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四章


   四章


「一つ聞いていいか?」

 問いかけると、キギダンはユリードをじっと見つめてきた。

「なにかな?」

「あなたの夢は、ビリンと戦うことなのだろう?」

「うむ」

「馬鹿だな」

 ふっとキギダンは笑う。

「負けて死にたいという願いを、いくらでも笑っていい。おれの夢は、決して捨てぬ」

「いや、そういう意味ではない。あなたはボードゲンを倒して、ウルース大地最強になって肉体の泉の水を飲もうとしていた」

 うなずくキギダン。

「ビリン自身が言っていたではないか。そうすれば、ウルース大地を出られなくなる、と。つまり、ビリンに一生会えなくなる」

「………え? ああっ!」

 キギダンは眼を見開いた。

「本当だあ! おれは馬鹿だ。大馬鹿だ!」

 顔をゆがめていたかと思うと、キギダンは笑い出した。声を上げて笑う。

 笑いが収まると、親し気な顔を向けてきた。

「いやあ、助かった。人生を棒に振るところだった。なんとありがたい忠告か! おれはとんでもない間抜けだ。ははは!」

 卑屈な笑みではなく、豪快な笑い方だ。

「どうする?」

 キギダンは天井を見上げる。

 そして、うなずいた。

「よし! 決めた!」

 うれしそうな声。

「今月中にウルース大地を飛び出す。多くの聖魂の宿る泉に触れて、強くなってみせる。

 そしてビリンと戦い、六秒は持ちこたえてみせる!」

 キギダンは周りを見渡した。

「六秒戦団の中で、おれに従いたい者はついてこい。それ以外は、残れ! いいな!」

「は、はい!」

「分かりました!」

 多くの軍人たちは戸惑っていた。

 もしかしたら、キギダンの計算違いを分かった上で、黙っていた者もいるのかもしれない。キギダンにとどまって欲しかったから。ビリンに、殺されて欲しくなかったから。

 その思いは、分かる気がした。

「残る者たちは、今後はユリードに従え! いいな!」

「え?」

 予想外の言葉に耳を疑うユリードに、キギダンは笑いかけた。

「あなたはおれより強い。そして、ボードゲンと違っていい人だ。あなたになら、六秒戦団を任せられる」

「わ、私が?」

 肩に手を置かれた。キギダンらしい、つぶれたマメだらけの武骨な手だ。

「六秒戦団を託す。受け取ってくれ」

 ユリードは周りの軍人を見渡す。

「あなた方は、それでいいのか?」

「はい!」

「かまいません!」

 皆、真面目な顔でうなずいた。

「よし! これから忙しくなるぞ。是非とも、ウルース大地最強になってくれ。あなたが男になる日が楽しみだ」

 優しさが込められた声。

「ああ、必ず男になってみせる」

 ユリードとキギダンは拳を握り締めて、うなずきあった。


 ■■■


 男の軍人一人に、使者になってもらった。

 行く先は、ボードゲンの城。

 あなたの部下と戦いたい。書状にそう書いた。

 ジャゴーとギンカンが、特別な体を持っている。

 先に戦うのはどちらか、ユリードには分からなかった。

 六秒戦団の軍人に聞いても、意見は二分されている。

「どちらが強いと思う?」

 キギダンの副将をしていたという男に聞いてみた。

「ジャゴーとギンカンですか?」

「ああ」

 男は真剣な顔で、腕を組んで考え込んでいた。

「分かりません」

「適当な予想でもいいのだが」

「戦った経験がありませんからね。六秒戦団の軍人には」

「対立しないようにしていたのか」

 男は首を振った。

「いいえ、敵対することはありました。戦闘になったこともあります」

「む? 戦ったことがないと聞いたが」

「戦った者は、全員殺されています。いえ、目撃者ですら殺すのがボードゲンのやり方です」

「そういうことか」

 ざわめきが聞こえてきた。

「ユリード殿、ただいま戻りました」

 使者が早歩きで近寄り、無表情で報告してきた。

「先に戦うのはジャゴーか?」

「違います」

「では、ギンカンか」

「いいえ」

 使者の眼が強い光を放つ。

「どういうことだ? ボードゲンの配下で、他に名のある者はいないが」

「ジャゴーとギンカンの、二人と同時に戦え。それがボードゲンの要求でした」

 一瞬、声を出せない。

 そう来たか。

「断りますか? 受け入れられないと」

「いいや、そんなことはせぬ」

 ユリードは真っすぐに使者を見据えた。

「受けて立つ。そう返答してくれ」

「……本気ですか?」

「もちろん」

「死ぬ可能性は、極めて高いです」

「断りはせぬ。いくらジャゴーとギンカンが二人がかりでも、ボードゲンは倒せまい」

「それは、そうですが――」

「ならば、戦いは避けぬ。避けるべきではない」

 男の眼に、今までは違う感情が見えた。強いて言えば、憧れだろうか。

「分かりました。止めません。戦場は、今日から十日後の昼に、アスカラ草原で」

「そうか」

 ユリードは、キギダンの副将に視線を走らせた。

「私が死ねば、六秒戦団のトップに立つのはあなただ」

「はい。確かにそうです」

「その時を想定して、話し合いたい」

 男は不快そうに眉をひそめた。

「負けるとお考えで?」

「勘違いするな。私も、部下がいればこんなことは言わぬ。自分一人の命だ。だから、口にする言葉だ」

「………」

「軍人が口にすべきでないことは、分かっている」

「そうですか」

「二人きりで話し合いたい。手ごろな場所はないか?」

「では、西の一室に案内いたします」

 副将の男は、複雑な廊下を通り抜けて行く。黙ったまま、ユリードはついていった。

 突然立ち止まると、平凡なドアの前で鍵を取り出した。

 音を立てずに鍵が開いた。ドアを開ける男。

 中に二人が入ってドアを閉めると、男は口を開いた。

「それで? どうするおつもりで?」

「先ほど、六秒戦団の今後について話したいと私は言った」

「はい」

「あれは嘘だ」

 副将は表情を変えなかった。

「ジャゴーとギンカンについて、知っていることを全て教えて欲しい。どんな肉体なのか。通用しない攻撃は、どういうものなのか」

「分かりました」

 男は生真面目な顔で語り始めた。


 ■■■


 ユリードはかなりイライラしていた。

 ジャゴーとギンカンが、来るのかどうか分からない。

 戦う約束の日は、二日前だった。朝から待っていたが、いつまでたっても二人の敵がやってこない。

 夕方になってようやく現れたのは使者で、体調が悪くて行けなかった、と説明された。

 次の日も待たされて、暗くなったら使者が同じことを告げた。

 嫌なやり方だ、と思いながら遠くを見る。

 アスカラ草原の向こうには田畑があり、さらに奥には巨大な城がそびえている。

 いくつもの塔が乱立している城だ。下部は銀色で、上部は金色。どれほどの黄金が使われているのかは、ボードゲンしか知らない。

 ユリードが知っているのは、ビリンに壊された城より頑丈なつくりにしたということくらいだ。ボードゲンの占領下の民が重税にあえいでいた、と聞いたことがある。

 民から搾り取った富でつくった城。そこからやってくるはずなのだ。

 だが、二日もすっぽかした。今日も、来ないかもしれない。

 ユリードは寝っ転がった。アスカラ草原の草花の感触が、背中をくすぐる。花の匂いがする。

 やけになっているわけではない。今の自分は、見張られているだろう。ならば、やるべきことは一つ。

 戦う覚悟がないと、相手に思わせることだ。腹を立て、自暴自棄になっていると判断すれば、ジャゴーとギンカンは出てくる。

 果たして、その予想は的中した。寝っ転がったユリードの視界に、歩いてくる二人の敵が見えた。

 ユリードは立ち上がって、二人の男を見つめる。

「どうした?」

 髪の長い方が声を出した。甲高い、不快な声だ。

 肩までの灰色の髪は、ひどく傷んでいる。緑色の眼は愉快そうだ。

 こいつがギンカン。

 その隣の男は体が大きく、頭髪はない。青い目でこちらをにらんでいる。

 こいつがジャゴー。

 ギンカンの嫌らしい笑み。ジャゴーは不愉快そうな顔をしている。

「女の分際で最強を目指していると思ったら、こんなところに寝てやがったのか」

 ギンカンの態度は、噂通りだった。

「ようやく来たか。待ちくたびれた」

「けっけっけ、悪いな。体調がいまいちでよ」

「どちらの体調が?」

 ジャゴーとギンカンは、顔を見合わせた。予想外の言葉だったようだ。

「えっと、それは」

「もういい。お前らが嘘つきだと分かった。まだ男にもなっていない人間相手に、見下げ果てた対応だな」

「違う!」

 ジャゴーが突然叫んだ。

「おれはこんなことをしたくはなかった。ボードゲン様のご命令だ。逆らうことは、許されなかった」

 ギンカンが馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「なんでしたくないんだ? 確実に勝てる方が、いいに決まっているじゃねえか」

「黙れ。女ごときに恥ずかしいと思わないのか?」

「恥ずかしい? けっ、笑えるなジャゴー。どんな手を使ってでも勝つ。それがおれの、そしてボードゲン様のやり方だ。お前みたいな、やり方にこだわる三流と共に戦うことの方がよっぽど恥ずかしいぜ」

「き、きさま」

「まあいい。さっさと片づけようぜ。おい、女。逃がさねえぜ」

「分かっている」

 ユリードは返した。

 キギダンの時のように、霧に隠れて逃げることはできない。

「鉄は磁石に引きつけられるからな」

「おっと。さすがにそれは知っているか」

 ギンカンがまた、嫌らしい笑みを浮かべる。

 こいつの体は、磁石になっている。だから、鉄を持っている相手の場所が分かる。

「磁石になることを選ぶとはな」

「いいや、違うぜ。磁石になるよう決めたのは、ボードゲン様だ。おれは感心したぜ。鉄を使う者の、手の内が全て分かるのだから」

「ふうん」

「お前が木の裏に鉄の剣を隠していることも、分かってるぜ」

 ユリードは無言で手を伸ばす。地面に突き刺さった五つの剣は、全て大きい。そして、同じ形をしていた。

 近くにあった剣を抜いて、構える。剣が、見えない力で引っ張られる。磁力だ。手を離したら、ギンカンの元へ飛んでいくだろう。

「おい、ジャゴー。さっさとおれの盾になれ」

「黙れ。きさまが命令するな」

 ギンカンを守るように、ジャゴーが立ちはだかった。

 ユリードは剣を構えて駆け出した。ジャゴーは身動きしない。じっとこちらを見ている。

 剣をジャゴーの右腕に向けて振り下ろした。硬い音がする。

 砕けたのは、剣の方だった。真っ二つになる。剣先が落ちて、ギンカンに向けて飛んでいく。

 ジャゴーの顔から見て、全く痛くないようだ。

「なんだ女、知らねえのか?」

 飛んできた剣先を受け止めたギンカンの、侮蔑が込められた声。

「ジャゴーの体はな、鉄なんかよりはるかに硬いんだ。そうでなければ、キギダンにやられているよ。硬いこと以外、取り柄のない肉体なんだから」

「やかましい。きさまは黙っていろ。おれに守られているくせに」

「守られてる? お前が霧の中の敵も分からない無能だから、おれが来てやってるんだぜ。むしろ、おれに感謝しろ」

 二人の敵が友好的とはとても言えない話し合いをしているうちに、ユリードは後方へ跳んだ。

 もう一つの剣を抜いて構える。

「また鉄の剣か。切りつけても無駄だと思わないのか?」

 黙ってユリードは、足を狙った。ジャゴーのすねに剣を打ち付ける。

 再び剣が折れた。ジャゴーは顔色一つ変えない。

「やれやれ。考えなしに剣を振るうだけか。さっさと殺せよ、ジャゴー」

「ああ、きさまとの不愉快な会話を終わらせよう」

 鉄より硬い肉体が、近づいてくる。

「ジャゴー殿」

 ユリードは静かに言った。

「あなたを見込んでの頼みだ。次の剣を、顔に受けてくれるか?」

「………おれの顔に?」

「あなたは背が高いが、振りかぶれば届くはずだ」

 おい、とギンカンが叫んだ。

「そんな罠には引っかかるな。何かを企んでいるに決まってるぜ」

「女ごときの剣を恐れるなら、断ってもらってもけっこうだ」

 ユリードが静かに言うと、ジャゴーの顔色は変わった。

「恐れるだと?」

「この剣の硬さは、今までの剣とは違う。この剣とあなたの顔。どちらが強いのか、試してみたい」

「………嘘ではないことを、聖魂にかけて誓えるか?」

「聖魂にかけて、嘘はついてない」

 ユリードは、じっと待った。

「いいだろう。おれの顔に、切りつけろ」

「おい、ジャゴー。お前は」

「黙れ、きさまの言葉に従えるか! 女ごときを恐れた臆病者として笑われるなど、耐えられん」

「………」

「どんなに硬い鉄でも、おれの肉体は砕けない。それは、ボードゲン様がおっしゃったことだ」

 ジャゴーはこちらに眼差しを送る。

「受けて立つ。おれの顔に切りつけろ。砕いてみせる」

「そうか。男らしい決断だ」

 ユリードは一番奥の剣を抜き放った。

「やれやれ。まあいいか。どうせ、鉄ではジャゴーは倒せないからな」

「いや、この剣で倒してみせる」

 言い放ったユリードは、全力で走る。ジャゴーの肉体。見上げる。口のあたりを見つめた。

 ジャゴーの顔面に向けて、剣を一閃させる。

 剣は、簡単に砕けた。

 そして砕けた剣から、真っ赤に溶けた鉄があふれ出した。

「ぐあああっ!」

 叫ぶジャゴー。

 ユリードは、鉄を操る。鼻の中へ、口の中へ、溶けた鉄は侵入していく。あまりの熱さに、叫ぶジャゴーは大粒の涙を流し。

 音を立てて倒れた。

 顔色から見て、間違いなく死んでいる。

 うまく行った。いくら何でも、溶けた鉄が体内に入れば、生きてはいられない。

「おい! 女、てめえ!」

「なんだ、ギンカン」

「聖魂にかけての誓いで、嘘をついたな!」

「まさか」

 ユリードは平然と返した。

「私は、この剣の硬さは今までの剣とは違う、と言ったのだ。硬い、とは言わなかった。熱して溶けた鉄が出やすくなるよう、もろくしていた。確かに、硬さは違ったのだ」

「ひ、卑劣なやりかたを!」

「まだ女の私を二人がかりで倒そうとする相手に、正攻法では勝てない。策を練らねばならぬ」

「最初から、口の中に入れるつもりだったんだな」

「いや、口を閉じたまま耐える、というケースも覚悟していた。その時は、鼻の穴に集中させるつもりだった」

 ユリードは静かな声で敵に告げた。

「これが結果だ。私の剣の方が、ジャゴーより強かった」

「………」

「さて、もうお前一人だぞ。降伏すれば、殺しはしない」

 ギンカンは、憎々し気ににらみつけてきた。

「降伏? 寝ぼけたこと言ってんじゃねえよ」

「お前の体は磁石だろう。ならば、鉄の剣で切りつければ、威力は増すはずだ」

「ほう」

 ギンカンはにやりと笑う。

「浅知恵だな。そう思うなら、切りつけてみろや」

 逃げようともせずに、ギンカンは立っている。四つ目の剣を持って走ると、腕が引っ張られる。力の強い大型犬の散歩をしているような感じで、持っている剣が突き進んで転びそうになる。

 なんとか転ばずに、磁石の肉体を切りつけた。

 ギンカンの腕から、血があふれた。

 こいつの体は、ジャゴーのように硬くない。刃は通るんだ。

 ギンカンの顔を見る。にやにやと笑っている。疑問を感じさせる顔。

 愕然としたのは、その直後だった。剣が、崩れていく。

 ぼろぼろになって、崩壊する剣。

「な、何故?」

「ジャゴーの肉体は、硬いことしか取り柄がない。あんな無能と一緒にするな」

 ギンカンは誇らしげだった。

「おれの血は、鉄を錆びさせるんだよ」

「錆びる血液、だと?」

「ああ、どんな液体よりも急速にな。鉄の剣なんて、怖くも何ともない」

 異様な血を出した傷は、もうふさがっていた。

 思ったよりも、手強い。

「てめえの考えは分かってるぜ。なら、溶けた鉄が効くだろう。そう思っているな」

 ギンカンは嫌らしい笑みを崩さない。

「攻撃してみろ、溶けた鉄でな」

 崩れた鉄を集めて熱している間、ギンカンは何もしようとしない。ただ見ている。どんな手を、隠し持っているのか。

 鉄が溶けた。即座に攻撃する。真っ赤になった液体の鉄は、ギンカンの体に届く前に赤ではなくなった。固まって、ギンカンの体にくっつく。

 もう、冷めている。

「どういうことだ?」

「熱の泉の水を飲んだことがあるんだよ」

「なんだと」

 ギンカンが得意げに笑う。

「どうだ? すげえだろ。お前の力なんか、全然通用しねえよ。いたぶって、殺してやるぜ」

 ユリードは少しずつ後ずさりをした。

 逃げることはできない。鉄の場所が分かる肉体だ。

 ならば、どうすればいいのか?

「急所か」

 心の臓を、剣で一突きにする。それしかない。

 木の裏に指してあった、五本目の剣を抜く。最後の剣だ。

「おやおや、まだおれに剣が通用すると思っているのか? 馬鹿じゃねえの」

 侮蔑を込めた声を出しながら、近づいてくるギンカン。ユリードは構えた。隙だらけに見える。

「くらえ!」

 剣を突き出す。心の臓を狙った剣先。ギンカンの左腕が素早く動いて急所を守った。吹き出る血。

 すぐに、剣が崩れていく。

「死ね、馬鹿女」 

 ギンカンの拳が、顔面に直撃した。重い一撃。

「ぐうっ!」

 口の中が傷ついた。血の味がする。

「てめえの頭蓋骨を砕いてやるぜ」

 ギンカンの二つの拳が、立て続けに顔面を襲う。すさまじい痛み。脳が揺らされ、こらえきれずに悲鳴をあげた。

「弱いな。これで最強を目指すとは、相当の愚か者だな」

 ギンカンの攻撃がとまった。おそらく、顔面はあざだらけだ。そして、奥歯が折れている。

 ユリードはふらついて、木を背にしてもたれかかった。

 駄目だ。

 勝てない。

 ギンカンは加虐的な笑みを見せる。

「まだ頭蓋骨は砕けねえか。仕方ねえな、もっと殴ってやるよ」

 頭を砕かれたら、間違いなく負ける。もう、どうしようもない。

 迫ってくるギンカンの体には、錆びた鉄や砕けた鉄がたくさんついている。

「いや……そうか!」

 勝機はある。それにようやく気付いた。

 手をかざす。ギンカンの体についていた鉄は、手の中に集まる。

 再び、熱して溶かす。

「また、馬鹿の一つ覚えか? 無駄なんだよ」

「くらえ! ギンカン」

 ユリードは溶けた鉄を上に向けて投げた。天高くへ鉄は行く。ギンカンは空を見上げた。空中の鉄は冷えてかたまった。

「これでおしまいか? 馬鹿女」

「おしまいなのはお前の方だ、ギンカン」

 ギンカンの表情から警戒の思いが見て取れる。ユリードは力を込めた。鉄よもっと上がれ。念を込める。

そして、落ちてこい。

 鉄が急降下し始めた。ギンカンの顔は余裕を失った。

「き、きさま!」

「くたばれ、ギンカン」

 ギンカンは背を向けた。必死に逃げ始める。

「無駄だぞ、ギンカン。お前は磁石だ。鉄は、磁石に引き付けられる」

「や、やべえ!」

 重力、鉄を操る力、そして磁力。三つの力がこもった鉄が、ギンカンの頭上に直撃した。

 ふらついて、ギンカンは倒れそうになる。

「よくもやってくれたな」

 にらみつけてくるギンカンに、ユリードは凄味のある笑みを見せる。

「まだまだだ」

 頭上を見上げて、ギンカンは絶句した。また、鉄のかたまりが空に向かっていく。

 そして、落ち始める。

 死を悟ったのか、ギンカンはわめきだした。

 再び頭上に鉄が激突した。ギンカンの顔面から、血が流れだす。

「三度目だ」

 何か叫びながら、こちらに向かってくる。攻撃をしたいのだろう。だが、その速度はキギダンには遠く及ばない。

 後ずさりしたユリードの目の前で、ギンカンの頭に鉄がまたしても直撃した。ゆっくりと倒れるギンカン。

 ギンカンにくっついていた鉄粉が、落ち始めた。

 能力の消失。これが意味するのは、能力者の死だ。

「やっと勝てたか」

 草原にユリードは座り込んだ。

 これで残るは、ボードゲンのみ。


 ■■■


「ひどい顔だな」

 鏡を見ながら、ユリードはつぶやいた。

 エミリーに見せるわけにはいかなかった。きっと泣き出す。そして、ボードゲンと戦わないで、とお願いしてくる。

「ほれ。治癒液が染み込んでる」

 椅子に座っているユリードに、声がかかる。

 ヤージが差し出してきた布を、顔に押し当てた。心地いい。

 傷が、癒えてくる。

「ありがとうな」

「高いからな、それ。てめえが最強になったら、布代をはらってくれよな。おれはめちゃくちゃ貧乏なんだから」

 ヤージがおどけたような口調で言う。

「言いすぎだろ。収入はいいはずだ」

「稼ぐ以上にギャンブルが好きでな。しかし、うまくねえ」

「下手の横好きか」

「ま、そんなところだ」

 ヤージは声を立てて笑った。

 こいつはいつもと変わらない。一緒にいると、安らげる友だ。

 ヤージの家に来たのは、正解だったと改めて思った。

「あ、少し治ってきた」

「本当だ。てめえのひどい顔が、まだましになった」

「礼を言う」

「だから、礼はいいから金を出せ。利子をつける、とまでは言わねえが」

 声に出してユリードは笑った。椅子から立って、ヤージと向き合う。

「ここまで来れた」

「ついに、てめえとボードゲンとの戦いだな」

「ああ」

 ボードゲンに勝利を告げ、正式に挑戦した。

 意外だが、即座に返事が返ってきた。戦う場所は、ユリードが決めていいとまで言ってきたのだ。

「いよいよ最強の敵か。今までとは違うぜ、ユリード」

「ああ、あのビリンが殺すのに三秒かかるという、ウルース大地最強の男だ」

 いつ戦うかは決まっている。古来よりの慣習通り、満月の夜の翌日の昼だ。

「強すぎるな」

「でも、てめえが勝つと思うぜ。思わなかったら、あんなに高い布を渡してねえ」

 にやりとヤージが笑う。

「絶対に返せよ、金。そして、男になったら旅行しよう」

「二人で?」

「まさか。男の二人旅なんて、つまらねえよ」

 ヤージの声は弾んでいる。

「おれにはすっげえ綺麗な彼女がいるから、てめえが男になれたら四人で旅行しようぜ」

「四人、ということはエミリーとか」

 楽しそうだな、と思う。

「それはいいな」

「ただし、おれの彼女に手を出したらぶっ殺すからな」

 ユリードはふっと笑った。

「それはあり得ない。私は、エミリー以外の女性に性欲を感じない」

 ヤージが顔をしかめる。

「分かってねえなあ。男の性欲は、好きだからいだくものじゃない」

「ふうん」

「大嫌いな女でも、裸だったら性欲を感じるんだ」

「ええっ!」

 ユリードは思わず、ヤージを凝視した。

「冗談、だよな?」

「なんで疑うんだ? 本当だよ」

「いや、大嫌いな相手に性欲をいだくなんて、あるはずがないじゃないか」

 やれやれ、とヤージはこぼす。

「口では説明できないな。さっさと男になれ。そうしたら分かるさ」

 ヤージは皮肉な笑みを浮かべている。

 本気か? 

からかっているのか?

 少し悩む。

 まあ、男になれば分かるか。

「そう言えば、てめえはどこで戦いを挑むんだ」

「南の盆地の外れだ。地図に示して渡してある」

「本当にそこで戦うつもりなのかな?」

「さてな。ボードゲンはどんな手でも使うからな。分からんが、勝てる可能性はあると私は見ている」

「どんな手を使うんだ?」

「言えないな」

「む? おれが誰かに話すと?」

「それもあるが、今この部屋に誰かが隠れているかもしれない。ボードゲンの配下がな」

 思い浮かべている作戦は、誰にも口にしていなかった。

「ほう、賢明だ。決戦の日まで、あと十九日か」

「うむ。あ、そうだ。六秒戦団に頼みたいことがあったんだ」

 ユリードは荷物を肩にかけた。

「ちょっと、出かけてくる。今日はここには戻らないと思ってくれ」

 あいよ、とヤージは軽く返してきた。


 ■■■


 宿屋で準備をしていた。

 ボードゲンとの戦いの準備だ。

「ついに来たか」

 昨夜が満月だった。そろそろ、日が高くなってきている。

 最強との戦い。

 生涯の夢が叶うか否かが、決まるのだ。

 荷をまとめて背負った。木製の質素なドアを開けて、かすかな音を立てて廊下を進む。

 宿の主は、憂鬱そうな視線を向けてきた。

「いくらだ?」

「あんた、本当にボードゲン様と戦うのか?」

 眼が暗い中年の男が、ぼそっと言った。

「もちろんだ」

「やめておけ。死ぬだけだ」

 ユリードは無言だった。

「ジャゴーとギンカンの二人を倒したのはすごい。だが、だからと言ってボードゲン様に勝てると思ったら大間違いだ」

「もし逃げても、私はボードゲンに殺されるよ。二人の部下の仇として」

 男はこちらをちらりと見て、目を伏せた。

「分かった。行くがいい」

「宿代は?」

「これから死ぬ相手から金をもらうつもりはない」

「……あっそ。じゃあ、勝てたら払う。それでいいな」

 男は返事の代わりに、ため息をついた。

 宿を出て、すぐに決戦の場所は見えた。青い水面を目印に、下り坂を歩いていく。

 沼は、意外と水が澄んでいた。沼の周囲は、背の高い木々で囲まれている。

 ボードゲンの姿は見えない。

 またすっぽかすつもりか、と思った時だった。

 地響きがした。

 鳥たちが一斉にはばたく音が聞こえる。

 また地響き。巨象でも歩いているかのようだ。

 何の音かは分かっている。ボードゲンの足音だ。

「音からして、ゆっくり歩いているな」

 つぶやく。

 ユリードの動悸は激しくなっている。

 六秒戦団の軍人も、ボードゲンには勝てない、と断言した。

 だが友のヤージは勝てると言った。

 ヤージを信じるというより、自分の作戦を信じることだった。

 大きくなっていく地響きの音から、距離を測る。

 近い。

「お前がユリードか」

 声が聞こえた直後に、樹木が一本倒れた。

 上半身が裸の男が現れる。短い赤毛に、赤い瞳。ジャゴーよりほんの少しだけ、背が低い。筋肉は、異様なまでについている。

「あんたがボードゲンだな」

「ふん。こんな奴にあの二人が負けたのか。期待外れの奴らだ」

 上半身がむき出しのボードゲン。あの肉体が、どれほど強いのか。

 自分はそれを思い知ることになる。

 ボードゲンが一歩踏み出した。地面が揺れる。

「おれを、一人で倒すなどという馬鹿げたことを考えているのか?」

「当たり前だ。最強の敵は、一人で倒さねばならない。そうでなくては、男になれない」

 ボードゲンは何も言わずに眼を細めた。感情が、読み取れない。

 ユリードは剣を構えた。

「ジャゴーに使ったように、溶けた鉄が入っていそうだな」

「ああ、そうだ」

「ならば、おれの口に注いでみろ」

 ボードゲンは大きく口を開けた。

 一瞬戸惑う。

 口を開けたままボードゲンはこちらを見て、不快そうに顔をしかめた。

「早くやれ」

「負けたいのか?」

「よくそんな愚かな発想が持てるな。心底呆れる」

 ボードゲンは余裕たっぷりだ。

「力の差を教えてやると、そう言っているんだ」

 ユリードは慎重に進んだ。罠をかけるつもりなら、自分は一撃で死ぬだろう。

「何を警戒している」

 ボードゲンの言葉に、反応しなかった。少しずつ近づき、剣に砕けるよう念を送り。

 斬りつけた、ボードゲンの顔面を。

 真っ赤に溶けた鉄。あふれた。ボードゲンの口に向かって行く。

 ボードゲンはそれをよけなかった。口の中に流れ込む。驚いた。舌の上にとてつもない高温で液体になった鉄があるというのに、表情一つ変えない。

 横を向いて水を吹くような音がする。溶けた鉄がボードゲンの口から吹き出た。

「ふうん。確かに熱いな。ジャゴー程度なら、これで死ぬのか。おい、女。その剣をよこせ」 

 ユリードが構えた二番目の剣を見つめている。

「丸腰の私を殺すつもりか」

「本当に愚かだな」

 地面が揺れた。ボードゲンが近づいてくる。剣を奪うために、手を伸ばしてきた。

 ユリードは渾身の力を込めて、ボードゲンの手を切りつけた。敵の手は、微動だにしない。

 ボードゲンは剣をつかむ。音を立てて剣が変形して、つぶれた。ボードゲンの握力は、鉄を簡単に握りつぶせるのか。

 ボードゲンが剣を持ち上げた。柄を持ち続けることができない。ユリードは剣を手放して、後ろに向けて跳躍する。

 ここで攻撃されたら、自分は死ぬ。

 ボードゲンはつまらなそうに剣を見て、上に放り投げた。

「おい、鉄の力で上に行かせろ」

「なに?」

「そして、おれの頭上に落とせ」

 ボードゲンは相変わらず、退屈そうだった。

 見上げる。信じられないほど高くに、剣は上がっている。ユリードは力を込めた。

 剣が落ち始める。ボードゲンは突っ立っている。自分で言い出したことを、忘れているかのようだ。

 すさまじい速さで落ちてくる剣。ボードゲンは、この直撃を耐えられるというのか。

 ボードゲンは手を上げて、頭上の虫をはらうような動きを見せた。

 落ちてくる剣と手がぶつかった。粉々になったのは、剣の方だった。

 ユリードは息を飲んだ。

「分かったか。力の桁が、違いすぎることが」

 声音で分かる。ダメージは、全く受けていない。

「さっさと降伏しろ。命だけは助けてやろう」

 ユリードは背を向けて、逃げ始めた。大きな足音が、響いてくる。走ってはいないようだ。

 想定していたよりも、はるかに強い。あの手が、通用するのだろうか。

 その前に、殺される確率の方が圧倒的に高い。

 木々の間に入り込んだ。逃げようとする背中に、衝撃が来た。

「ぐあああっ!」

 悲鳴を上げて、倒れこむ。一撃を食らった。それも、重い一撃だ。

 振り返る。ボードゲンは遠くにいた。

 どういうことだ?

 いくら何でも、この距離から拳が届くはずがない。

「なにを不思議そうな顔をしている」

 ボードゲンは石を手首だけで、投げた。

 大木に直撃した。次の瞬間、木に巨大な穴が開いた。

 木を破壊した石は、そのまま真っすぐに飛んでいく。また木に当たった。再び、穴が開く。

 石は木と木の間をすり抜けて、遠くへ飛んでいった。

「今の攻撃を、受けたのか」

「違う。そうすれば、お前はすでに死んでいる。投げる時は、かなり力を抜いていた。さて」

 ボードゲンは見下した目つきをしている。

「お前に勝ち目はない。お前がどんな策を練って、攻撃してもおれを倒すことはできぬ。いや、傷つけることもできない。降伏しろ」

「断る」

「分からん奴だな」

 ボードゲンは指を一つ大木に突き刺した。軽く指を上げると、大木が地面から抜けて出てくる。しっかりと地面に張っている根が、ぼろぼろと土をこぼして地から離れていく。

 悪夢のような光景だ。

 指一本で大木を持ち上げたボードゲンは、次の瞬間投げてきた。ユリードは、死に物狂いでよける。

 ぶつかって木々が倒れる。投げられた大木は音を立てて、地面にめり込んだ。

 ユリードは悟った。勝てない、普通のやり方では。

 あそこに逃げるしかない。

 再び駆け出した。今、ボードゲンが攻撃すれば、自分は死ぬだろう。

 そんなことは、覚悟の上だ。

 死を賭してまで、叶えなければならぬ夢。

 ユリードの視線の先には沼があった。ためらうことなく、進んでいく。下半身に、水の冷たさを感じた。

 振り返る。ボードゲンは退屈そうではなかった。

 むしろ、面白そうだ。

「お前の能力では、おれは倒せない。傷つけることもできない」

 ボードゲンはゆっくりと近づいてくる。地響きの音。

「そう思っていた。お前には簡単に勝てると確信していた」

 ボードゲンはにやりと笑った。

「お前が六秒戦団に、民衆を避難させるよう頼むまではな」

 衝撃で、声が出せなかった。

 まさか、まさか。

「そうだ! ユリード。お前は賢い。このおれを倒す方法があるなどと、お前と戦うまで気づかなかったぞ。この最強の肉体の弱点。お前はそれを見抜いていた」

 高笑いをするボードゲン。

 読まれていたのか。

「くくく、顔に絶望が見えるな。よくぞ見抜いた。おれの肉体の弱点。それは重さだ。おれの肉体は、重すぎる」

 そうだ。

 ウルース大地の誰もが知っている。ボードゲンが歩けば、地響きがすると。

「お前は天候を操る女。そしておれは注意深く調べた。お前が選んだ場所と、発生させた雲を」

 ボードゲンはうれしそうに空を見上げる。

「今ここは、雨が降っていない。だが、この沼に流れ込む川の上流では、雨雲が用意されている。それだけでは、おれはお前の作戦には気づかなかっただろう。

 お前の失策はただ一つ。家が水没してしまう民衆を、避難させたことだ」

 息が荒くなる。

「そんなことをすべきではなかった。何故やった?」

「無関係な民を、犠牲にはできない」

「ははは! その程度の覚悟で、最強を目指すとはな。お前の知略はいいが、覚悟は駄目だ。民を容赦なく殺せる者が、最後まで生き残る。宣言しよう。お前は、おれを溺死させることはできぬ!」

 唯一の希望だった。

 あの重さからして、どう考えてもボードゲンは水に沈む。泳ぐことは不可能だ。

 それが一筋の光明だったのだ。

 唯一の希望だったのに。

「いや、違う」

 諦めるな。

 沼の奥へ逃げ込めば、まだ勝つ可能性はある。

 背を向けて、沼の中で必死にあがいた。驚くほど、遅い。水の抵抗があって、焦ってもどうにもならない。

 急がねば、と思った時だった。

 脇腹に、何かが当たった。すさまじい速さで。

 樹木だ。考えるまでもない。ボードゲンが抜いた物だろう。

 樹木が一回転する、自分ごとだ。通り過ぎていく光景。一瞬。ボードゲンの笑い声。

 吹っ飛ばされて、転がる。地面の上だ。ただの一撃で、沼の外へ出された。

「これでお前は、今ここに雨雲を発生させるしかなくなった」

 余裕たっぷりのボードゲンの声。

 確かにそうだ。そのためには時間がかかる。何とか、突破する方法はないのか。

「まだ諦めてないのか。では」

 ボードゲンは濡れているユリードに近づいてくる。

「お前よりおれの方が賢いということを見せてやる。そして、真の絶望を知るがいい。ラン、出てこい」

 森の奥から現れたのは、黒い服を着た八歳ほどの少女だった。長い黒髪に黒い瞳。怯えているのが分かる。

 少女は大きな物を持っていた。楕円形の、縦に長い物。

「あれは鉄でできている」

 鉄の泉の水を飲んだ人が造った物か。

 ボードゲンはユリードの首をつかんで、持ち上げた。息はできる。手加減しているのが分かる。

 ボードゲンは、鈍く光る鉄を目指して歩き始めた。抵抗は、できない。

 雨雲よ、集まってくれ。そう念を送り続けた。

 ボードゲンは鉄の前に立った。

 見た物の意外さに、声が出せなかった。

 楕円形の鉄には、自分の姿が映っていた。驚くほど、鮮明に。

「予想もしなかっただろう。これは鏡だ」

「鉄でできた鏡――」

「さあ、ラン。やれ」

 ランと呼ばれた少女はユリードとボードゲンの足をつかんだ。そして、自分の頭を鏡に当てる。

 鏡が光った。

 次の瞬間、臭いが変わった。沼独特の臭いはもうない。これは、何の臭いなのか。

 鏡の光が消えると、自分が全く違う場所にいることに気づいた。少女は二人の足をつかんで鏡に頭を当てている。

「よくやった、ルン」

 はっとして少女を見る。長い黒髪と黒い瞳。その顔立ちは全く変わらないが、服が茶色になっている。

「双子か?」

「そうだ。お前がジャゴーとギンカンを殺した後で、おれが特別な肉体をこの双子に与えた」

 ボードゲンが首から手を離した。思わず、しゃがみ込む。絨毯の上に。

 手で撫でる。かなりの厚みがある絨毯だ。ここなら、ボードゲンが歩いても地響きはしないだろう。

 窓はないが、部屋は明るい。天井から吊り下げられた矛が、白い光を放っているのだ。矛の数は、一つや二つではない。百を軽く超えていた。

「双子の力で、私を他の場所に移動させたのか?」

「双子ともう一人。鉄で出来た鏡の能力者の力だ。三人の力を合わせれば、こんなことは簡単にできる」

 戦う場所はユリードに任せると言った。

「最初から、私の望む場で戦うつもりはなかった、ということか」

 建物の中で戦う。キギダンなら、絶対に選ばなかった手だ。

 天井からは、熱が伝わってきた。陽光の熱だ。つまり、ここより上に階段はない。天井の上は空。

 そして、ここより下の階があるなら、ボードゲンの体はすぐさま床をぶち抜いている。一階までしかない建物の中にいる。それは推測できた。

「くくく、お前は賢いがおれに比べたら浅はかだ。お前に、敗北を確信させる知らせを与えてやる。

 ここはエコール山とアキータ山に挟まれた谷の別荘の中だ。ここなら、天候の力など何の意味もない。何故ならお前はここに、全く雨雲を用意していない」

「エコール山とアキータ山だと?」

「そうだ。これが何を意味するか分かるな。お前が必死になって用意した雨雲はエコール山を越えることはできない。すなわち、お前は負けたのだ」

 ボードゲンは余裕たっぷりに座り込んだ。

「ルン。鏡を持って出ていけ」

「はい」

 去っていく少女は、悲し気な眼をしていた。

 入口の扉が閉まる。

「さて、本題に入ろう」

 ボードゲンのうれしそうな声。

「何故、おれがお前を殺さなかったか、分かるか?」

 ユリードは敵をにらみつけた。

「部下にしたいのか?」

 ボードゲンは笑みを見せる。

「ジャゴーとギンカンを行かせた時は、そんなことを考えなかった。お前を確実に殺すつもりだった。だが、予想外なことに、お前はあの二人を倒した。

 お前はかなり強く、頭もいい。何より、熱と鉄、更に天候まで操れる者は貴重だ。そんな奴は、殺すのが惜しい」

 ボードゲンが笑顔で立ち上がる。

「おれの右腕になれ、ユリード。そうすれば、お前の望みも叶えてやる。男になって、女を抱きまくりたいんだろ? 何百という美女をそろえてやろう」

「断る」

「ほう。何故だ?」

「お前の配下になれば、ウルース大地はお前のものになる」

「もちろんだ。お前は六秒戦団の新たな主。あれだけがウルース大地統一の障害だったと言っていい。もはや、キギダンはいない。おれの部下になれば、お前はウルース大地を支配する男の家臣になれる」

「だから駄目だ」

「何故だ? 富も権力も手に入るぞ。美女だけでなく」

「お前が勝てば、民が苦しむことになる」

 ボードゲンはにやりと笑った。

「そこまで読んだか。もちろんだ。税をきちんと納めない村人を、日照りで殺すこともできる。色んなことができる。

 おれは、ウルース大地の歴史始まって以来の、強大な支配者になれる。お前がおれの元にくだればな」

「民のために、お前などに従えるか!」

「くくく、その元気があるのは褒めてやろう。では聞こう。勝てるとでも思っているのか?」

 ユリードは言葉につまった。

 溺死だけだ。どう考えても、それ以外にボードゲンを倒す方法はない。

「お前ができるのは、ここに雨雲をつくりだすこと。それだけだ。そして、それには時間がかかる」

 ボードゲンは屋根を見あげた。

「その証拠に、まだ晴れている。日差しが暑いくらいだ。これからでは、手遅れと言うことだ」

「いいや、私は諦めぬ!」

 なんとか。

 なんとかして、こいつを溺死させなくては。

 どんな状況でも、絶望などしない。

 力の限りを尽くすんだ。

 ユリードは、立ち上がった。足がふらふらする。

「ふん。口だけか。では仕方ないな。拷問の時間だ」

 ボードゲンが近寄る。右腕をつかんできた。痛みに耐えきれず、悲鳴がもれる。

「降伏する気になったか?」

「まさか」

 ボードゲンの手が軽く腹に触れた。すさまじい衝撃。口から吐き出された血。よろめいたユリードの顎から垂れて、絨毯を赤く染めた。

「これでも、かなり手加減をしている。蟻をつぶさぬように持ち上げる人間の気持ちだ。さあ」

 笑顔のボードゲンが近づく。

「降伏しろ。おれの右腕になれ。望みは叶うのだぞ」

「私は、民を不幸にしてまで望みを叶えようとは思わない」

「殺されてもか?」

「ああ」

 ボードゲンは不快そうな顔をして、手を離した。絨毯の上に崩れ落ちるのを、必死にこらえた。

「拷問と言うのは楽しくないな。手を抜かねばならぬから疲れる」

 部屋を歩き回り始めた。目で追って、気づく。壁に、様々な武器が描かれている。矛、槍、斧、弓矢などだ。

 しかし、剣はない。

 圧倒的なビリンの力の前に手も足も出なかったことを、今でも屈辱だと思っているのだ。ボードゲンは。

 こいつを三秒で殺せるビリン。はっきり言って、想像を絶している。

「そうだ」

 歩き回っていたボードゲンは、にやりと笑った。

「ならば、こうしよう。お前が降伏しないなら、エミリーをなぶり殺しにする」

 ユリードは声を出せなかった。

「どうだ? 可愛い恋人なのだろう。エミリーのためだ。おれの配下になれ」

 ユリードはじっと下を向いた。

「……考えさせてくれ」

 ボードゲンはうれしそうな声を出す。

「構わない。じっくり考えろ。ただし」

「なんだ?」

「雨が降り出したら殺す。お前とエミリーをな」

 ユリードは黙ったまま、ボードゲンを見つめる。

「まだ晴れている。この天候を変えるな」

「分かった」

「ならば、聖魂にかけて誓え。どこにも雨を降らさぬと」

 ユリードの引きつった顔を、覗き込んでくる。

「どうした? 誓わぬのか?」

「分かった。聖魂にかけて誓う。雨を降らしはしない」

 ボードゲンが距離をとる。

 ユリードは絨毯の上に座り込んだ。

 雨を降らせることは、できない。

 どうすればいいのか?

 とは、ユリードは迷わなかった。

 自分がすべきこと。

 愛する人のために、何がなせるのか。

 考え抜いて、ボードゲンに挑んだ。

 愛しいエミリーの顔。

 あの笑顔は、失ってはならない。どんな手を使っても、守り抜かなければならないのだ。その責任が、自分にはある。

 ヤージの親し気な笑み。

 安らぎを与えてくれる友。自分が、ボードゲンに勝てると信じてくれた男。

 病に伏せっているメリアンヌ。

 六秒戦団を託してくれたキギダン。

 悲しげな顔のランとルン。

「なあ」

「なんだ、ユリード」

「私があんたの右腕になれば、あの双子はどうなる?」

「特別な肉体を与えれば、それを簡単に取り上げることはできない。だから、死んでもらう」

「なんだと!」

「ランもルンも用済みだ。お前を確実に倒すため。それだけのために、あの能力を与えたのだからな。そんなことより、おれに従うという結論は出たのか?」

 ユリードは立ち上がった。

「ああ、結論は出た」

「ほう、おれの右腕になるか」

「私は、お前を倒す。それが結論だ」

 怒るかと思ったが、ボードゲンはにやにやと笑った。

「へえ? どうやって」

「決まっているだろう。溺死だ」

「そんなことができるとでも……なにいっ!」

 待っていたものが来た。

 床の上に、水があふれ出した。

「な、何故だ⁉」

 水位はどんどん高くなっていく。

 ボードゲンは壁を殴りつけた。壊れた壁から、更に水が入ってくる。

 壁の外は、もう屋外だった。

「晴れている」

 空を見上げて、呆然とつぶやいたボードゲン。

「何故だ? どうしてだ? お前は誓いを破ったのか!」

「まさか、そんなはずがないだろう」

 ユリードは、堂々と返した。

「どこにも雨を降らさなかった」

「なのに、何故だ? いや、例え雨を降らせたとしても、こんな勢いで水があふれるはずがない!」

 実際、絨毯の上は池の中のようになっていた。水位はボードゲンの腰を越えている。

 ボードゲンは外に向かって駆け出した。水しぶきが上がる。逃げようとするボードゲンが揺らめいた。

そして、沈んでいく。重すぎて、濡れた土では支えきれないのだ。

 ユリードは水しぶきを散らして外に出る。屋根には意外なことに、盾が敷き詰められていた。陽光を浴びて輝く金色の盾だ。ざっと百枚以上はあるだろう。

 勢い良くジャンプする。水音。両手が一つの盾をつかんだ。

「よし」

 腕に力を込めて、別荘の屋根の上によじのぼった。そこに座って眺めれば分かる。ボードゲンが動けば、体重で沈んでいく。何とかしてこの別荘の上にのぼったら、屋根が壊れて落下するだけだ。

 ボードゲンに逃げ場はない。

「考えぬいたんだ! おれの計算は完璧だった。ここなら、このエコール山とアキータ山に挟まれた地に、雨雲はなかった!」

「そうだ。そして、それが私のしかけた罠だ」

「罠、だと!」

「しかし、こうも見事にはまってくれるとはな。正直驚いたぞ。運が良かった」

「ちょっと待て!」

 水面は、ボードゲンの胸のあたりまで届いている。

「どうやって、いきなり水をあふれさせた」

「空を見ればわかるだろう。晴れている」

「晴れていて、水があふれることなどあるか!」

「ある。よくあることだ」

 ボードゲンの息が荒くなっている。

「ヒントをやろう。第一に、晴れていること。第二に、ここは二つの山に挟まれた谷であること。第三に、日が照っていて暑いことだ」

「……それが、どうした」

「この三つを考慮すれば、どうして水があふれたか分かるだろう」

 水は、ボードゲンの首のあたりまで来ている。

「わけの分からない事を言うな!」

「ほう、分からぬのか。ならば教えてやろう」

 屋根の上のユリードは、余裕をもって告げる。

「エコール山とアキータ山。この二つの山に、大量の雪を降らせておいたのだ」

 ボードゲンの顔が崩れる。

「ゆ、ゆ、雪解け水かあ!」

「そういうことだ。さらばだ、ボードゲン」

「ち、ちくしょうおお!」

 叫び声をあげたボードゲンの口まで、水位が届くのを見て。

 ユリードは、清々しく晴れた空を見上げた。

「ようやく、男になれる」








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