1話 異世界? or あの世?
うっそうと茂る森の中。
地面へと到達する光が露を照らし、その反射光が幻想的な雰囲気を醸し出している。
豊かな生態系を作り上げている多くの生命に溢れた美しい光景。
奴らさえいなければこの世の楽園と呼んでも差し支えないだろう。
そんな森の中に1人の少年が倒れていた。
年齢は十代半ばから後半
身長175cm程のやせ型の体形
日本人らしい黒髪黒瞳
服装は黒のジャージにプリントTシャツといったラフなもの
顔立ちは際立ってとは言えないまでも、端正と言っても問題ない程度には整っている
そんな彼、白峰令が目を覚ます。
「………」
令は仰向けのままぼんやりと空を見つめる。
そして今自分が置かれた状況に気が付くと、
「なんでこんなところにいるんだろ?」
緊張感の欠片もなさそうな声で呟いていた。
「なんで森の中なんかにいるんかな。こんなとこに足を踏み入れた 記憶は―」
そこで令はふと気づいた。自分の頭の中の変化に。
「記憶はない、な。
ついでに何故か他にもいろいろと大事な記憶まで逝っちゃってやがるが。」
彼は途方に暮れたように溜息を吐いた。
そう、令は目を覚ます直前の記憶を文字通り失っていた。
故になぜ自分がここにいるのかも分からない。
そして彼が失った記憶はそれだけではなかった。
「無くなったもので今浮かぶのはとりあえず、ここに来る直前の記憶。
そして、家族を含めた他人のすべての交友関係・・・
なんかまるで大企業の陰謀に巻き込まれて記憶を消された企業スパイみたいだな。」
令は苦笑交じりに呟き、近くの木に寄り掛かった。
もちろん彼も本気でそんなことを考えているわけではない。
しかし彼が失ったのは、親友と心から呼べると断言できるほど仲の良かった者たちをも含めた、すべての「他人」についての記憶。
「あいつ」や「こいつ」、そして「あの人」たちとどんなことをして遊んだのか、どんなことで喧嘩したのか。つまりその人と何をしたのかは覚えている。
令が失ったのはそれが誰とのものなのか、それらが誰なのかというものであった。
それらの記憶は当然、令にとって大事なものだったので、そんなろくに笑えない冗談でも言わなきゃやってられなかったのだ。
「ふう、愚痴ってもしょうがない。
とりあえず自分の状況を把握しないと。」
そういい彼はまず自分の体を確かめてみる。
「少なくとも見たところ自分の体に異常はなし。
どこかが骨折してたりといったこともなく、筋肉を傷めたりもしてない。
頭の中も割とすっきりしていて、状況の把握に対しての問題にならないだろう。
つまり、俺自身はいつも通りだと。」
令は自分の体をよく観察する。
詳しいことはそれこそ精密検査でもしないと分からないが、外見上問題ない。
自分の体に異常がないことを彼は素直に喜んでいた。
だが彼はそこで、先ほどの自分の発言の、そして自分自身の異常さに気が付き愕然とする。
(いつも通り?
そういえば何故俺はここまで冷静でいられるんだ?
ここが何処なのかも、何故ここにいるのかも分からないこの理解不能な事態に。
普通なら間違いなくパニックになるし、下手したら発狂したって不思議じゃない筈だ。)
人は理解できないことに直面した時、無理やりつじつまを合わせて自分を納得させようとする。
そうして、それが余程荒唐無稽なことでない限りは、その認識に多少の齟齬があったとしても勝手に自己完結させてしまうのだ。
と言ってもこれはおかしなことでなく単なる自己防衛であり、まったくおかしなことではない。
人はこれにより、「余程のこと」がない限りは自己=|精神≪こころ≫を保つことができている。
しかし皮肉なことに、普段そうして守られているからこそ、人の精神はその「余程のこと」が起きると信じられないほど脆くなる。
いくら考えても納得できず、事態を受け入れられない。
それにより現実を受け入れられなくなった精神は自分の中に閉じこもることを選び、緩やかな破滅への道を突き進むことになる。
そして今の令の状況は間違いなくこれに当てはまる。
にも関わらず彼は、慌てるどころか動揺すらしておらず、淡々と自らを省みている。
その理由を彼はしばらく考えていたが、答えは出ない。
その答えを彼が知ったのは、自分のポケットのふくらみに気づき、中身を改めた瞬間だった。
「ハハハッ!
なんだ答えなんて最初から分かり切ってたじゃないか。」
疑問が氷解しすっきりした令は中身を取り出し、心から愉快そうに笑う。
彼が取り出したもの、それは、
「俺は、最初っから、異常だったんだ。」
紛う事なき、銃だった。
もちろん日本では高校生だった令が持ってたもの、当然実銃ではない。
だが、彼が自身で調べられるだけの知識とエゴを持って造られたそれは、実銃に限りなく近い威力を誇る。
言うまでもなく違法であり、もし他人に見られようものなら、問答無用で確実に少年院行き+取り返しのつかない程の社会的地位の失墜を招く。
彼はそんなものを普段から護身用に持ち歩いていた。
(いくら『あの事件』に遭ったからといって、こんなものを持ち歩くような奴がまともな精神の持ち主であるはずがない。
まあ、自分で言うようなことじゃないかもな。
それにしても、友人は忘れたのに『あの事件』は覚えてるなんて、俺って薄情な奴だったんだな。)
自分の薄情さ、そしてこんな事態になっても『あの事件』を鮮明に覚えたままの自分の頭に対し、令は苦笑する。
しかしいつまでも反省していては事態が好転する筈もないので、気を取り直して状況の把握に戻る。
「これが一緒だったのは望外の幸運だな。
下手な猛獣ならこれ一発で終わりだ。
弾は弾室含め装填済み9発、マガジン3つの計33発。
大事に使うとしよう。」
令は銃をポケットにしまう。
いくら落ち着いていても、決して不安がないわけではなかったのだろう。
明確な武器を手に入れたことにより、令には先ほどまでにはない安心感を得ていた。
そうして、ようやく令は周囲に目を向ける。
「森の中か・・・
食糧についての心配がなさそうなのはいいんだが、毒虫や植物については気をつけないと。
幸い、中学の時に一時期そんなのにはまったことが有るから多少知識はあるから何とかなるだろ。」
この男、多少などと言ってはいるが、その知識の量は下手をしたら専門の学者に匹敵するほどである。
令は自分の興味のあることに対してはあり得ないほどの集中力を発揮し、まるでスポンジのように知識を吸収することができる。
それにより、植物学についてもかなり詳しく、毒草の特徴といったものをほぼ完全に把握できていた。
しかし、そこで彼は重要なことに気づいた。
「ん?
なんだこの森の植物。
なんでこんな不自然なんだ?」
この森の植物はいろんな意味で奇妙だった。
「あの木は表皮がどう見ても光沢帯びてるし、あの花は絶対に日が当たらない場所なのに満開だ。
あの木に至ってはどう見ても岩から生えていやがる。」
通常、植物の表皮はセルロースというものでできている。
これは当然有機物で、骨のない植物が形を保つためにそれなりの硬さを持っているが、決して金属のような光沢をもつことはない。
さらにこれまた当然のことだが、一部を除いて植物は成長に日光が必要だ。
無くても生きることはできる場合もあるが、それでも満開の花を咲かせることはないはずだ。
岩から生える木に至ってはそもそも木が岩以上の硬さを持っていなければ無理である。
それ以外にも、令の周りには不自然が目白押しだった。
「ひとつふたつならともかく、これだけ奇妙なことが存在するなんてありえないんだが・・・」
そういって黙考するために令は空を見上げる。
そこで彼は今の自分がどんな場所にいるのか、それを正確に把握するカギをみつけた。
「ジーザス・・・」
それに気づいた令は、自分でも受け入れるのが難しいその状況に、うめくようにそう呟く。
最初ぼんやりと眺めていた時は気づかなかったが、
そこには太陽が、ふたつあった。
「異世界、もしくは死んであの世か・・・?
俺は小説の主人公じゃないぞ・・・」