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呪いで「猫」になった私を拾ってくれたのは、無口無愛想な婚約者でした。そんなに必死になって探してるのは誰ですか?え?私?

作者: 広路なゆる

「にゃ、にゃあ……(うう、寒いです……)」


 大通りの石畳の上で、私は自分の手――もとい、真っ白な前足を呆然と見つめていた。

 視線が高い。世界が大きい。そして何より、寒い。


 私の名前はミリア・エバンス。一応、伯爵家の令嬢だ。

 今日は婚約者であるアレクセイ様への贈り物を買うために街へ出ていたはずだった。それなのに、怪しげな路地裏で妙な香を嗅がされたと思ったら、体が縮んで、気付けばこの姿だ。


 ふさふさの白い毛並み。長い尻尾。

 どう見ても「猫」である。しかも手のひらサイズの子猫。


「(どうしましょう。服も荷物も全部一緒に消えちゃったし、言葉も喋れない……)」


 誰か助けて、と鳴こうとしても「みゃあ」という情けない声しか出ない。

 途方に暮れて震えていると、コツ、コツ、と軍靴の響きが近づいてきた。

 見上げると、そこには見覚えのある長身の男性が立っていた。


 黒髪に、切れ長の瞳。彫刻のように美しいけれど、絶対零度の視線。

 私の婚約者、アレクセイ・フォルクロール公爵だ。


「(ひっ、アレクセイ様……!)」


 私は反射的に身をすくませた。

 彼は「氷の公爵」と呼ばれている。常に無表情、無口、無愛想。

 政略結婚で婚約して半年になるけれど、会話なんて「あぁ」と「うん」くらいしか聞いたことがない。きっと私のことなんて、邪魔な付属品くらいにしか思っていないはずだ。


 そんな彼が、路地裏の汚い猫なんて見つけたら?

 冷たく追い払われるか、無視されるのがオチだ――。


 そう覚悟した、その時だった。


「……猫か」


 低い声が降ってきた。

 アレクセイ様は私の前で屈み込むと、大きな手袋を外した。

 そして、驚くほど慎重な手つきで、私のお腹の下に手を差し入れたのだ。


「こんな所にいたら凍えるぞ」


「(……え?)」


 持ち上げられた体は、彼の分厚いコートの中へすっぽりと収められた。

 温かい。心臓の音が聞こえるくらいに近い。

 アレクセイ様はそのまま懐に私を入れて、スタスタと歩き出したのだ。


「(嘘⋯⋯! 動物とか大丈夫なの!? というか、このまま公爵邸に連れていかれたら私、一生ペット扱い!?)」


 温かさに安堵しつつも、私は新たな危機に「みゃあ!」と抗議の声を上げた。


 ◇


 公爵邸に到着すると、私はアレクセイ様の執務室に連れていかれた。

 彼はソファに私を下ろすと、少し困ったような、でもどこか優しい手つきで頭を撫でてくれた。


「痩せているな。ミルクでも用意させるか」


 その指先があまりに優しくて、私は思わずゴロゴロと喉を鳴らしてしまった。

 く、屈辱だわ。猫の本能に抗えないなんて。

 でも、アレクセイ様のこんな表情、初めて見た。私にはいつも眉間にシワを寄せているのに。


 その時、バァン! と乱暴に扉が開いた。


「閣下!! 大変です!!」


 血相を変えて飛び込んできたのは、彼の側近である騎士団長だった。

 アレクセイ様はスッと表情を消し、いつもの「氷の公爵」に戻る。


「騒がしいぞ。何事だ」


「閣下! ……実は……」


 騎士団長はアレクセイ様に耳打ちをする。


「……なんだと?」


 その瞬間、室内の温度が、一気に五度くらい下がった気がした。

 アレクセイ様が立ち上がる。その瞳からは、先ほどまでの穏やかさが消え失せ、殺気すら漂っていた。


「大通りだと……!? 先ほどまで……」


 報告を聞くアレクセイ様の手が、ギリリと握りしめられる。


 そしてアレクセイ様が語気を強める。


「騎士団を総動員しろ!!」


 その怒気は、ビリビリと窓ガラスが震えるようであった。

 私は驚きのあまり、ソファの上で飛び上がった。


「王都の門をすべて封鎖だ! ネズミ一匹逃がすな! 魔術師団には探知魔法を最大出力で展開させろ! 今すぐにだ!!」

「は、はい! しかし、そこまで大事にしては王宮が……」

「知ったことか!!」


 アレクセイ様はダン! と机を叩きつけた。


 騎士団長がひぃっと悲鳴を上げて飛び出していく。

 静寂が戻った部屋で、私はポカンと口を開けていた。


「(……え? 今の、アレクセイ様?)」


 あの冷静沈着な彼が、髪を振り乱して取り乱している。


「(一体、何があったのだろう……)」


「くっ……どうして俺は、護衛の一人もつけずに……!」


 そうしてアレクセイ様は自らも飛び出して行ってしまった。


 ◇


 その晩、遅くにアレクセイ様が帰ってきた。


 アレクセイ様はふらりとよろめき、私がいるソファに崩れ落ちた。

 その様子を見るに、成果は芳しくないようだ。


 そんなアレクセイ様は私(猫)に気付く。

 そして、すがるように抱き上げたのだ。


「なぁ、お前は見たか? 俺の宝物を……」


「(……みゃう?)」


 アレクセイ様は私を抱きしめたまま、顔を私の背中の毛に埋めた。

 え、ちょっと待って。くすぐったいし、重い。


「(それにしても……アレクセイ様がそんなに大事にしているものってなんだろう……)」


「あんなに可憐で、儚くて、優しくて、天使のようなミリアが、怖い目に遭っていたら俺は……俺は……!」


「(……え? 今、なんて……? 聞き間違いかな……?)」


「あぁ……ミリア……どうか……どうか……」


「(う、うわぁ……聞き間違いじゃ……なさそう……)」


「嫌われたくなかった。だから失言しないように細心の注意を払っていた。そして無理矢理にでも結婚して、一生、誰にも触れさせずに愛でて暮らそうと思っていたのに……」


「(ちょっ……! 発想が怖いよ……!)」


 聞き捨てならない本音が漏れている。

 アレクセイ様は、私の背中に顔をスリスリと擦り付けながら(やめて、ジョリジョリする)、嗚咽交じりに独り言を続けた。


「明日、渡すつもりだったんだ。瞳の色に合わせたサファイアの首飾り……。似合うだろうな、あの白くて細い首筋に……」


「(あの、公爵閣下? いくら猫が相手だからってそれは……)」


 どうやら彼は、極度の「口下手」かつ「むっつり溺愛」だったということなのだろうか?


「ミリア……会いたい……好きだ……愛してる……」


 今まで一度も聞いたことのない甘い言葉が、次々と降ってくる。

 彼の吐息が耳にかかり、私は全身がカァッと熱くなるのを感じた。

 猫の姿でよかった。もし人間だったら、顔が真っ赤すぎて倒れていただろう。


 でも、不思議。

 彼の匂いに包まれていると、ドキドキするのに、すごく安心する。

 私は彼を慰めるように、ペロリと頬を舐めた。


「⋯⋯少し痛いぞ」


 いけない。猫の舌は存外にざらざらしているのであった。


「でも……お前は優しいな」


 アレクセイ様は少しだけ笑って、私を強く、でも痛くないように抱きしめた。


 ◇


 それから数日が経過した。

 捜索は難航していた。当然だ。私はここにいるのだから。


 執務室には重苦しい空気が漂っていた。


 ただ、アレクセイ様の膝の上には、相変わらず私がいる。


「……神様」


 消え入りそうな声だった。


「どうか、彼女を無事に返してください。他に何もいらない。爵位も、財産も⋯⋯。ただ、ミリアだけでいいんだ……」


 ポタリ、と。

 私の鼻先に、冷たくて温かい雫が落ちた。


 見上げると、アレクセイ様が泣いていた。

 あの「氷の公爵」が、子供のように無防備な顔で、涙を流している。


「愛しているんだ。……伝えておけばよかった」


 彼はそう呟くと、私の額に――愛おしいものに触れるように、優しく口づけた。


 ――カッ!


 その瞬間、視界が真っ白な光に包まれた。

 体が熱い。骨がきしむような感覚と共に、視線が高くなっていく。


「う、わっ……!?」


 アレクセイ様の驚愕の声が聞こえた。

 光が収まった時、私は彼に覆いかぶさるような体勢で、ソファの上にいた。

 人間の姿で。


「……ミ、ミリア……?」


 アレクセイ様が、信じられないものを見る目で私を見つめている。

 至近距離。鼻先が触れ合うほどの距離だ。

 彼の瞳はまだ濡れていて、頬には涙の跡が残っている。


「……はい、アレクセイ様」


 私は恥ずかしさをこらえ、精一杯の笑顔を作った。


「その、ただいま戻りました」


 数秒の沈黙。

 状況を理解できていない彼に、私は真っ赤になりながら告げた。


「あの……ずっと一緒にいましたよ? アレクセイ様の腕の中で」


 彼の視線が、私の顔から、さっきまで猫がいた自分の膝の上へ、そしてまた私の顔へと彷徨う。

 そして、徐々に事態を察したのか、彼の白い肌が、耳まで一気に茹でダコのように赤く染まった。


「――っ!!? ま、まさか、あの猫は……!?」

「はい。私です」

「じゃ、じゃあ、俺が言ったこと、とか……俺がしたこと、とか……」


 私はニッコリと微笑んだ。


「『天使みたい』とか、『鳥籠に閉じ込めたい』とか……えーと、全部、バッチリと……」

「――――ッ!!!!」


 アレクセイ様は言葉にならない悲鳴を上げ、両手で顔を覆ってソファに突っ伏した。

 氷の公爵、融解完了である。


「し、死ぬ……恥ずかしくて死ぬ……忘れてくれ……頼むから……」

「嫌です」


 私は彼の手を無理やり退けさせ、その頬を両手で包み込んだ。

 真っ赤な顔で涙目の彼なんて、貴重すぎて忘れるわけがない。


「私、アレクセイ様は怖い人だと思っていました。でも、誤解だったんですね」

「……怖い人だと思っていてくれた方がマシだった……」

「ふふ。私は、今の可愛いアレクセイ様の方が好きですよ?」


「……っ」


 彼は息を飲み、縋るような目つきで私を見た。


「……好き、なのか?」

「はい。大好きです」


 私が答えると、彼は一度瞬きをして、それからおずおずと私の背中に手を回した。

 さっき猫の私を抱きしめていた時と同じ、壊れ物を扱うような優しい手つきで。


「……ミリア……、愛してる。ちゃんと伝わったか?」


 今度は独り言じゃなく、真っ直ぐな言葉で。


「はい、伝わりました」


 そのあと重ねられた唇は、想像していたよりもずっと甘くて、熱かった。


 ちなみに。

 私に呪いをかけた犯人は、嫉妬に狂った男爵令嬢だったらしいけれど。

 翌日、公爵家によって「合法的かつ徹底的」に追い詰められ、国外へ高飛びしたそうだ。詳しくは聞かない方がいいらしい。


 私はといえば、無事に公爵夫人となり、今もアレクセイ様に溺愛されている。

 ただ一つ問題があるとすれば、


「ミリア、今日は猫耳をつけてくれないか?」

「……外でつけても?」

「それは絶対だめだ」


 夫の性癖が少しだけ歪んでしまったことくらい、だろうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。

差支えなければ、下部の★~★★★★★でご評価いただけますと励みになります。


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