2話 魔獣
令はしばらく空を見上げて呆けていた。
自分が異世界にいるなど、さすがの彼でも受け入れるのに少しの時間を要した。(普通なら少しで済む訳がないのだが)
とりあえずこのふざけた事態を受け入れることに成功した彼は、落ち着くまでの間、どうでもいいようなことを考えることで間を繋ぐことにした。
(少なくとも地球ではないな。
しかし恒星ががふたつあるのに今のところ気温は地球・・・いや日本とそう変わらない。
むしろ快適そのものだ。
見たところ大きさからして、この星にそそぐひとつの太陽(便宜上そう呼ぶことにする)からの光線量は地球と変わらないはずなのになんでだ?)
太陽がふたつある以上、単純に考えて地球よりも気温が高くなくてはおかしい。それなのに少なくとも今は快適であることに令は疑問を覚える。
「太陽がふたつあるとなるとこの星の暦は地球とまったく違ってるだろうな。慣れるまでが大変そうだ。」
暦はその星の公転と自転の周期で変わる。
そしてその周期は星同士で働く引力で変わる。
ということは恒星がふたつもこの星の周期は、まず間違いなく地球とは違っているはずなのだ。
・・・少なくとも地球の常識で考えるならば、だが。
「しかしこの世界はどっちなのかね?
あの世なのか、異世界なのか?
ああ、いや、あの世というのは異世界のカテゴリに含まれてしまいそうだから、どっちにしても異世界かな。
お、よし。
そろそろ落ち着いてきたし次を考え・・・!?」
適当に考え事をすることで令は落ち着くことができたので、頭を切り替え建設的なことを考えようとした。
「な、んだ、これ?」
しかし、すぐに彼はある感情が暴力的なほどの勢いで自分を支配していくのを感じ、思考を中断した。
それは自分自身が困惑してしまうほどの、感情の津波とも呼ぶべきもの。
それはありきたりな人間が感じるような、故郷から連れ去られたことによる望郷の念などではない。
令を満たしたもの、それは『喜び』
「ああ。
そう、そうなんだ。
俺はこんな出来事を求めていた。
心のどこかで非日常の世界を欲していたんだ!」
だれも見ていないというのに両手で顔を覆い隠す。
しかしそれでも、令の溢れんばかりの喜びを隠すことなど微塵も出来ていなかった。
彼は何も、以前の世界の生活に不満があったわけではない。
数少ないとはいえ、(今は忘れてしまっているが)友人と過ごす日々は楽しく、それなりの波乱に満ちていて、幸福ですらあった。
だが同時に、満足していたわけでもなかったのだ。
彼はいつも、他人との間に認識の「ずれ」を感じていた。
他人にとっての常識が、自分にはどうしても受け入れられないといったことがままあったのだ。
それは我慢できる程度の「ずれ」でしかなかったのだが、それでもやはり彼の中には漠然とした不満のようなものが溜まっていった。
『あの事件』により、令は非日常の世界を知った。
『あの事件』により、令は自分の常識がいかに簡単に崩れるかを知った。
今の令の性格を、木と表現するとすれば『あの事件』は、その木を育てる土と呼べるほどに彼の根幹を成していた。
これを原因としたその「ずれ」は、やがて彼の非日常を求める願いへと昇華していた。
そうした経緯もあり、今の状況は彼にとって歓迎すべき事態なのだった。
かなりの時間を要したが、その喜悦を抑え込むことができた令はようやく行動を開始することにした。
(何よりもまず食糧と水をなんとかしないとな。
見たことがない植物ばかりだが、元の世界の毒草の知識を使えばなんとかならないだろうか。)
元の世界では植物の知識により、大抵の毒のあるものとそうでないものの区別をつけることができていた。
といってもこの異世界でその知識がどこまで通用するかが分からない以上、それに頼り切ることはできない。
(下手したら間違いなく死ぬ。
しかしなにも食わないで生きていられるわけもない。
一か八か、一番大丈夫そうなものを食べてみようか?
だがな・・・)
生きるか死ぬかの問題だけに、令は深く悩みこんだ。
なにか見極める方法がないかと思考を巡らすが、そうそう都合のいい手が有るはずもなく、途方に暮れる。
仕方なく先ほどの考えを実行しようと動き始めた時、
彼はとうとう、奴らと出会う
令は後ろの茂みからガサガサという物音を聞いた。
彼の背中に冷や汗が流れる。
音は明らかに風などの自然現象ではなく、生き物が動いた時に出るものだった。
「そういえば以前トリップものの小説を読んだっけ。
たしかその手の話ではこういう場合大きく分けてふたつのパターンがあったな。
ひとつは、現地住民との接触。
そしてもうひとつが―――」
茂みの中の生き物が姿を現す。
「―――その世界での敵との遭遇、と。」
それは大きな、小型トラック程もありそうなサイズの虎のような存在だった。
ようなというのは、普通虎は腕に刃物など付けていないからである。
その刃物は忍者が腕に付けるような、手鎌のような形状をしていた。
そして何故か、それは血に塗れている。
この存在の呼び名こそが、この世界の敵である奴ら、魔獣である。