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魔王討伐後に解雇された魔法地図師ですが、勇者様の帰り道だけは消させません  作者: 銀細工ナギ


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1/1

魔王討伐後に解雇された魔法地図師ですが、勇者様の帰り道だけは消させません

 王都の鐘が魔王討伐の勝利を鳴らしている朝、私の机に置かれたのは褒賞ではなく、解雇通知だった。


「本日をもって、王立地理院帰路課を廃止する。ネリア・リード、君の任はここまでだ」


 院長バルグスは、祝祭用の白い礼装を汚さぬようにでもするように、二本の指で羊皮紙を滑らせた。封には確かに王立地理院の青蝋印がある。


 私は通知を手に取らず、作業台いっぱいに広げた魔法地図を見ていた。


 山脈も川も、国境も城壁も、薄青のインクで描かれた北大陸全図。その東端、昨日まで魔王城があった灰境は、真新しい白塗りで覆い隠されている。


 けれど白の下から、金色の細い線がひと筋、脈を打っていた。


「院長。勇者アルト様の帰路線が消えていません」


「見間違いだ」


「帰路線は、印を持つ旅人が生きて歩いているあいだだけ光ります。三年間、私が結び続けた線です。見間違えません」


 指で触れると、金の脈動が私の爪先まで伝わった。


 魔法地図師の仕事は、紙に綺麗な山を描くことではない。旅立つ者の靴底に帰路印を縫い、地図上の道と結ぶ。吹雪や瘴気で目印を失っても、歩く意思のある者を、迎える灯りのもとへ導くために。


 三年前、勇者一行が魔王領へ出発した日、若い地図師だった私がアルト様の印を担当した。


 彼は剣を腰に吊ったまま、作業台へ身を屈めて、私の細い針を興味深そうに眺めたものだ。


『つまり、俺が迷ったらネリア殿に引っ張ってもらえるのか』


『道を外れた程度なら。崖から飛び降りる方までは保証外です』


『わかった。帰ったら保証内の道を案内してほしい』


 軽口だと思った。その後届く測量報告の端に、彼が必ず小さく「帰路、異常なし」と記してくるようになるまでは。


「勇者は昨日、魔王城の崩落に巻き込まれ、尊い犠牲となった」


 院長の声が地図室を冷たく横切る。


「正午の式典で国王陛下より発表される。魔王は滅び、灰境は汚染によって封鎖された。もはや帰る者も、帰すべき道もない。戦時にしか使わぬ帰路課を養う理由もなかろう」


「崩落で亡くなったなら、帰路印は砕け、線は銀の粉になって落ちます。これは生きた線です」


「古い地図の残光に、職を失いたくない者が意味を見出しているだけだ」


 バルグス院長は白塗りの瓶を取ると、金の線の上へ刷毛を下ろした。


 その瞬間、胸の奥が引きつれた。誰かが遠くで、閉ざされた扉を叩いたようだった。


「やめてください!」


 思わず伸ばした手を、院長が払いのける。


「王命だ。今日から王国の地図に『魔王領』は存在しない。存在しない土地から、何者も王都へ来はしない」


 白塗りは魔法地図における封道の術だ。線を隠すだけではない。そこに繋がる門を閉じ、帰路印の導きを届かなくする。


 金の光が、塗料の下で苦しげに細くなった。


「私に、元の地図を確認させてください。せめて救援隊を」


「君にはもう閲覧権がない」


 院長が指を鳴らすと、書棚の戦地図が一斉に錠を下ろした。私の腰からも、地理院の銀鍵がするりと浮かび、彼の掌へ飛んでいく。


「私物を持って退室しろ。祝勝日に騒ぎを起こせば、解雇では済まんぞ」


 渡された箱に入れられたのは、替えのペン先、擦り切れた手袋、それから私が個人的に綴っていた小さな測量帳だけだった。


 帳面は国有記録ではない。遠征隊から届いた報告を清書する合間、地図に記載しきれないものを書き留めたものだ。


 灰雨の谷では赤い屋根を目印にすること。

 カルム村の井戸水は、瘴気の季節にも甘いこと。

 勇者アルトは方向音痴ではないが、困っている人を見かけると道を外れること。


 最後の頁には、五日前に届いた報告の一文が残っている。


『決戦後に案内してほしい場所ができた。地図にない、静かで、ネリア殿にも気に入ってもらえそうな道だ』


 そんな報告の書き方があるものかと、読みながら笑ってしまった。返事には、まず帰還予定経路をきちんと提出してください、と書いた。


 その返事は、届いたのだろうか。


 地理院の外へ出ると、王都は眩しいほどの旗で埋まっていた。魔王討伐。戦争終結。勇者万歳。菓子屋は竜の形の砂糖菓子を並べ、子どもたちは木剣を振りながら、魔王役を追いかけている。


 誰もまだ、主役が帰っていない式典だとは知らない。


 正午、王宮前広場の演台に宰相が立った。バルグス院長はそのすぐ後ろにいて、胸に戦地図管理の勲章をつけていた。


「勇者アルト・レインとその仲間たちは、魔王を討ち果たし、我らに恒久の安寧をもたらした! しかし勇者殿は最後まで剣を退かず、崩れ落ちる魔王城と運命をともにされた」


 一拍の沈黙のあと、広場にすすり泣きと歓声が混じった音が広がる。


 私は拳を握った。掌の測量帳が軋む。


「また、長く苦しめられた東の灰境は、安全が確認されるまで封鎖する。現地に生存する民はない。王国は悲しみを越え、新しい地図の上を進むのである!」


 その言葉と同時に、広場の東門のほうで、小さな悲鳴が上がった。


 人波をかき分けて駆ける。城壁際の石畳に、粗末な灰色の外套をまとった少女が倒れていた。淡い茶色の髪の間から、小さな角が二つ覗いている。


 周囲の人々が息を呑み、距離を取った。


「魔族の子だ」


「灰境は無人だと言ったばかりでは」


 少女の靴が目に入った。泥にまみれた革の踵に、金の糸で縫われた、ごく小さな帰路印がある。アルト様に渡した印から枝分けした、護送用の印だ。


「聞こえる? 私は地図師です。あなたをここへ導いた人はどこ?」


 少女は怯えた瞳を上げ、私の手袋を見てから、震える指で東門を指した。


「ゆ、勇者さまが……ルウは小さいから、最初に走れって。門が白く閉じる前に、王都でカルムの名を言えって」


「カルム村の人たちは?」


「まだ向こう。足の遅いおばあちゃんも、怪我した人もいるから、勇者さまが最後に歩くって。だけど道が、急に真っ白に……」


 彼女は首に下げた布袋を開き、欠けた青い陶片を取り出した。測量帳に描いた、カルム村の井戸のタイルと同じ色だった。


 存在しない土地に、生存する民はいない。


 宰相の言葉が、今度ははっきり別の意味を持って胸に落ちた。彼らは確かめられなかったのではない。帰ってこられないことにしたのだ。


「ルウ。あなたの村を、もう一度地図へ載せます。名前を貸してくれる?」


 泣きそうだった少女の顔に、かすかな力が戻った。


「カルム。カルム村。井戸が青くて、お母さんがパンを焼くところ」


「十分です」


 魔法地図が道を結ぶには三つのものが要る。出発地の本当の名。そこを歩いた者の記憶。そして到着地で迎える者の意思。


 地理院の地図は奪われた。けれど、名前も記憶も、院長の棚の中だけにあるものではない。


 私はルウの手を取り、東門の前へ走った。


 門扉には、すでに地理院の封道札が十枚貼られていた。白い塗料から冷たい霧が流れ、門の向こうは昼だというのに曇った鏡のように何も映さない。


 腰のペン入れを開く。私物の細い製図ペンと、小瓶の青インクが一本ある。街路図の修正ならともかく、灰境から王都までの大路を開くには到底足りない。


 それでも、最初の一点は描ける。


 石畳へ膝をつき、青い陶片を置いた。周囲に井戸を表す円を描き、ルウの語った名を古い地図文字で記す。


 カルム。


 文字の輪郭に、淡い金が灯った。


「何をしている!」


 背後から、聞き飽きた声が響いた。


 バルグス院長が衛兵を連れて駆けてくる。先ほどまでの祝祭めいた微笑は消え、顔色は封道札より白い。


「元職員による地図術の行使は禁じられている。その角持ちは灰境から侵入した敵性の可能性がある。引き渡せ」


 ルウが私の外套をぎゅっと掴んだ。


「この子の靴には勇者様の護送印があります。アルト様は避難民と生きています。なぜ封じたのですか」


「勇者は戦死した。式典で決まった事実だ」


「事実は、式典で決めるものではありません」


 広場からついてきた人々が、ざわめいた。


 院長は声を潜めたが、その目は私ではなく、見物人の数を数えていた。


「戦は終わったのだ、リード君。角持ちの村々まで王国の保護民として流入すれば、魔王と戦った民の感情はどうなる。灰境を白紙にすることで、誰も余計な争いを背負わずに済む」


「白紙の下で人を道に迷わせ、凍えさせてもですか」


「大きな平和には、描かないほうがよい小道もある」


「あれは小道ではありません。人が家から帰ってくる道です」


 私はペンを走らせた。カルムから西へ、報告書で何度も確かめた谷の曲線を引く。


 院長の手が振り下ろされ、青インクの瓶が石畳に叩き落とされた。


 ぱきん、と澄んだ音がして、残り少ないインクが靴の間へ散る。


 金色になりかけた線が、門まで届かず途切れた。


「衛兵、拘束しろ」


 衛兵が迷いながら前へ出たとき、ルウが私の横でしゃがみ込んだ。


 少女は陶片の尖った先を青い染みに浸し、途切れた線の先へ、震える一本を描いた。


「この道、知ってる。井戸から、赤い屋根の粉屋さん。その次は、白い石の橋」


 線が、ほんの少し伸びた。


「私もその橋を知っているぞ」


 人垣から声を上げたのは、片腕に包帯を巻いた年配の男だった。胸元には、前線へ物資を運ぶ荷車隊の徽章がある。


「去年、カルムで車輪を直してもらった。角のある鍛冶屋が、代金はいらんから王都の塩を置いていけと言ってな。敵の村だなんて、一度も思わなかった」


 男は祝勝用にもらった青いリボンを外し、こぼれたインクに浸して石畳へ置いた。リボンが地図の川になり、ルウの線を橋の先へ運んでいく。


「灰雨の谷なら、うちの薬草隊も通ったわ」


「東の関所までパンを運んだ。道標の樫は二股だ」


 声が次々に上がった。


 祭りのために集まっていた人々の中には、兵だけでなく、配膳係も、治療師も、馬具職人もいた。彼らは戦地をただの黒い染みとして見たのではない。そこへ行き、誰かと言葉を交わし、帰ってきた人々だった。


 私は測量帳を石畳へ開いた。


「覚えている場所の名を、順番に教えてください。上手な線でなくていい。道はインクで命令するものではなく、歩いた記憶を迎えるためのものです」


 菓子屋が青砂糖を振り、子どもが木剣の先で曲がり角を描いた。洗濯屋の女性が水差しの水を流して川を作る。私がそれらを古い地図文字で結び、ひとつずつ本当の名を呼ぶ。


「カルム村。灰雨の谷。双樫の道標。東関。王都東門」


 石畳いっぱいに描かれた不揃いな道が、黄金に燃え上がった。


 門に貼られた白い札が、風もないのに震え始める。


「やめろ! 封道を破れば、何が入ってくるかわからん!」


「誰が帰ってくるかを知るために、私はここにいます」


 腰につけた地図師の針を抜く。解雇されても、これは母がくれた私の針だ。


 最後の結び目には、到着地で迎える者の意思が要る。


 私は自分の手袋の袖へ針を通し、金の線の末端と結んだ。


「帰路地図師ネリア・リードが迎えます。アルト・レイン、およびあなたが連れて帰るすべての人へ。王都への道は、ここにあります」


 針が鐘のように高く鳴った。


 十枚の封道札に亀裂が走り、粉雪のように散る。


 東門の向こうに道が現れた。曇った鏡の奥から、灰色の空、傾いた道標、そしてこちらへ向かって歩く人々の姿が少しずつ色を得る。


 先頭には杖をついた老女がいた。荷を抱えた父親、泣いている赤子をあやす角持ちの女性、肩を貸し合う兵士たち。誰も武器を構えてはいない。ただ、もう一歩歩けば帰れると知った人の顔をしていた。


 最後尾で、抜き身ではない剣を杖代わりにして歩く男性がいる。


 砂色の髪は灰でくしゃくしゃになり、白いマントは端が焼け焦げている。それでも、私が三年前に縫い付けた靴の帰路印は、馬鹿みたいにまっすぐ光っていた。


「アルト様!」


 呼ぶつもりより先に、声が出た。


 彼は門を越えたところで立ち止まり、私を見つけた。疲れ切っているはずなのに、笑った顔は初めて地理院へ来た日のままだった。


「よかった。やはり、保証内の道だった」


「崩れる城で道草をなさる方は、保証外だと言ったはずです」


「だから急いで戻って、担当者に追加料金を払おうと思っていた」


 笑いながら答える声がかすれている。私は駆け寄りたかったが、足が震えてうまく動かなかった。


 代わりにルウが飛んでいった。


「勇者さま! カルムって言えたよ!」


「よく走ったな、ルウ」


 アルト様は膝をついて少女を受け止め、次いで東門を満たす人の輪へ深く息を吐いた。全員が門を通り終えたのを数えてから、ようやく立ち上がる。


「バルグス院長。私を戦死扱いにするのは早すぎませんか」


 院長は後ずさった。


「これは……魔王軍の生き残りを連れ込む独断だ。勇者といえど、王都の安全を脅かすなら」


「独断ではありません」


 アルト様は汚れた上着の内側から、油紙に包まれた一枚を取り出した。金と青、双方の封蝋が押された文書だった。


「魔王が倒れる前夜、灰境の各村の代表と王国遠征軍で結んだ降伏・保護協定です。武装を解いた住民は、種族を問わず王国の保護を受ける。私は原本を王都へ届けるため、彼らを護送していた」


 包囲していた衛兵の一人が、文書を見て顔を上げた。


「青蝋は遠征軍司令部の正式印です。私も見覚えがあります」


「偽造だ!」


「では、なぜあなたが知っているのですか」


 アルト様の問いに、院長の口が閉じる。


 そのとき、人垣が割れた。王宮の護衛を伴い、まだ二十歳そこそこに見える王太女殿下が東門へ歩いてくる。式典の壇上から、光り上がった道を見て駆けつけたのだろう。


「協定締結の報せは、昨日、伝令鳥の羽根だけが届いていました。文書を携えた勇者の到着を待つべきところ、宰相府には地理院より『帰路印消失を確認』との報告が上がっていたそうです」


 殿下の眼差しが、院長へ向けられる。


「バルグス。生きている帰路線を、誰の許可で消失と報告したのです」


「私は、王国に混乱を招かぬために……」


「迎えるべき民を門の外へ閉ざすことを、平和とは呼びません」


 殿下が衛兵に目配せをすると、今度こそ彼らは迷わなかった。院長の腰から地理院の鍵束が外される。先ほど私から奪った銀鍵も、からりと一緒に鳴った。


 人々の歓声は、正午の作られた勝利のものより小さかった。けれど、温かかった。カルム村の人々を囲むように、誰かが水を持ってきて、誰かが座る布を敷き、菓子屋が残っていた竜の砂糖菓子をルウへ渡す。


 道は、一度結べば終わりではない。歩いてくる人を迎え、疲れた足を休ませ、明日どこへ住むのかを一緒に描く必要がある。


 私は石畳に散った青い瓶の欠片を拾い集めた。地図はひどく不格好で、青砂糖のあたりにはもう蟻が寄ってきそうだ。それでも、私がこれまで描いたどの清書より、美しい道に思えた。


「ネリア・リード」


 王太女殿下が私の前に立った。反射的に頭を下げようとして、膝についた砂糖とインクの汚れに気づく。


「礼を言います。あなたが道を残さなければ、王国は勝利の日に約束を破るところでした。地理院については徹底して調べます。そのうえで、新たに灰境復興測量室を設けたい。あなたに責任者を任せられるでしょうか」


 朝、私は不要になった課の最後の一人だった。


 今、門のそばでは、ルウが王都の子どもへ青い井戸の説明をしている。アルト様は負傷者を治療師のもとへ送りながら、ときどきこちらを確かめるように見た。


「条件がございます」


「聞きましょう」


「新しい地図には、灰境という塗り潰しの名ではなく、暮らす人が呼ぶ村と町の名を載せさせてください。それから測量には、現地の案内人を正式に雇用してください」


 殿下は微笑んだ。


「地図師の条件として、至極もっともです。認めます」


 私はようやく、解雇通知を入れたままの箱を下ろした。


 日暮れには、東門の前に仮の受付と炊き出しの鍋が並んだ。私は新しい帳面を渡され、帰還した人々から順に、名前と故郷と行きたい先を聞き取った。


 最後の欄が空いた頃、向かいの椅子にアルト様が座る。


「受付は避難してきた方が先です。勇者様の凱旋記録は王宮でどうぞ」


「俺も道を失いかけた一人なのだが」


「あなたの場合は道草の常習ですから、審査が要ります」


「厳しいな。では、これを提出書類に」


 彼が差し出したのは、泥で端の汚れた紙片だった。広げてみると、私が五日前の報告へ返した走り書きである。


『帰還予定経路をきちんと提出してください。地図にない場所への案内は、帰ってから検討します』


「届いていたんですね」


「決戦の朝に。これを読んだから、必ず全員で帰ると決められた。道を残して待っている人がいると、口に出して皆にも約束した」


 胸の奥へ、朝から張りつめていた最後の糸が、やっと優しくほどけていく。


「……それで、案内したい地図にない場所とは?」


 アルト様は、石畳の上の仮設机を指で軽く叩いた。


「まずは、ここだ。報告書の文字だけではなく、あなたが笑うところを正面から見られる場所」


 思わず俯いた。顔にインクが飛んでいるせいにしたかったが、耳まで熱いのは隠せない。


「そんな目的地、測量記号にありません」


「なら、新任の責任者に作ってもらうしかない。復興の調査には長い時間がかかるだろう。俺を護衛兼、道草の発見係として雇ってくれないか」


「発見した道草をすべて報告書に書くなら」


「一行目には毎回、帰路異常なし、と書く」


 私は新しい帳面の最初の頁を開いた。


 カルム村から王都へ続く道。その横に、復興測量予定路線を一本。そして、まだ名のない細い線を、二つの席の間からそっと引く。


 地図は、国が消したいものを白く覆うための紙ではない。


 ここにいたと記すこと。

 ここへ帰れると約束すること。

 そして、誰かとこれから歩く道に、初めて名前をつけること。


「ではアルト様。明朝、東門集合です。遅れたら置いていきます」


「それは困る。俺の帰り道は、もう地図師殿に握られているからな」


 王都の夜空に、勝利を告げる二度目の鐘が鳴った。


 今度の音は、門の内側で温かいスープを飲む人々にも届いた。青い井戸の村を語る少女にも、新しい地図を抱えた私にも、隣で立ち上がった勇者にも。


 石畳に描かれた黄金の帰路は、消されることなく、明日の方角へ静かに光っていた。


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