59話 彼が望むコト⑥
王都『デルトライン』では騒然とした空気が広がっていた。
突然轟音とともに地震が起きたと思ったら、この街で最も目立つ建物がいつの間にか割れていたのだから仕方がないであろう。
人々にとって宗教というものは、いつの時代もある種の心の拠り所である。
この世界では、最高神であるスルスを中心とし、火、風、水、土の四大神を崇めるスルス教が最も権勢を誇っている。
そしてこの国において、その象徴とも呼べるものが大聖堂だった。
それが何者かによって破壊された。
信仰というものは、多かれ少なかれどのような者にも影響を及ぼす。
たとえ信者でなくとも、神社や教会でものを捨てるなどの罰当たりな行為は自然と憚られるものだ。
それほど宗教というものが人に与える意識というものは大きい。
「つまり何が言いたいのかというと、国民の人気をとって置きながら、それを無に帰すこんな馬鹿げた行為をしてる時点で、今のあいつは正気じゃないだろうってことだ」
不安と疑念が王都の中を渦巻くなか、人目につかないように建物の屋根をかける影がいくつか。
言うまでもなく、ガイアス率いる『四剣』の面々である。
ガイアスの真剣な声を聞いて、『四剣』は誰も答えない。
ただ表情をより深刻なものへと変え、大聖堂へ向かう足に力を篭める。
それを視界に収めず、ガイアスは目的地、大聖堂を睨む。
「ああいった輩は必ず自分だけの欠点を持っている。
そこを突かれたときの反応は大きく分けて二つ。
機能停止に陥るか、あるいは―――何を省みることもなく、暴れるか」
民家と民家の間は、数メートル離れているところもあるのだが、人としての頂点に限りなく近い身体能力を誇る彼らはそれを一足で跳ぶ。
「あいつは後者だな、間違いなく。
理性を失った者を相手にする場合の対策としては、先ずまともに相手をしないことだ。
感情の箍が外れてしまった人間というものは異常な力を発揮することがままある。
とはいえ、その分単純な動きになるため、ある程度の心構えと準備さえしていれば、むしろ御しやすい相手とも言えるだろう」
「確かにその通りだ。
尤も、それは逆に言えば心構えや準備が出来ていなければ対処が難しいということでもある。
ましてや、あのような色々な意味で予測がつかない存在がそうなった以上、どうなるかは想像がつかん」
ガイアスの言葉をガルディオルが継ぐ。
彼らの深刻な空気がさらに強まる。
この中には誰も令の戦う様を見たことがある者はいない。
オルダインを一方的に痛めつけ、ガイアスの一刀を受け止めはしたが、オルダインは我を失っていて力を発揮しきれていなかったし、ガイアスの件でもただ守るのが上手いだけとみることが出来る以上、それだけで力在る者と断ずるには根拠が不足している。
この中で令と接点がある者はオルハウストだが、彼も令と行動をともにしたことはあるものの、王都への道中で魔獣や野盗の類には出会わなかったので戦う様子を目にすることは無かった。
そもそも、令はこの国に来てまだ一月ほどしか立っておらず、その間の戦った回数はそこらの冒険者にすら劣る程度のものしかない。
それでも令が強いものと認識されているのは、『四家』のものと戦い、勝利した様を多くの者が目撃し、そのことが国中に広がったためだ。
だが所詮は伝聞、実際に見ていないのなら、油断するのでなければそれほど警戒する必要はない。
だが、今回はそれが不気味でならない。
それほど令という存在は彼らにとって理解の外にあるのだ。
そして、そのような存在が全力で暴れている。
一体どうなるのかまったく想像が出来ない。
「……すまん。
俺、ものすごい不謹慎なこと考えてたわ」
「ザルツさん?」
しばらくの間、それぞれ思うところがあり皆黙っていたのだが、ザルツが突然口を開く。
それに注意が引かれ、近くにいたオルハウストがザルツを見ると驚いた顔になる。
「あんなにこの王都が壊されておいて、国を貶められておいて、欠片も怒りがわかねえ。
いや、恐らく感じてはいるんだろうが、それを期待が覆い尽くしてるんだよ。
これからあいつの力が見られると思うと、な」
「なんとまあ……」
ザルツの顔には一切の深刻さが抜け、変わりに見る者を震え上がらせるような鬼気迫る笑みを浮かべていた。
アリエルはそれを見て呆れた声を上げる。
他の者も同様で、ザルツが自分で言ったようにあまりに不謹慎な発言に頭を抱えるような顔になる。
だが、ザルツのその在り方を否定することは誰もしなかった。
「お前は本当に、根っからの武人だな。
騎士というよりは戦士だが」
ガイアスが呆れ果てた声を出すが、その顔には笑みが張り付いている。
騎士と言うにはあまりに攻撃的で、そして好戦的なその笑み。
それがザルツの言葉に嘘がなく、国よりも戦いを優先してしまっていることを示している。
それは『騎士』としては失格だろうが、騎士という存在の大元である、『戦士』としてはあまりにも似つかわしかった。
その様子が、令の『未知』という武器に精神が苛まれていた彼らの心を軽くする。
自分を分からせないというのは、令にとって自身の強さを構成する一端だ。
令はそのことを利用し、相手を巧みに惑わして常に先手を取る。
それがあるために、彼は始めの段階から有利に立つことが出来ていたのだ。
だがそれが、ザルツのこの性格に砕かれた。
これから先、令は彼らを相手にした時これまでほど優位に立つことは出来ないだろう。
こういったものは一度その認識が打ち破られると、効力が弱まってしまう。
尤も、なくなってしまうわけではないし、令の強みはそれ以外にもあるのだが。
「居た!」
そしてとうとう、大聖堂を視界に収める。
そのことに彼らは弛緩しかけていた警戒を高めた。
高めたのだが。
「……何やってるんだあれ?」
「言い争い、ですか?」
「言い争い……ですね」
「言い争いと言うよりは喧嘩だな……」
「ああ。
しかも頭に『子どもの』、がつきそうじゃねえ?」
皆、思い思いの言葉で困惑する。
彼らの視線は壊れながらも未だ原型を遺した大聖堂の屋上に向いており、そこには目的の二人がいたのだが、どうも様子がおかしい。
お互いに向き合い、大声で何事かを言い合っている。
そこに殺伐とした空気は皆無であり、どこか稚気すら感じさせる。
ここからではまだ距離があるために、何を言い合っているかは分からない。
深刻な事態に陥っているとばかり思っていた彼らとしては、困惑するよりほかない。
「と、とりあえずは行動するとしよう。
ガルディオル、大聖堂周辺の住民の避難を警備兵に要請、有事にそなえろ。
アリエル、ザルツ、オルハウストは俺と近くであいつらの監視だ。
状況に変化があれば直ぐに動くぞ」
手近な民家の屋根で立ち止まり、狼狽しながらも指示を出すガイアス。
いくら毒気を抜かれてしまう光景を展開していようと、令があの大聖堂を破壊したことがほぼ確実である以上、有事に備えるのは正しい判断だろう。
そして『四剣』は彼に頷き、行動しようとした。
―――その瞬間、凄まじい怖気が背筋を駆け抜ける。
それに身を震わせ、誰もがその感覚の出どころに目を向ける。
そして目撃した。
こちらを睨む、『黒』の瞳を。
相当な距離があるにも関わらず、その色は不思議と彼らの目に留まった。
そこに先ほどまでの稚気は一切感じられない。
あるのはこちらが身構えてしまうほどの、純然たる激情、そして敵意。
その時彼らは勘違いを悟る。
令は、彼らが考えていたような我を失って暴走するような人間ではなかった。
そして、動きを停止してしまう人間でもない。
あの男は彼らの知らないまったく別の種類の人間なのだ。
彼らが一気に警戒の度合いを強めるなか、令はセフィリアに何事かを話す。
するとセフィリアも表情を引き締めお互いに距離をとって向かい合った。
―――そして彼らは目撃する。
「なっ!?」
「おいおい……なんだそりゃあ……」
オルハウストとザルツが思わず声をあげ、他の者も唖然とする。
突如、令の身体にらせん状の光の線が奔る。
その次の瞬間、それが剥がれ落ちる。
まるでいままでずっとつけていた包帯を外すかのように。
ゆっくりと、それでいてそれなりの速さで。
そして現れた男は、それまでとはまったく違う容姿をしていた。
多くいる茶の髪ではなく、まるで濡れ羽のような漆黒の髪と瞳。
そして黄色っぽい、曖昧な色合いの肌。
変わったのは色だけであり、身体の線は一切変わっていないにも関わらず、先ほどと別人のようにしか見えない。
面影があるとすれば、その右目にかけられた眼帯だけだろう。
そして令は懐に手をいれ何かをいじる。
するとガイアスが持っていた通信符が光りだす。
令はガイアス達とはまた違う意味で驚愕しているセフィリアに向き合い口を開く。
その音声は通信符を通してガイアスたちにも伝わる。
『さて、それでは始める前に初めての方もいることだし名乗りを上げさせてもらおう』
その言葉はつまり、令がガイアスたちの存在を完全に察知していることを示している。
『こんにちは、そしてはじめまして。
『冒険者』グランド改め、『異邦人』令だ。
よろしくお願いする』
優雅に一礼するその仕草。
これがこの国の重鎮たちが、稀代の『人』である令を認識した最初の瞬間であった。
時はガイアスたちが令たちを発見する少し前に遡る。
令によって二つに分割された大聖堂ではあったが、造りがしっかりしているためか今のところ崩落する様子はなかった。
その屋上では今、ひと組の男女が向い合っている。
「賭け……?」
「ええそうです。
私が賭けに負けた場合は貴方のいうことを聞き、お爺様の元へ素直に帰ります。
そしてもう無茶な行動はいたしませんし、貴方への干渉は行いません。
代わりに私が勝った場合は、私は貴方にこのままついていきます。
どうでしょう?」
セフィリアは無理をしていることが一目で分かる笑みを浮かべるが、令は訝しげな顔でただ見るだけだった。
賭けというからにはこちらも何らかのリスクを背負うということだ。
自分から厄介事に関わることが多いことが示すように、令はリスクなどを率先して抱えるような人物ではあるが、そういったものは自身の譲れないものに関わらない場合に限る。
そしてセフィリアにとって残念なことに、この場合は後者に大別される。
それに加え、そもそも令にはそれを受け入れる理由がない。
「却下だ。
そんなことをしなくとも、力づくでお前を連れていけばいいだけのこと。
要求を聞き届ける理由などない」
令が以前いっていたように、要求というものはそもそも互いの立場がある程度近くなければ成立することはない。
そしてセフィリアの力では、令のすることに抵抗できない。
彼がいままでセフィリアの意見を聞き入れていたのは、悪い言い方をすればただの気まぐれのようなものであり、彼がそういった点で良心的な人間だったからだけに過ぎないのだ。
この力関係をどうにかしない限り、セフィリアは令に要求を通すことはできない。
「まあまあそう言わず。
それに人の話はちゃんと聞くべきですよ。
この要求をのんで頂ければ、先ほどいったように私は無茶をしませんから」
そう、つまりその力関係をどうにかできれば、要求を通すことは出来るのだ。
令は初めはセフィリアの言葉の意味を測りかねたが、直ぐに意図を理解し顔色を変える。
要求をのめば無茶はしない。
それはつまり、のまなければ無茶をするということ。
「このまま私をお爺様の元へ送ったとしても、私は頑固な人間ですからね。
貴方を追って、ルッソを飛び出してしまうかもしれません。
たとえ、人攫いに捕まってしまう可能性があっても」
「はあっ!?」
そして出てきた内容は、正気を疑うようなもの。
この状態の令でさえ、驚愕を禁じ得ないほどの。
今この国の中で、グランドに近しいものと思われているセフィリアにとって安全な場所は非常に少ない。
グランドに敵対的な貴族に狙われる可能性が常にあり、一人でいるところを発見されれば人質としてすぐさま捕まってしまうだろう。
だからこそ令は、安全な場所である、国から独立したネストの長であるディックのもとへと彼女を送り届けようとしたのだが、それもセフィリアが自分でディックの元を離れてしまえばなんの意味もない。
つまりセフィリアは、非常におかしな話だが、自分の命を人質として令を脅しているのだ。
「馬鹿かお前は!?
そんな子どもの駄々っ子みたいなことを言って!」
「いいんです、子供でもなんでも!
年増扱いされるよりはずっとましですから!」
「おま、まだ気にしていたのかそれ!?」
「当たり前ですよ!」
「当たり前なのか!?」
「私にとって年はデリケートな問題なんですもん!
気にして当然だもん!」
「言葉づかいまで退行した!?」
そのまましばらくの間、まるで子どものような応酬が繰り広げられる。
その様子も、彼女の言う無茶の内容も、どちらもあまりに馬鹿馬鹿しい。
だが、無茶の方は非常に効果的だ。
令は、セフィリアを死なせたくない。
だからこそ彼女を遠ざけようとしていたのだが、彼女のこの奇策によってその前提が崩されてしまった。
「……賭けの内容は?
それを聞かない限りどうしようもない」
荒く息を吐き、諦めたかのように令は口を開く。
その時にはもうさっきまでの緩みきった空気は消え、真剣味が戻っていた。
令はこのまま不毛な会話を続けるよりは、さっさと提案を聞いたほうが建設的だと考え、提案を受け入れることにした。
そもそもそうする以外彼に穏便な解決策が見つからなかったためだ。
穏便でない手であればいくつかあるのだが、令はそれをしたくは無かった。
それを聞き、セフィリアは表情を引き締める。
自分でもこの賭けは正気ではないと思う。
だが、彼女にはこれが最も勝率が高いと信じている。
恐怖に震える心にムチを打ち、セフィリアは令を見つめ、告げる。
「決闘、です」
令は言葉すら出せず、ただただ絶句した。
それほど予想外の申し出。
「私が貴方に一撃を入れられれば私の勝ち。
私がもう戦えなくなれば貴方の勝ち。
それがこの決闘の条件です」
そしてそのまま条件を提示する。
それは一見、あまりにセフィリアに有利な条件に思える。
だが、実際は違う。
「正気かお前は!?
オルト殿にすら劣る強さで俺に一撃入れられると思ってるのか!?」
令は怒気を込めてセフィリアへ怒鳴る。
断っておくが、決してオルトバーンは弱くはなく、世間一般の基準から言えば間違いなく強者の部類に入る。
だが、それでも令に一撃いれることすら叶わなかった。
そしてセフィリアはそのオルトバーンよりも遥かにとは言わないまでもかなり劣ることは確かである。
そんな人間が、令に一撃入れられるなど常識で考えてありえない。
始まって直ぐにボロボロにされて終わるだけだ。
「正気です。
私は貴方に勝つための、算段がありますから」
だというのに、セフィリアの顔には確かな自信が宿っていた。
それを令は信じられない思いで見つめる。
セフィリアはこれまでの令の行動と言動を鑑み、先ほどある結論に至った。
それは所詮は推論。
だが、もしそれが事実ならば彼女にも、否、この世の誰であっても令に勝つ手段が存在することになる。
だからこそセフィリアはそれに賭けた。
今、彼の元を離れるわけにはいかない。
それが分かっているために。
令はセフィリアも意図がまったく読めず、しばらくの間考えこんでいた。
彼は自身が無敵の存在だとも不敗の人間だとも思ってはいない。
そして自身にある弱点も、知り尽くしている。
だがそれを鑑みても、セフィリアが自身に一撃入れられるとは考えられなかった。
それが逆に、令の不安を煽る。
だが、ここで令はあることに気づき突然虚空をにらみ付ける。
そしてそれを踏まえて考え、決めた。
「了解した。
その賭け、受けよう」
突然セフィリアに了承の旨を伝える。
いきなりのことだったのでセフィリアは目を瞬かせたものの、受けてもらえるのならば文句はない。
「だが、一つだけ言っておくが俺は戦うとなれば容赦はしない。
それでもいいんだな」
「う……」
だが、その目を見て決意が揺らぐ。
そこには先ほどまでの激情とともに、どこまでも夜空のような深く、それでいて静かな闇が広がっていた。
闇といっても、決して悪いようなものではなく、人を安心させるような類のもの。
だが、その深さに彼女は令の底知れなさを思い知らされたように感じてしまい、自身の見ていた令という存在はすべてまやかしであったかのような感覚を味わう。
それでも、断りの言葉だけは口にしなかった。
セフィリアが自分の考えを曲げないことを察し、令は彼女と適度に距離をとる。
それに気づいたセフィリアは、畏れを訴える自身の心を奮い立たせ戦う準備のために武器である棍を一本取り出し構えるのだが、令の次の行動に目を見開く。
突然、《偽装》を解いたのだ。
何度見ても不思議と見とれてしまうその解除の瞬間を、彼女はただ眺めることしか出来なかった。
何故突然、このようないつ人の目に触れるか分からないところで正体を明かすようなことをするのか。
今居る場所は高いところではあるが、場所によっては普通にこちらの様子を目撃されることも考えられるのにも関わらず。
そんな彼女の疑問をよそに、令は淡々と告げる。
「さて、それでは始める前に初めての方もいることだし名乗りを上げさせてもらおう。
こんにちは、そしてはじめまして。
『冒険者』グランド改め、『異邦人』令だ。
よろしくお願いする」
その言葉にセフィリアは意識を切り替え、集中する。
いくら対抗策を見つけようと、それで自力の差が埋まるわけではない。
右手に大剣を構え、左手をぶらつかせる。
そして眼帯に覆われていない左目がセフィリアを射抜く。
言われるまでもないことだ。
そもそもそんな油断などした途端、一瞬で終わってしまう。
目が乾くことも構わず、セフィリアは全力で見ることに集中する。
先ずは、相手の動きを見極めなくては始まらない。
それでも、怖い。
相手の目がの威圧感だけで逃げ出したくなる。
だがそれでも、彼女は目の前の男に立ち向かう。
「では始めよう」
そういった途端、男の目から感情の色が消えた。
それまであった激情が、すべて別の何かに洗い流されたかのように。
そして、後頭部に激痛が奔る。
「か……あ!?」
そのまま数メートルほど吹き飛んだものの、セフィリアは直ぐに体勢を立て直し原因を確かめる。
「へえ、俺がどこを攻撃するのか分かっていたのか?」
「……貴方は合理的な人ですから。
攻撃を加えるときは人の死角で、かつ急所だと思っていましたよ。
とはいえ延髄に今の威力の一撃はもし直撃していたら死んでいたと思うのですが」
セフィリアが先ほど立っていた場所に、右腕を振り抜いた体勢で令が立っていた。
その体勢からして、おそらくは今の一撃は手刀。
それも今の衝撃からして相当な威力が籠められたもの。
それを受けてセフィリアが平然としているのは、セフィリアがもう一本の棍をあらかじめ首の後ろの部分に仕込んでおいたからだ。
そのため、威力のほとんどが殺されたので実質なダメージは皆無だった。
そして同時にセフィリアは少し軽口を叩きながら、安心していた。
今の令は、決して激していないわけではないのだと。
一見冷静に見えるが、普段の令であれば単発で攻撃をやめたりはせず、以前オルトバーンを追い込んだ時のように追撃をしていたことだろう。
それなのに今はそれがない。
それは必要以上の力を籠めていたために、一撃で倒せるという慢心が生んだものと彼女は考えた。
人を数メートル吹き飛ばすほどの一撃など、明らかにオーバーキルである。
だが、冷静さを失っているならばまだやりようがある。
「まさか、俺が冷静さを失っていることでも期待していたのか?」
「なっ!?」
だがその認識は、彼自身の言葉で覆された。
狼狽する彼女を令は無感動な目で眺める。
「今の一撃は確かに威力は強めだったが、かろうじて急所は外していたし、お前が訓練でいつも二本扱っていた棍を一本だけしか出さなかった時点で、それを何かに流用していることは分かっていた。
それならば死ぬ心配はいらないだろう。
それに、これにはもう一つ狙いがある」
令はセフィリアが今いる場所を指さす。
「気づかないのか。
そこはさっきまで、俺が居た場所だ」
その言葉にセフィリアは弾かれたかのように地面に目を向ける。
そこには一枚の符が貼られていた。
そこに書かれていたのは、魔法陣ではない。
「《紋字魔法符》、起動」
符に描かれた文字が、発光を始める。
すると突如、セフィリアの足元に氷が出現する。
「足がっ!?」
その氷はけっして大きいものではなかったが、それはセフィリアの靴を凍らし身動きを取れなくする。
そのことにセフィリアは狼狽し、何とかはずそうとするも、それほどすぐには外れない。
しかし厳重な拘束ではなく、少しの時間身動き取れなくするのが限界だろう。
だが、それで令には十分だった。
カカカカカカッと軽い音が彼女の周囲六ケ所から聞こえた。
六。
その数がセフィリアの顔を青ざめさせる。
彼女は、令がそこまでやってくるとは思っていなかった。
「攻性六芒星《ダビデの新星》完全展開。
出力三十。
上位魔法起動開始」
なぜならば、それを使えば、ほぼ間違いなく自分は死んでしまうだろうから。
セフィリアの周りに突き刺さった六本の刃から光が伸び、魔法陣を形成する。
そして、《グリモワール・ダビデ》がその牙を剥く。
「《魔星》」
大聖堂が崩れる。
完全に、容赦もなく。
ただの瓦礫の山と化す。




