034_引退試合
本格的な冬・・・また厄介な、嫌な季節がやって来ました。
厳しい寒さが喉を、肺を、心臓を、全身を攻撃してきます。
本当に、糞暑くて無茶苦茶不快でも夏の方がずっと楽です。
夏は怠いだけで済みますが、冬は毎日が不調との闘いです。
そんでもって今回は殆ど昂輝パート。むっちゃ大変でした。
1/10:最後の辺り、餞のルビを外しました。
改行が気持ち悪かったからですが、おかしいな?
投稿時にはこんな改行では無かった筈なんだが?
小学校以来の友人である美倉蒼、その天然寄りな発言にはよく驚かされたものだ。
例えばコレ、高校下見の後に寄ったバーガーショップでのコーラで咽かけた一言。
「俺、お前と一緒に柔道部に入って、しっかりと鍛えて、丈夫な身体を目指す!」
一瞬、自分の耳を疑った。 体育の授業さえ満足に熟せない蒼が、柔道部に入る?
・・・・・・・・・
はあ? 馬鹿な事を言うな! そんなことを医者や茜さんが認める筈無いだろう!
思わず反射的に否定しそうになり、辛うじて出掛けた言葉をコーラで吞み込んだ。
一見考え無しに見えて、いつも考えてから動くのが、蒼という早熟の天才なのだ。
医者や茜さんが反対することも、自分の身体がどういう状態にあるかという事も、
俺なんかよりずっとよく解かっている、冷徹な、徹底した現実主義者が蒼なのだ。
その蒼がそんな話を切り出すというのは、既に両者の了承を得ているという事だ。
そしてその了承の意味する処は、終に蒼の身体が最終フェイズ、《 思い残すことが
無い様に、可能な限り希望を叶えてやる 》といった状態に移行している可能性だ。
・・・・・・・・・
蒼の隣に座る沢瀬は、既にこの事を聞いていたのだろう。 何の反応も示さない。
それは、沢瀬もこの事を認めてしまっているという事だ。
・・・・・・・・・
蒼は少女の様な可愛い顔をして、相当に頑固な処がある。
その蒼の決断を翻意させられる人物なんて世界で唯一人、茜さんだけだろうから。
茜さんが認めてしまった以上は、俺や沢瀬が幾ら反対したってどうにもならない。
俺も沢瀬も、嫌という程にそのことが解かっていたから。
◇ ◇ ◇
その夜に、独りベッドで考えた。 昼間の、弁解じみた、蒼の言葉を反芻して。
『医者も、現代医学もまだ完全じゃない。 だから俺の身体は弱いままなんだ。
完全じゃないから誤診もあれば、治療法そのものの間違いだってあるだろう』
・・・だから可能性は有るのだと言う。
・・・健康な肉体に生まれ変わる可能性は有るのだと言う。
・・・・・・・・・
・・・完全に詭弁だ。 冷徹な現実主義者の蒼らしくもない、殆どただの夢物語。
・・・・・・・・・
映画や小説でもファンタジー物は、馬鹿馬鹿し過ぎて話にならないと吐き捨てる、
徹底した現実主義者の蒼が夢物語を語る。 奇跡の様な可能性を信じようとする。
・・・そんな蒼の心情を慮って、涙を零さずにはいられない夜だった。
◇ ◇ ◇
男女共に顧問不在という珍しい練習の後に、猿石先生が蒼を伴って道場に現れた。
現れるタイミングと、顧問の隣という着座位置から、誰もが蒼の退部を予感した。
・・・練習の終わりを告げる礼の後に、猿石先生が俺たちに向け静かに語り出す。
「皆も薄々勘付いているようだが、美倉が柔道部を辞めることになった。理由は
ドクターストップだ。そして、家族との約束を守る為だ。 皆も知っての通り
美倉は、修学旅行で倒れて救急搬送されることになった。 救急搬送されたら
退部というのが、身体の弱い美倉が、運動部に入部する際の約束だったそうだ」
・・・初耳だった。
確かに高校に入ってからの蒼は、中学生の頃よりも幾分行動が慎重になっていた。
きっと経験が成長させたのだろうと思っていたが、倒れることを恐れていたのか?
倒れて柔道部を、身体を強くすることを、やめさせられることを恐れていたのか?
蜘蛛の糸の様に細い未来への希望を、強い肉体に生まれ変わりたいという願望を。
・・・それらを胸に抱き続けるという細やかな望みを、手放すことを恐れたのだ。
誰も悲しませない、そんな未来を夢見ることを、諦めてしまうことを恐れたのだ。
『俺、お前と一緒に柔道部に入って、しっかりと鍛えて、丈夫な身体を目指す!』
あの一言に懸けた切実な願いを、未来を望む強い想いを諦めたくはなかったのだ。
・・・・・・・・・
・・・現実は残酷だ。 蒼にはそれらを諦めるという選択肢しか残されなかった。
・・・・・・・・・
たった一つだけ残されたその選択肢を、蒼はどんな思いで受け入れたのだろうか?
・・・それを想うだけで、蒼の無念を想うだけで、強く胸が締め付けられてくる。
・・・駄目だ。 今はそんなことを考える時ではない。 蒼が目の前に居るのだ。
全ての現実を受け入れて、望みを捨てる覚悟を決めた蒼が静かに座っているのだ。
凛とした姿勢で、穏やかな微笑さえ浮かべながら、静かに座っているではないか!
俺が感情を乱してどうする! 蒼の前では、決して泣かないと決めたではないか!
「・・・此処に居る誰もが知っている筈だ。 美倉は誰よりも練習熱心だったと。
練習時間内は誰よりも集中していたと。 その努力が此処で一番の技術として
結実したのだと。 腕力と体力、そんな先天的な要素に関係の無い処では部内
で一番の実力者に成長したのだと・・・俺はその努力の結晶を惜しいと思った。
健康上の理由で辞めるのはどうしようもない事だが、それでも惜しいと思った」
猿石先生の話は続いている。 かなり長めな話だが、皆が静かに聞き入っている。
その言葉ひとつひとつに、言葉に込められた深い想いに、強い共感を覚えながら。
・・・そして、僅かな違和感も覚えながら?
・・・話す声が明るく、何処か力強いのだ。
顔を上げ、目を開いて先生の表情を見る。 不思議な程に晴れやかな表情だった。
猿石先生は、蒼の退部を悲しまないドライな性格の持ち主じゃない。 寧ろ逆だ。
その退部理由が不本意であるだけに、泣いていてもおかしくない、そんな先生だ。
涙を嫌う蒼の為に、場の空気の為に、明るく振舞えるような器用な先生でもない。
感情が直ぐに表に出てしまう、愚直な程に一本気で思い遣り深い、そんな先生だ。
その猿石先生が、蒼の不本意な退部を、これ程の明るさで発表出来るわけが無い。
何か理由がある筈だ! 隣に座る蒼を見るが、目を閉じたままに正座をしている。
・・・・・・・・・
そして、蒼が閉じていた目を開いた時、目が合った瞬間にはっきりと感じた。
六限目を終えた時の蒼ではなかった。 澄んだ、穏やかな笑顔ではなかった。
真夜中の泉の様に凪いでいた瞳が、ぎらぎらと、激しい光を放っていたのだ。
先程迄は僅かに口角を上げていただけの口が、獰猛な笑みを湛えていたのだ。
蒼・・・お前、六限目終了からの、この僅かばかりな時間で何があったのだ⁉
沢瀬の膝枕で、昼寝でもしているだろうと思っていた、僅か1時間半の間で!
一体、何があったのだ⁉ そして、一体、何をやらかそうというのだ!!!?
・・・・・・・・・
俺と視線が合った蒼は、俺の疑問をも感じたのだろう。 形のいい唇を動かす。
き・け・・・と。 聞け? ・・・きっと、猿石先生の話を聞けということだ。
「俺は美倉の努力を形に残したいと考えた。 是非とも美倉には、積み重ねた努力
の成果を掴み取ってから、本人が納得出来る形で、引退して貰いたいと考えた」
それは当然のことだ。 産まれてからずっと我慢と努力を積み重ねてきた蒼だが、
納得なんかはただの一度だって出来て無い筈、ただ苦労を積み重ねてきただけだ。
・・・納得なんか、到底出来るような状況ではなかったのだ!
・・・・・・・・・
蒼の入部動機は先生だって知っている筈。 それなのに、何故納得出来る形等と?
・・・どうして、そんな無責任な発言を口にするのだろうか?
「先ず美倉の入部動機である肉体改造、これに関しては俺たちにしてやれることは
無い。 専門家である医者が無理だと判断したくらいだ。 だから別の形で努力
の対価を用意しようと考えた。 美倉の今迄の頑張りに見合うだけの対価をだ」
別の形での対価? 激励会でも開こうというのか? それを蒼が喜ぶとでも?
「・・・俺は、美倉に、ド派手な引退試合を用意してやろうと考えた。 入部から
1年と8ヶ月の努力に見合った。 いや、それ以上に派手な引退試合を計画した。
電話で美倉のご家族と担当医から了承を得たし、何より美倉本人が乗り気だ!」
・・・引退試合! そうか、その手が有ったか!!
「ド派手な引退試合に選んだ相手は、大阪東洋学院の絶対エース神坂、無敗の高校
王者にして、今年の日本選手権優勝者、そしてロス五輪最有力候補。 文字通り
現在最強の高校生だ。 そいつの首を手土産に引退させてやろうと俺は考えた」
・・・・・・・・・
『 『 『 『 『 『 『 ええええええぇぇぇっ!!! 』 』 』 』 』 』 』
道場内が騒めいた! 誰もが想像出来なかった、想像のしようも無い発言だった!
大阪東洋の神坂、柔道をやるなら知らぬ者はいない、世界から注目される高校生。
高校生、いや学生という枠を外しても、現在日本最強と目されている圧倒的強者。
・・・そんな化け物を相手に選んで、それで引退試合? 首を手土産にだと⁉
白帯相手の昇段試合だけで、実戦経験が全く無いに等しい蒼が勝てるとでも⁉
そんなの、蒼に勝ち目が有るわけないじゃないか! ・・・いや? 有るかも?
・・・有るな・・・勝ち目は有る。 というか、勝ち目しかない? 気がする。
「その表情、中根と藤堂は美倉が勝つと考えているな? 俺も勝つと考えている。
・・・何といっても美倉の柔道は神坂の天敵だからな。 最強君には悪いが、
最強という奢りと青さを改めるいい機会になったと、反省して貰う事にする」
そうか・・・やはり先生も、そして中根も俺と同じ結論に至ったか。
他の連中は・・・美倉以外は、未だその結論には至っていない様だ。
美倉の本当の怖さを知るには、少しばかり実力が足らないということなのかも?
・・・・・・・・・
何にせよ、美倉が試合を楽しみにしている。 その強欲そうな笑顔が俺には嬉しい。
・・・本当に、堪らない程に、嬉しく思う。
ところで、問題はあの神坂との試合を、どうやって実現するかだが・・・あっ⁉
「既に気付いている者も多いと思うが、美倉の引退試合は次の日曜日に、この道場
で行われる大阪府高校柔道選手権大会とする。 大阪東洋学院は間違いなく決勝
に進んで来る。 そしてC、Dブロックの勝者と大阪№1の座を争うことになる」
「Cブロックのお前たちが為すべきは決勝戦まで勝ち残ること、ただそれだけだ。
そうすれば自然に、決勝の大将戦で、美倉と神坂の試合が実現することになる。
美倉が医者から許可されたのはたった一試合だけ。 この大会の決勝戦だけが、
美倉にとって最初で最後の公式戦なのだから、絶対に決勝迄進まねばならない」
「大会は当然にベストメンバーで臨むことになるが、女子の采配は鹿原、全てお前
に任せる。 そして男子、先鋒・高梁、次鋒・山田、中堅・斎藤、副将・中根、
大将・藤堂、お前たちの役割は何としてでも決勝迄勝ち残ること。 この大会を
最後に引退する美倉を、最初で最後の公式戦の場に連れて行ってやることだ!」
「決して無理ではない! 西地区一位の実力を以ってすれば十分に可能な筈だ!
大事な仲間、美倉が引退する晴れの舞台を、お前たちの力で造り上げてやれ!」
「 解かったか!!」 「 「 「 「 「 はい! 解かりました!! 」 」 」 」 」
全員が力強く応える。 嘗てない程の士気の高まりを感じる。
絶対に負けられないという強い意志が、全員から感じられる。
あぁ、本当に負けるわけにはいかない! 絶対に蒼の引退試合を実現させてやる!
それが俺たちに出来る、夢を諦めざるを得ない蒼への、たったひとつの餞だから。
◇ ◇ ◇
私立大阪東洋学院高校二年生神坂孝志は、見た目同様に頭の中も爽やか君である。
・・・頭の中の風通しが良いというか、情報密度が低いというか、そんな感じだ。
決して馬鹿ではない。 少し思慮とか配慮とか、色々と足りていないだけなのだ。
だから 「あれぇ? 去年は駅から直ぐだった気がするんだけど?」 とかなる。
今回は、少しばかり注意力が足りていなかった。 具体的には東と西の方向確認。
帝山学園は駅の東口を出て直ぐなのだが、間違って西口から出てしまった。その後
徒歩で既に20分。 反対方向に20分歩き続けたら『あれぇ?』となるのも当然だ。
尤も、普通の人だったら20分も歩く前に『あれぇ?』とか、なりそうなものだが?
そこは流石に爽やか君。 細かなことなんか気にしないし、未だ歩みを止めない。
爽やか君が足を止めるのは10分後、エース不在に気付いたチームメイトからの電話
を受けてから。 『ひょっとして帝山学園って移転した?』は後世に伝説となる。
そんな爽やか君と眠り姫、二大天然生物が大阪最強、いや、日本最強を賭けて対峙
する一戦に日本柔道界が、両者の関係者が驚かされるのは、今この時より4時間後
の話になる。 つまり蒼の引退試合迄、後14400秒。 カウントダウンが始まった。
蒼はどんな思いで受け入れたのだろうか?
『俺なりに頑張ったんだけどな、駄目なもんは仕方ないよね?』 by 蒼
昂輝が想像するよりも、遥かに楽観的な死生観の持ち主が蒼です。
はっきり言って、開き直るという選択肢以外は即詰みなのですよ。
こういう処が、健康に恵まれた人間とそうでない人間の違いです。
最初で最後の公式戦:確か昇段試合も公式戦だったように思うが? 別にいっか!
大阪府高校柔道選手権大会:架空の大会です。 全国高等学校柔道選手権大会予選
前に行われる強化大会です。 主催は大阪府柔道連盟。




