限りある時間の中で
時間は皆平等である。
馬鹿云うな。そんな言葉はもう三十年も前に消え失せた。
お金で時間が買える世界。
それなら良かった。今俺がいるのは、時間をお金でしか買えなくなった世界。前者とは似て非なる、酷い格差社会を生んだこの制度はおおよそ三十年前から正式に発足した。
お金でしか時間を買うことが出来なくなるということは、お金がなく時間を買えないと死ぬということだ。
年々上がり続ける時間の価格。
多くの人々が生きる時間を得るために休みなく働き、娯楽どころではなくなった。加速していった貧富の差は能力の差も助長させた。
例えば会社で、上司に明日締め切りの資料を家でつくってこいと言われたとする。残業でクタクタ。働かない頭でいくら考えたって満足のいく資料なんてつくれるわけない。そんな時、金銭的に余裕があれば満足のいく資料がつくれるまでの十分な時間を買えばいい。働かない頭で徹夜してつくられた資料か、十分な時間を確保して熟考された資料か、上司から高評価を得られる資料をつくれるのがどっちかは明らかである。勉強もスポーツも、優秀であるか劣等であるかはそれに費やせる時間はどれほどか、で決まると言っても過言ではなくなった。
この制度が及ぼした影響はそれだけではない。
ここ数年の死因、第一位は
時間切れ である。
医療技術の高度化により、人はそう簡単には死ななくなったが、老若男女関係なくやってくる時間切れによって人口は激減している。食べるものよりも時間の確保を優先した貧困者の飢え死にも、時間切れに次ぐ死因第二位だ。
だが、俺には関係ない。
俺は時間切れも飢え死にもしない。五十歳独身。親父の会社を継いで一応社長と言う肩書を持っている俺は、稼ぎの殆どを時間を買うのに使っている。多くの人々が明日の時間を確保するのに必死の世の中で、すでに保有時間は十年ある。妻子もいないから養う金も必要ない。稼いでは自分の為だけに時間を買う。そんな毎日を過ごせるのは守るものがない天涯孤独ゆえの特権だ。
街を歩いていれば飢えた子供達が食べ物を請うてくる。可哀想だとは思うが、きりながないのでいつも無視して通り過ぎているのだが、
「時間をください。」
今日もいつものように会社から家へ歩いて帰っていると、俺のジャケットの裾を引っ張ってきた少年がいた。食べ物を請われることは多々あったが、時間を請われたことは今までに無かったので思わず立ち止まってしまった。髪もボサボサ、服もボロボロな子供達の中で、その少年はひとり清潔感があり品があった。
「おじさん、お金持ちでしょ?時間をくれたら良いこと教えてあげる。」
と少年はちょっと上から目線で言った。
「すまないが、君ひとりに何かしてあげることは出来ないよ。困っているのは君だけじゃないからね。」
男はぎこちなく笑って精一杯優しく言うと、少年は不敵な笑みを浮かべた。
「へぇ〜見なくて良いんだ。おじさんがあと何十年生きられても見れないものを教えてあげようと思ったのに。
まぁ、おじさんがいいならいいよ。誰もが今を生きていくのに必死の世の中で、いくらお金持ちとはいえ他人の子供にやる時間はないよね。仕方がない。他をあたるよ。」
一瞥もせず、その場を去っていこうとする少年を男は引き止めた。
「おい、ちょっと待ってくれ。」
なんで俺は引き止めてるんだ。無意識だが、刺激のない毎日に嫌気が差していたのかもしれない。
「やっぱり気になるんでしょ?じゃあ先に時間から渡してもらおうか。三時間ちょうだい。」
少年の顔が、一気に優位に立った者の表情に変わった。
「おい、俺を騙そうとしてないか?」
もしや時間だけ奪って逃げる気じゃないだろうか。今の俺ではすばしっこそうなこの少年を捕まえられる自信はない。男は怪訝に思い少年に聞いた。
すると少年は「そんなこと、神に誓ってしないよ。」と言った。
「時間切れまであと三十分。あと三時間延びたところで今日中には死ぬ運命なんだ。死ぬ間際。死ぬのが怖いからって人を騙して時間だけ奪って立ち去ろうなんて、そんなダサいこと僕はしないよ。」
妙に説得力があった。それでも人間という生き物はいざとなった時弱い。人を騙すことなんて容易にやってのける。でも目の前の少年は、時間切れが間近に迫る中でも冷静に自分の考えを持っている。
大人ですら平常でいられない状況でそう言い切る事ができる少年の強さを、素直にすごいと思った。まだ幼いのに賢い子だ。
「そうか。確かにな。」
男はそう言って少年に三時間を与えた。
「ありがとうおじさん!これで見られる!」
少年は小躍りして喜んだ。少年らしさが垣間見え、男は少し安堵した。
「おじさん!あの丘に行こう!車乗せてよ!」
「あの丘に何かあるのか?それより、先に良いこと、とやらを教えろ。」
「着いたら教えてあげる。はやく行こう!」
まったく。やっぱり騙されたんじゃないか?さっそく後悔がよぎった。
「車でいくのはいいが、もう暗くなるぞ。親御さんは心配するんじゃないのか?」
「大丈夫。もう親居ないから。ありったけのお金を全部僕の時間を買うのに使って、時間切れで死んだんだ。」
そんな悲痛な過去を淡々と語る少年は逞しく、だがその逞しさに男は心を痛めた。
車を十五分ほど走らせ路駐し、歩いて緑豊かな小高い丘に登った。
「ここで見たかったんだよ!」
丘の頂上らしきところに着いて、少年が明るい声で言った。
「何を?ハァハァ。」
たかが十分歩いて登っただけで息が上がっている。
情けない。
医療技術は進んでいるが、若返る薬は発明されていない。まだ誰も老いには逆らえないのだ。自分の情けなさを心の中で愚痴りながら男と少年はクローバーの茂った丘に腰を下ろした。
「おじさん大丈夫?そんなに息が上がるほど険しくなかったと思うけど。」
「もう俺は家の階段登るのだってキツイんだ。お前もこの歳になれば分かるよ。」
しまった、と思った。この少年にはあと三時間しか残されていないのだった。この歳もなにも、明日だって生きられないのだ。申し訳なく思った男だったが、少年は気にも留めていない様だった。
「で?なんなんだ。何を教えてくれるんだ?」
少年は少し間を置き、「月だよ。」と言った。
大切な胸の内をそっと明かすように静かに言った。
「スーパーブルーブラッドムーンって知ってる?」
「い、いいや。」
動揺している男をよそに少年は続けた。
「満月が通常よりも大きく見えるスーパームーンと、月に2度目の満月となるブルームーン。そして皆既月食。今夜は三つの現象が同時に起こる特別な満月を見られる日なんだよ。二六五年に一度しか見られないって言われてるんだ。」
「そうなのか?」
南の空にはシルバーの欠けた月が見える。
「あと一、二時間もすれば超大きくて真っ赤な満月が見られるよ。」
そう言って少年は大の字に寝転がって目を瞑った。ひんやりとした風が吹いて少年の髪がなびいた。
なんだ、月か。
男も少年の横に寝転がった。何年ぶりだろうか。芝生に寝転がるなんて。肌に触れる草の感触が気持ちいい。
「おじさん。」
「あ?」
「なんだ、月かよ。って思ったでしょ。」
図星だ。子供はときに大人の心を読んだような発言をするらしいが、まさにそうだ。子供だからと侮ってはいけない。
「でも、おじさん。月なんてしばらく見てないんじゃないの?」
確かに。毎日当たり前に月は見えるが、わざわざ空を見上げたりしない。夕方頃に会社を出て帰宅してからはずっと家に居るから、月どころか夜空だって久しぶりだ。
「きっと僕が教えなかったら、二六五年に一度の月見逃してたでしょ?」
「確かにな。見逃すところだった。」
正直男はスーパーブルーブラッドムーンにさほど興味がわかなかった。
月が真っ赤に染まりだすのを待ちながら、男は少年にずっと聞きたかったことを聞いてみた。
「お前は死ぬのが怖くないのか?」
「なんで?」
質問を質問で返され男はたどたどしく答えた。
「だって、時間切れまで三十分って時だってあまり慌てている様子じゃなかったし、普通だったら着ている服売ってでも時間を確保するってときに上下ブランド品の服を着てて、、、今だってすごく落ち着いているから。」
男がそういうと少年は笑って答えた。
「う〜ん、あんまり怖くないかな。少なくとも今のおじさんより恐怖には感じてないよ。」
「そうか。」
「だって幸せだったもん。」
少年は夜空を見ながら優しい声で言った。
「だってふたりとも重いくらい僕を愛してくれたんだ。」
ふたりともと言うのは両親のことだろう。
「僕のためにこんなにも時間を残してくれたんだ。決して裕福な家庭では無かったから色々と大変だったけど、毎日すごく楽しかったよ。貧乏だったけど豊かだった。
それに、どうせ死ぬなら怖がるだけ損でしょ。」
少年は何てこともない様に言った。
「おじさんは?死ぬの怖いの?」
ここで強がって怖くないと言ってもこの少年にはお見通しだろう。男は夜空に向かって「怖いよ。」と言った。
「俺は臆病者なんだ。死ぬのも怖い。病気になるのも怖い。誰かに嫌われるのも怖い。失うのも怖い。」
失うのが怖いから彼女だってつくれなかった。好きになって情がわいてしまったら別れるのが辛いからだ。結婚してもどちらかが先に死んで別れが来る。そう考えると初めから誰のことも好きになれなかった。
そう言うと少年は男の方を見て「違うよ。」と言った。
「おじさんは臆病者なんじゃなくて欲張りなんだよ。」
予想外の言葉に男も少年の方を見た。
「死にたくない。病気になりたくない。嫌われたくない。失いたくない。怖いは嫌だの裏返しだよ。そんなの無理に決まってんじゃん。怖がってたら自分だけ回避できるとでも思ってるの?」
自分より倍以上年下の子供に説教されているみたいで、男は恥ずかしくなった。
回避できるなんて思ってない。ただその日が来るのが恐ろしくてたまらないのだ。
「みんな同じだよ。遅かれ早かれみんな死ぬ。おじさんだっていつまでも働ける訳じゃないんだからお金を稼げなくなって時間が買えなくなったら死ぬんだよ。どう足掻いても回避できない出来事をずーと恐怖に思って生活するなんて疲れそうだ。けどまぁおじさんがそれで幸せなら良いんじゃない?怖いだけで幸せなら。今が幸せすぎて死にたくないっていう人も中にはいるだろうしね。」
そう言うと少年は大きく息を吸って吐きながら目を瞑った。
俺は今幸せか?そう自問自答すると心の中の自分はずっと黙っていた。きっと幸せではないからだ。
死の瞬間のことをいつも考えてる。どれだけ苦しいのだろう。どこでどうやって死んじゃうんだろう。痛いのかな。悲しいのかな。辛いのかな。考えれば考えるだけ不安と恐怖で動けなくなって何事も行動する気が起きない。
毎日重い病気になっていないか不安で、身体を触ってチェックしたり、ささいな異変も見逃すまいと常に気を張っている。不安になりネットで調べる。治らない。がん。余命。悪い事ばかり書かれているネット。不安を煽られて病院に行けばいいのだが、そんなことを宣告されたらもう耐えられなくて生きていけない気がして病院に行けない。負の連鎖である。
誰にも嫌われたくないから誰のことも頼れない。助けてほしいと言えない。でも変なプライドもあって頼るものか、と思っている自分もいるから時々ぶん殴りたくなる。だから自分で自爆していく。
失うのが怖くて誰のことも好きになれない。深まりそうな仲に自分から線を引いてしまう。
ネガティブの極みのような自分と人生。こんな毎日は不幸でしかないじゃないか。我ながら泣きそうになる。毎日こんなに苦しいのか。皆と同じ様に生きているだけなのに。気楽に生きている人と何が違うんだ。隣で目を瞑っている少年みたいに恐怖で潰れないようになるにはどうしたらいいのだ。
「おじさんは死んだらどうなると思う?」
目を瞑っていた少年がいつの間にか俺の方を向いていてそう聞いた。
「無だと思う。」
唐突な問いであったが男は反射で答えた。すると少年が「頭が固いね。」と言った。
男は否定しようとしたが少年が続けた。
「僕は死んだら生まれ変わるって本気で信じてるよ。ふたりも、きっとまたどこかで生まれ変わって、幸せに過ごしてるんだろうなって。」
「死んだらどうなるかなんて誰にも分からないだろ。」
男は大人げないと自覚しながらも本音をぶつけてしまった。すると少年が男の目をじっと見つめて「だからこそだよ。」と言った。
「誰にも分からないからこそ自由に想像できるんじゃないか。生まれ変わって幸せに暮らしているのかもしれないし、天国で先に亡くなった家族や友達に再会できているかもしれない。竜宮城みたいに美男美女におもてなしされて贅沢三昧やっているのかもしれない。想像するのは自由なんだよ。そしてその想像で自分も救われるんだ。人生何を信じるかだよ。信じるものは途中で変わっても良い。その時その時自分が一番信じたいものを都合良く信じれば良いんだ。信じてしまえば嘘も立派な真実だよ。
だから無だなんて寂しいこと言わないでよ。」
少年は最後の言葉だけ笑って言った。男は大人げなかった自分を恥じた。少年は自分のために話してくれたのだと理解したからだ。
「あっ!」少年が夜空を指差して興奮した声を上げた。
そこには血の色に染まった、空を埋め尽くすほどの大きな月があった。まるで激しく燃える火の玉のように。南東の空に圧倒的な存在感を放っていた。
「綺麗だ。」
男は思わず声が出た。正直スーパーブルーブラッドムーンなど聞いた時からそれほど興味は湧かなかったのだが、少年が死ぬ前に一度見てみたかったという意味が分かった気がした。
「これがスーパーブルーブラッドムーンか、」
この月を見るのを心待ちにしていた少年は心底嬉しそうに言った。瞳を真っ赤に輝かせながら月を見ていた。一秒一秒の変化も見逃さないように。しっかりと目に焼き付けるように。
「三時間でいいのか?」
男は少年にもう少し時間を与えてもいいな、と思っていた。まだ少年と話がしたいという我儘と、さすがの俺も少年の運命を憐れにに思えてきたからだ。すると少年が「無駄な延命はしない主義だから。」とはっきり言った。
「この服も売れば少しは足しになるだろうし、髪も切って靴も売ればもう少し生きられただろうね。」
少年は上下ブランド品の服にそっと触れた。
「でも、人間らしさを捨ててまで生き延びたいとは思わないよ。毎日お腹いっぱいご飯を食べて、水道代も気にせずお風呂にも入ってる。時間を寝るのに使うのは勿体ないって睡眠を削る人が沢山いるけど、僕は毎日たっぷり八時間寝てきた。スーパーブルーブラッドムーンも見れたし満足だよ。」
「後悔は無いのか?」
「後悔?後悔なんてあげたらきりがないよ。ふたりがお金を僕の時間の為だけに使うのを、もっと必死に止めれば良かったとか、学校にも通いたかったなとか。」
それから少し間を置いて
「将来の夢ってほどでも無いけどさ、この世界を変えられる人になりたかったな。」と言った。
「政治家ってことか?」
「何でもいいよ。この世界を変えられるなら政治家でも反逆者でも、何者でも良い。誰もが平等に時間を得られる世界に。生まれた環境を理由にせず生きていける世の中に。理不尽に奪われる命が無くなる世界を僕が造れたらなって思ってたんだよ。」
少年は力強く言った。だがその後「残り数十分の命では世界なんて救えないけどね。」と笑った。男は「そうだな。」と返すのに精一杯だった。
「そんなことより、スーパーブルーブラッドムーンどうだった?」
体を寄せてきた少年にビックリして反射的に仰け反ったが「綺麗だったよ。」と平静を装い言った。すると少年は「おじさんにも良さが分かるんだー。」と大袈裟に驚いた。失礼な、と言いそうになったが飲み込んだ。
「月なんてどうでもいいっていうタイプだと思ってた。」
「ついさっきまでそう思ってたが、赤い月があんまり綺麗なもんでな。一夜限りってのが惜しいな。」
「じゃあ、あと二六五年待ったら?おじさん社長なんでしょ?今のうちに頑張って働いてお金稼げば二回目のスーパーブルーブラッドムーンも夢じゃないよ。」
そんなことを少年は半ば本気で言った。
「馬鹿云うな。そんなに生きながらえたくない。」
じゃあ俺はいつまで生きながらえたいんだろう。
いつまで生きられたら満足なんだろう。
「一夜限りだからいいのかもな。」
少年が男の方を見た。
「一回きりだから特別なんだよな。」
時間だって同じだ。限りあるから特別だし、尊いんだ。時間はあればあるほど幸せなんじゃない。
少年は笑った。そうだよ。それに気が付いて欲しかったんだというように。
「さっき会ったばかりのお前にこんな事をしていいのか分からない。」
そう言って男は少年に莫大な時間を与えた。
こんな子供に何が出来るというのだ。世界を変えるなんてきっと無理だ。でも、それでも、懸けてみたくなったんだ。もしかしたらやってのけるかもしれない。そう思わせた。彼の夢をスタートラインに立たせられるのは今、俺しか居ないんだ。
渡した時間は金にするとかなりの金額で、初対面で数時間顔を合わせただけの子供に簡単に渡せるものじゃない。けれどここで日和ってしまったら、きっと後悔する。
久しぶりに信じたいと思えた。信じれると思った。このチャンスを逃したらこれから先、今以上に何かを無条件に信じられるときは来ないかもしれない。変わるなら、今だ。人も自分も、過去も未来も何ひとつ信頼出来ない自分から一歩前に進もう。
男は少年の手を握って言った。
「君の未来に投資しよう。どうか世界を変えてくれ。」
スーパーブルーブラッドムーンの燃えるような赤さが増した気がした。




