらの動揺を誘うための布石だと考えたほうが現実的であるし、こちらの精神衛生上も都合が良くはある。
だが、仮にそれが令の嘘だったとしても、それで事実が消えるわけではない、この状況をたった一人の男が、たった一回の魔法で作り上げたという事実は。
「私も、悪あがきをしなければあの瓦礫の仲間入りだったのでしょうね……」
セフィリアは弱々しく笑う。
先ほどセフィリアは魔法陣が光った瞬間、必死に凍りついた足を動かした。
そうしたところ運良く靴が脱げたので、彼女は全力で脇目も降らず跳んだのだ。
そしてその悪あがきともとれる行為が彼女の明暗を分ける。
その次の瞬間、上空から何かが飛来してきた。
それは相当の大きさであり、その質量の分、巨大な破壊を撒き散らす。
その着弾の衝撃でセフィリアはまるで木の葉のように吹き飛ばされ近くの民家の屋根に落ちたのだが、 それが功を奏し直撃を受けずに済んだので、彼女は致命傷は免れた。
尤も、その身には崩壊により飛来してきた瓦礫の礫により、全身傷だらけとなってしまったが。
(あの人は……?)
それでもセフィリアは周囲を警戒し、不意打ちに備える。
決闘の敗北条件は、彼女が動けなくなること。
まだ動く意志を見せてさえいれば、負けにはならないのだ。
そしてここまで視界が遮られている以上、最も恐れるべきは意識の外からの不意打ち。
だからこそセフィリアは、痛む身体を無視して両手で一本の棍を構えて防御の姿勢をとる。
そもそもセフィリアの戦い方は、堅実な防御を中心とした安定性の高いものだ。
棍というものはそもそも、その形状から防御に優れている。
円柱状であるため、どこの面で受けても剣のように刃こぼれを起こしたりはせず、衝撃も分散される。
だからこそ、このような防御が重要視される場面では棍は有利なのだ。
だが、その不意打ちへの警戒は直ぐに無駄なものとなる。
「拠点破壊上位魔法《魔星》。
頭上にその時の状況に即した落下物、この場合は大気中の水分を凝縮して造り上げた直径五○メートルほどの氷塊を形成し投げ落としたものだ。
ただ落とすのではなく、重力、風力、電磁力、持てる限りの加速方法を駆使し、さらには回転まで加えている。
本来は攻城戦などを想定した上位魔法であり、一個人に使うようなものではない。
まあ使った本人の言ではないが」
その声が、何の奇をてらうこともなく真正面から向かってきているために。
セフィリアは驚きながらもその先を注視する。
「話は変わるが知っているか。
この世界では、いや、この世界でも、魔法や魔術といった類のものには様々な媒介が存在する。
魔法陣、形。
呪文、言葉。
そして文字。
他にも色々あることはあるが、大別すればこの三つが主だろう。
大抵の場合この三つをすべて組み合わせることで魔法というものを完成させている」
今の状況にまるで心を動かされた様子もない、平静な声と足音。
そのことがセフィリアの不安を煽り、冷や汗を流させる。
そして彼のまるで講義をするかのような口調にセフィリアは混乱していた。
何故今そんなことを言い出すのか。
それではまるで、
「そこで考えた。
その三つの中で明確な効果が確認されている魔法陣と文字。
それらを独立させて、それのみで魔法を構築したらどうなるのか。
自分なりの解釈や偏見を元に、研究し、実証し、そして新しい技術を開発、実用化した」
自身の使う技術の解説をしているようではないか。
話は止まらず、前方から聞こえる声はなおも途切れることはない。
「それが《紋陣魔法符》と《紋字魔法符》。
例を上げるならば通信符が前者、先ほどの符が後者に当たる。
どちらもそれ単体では決定力には欠けるもののそれぞれ利点を備えており、上位魔法の補助として抜群の力を発揮する。
ついさっきお前がくらったようにな」
そしてセフィリアが混乱し、焦りながらも睨みつけるその先から、粉塵を切り裂いて男が姿を表す。
右手に大剣を無造作に持つ、黒髪の男が。
その姿に畏怖を抱かずにはいられない。
威圧するでもなく、空中を歩いて、自然体でセフィリアに向かってくる。
まるで自身がお前よりも高みに居るということを知らしめるかのように。
これだけの破壊行為を仕出かしておきながら、まったく動揺した様子も消耗した様子もなく。
その得体の知れなさが彼女の恐怖を煽る。
「―――魔王」
気がつくと今の彼を最も的確に表す言葉を彼女は無意識に口にしていた。
その力。
その威圧感。
何より感情を読み取らせない深い色をした瞳。
それらが、彼女に一つの存在を幻視させる。
物語の中に存在する、魔王の姿を。
「魔王、か。
言い得て妙だな。
悪魔とかは何度も言われていたがそれとはまた違った印象を受ける」
そのセフィリアの言葉にも何の感銘を受けた様子もない。
その様子に彼女は自身の勘違いを悟る。
彼の持つその力ももちろん恐怖を煽る一助ではある。
しかしセフィリアが異常に感じるのはそのことではない。
(まったく正気を失っていないなんて……)
先ほどまで令を占めていた激情は確かに本物だった。
だというのに今はそれが微塵も感じられない。
自分に必要な感情を選別し、それ以外のものを無理やり押さえ込んでしまっている。
先ほどの行動がそれを証明している。
激情のままに行動していれば、動きは単調なものになり、対策も楽だったろう。
だが令は正気を失わなかったばかりか、それを逆手にとり感情的になったふりをしてセフィリアを罠にはめた。
思慮不足の力任せの一撃を放ち、相手にこれで自身は有利であると錯覚させる。
だがその実、それはあらかじめ仕掛けておいた符に嵌めるための一策。
ただひたすら連撃をしかけるよりも、ただ罠にはめるよりも、遥かに効率的に精神的に相手を追い込むことが出来る。
(甘くみていた気は微塵もなかった。
だけどその考えそのものが間違っていたみたいですね)
舐めてかかっていた訳ではない。
実力を隠していることはわかりきっていたのだから、自分の想像出来る限り極限の力を想定し、それに備えていたつもりだった。
だが、想定するということがそもそも間違っていたのだ。
人の理解できる範囲という限界が存在する想定など、目の前の存在は易々と踏み越える。
自分の考えるようなものは、二手三手どころか二十手三十手、もしくはそれ以上に読まれ切っているのではないか、そんな想像すら首をもたげるほどだ。
それでもセフィリアは、自身の考えを信じる。
立ち向かうために。
戦うために。
「……まだ諦めてはいないんだな。
では、続けよう」
「油断してくれないんですね。
私、これでも結構全身ボロボロなのですが」
歯を噛み締めて必死に次の行動を考えながら、セフィリアは時間稼ぎのために口にする。
彼女はこれに対し返答は期待していなかった。
「戦えるとも、そして戦えるなら油断するわけにはいかない。
『人』は、折れない限り負けではない。
腕がちぎれ飛んでいようと。
足が押し潰れていようと。
腹に大穴が空いていようと。
頭が吹き飛んでいようと。
『人』は、諦めない限り負けることはない。
だからお前はまだ戦える」
なのに、返答は返ってきた。
それも彼女の想像し得ないほど壮絶な内容のものが。
思わず彼女は令をまじまじと見つめる。
そこにあったのは相変わらずの無表情だった。
「……それは、貴方の実体験ですか?」
「…………さあね」
問いかけに令は応えない。
顔を隠すように大剣を前に掲げたために表情も分からない。
「…………究理式。
俺は自分の使う魔法のことをそう呼んでいる。
この世のあらゆる理を究め、実現する魔性の法。
ここだけ聞くとお前たちが使う魔法と何が違うのか疑問に思うだろうが、その成り立ちがそもそも違う」
「え?」
令はまるで話題をそらすかのように解説を始める。
自身の使う魔法、『究理式』を。
そのことに驚きを隠せない。
セフィリアは令に自身の使う魔法についての説明を再三に渡り求めていた。
だがその答えはいつも拒否の言葉。
そのことをセフィリアは残念に思いつつも、秘匿する理由も分かるので諦めていたのだ。
「魔法の骨格を構成するのは、術者の精神とこの世の様々な法則。
この場合、精神は燃料であり、法則はその燃料により動く出力装置だ。
お前たちが使う恩寵式は、燃料をさきに放出し、なんなのかよくわかっていない装置に力尽くで注ぎ込み、実現される。
この場合、自身が法則を理解していなくとも魔法は発動するし、魔力さえあれば大抵の者ができるほど簡単なものだ。
だがこれでは、装置に燃料がどこにどれだけ必要かも分からず注ぎ込むために、燃料が無駄になり、 さらに燃料が過剰に供給されたり逆に足りなかったりと装置もまともに機能しないため、威力は大幅に下がる。
それに対し究理式は逆に装置の理解を起点とし、燃料はそれに追随して放出する形となっている。
これならばほとんど無駄ができず、装置も十全に機能させることができる」
なのにどういうことなのか、いまそれがなんの躊躇いも無く垂れ流されている。
それらは秘匿しなければならないはずなのに。
どんなものでも、相手に理解されてしまえばそれに対する対策は立てることが可能なのだ。
令はそれを理解しているはずなのだ。
実際、これまでずっと彼はそうしてきたのだから。
セフィリアとしては混乱するしかない。
ここで彼は眼前に掲げていた剣を外し、元の無造作な持ち方に戻る。
「不思議そうな顔だな。
確かに今語った内容は秘匿情報に分類されるものだ。
だが、秘匿すべきものはその中身であって外見上の上澄みがいくら盗まれようと気にすることではない。
そもそも本当の意味で秘匿しなければならない技術は、切り札三種、その中でも《マテリアル》だけしかないのだし。
あ、他に開発中のあれがあったか。
まあどちらにしてもお前が気にすることではない」
その言葉を聞いてセフィリアは令が何故先ほどからここまで情報を垂れ流すのか理解しがたかった。
始めはそうしてこちらの動揺を誘いたいのかと疑った。
いきなり自身の理解を超えたことをされれば誰だって混乱する。
そうすれば自身が優位にたつことができる。
だが、直ぐに彼女は思い直す。
確かにそうすれば有利にはなる。
だが自分で思っていて悲しくなるのだが、自分に対しての行為にしては大業すぎる。
令にとって、セフィリアは所詮小物に過ぎない。
そんな存在にそこまでする必要はない。
令はなおもセフィリアを高い位置から見下ろしながら話を続ける。
「それと一つ言っておくが、時間稼ぎによる加勢を期待しても無駄だぞ」
「……気づかれてましたか」
「ガイアス殿と『四剣』がさっきまではいたが、今はもうさっきの大規模破壊により騒ぎ始めた民衆の 収拾をつけに去っていった。
まあ正直、彼が俺を抑えに動くか民を優先するかは賭けだったが、俺が正気を失っておらず思考が働く状態だと知れば、民を助ける方を優先すると思っていたから分は悪くなかった。
この戦いの条件にも、加勢は認めないなどとは言わなかったからな」
「……あの破壊はそれを狙ってのことでしたか。
そこまで考えての行動とは思いもしませんでしたよ。
呆れを通りこして感覚が麻痺してきました」
令の言葉に図星を刺され、尚且つ先ほどの破壊はこの布石だったのだと理解させられたが、もはやそこに驚きも沸かなかった。
セフィリアは、この国の上層部がこの一件に介入してくることを少なからず期待していた。
数というものは実力差を覆すのにもっとも友好な手段だ。
一般兵では鎧袖一触で蹴散らされるだろうが、王や『四剣』であれば真っ向から対抗できる。
市街で争いが起きれば、それを止めようと国は動くはず。
そしてそれが令だと知れば、王たちは自身しか対処できないと判断し、介入してくると考えた。
それにより自身も後で罪に問われるかもしれないが、未来よりは今だ。
そして弱者であるセフィリアにそれを当てにしない手はない。
だが、その考えはもろくも崩れ去ったらしい。
「別に構いませんよ。
正直当てにはしていましたが、頼ってはいませんでしたから」
「そうか?
ならいいんだが」
だがセフィリアは直ぐに気を引き締め、対抗の意志を見せる。
セフィリアはまだ諦めてはいない。
ここまでのことで、セフィリアの予想はより信憑性の高いものとなっていたからだ。
そのため、ボロボロの身体と動揺し続けの心に対して、目の光は未だ消えてはいない。
令はそれをみながら、服の裏の背からナイフを取り出し左手に持つと、その腕を真横に伸ばす。
そして、その目を『絶望』に染めるための一手を打つ。
右手に持っていた大剣を後ろに放り投げ、《グリモワール・キキョウ》を袖から一瞬で取り出し構築し、上空に放りなげた。
その行動にセフィリアは気を引き締め、いつ何が来てもいいように身構える。
だが、それに意味は無かった。
「えっ!?」
それは空中で分解し、令の横に伸ばした左腕に突き刺さる。
意味が分からずセフィリアは硬直する。
令は左腕から鮮血を流しながら眉一つ動かさない。
そして突き刺さった五本の刃が発光を始め、腕に刃と刃を繋ぐ形で光の線が奔る。
それは、形ではあっても魔法陣ではない。
どちらかというと、模様。
「《五光生紋》展開。
《闘仙術》構築開始」
令がそう宣言すると、周囲の気温が一気に下がり始める。
いや、ただ下がっているのではない。
令の周囲の大気からナイフへと熱が移動しているのだ。
その証拠に、令の左腕の周囲が熱対流を引き起こし、まるで陽炎のように揺らめく。
セフィリアはその気温の変化以上の寒さを感じていた。
その目の前で形成されようとしているものに恐怖を感じているがために。
「《武御雷》」
そして完成する。
ナイフに青とも紫ともつかない稲光が纏わりつき、その三○センチメートルほどだったの刀身を一八○センチメートルほどの長さへと変貌した。
その剣と言えるかも分からないものに、真っ先にセフィリアが感じたのは憧憬だった。
一瞬、今の状況を忘れてしまうほどに、その剣には妖しい美しさがあったのだ。
そして同時に、直感的に理解もしていた。
あれには絶対に触れてはならない、と。
「それはいったい、なんですか……」
呆然としたそのセフィリアの問いかけ。
令はその声音と視線から剣に魅せられていることを理解する。
「熱というものは、生物にとって最も身近な現象の一つだ。
生物は総じて、体内から熱を発生することで生命活動を営んでいる。
故に、熱というのは俺にとっては非常に扱い易い」
令は左手に突き刺さった刃を引き抜きながら淡々と説明する。
発熱、冷却というものは、熱力学的に言えば単なる熱量の移動に過ぎない。
その単純な構造と、生物にとって身近なものであるという事実。
それらが魔法のイメージを明確にする助けとなるために、令は魔法の中でも熱量の操作を得意としている。
そして周囲に存在する大気の温度をひたすらにかき集めれば、理論上はどこまでも物質の温度を引き上げることができるのだ。
「物質の形態は基本的に気体、液体、固体の三態だが、物質をひたすらに熱していくとそのどれでもない第四の形態へと変化する。
それが高電離体、プラズマ。
これの温度はざっとみて数万度であり、その熱量は触れたものを強制的に気化する」
だがそれはあくまで理論上である。
そのような真似が容易く出来てしまったら、この世界は容易に破綻することだろう。
事実、令は何度も試みたものの、プラズマになるまで周囲の熱を収奪することは不可能だった。
これは《ダビデの新星》を用いた上位魔法でも同じこと。
だが彼は、独自の研究によりその不可能を可能とした。
「言っている意味が今ひとつ理解できないのですが」
とはいえ、そのような専門的なことはセフィリアには分からない。
だからこそ、彼女に分かったのは非常に危険な代物という漠然としたことだけだ。
「そうか、ならばもっと簡単に説明しよう」
だから、令は、分かり易く彼女に説明をする。
自分がどんなものを前にしているのかを。
「触れたものを、『切る』のではなく『消す』刃だ」
どれほど危険な存在を相手にしているのかを。
セフィリアの目の前で、切りかかりながら。
「そんなっ!?」
またしても自分が接近にまったく気づけなかった事実に目を見開く。
いくら何でもおかしすぎる。
どれほど速かろうと、目を離していないのに移動の痕跡がまったく分からないなど有り得ない。
そこから導かれる結論。
これは、速さとは別の何かだ。
その答えに行き着きながらも、セフィリアは痛む身体を無理矢理無視して身体を動かす。
目の前で下からすくい上げるように振られたその一振を、のけぞることでかろうじて躱す。
「っう……!」
そのまま勢いを止められず地面に背中を打ち、顔をしかめる。
だが、直ぐにその痛みを忘れさせられた。
「……え?」
地面に背中から倒れたために、自然と令が剣を振り切った先の光景が視界の片隅にはいった。
そこに有った、大きめの民家がずれた。
まるで切れ込みのはいった氷を金槌で叩いたかのように、文字通りずれたのだ。
遠目から見ても、その断面には一切の損壊が見られない。
それは先ほどの力任せの切断とはまったく違う。
例えるならば、教会を割ったのが力の粋を凝らした『剛剣』であり、これは技工の粋を凝らした『柔剣』。
質の異なるその二つの破壊は、セフィリアの心をさらに追い詰める。
「呆けていていいのか?」
「うあっ!?」
そして令の容赦のない追撃も。
令は剣を倒れているセフィリアへ振り下ろし、それをセフィリアは転がって避ける。
今度は先ほどのまるで斬撃が飛んだかのような現象は起きなかった。
だが、なんの音も出さず、まるで溶けるかのように掻き消えた剣と接した地面が、却ってセフィリアの恐怖を煽る。
「なるほど。
よく避ける」
セフィリアは何とか立ち上がるも、その追撃を抑える手段がない。
何といっても、触れれば消えてしまうのだ。
これでは彼女が得意な棍を使った防御が行なえるはずもない。
そもそも、武術、武器術の基本は、ほとんどが相手の攻撃をどう抑え、反撃を加えるのかが重要視されているのだ。
だが、この令の剣はその常識を根底から覆してしまう。
相手の攻撃を抑えられない。
だから避けるために意識を集中させるために、自分は攻撃を加えられない。
攻撃がないから、相手は防御を考える必要がない。
これではただの一方的な蹂躙である。
そして、そんなあまりに危うい攻防がいつまでも続くわけがない。
(当たるっ!?)
当然、その均衡が崩れるのは防衛側。
よけ続けた疲労により、一瞬回避行動が遅れた。
それが致命的な隙を生み出し、絶対に避けられない状況をつくりあげてしまう。
「だけどまだ、終われない……!」
だから、動いた。
確信が持てないが、今動かなければ死んでしまうのだ、だから迷う意味もない。
その結果、
「……止めた」
セフィリアはその剣を、棍で受け止めた。
それを見て令は、驚いたような、感嘆したような声を上げる。
その棍は、よく見るとうっすらと光輝いていた。
よく考えればおかしかった。
あの稲光が、すべてを気化させるというのなら、何故彼のナイフは原型を留めているのか。
それから予想される答えは簡単だった。
闘気の行使。
闘気というのは、物理的なエネルギーをもってはいるものの、それに実体はない。
セフィリアは学者でないので詳しくは分からないが、それで武器を覆えば、もしかしたら温度やそういったものを遮ることができるのではないか、そう考えたのだ。
その仮説は単なる思いつきでしかなかったのだが、奇跡的に正しく、セフィリアは不可避の一撃を受け止めることができた。
だが。
(はは……。
これはもうだめかもしれませんね……)
これは、同時にセフィリアを危機に陥れる行動でもあった。
セフィリアのは異常なほど息を荒げ、夥しい疲労感に満たされる。
闘気で武器を覆うということは、闘気で武器を強化することとは根本的に違う。
後者は武器の内側を強化するので、消費した闘気はそのまま武器内部に留まり、消費量は少なくて済む。
だが、前者の場合は武器の表面を強化するために、消費した闘気はそのまま大気中に拡散してしまう。
闘気とは体力である、つまりこのやり方では使えば使うほどとてつもない速度で疲労が溜まっていくのだ。
それは目の前の男も条件は同じであるのだが、生憎というべきか、ものが違いすぎる。
令は普段から独自の強化法のために、闘気の運用効率を研究し、その効率を極限まで研ぎ澄ませている。
それに引き換え、セフィリアはごく普通の強化法しか知らないために、その必要が無かったので、令と比べれば赤子と言っていい練度しかない。
だから今、セフィリアはその体力を急速に失いつつあった。
「止めたのは素直に褒められる。
だが、もう動けないだろう?」
そしてこれも恐らくは、目の前男の予想通りなのだろう。
体力はすべての行動の起点の起点であり、それを失ってはどうしようもない。
しかも、今セフィリアは満身創痍といってもいいような怪我も負っている。
「ええ……もう、正直、動けないですね……」
そしてとうとう、セフィリアの持っている棍から光が消え、その場に膝を着いた。
それを見て令は僅かに顔を歪める。
「正直ここまで保つとは思わなかったが、終始俺の方が優勢だったんだが?
いったいどういう考えだったら俺に敵うという考えに陥るんだか」
そして顔を背けながらそういう。
言葉だけ聞けば、セフィリアの愚行を呆れているように見える。
だが、セフィリアには違って見えた。
まるで、何かを隠すためにわざと憎まれ口を叩いているかのように。
それに対してセフィリアは俯いて無言。
「もういい加減に諦めてはくれないか。
もう、これ以上続けても意味は―――」
無い、と続けようとしたところで。
「おかしいですよね」
セフィリアがそのままの体勢で口を開いた。
訝しむ令にセフィリアは続ける。
「どうしてそんなに必死になっているのですか」
令のセフィリアの見る目が微かに鋭くなる。
そこにあるのは、警戒の表情。
「貴方ほどの力があれば、私なんて一瞬で、再起不能に出来たはずです。
なのに貴方は、不自然なほど強力な攻撃をしてくるばかりでした」
「……単純に、面倒だったから大きいのであっさりと終わらせたかった。
それだけだ」
「それだと余計におかしいんですよ。
《魔星》でしたっけ、貴方はあれを拠点破壊上位魔法と言っていました。
貴方が言っていたように、それを人に使う時点で効率的ではありません」
令は反論するも、セフィリアはそれをあっさりと否定する。
ここで、セフィリアは顔を上げる。
そこには、全身を土や泥で汚し、ボロボロになっているにも関わらず、深い笑みが張り付いていて、
「貴方は、私を殺したく無かったんですね」
余人が見たら、正気を疑うような発言をした。
ここまでのことをしておいて、殺す気がないなど普通思わない。
呆気にとられる令を尻目にさらに続ける。
「人の心を折るような強力な一撃を繰り返し、そうして相手に戦いを止めるよう迫る。
その方が効率的ですから」
そう、そもそも令の戦いかたはおかしかったのだ。
《魔星》は、拠点破壊を目的とした魔法。
それを人に使うのは、例えるならばライフルで蟻を狙うようなもので、上手く当てることは難しい。
つまり、令は当てる気がさらさら無く、威力を見せつけることによる精神的な屈服と余波による威圧が目的だったのだ。
それ以外も同様。
あの剣での攻撃は、確かに当たれば死は間違い無かった。
だが、相手の接近に気づけなかったのにも関わらず、セフィリアは最後以外避けることができた。
それは意図的に令が避けられるギリギリをついていたからだろう。
それに、最後だって闘気による覆いが必要だと分かったのは、よく考えてみれば、令があの剣について自分で『触れたものを消す刃』と語っていたからなのだ。
ここまで言えば、誰でも分かる。
令に、セフィリアを殺す気が無かったということが。
「……おかしいよお前は。
普通はここまでやられれば、そんな考えなど出せないだろうに」
「貴方がおかしいと言うならばそうなのかもしれませんね。
ですが、確かに効果的な手だと思いますよ。
特に、あまり人を傷つけたく無い場合には」
このような回りくどいことをしたのは、徹底的に痛めつけることによる戦闘不能を狙うよりも、精神的な挫折を狙った方があまり傷つけずに済むからだろう。
今セフィリアは傷だらけであり、疲労から動くこともままならないが、もしはじめから令が完全な力押しをしていた場合はこの比ではなかったはずだ。
「だから貴方は、そうして自分の感情を押さえ込んで、自分の思いを否定してまで、早くこの戦いを終わらせようとした」
微かに令の顔が歪む。
まるで自分の中に潜む何かが蠢き、それを我慢しているかのように。
それを見て、悪いとは思いつつも、セフィリアは続ける。
「それに、おかしいことがもう一つ」
「なんですか」
「貴方、油断がなさすぎますよ」
令はその意味が分からず、首を傾げる。
「貴方は言いましたよね。
『オルト殿にすら劣るお前が俺の勝てると思っているのか』と。
ええその通りです。
普通に考えて、私はオルトバーン様に敵うことはありません。
そしてオルトバーン様を赤子扱いした貴方に私が勝てる道理はない」
そこで令は気づき、無表情に微かな渋みが奔る。
「それなのに、貴方は油断をまったくしなかった。
不自然なほどに」
油断というのは、よくいえば余裕と同じだ。
しすぎはただの愚行だが、油断がまったくないとなるとそれはそれで不味い。
なのに令は、圧倒的な力の差があるにも関わらず微塵も油断しなかった。
「まるで、一歩間違えれば自分がやられてしまうと考えているかのように」
令は無言を貫く。
だが、ほんの微かにその気配が剣呑なものになっていた。
「私が勝てると言ったのは、それが原因です。
それが合っているか分かりませんでしたが。この戦いを通して必死に考えを巡らせて、恐らく間違い無いという結論に達しました」
セフィリアにとって、ここまでの戦いはそれを確かめるために確認作業のようなものだった。
そしてこの考えが正しければ、セフィリアは間違いなく勝てる。
ただし、相当の覚悟と、そしてその行為を肯定するだけの度胸が必要だが。
「……お前は何がしたいんだ?」
「はい?」
令が沈黙を破り話しかけてきたが、言葉の意味が分からなかった。
「そこまで必死になって、傷ついて、いったいなにがしたい」
それを聞いてセフィリアは目を閉じる、
そしてそのままセフィリアは立ち上がり、ゆっくりと語る。
「……何がしたいか、と聞かれれば、実を言うと私でもよく分かっていないのですよね……」
それはセフィリアの正直な気持ち。
本当に、何故自分がこのような危険な真似をしているのかわかってはいなかった。
気に入っている人を怒らせて。
自らが死ぬ危険を犯して。
何故そんな真似をしているのか。
しかし、分かっていることもある。
「しかし、貴方が無理をしていることだけは分かっていた……。
無理矢理に感情を抑え込んで、そうして自分の気持ちをごまかしていたから。
恐らく私は、それをどうにかしたかった」
それは酷く身勝手な行いだった。
相手の意志を考えず、ただ自分が、それが嫌だからと動いているだけなのだから。
「貴方に、これ以上無理をして傷ついては欲しく無かった」
だが、身勝手だからこそ、他の余計なものが入り込む余地がないため、その思いは純粋で、無垢な想いを生み出した。
令に立ち向かうという、この一連の出来事を引き起こした意志を。
「私たちのことを思っての行動をしてくれるのに、貴方は自分に利益を求めているようには思えないんですよ。
それでは、いつか必ず貴方は壊れてしまう」
それは確信。
自分を顧みない者は、いつの日か必ず自らを犠牲とする。
「……そんなの、悲しすぎます……」
それが、セフィリアには認め難かった。
搾り出すような声が響く。
「貴方はいつも自己中心的な考え方をしているように振舞っているのに、どうしてこのような肝心な場面で自分のことを見ないんですか……!」
そして、セフィリアは目を開ける。
「貴方にも救いがあったって……いいではありませんか……」
その声に 含まれていたのは、渇望。
涙で潤むその目は、どこまでも純粋で、無垢な、目の前の年下の男を心配する色をたたえていた。