消えた聖剣
白い法衣を纏った銀髪の少女は、深く生い茂った森の中で立ち尽くしていた。
真っ白い正六角形の石畳。その中央には小さな台座があり、聖剣が刺さっているはずだった。
「嘘……でしょ?」
青天を映す海のような青い目を限界まで見開いて、少女は持っていた身の丈ほどもある木の杖を落とした。そよぐ風の中に、乾いた音が響く。
聖剣を引き抜くことができるのは勇者のみ。それは聖剣自身が宣言した絶対の取り決めだった。
「何で、聖剣がないのよ!?」
つい先日まで、ここに突き刺さっていた光景を少女は思い出す。この国が祀る「星神」の声を少女自身が聞き、時が来たら抜くのだと、自らの口で勇者に説明をしたことを忘れるはずがなかった。
「ルナ様、どうかお気を確かに。まだ、聖剣が盗まれたと決まったわけでは――」
「盗まれたんじゃない。勇者が――ウィリアムが抜いて持ってったんだ! 私たちを置いて!」
ルナと呼ばれた少女は、両手が真っ白になるまで握りしめる。
「た、確かに、ウィリアム様は聖剣を抜くことができる資格をお持ちです。しかし、だからと言って、そのようなことをするはずが――」
「いいえ、絶対する! クロエだって聞いたでしょう? あの満面の笑みで『これでもっと人助けができるな』って言ってたのを!」
「……はい、おっしゃっていましたね」
漆黒の鎧を身に纏ったクロエと呼ばれた女性は、苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
吹き抜けた風が彼女の短い茶色の髪を揺らし、降り注ぐ陽光を浴びる木々の葉と同じ瞳が煌めく。そんな彼女の目つきが急に鋭くなる。
「ルナ様、杖をお持ちください。何やら良くない気配がします」
「な、何を言ってるの? ここで魔物が出るなんて聞いたこと――」
ルナが頬を引き攣らせながらも、クロエの言う通り杖を拾い上げる。一拍置いて、周囲を囲む茂みの向こうから、涎を啜るような声が聞こえて来た。
嫌悪感を掻き立てるそれは一つや二つではない。剣を抜いたクロエはルナを庇うように前に立つ。
「ルナ様。恐らく、相手はゴブリンと思われます。ご注意ください」
「ご注意を、って言われても……。え、攻撃魔法? それとも、結界魔法で追い払う!?」
慌てて左右を見回すルナに、クロエは肩越しに振り返って告げた。
「この数に気付かれていては結界魔法も無意味でしょう。今は御身が無事であることが最優先。森の一つや二つが灰になったとしても問題ありません」
「い、いや、森が火事になったら、私たちも焼けちゃうんだけど……」
戸惑いながらもルナは杖を構え、いつでも魔法が放てるように準備をする。声は四方八方から聞こえており、少しずつ距離が近付いて来ていた。杖を握る手がやけに湿っているのは、いつもよりも日差しが強いからではないだろう。
前屈み気味になりながらもルナが周囲を見渡していると、茂みを掻き分ける一際大きな音が響き渡った。怖いと思う心を抑えつけ、震える声で言葉を紡ぐ。
「『燃え上がり、爆ぜよ。汝、何者も寄せ付けぬ一条の閃光なり!』」
凛とした声が森の中に響き渡る。
ルナが唱えたのは火属性下級汎用魔法。神官学校で真っ先に習得した基本攻撃魔法だった。紅蓮の火の玉が一つ、空を切り裂いて一直線に飛んでいく。
「ギッ!?」
茂みの向こう側にいた暗緑色の顔が、迫りくる火球に気付いて強張った。しかし、攻撃に気付くのが少しばかり遅すぎた。防御も回避もする間もなく、ゴブリンの頭部で爆発が起こり、後方に仰け反って倒れていく。
「や、やった!」
「油断しないでください。たった一匹倒した程度では終わりません。どういうわけか、ダンジョンの氾濫並みにゴブリンが出現しているみたいです」
そう告げたクロエは剣を天高く上げて、火球を数発放った。
「これで異常事態を知らせることはできました。後は援軍が来るまで持ちこたえるのみ」
自分に言い聞かせるようにクロエは呟くと、両手で剣を握って目の前を睨む。
次々に茂みを掻き分けてくるゴブリン。その数は十、二十と増え続けて留まることを知らない。クロエは己の目の前にゴブリンたちが並んだのを見て、おもむろに剣を横に倒した。
「『逆巻き、切り裂け。汝、何者にも映らぬ一振りの刃なり』」
小さく、しかし、力強く彼女は詠唱して剣を振る。その魔法は風属性初級汎用魔法。その効果は――
「ゲヒッ!?」「グッ!?」「ガバッ!?」
――魔力の籠った風の刃で敵を切断すること。
お膳立てされたかのように横一列に並んだゴブリンたちを、クロエの放った不可視の飛翔する斬撃が一掃した。
「ルナ様。魔力回復用のポーションは?」
「持ってきてると思う?」
「でしょうね。私は剣で戦えますが、ルナ様は魔法のみ。くれぐれも魔力切れだけは起こさないでくださいね」
「起こしたら?」
「一か八か、ルナ様を担いで、強行突破します」
ルナはクロエの答えを聞いて、「その鎧で担がれたら痛そー」と考えながら、げんなりした顔で火球を放つ。拳大の火球は着弾と同時に膨れ上がり、周囲のゴブリンを巻き込んで爆発四散する。直撃を受けなかった個体も、地面に倒れてなかなか起き上がれないでいた。しかし、その体を踏み越えて、さらに緑の波が押し寄せる。
「クロエ! 何とかならないの? こう……必殺技みたいなので!」
「無理です! 必殺技はなくはないですけど、一度使ったら私が動けなくなります。多数相手には分が悪い――って、ルナ様! 危ないっ!」
「――え?」
クロエの声にルナが前を向くと、空中でゴブリンが棍棒を振りかぶっているところだった。ルナよりも小さな体躯でありながら、恐ろしいほどの跳躍力でゴブリンが迫る。
死が迫る最中において、あまりにも場違いな声がルナの喉から漏れていた。恐怖からではなく、ゴブリンの向こう側から突き刺すように降り注ぐ晩夏の日差しが眩しくて、ルナは杖で顔を庇う。
そして、振り下ろされた棍棒はルナの頭部を砕き、白い石畳に深紅の川を作り出す――はずだった。
「――?」
いつまで経っても、やってこない衝撃にルナはゆっくりと瞼を開く。
「痛ってー! まじでツイてねーな。俺、今日、誕生日だぞ!? 七夕で縁起が良いんだから、願いの一つくらい叶えてくれても良いだろ!?」
「えぇ……?」
ルナは戸惑いに瞬きを何度もする。しかし、いくらやっても目の前に広がる光景は変化しない。
飛び掛かって来たゴブリンは、いつの間にか現れた黒髪の少年に下敷きにされていた。まだ、それだけならばゴブリンも助かったかもしれない。しかし、運が悪いことに――ルナからすればよいのだが――聖剣の台座に顔面をぶつけて血を流していた。恐らくは死んでいるか、生きていたとしても短い命だろう。
「あ? どこだここ、って悪い! 踏み潰したままだった――って、うわ!? 何だ、この緑の謎生物!?」
学生服のズボンから白いシャツをはみ出させた少年は、下敷きにしたゴブリンに気付いたのか、慌てて飛び起きる。だが、すぐに人ではないことに気付いたらしく、さらに慌てふためき始めた。
***
少年がパニックを起こしているところに、ルナがおずおずと話しかける。
「えっと、あなた……だれ?」
「あ? 俺? 穴囲忠士、北高の二年だけど……」
穴囲は修道女の色違いのようなルナを見て、怪訝な表情を浮かべる。一見真っ白に見える法衣の袖には銀糸の刺繍がされており、陽光がかすかに反射して煌めいていた。
同じくらいの輝きを放つ髪の間から青い目を覗かせて、ルナは首を傾げる。
「アナイ・タダシ? 聞きなれない名前ね」
「いや、そんなことはどうでもいい。このよくわからん奴を踏んづけちまった。おまけに似たような奴が周りにいっぱいいるんだが、どういう状況だ!?」
穴囲は周囲を見渡して、自身が踏み潰した個体と同種の存在が次々に近寄ってきていることに、より一層混乱した。
夢か何かを見ているのかと右手で頬を抓ってみるが、痛みはしっかりと感じることができる。そもそも、お尻でゴブリン越しに尻もちを着いた痛みがある時点で気付いてはいたのだが。
「ゴブリンを知らないの!?」
「ゴブリンってあれか! ゲームやアニメによく出て来る敵の!?」
「げーむ? あにめ? よくわからないけど、とりあえず、敵なのは正解! 援軍が来るまで、持ちこたえれば助かるから協力して!」
穴囲は必死に頼み込んでくるルナの勢いに飲まれ、思わず首を縦に振る。
(――ちょっと待て、俺、何も持ってないじゃん)
持っていたはずの鞄はなく、あるのは自分の身一つ。武器になるような物は一切ない。
ゴブリンの背は己の胸に届くかどうかという高さで、一見すると穴囲の方が有利に見える。しかし、ゴブリンは全員同じように棍棒を握って威嚇していた。
素手だけの勝負であれば少しは自身があった穴囲だが、流石に武器持ちが相手では話が違ってくる。
「おい、何か武器は無いか? 丈夫な棒っ切れでもいいからさ」
「そ、そんなものないわ!」
足元のゴブリンが握っていた棍棒は無いかと穴囲は探したが、どうやら踏んづけた拍子にどこかに飛んで行ってしまったらしい。
「仕方ねぇ。素早く一匹ぶん殴って、奪い取るか……」
覚悟を決めて穴囲が一歩前に出る。すると、取り囲んでいたゴブリンたちの歩みが止まった。その顔は先程までの余裕の笑みがわずかに陰ったように見える。
一方で、穴囲たちの背後では好機とばかりにクロエが風の刃でゴブリンの首を空中に飛ばしていた。
「どこのどなたかは存じ上げませんが、御助力感謝します。貴殿の後ろは私が対応します。前だけを見てください」
「簡単に言ってくれるな。こちとら、ただ運動が得意なだけの一般人だぞ。喧嘩やったのも随分前だからな」
穴囲が苦笑いを浮かべながら両手を構える。汗で張り付いたシャツは二の腕の筋肉の筋を浮かび上がらせ、何かしらの運動で鍛え上げたであろうことが推測できた。戦うことは小学校の喧嘩依頼であろうとも、ゴブリン程度には一対一であったならば負けないはずだ。しかし、現実は非情なもので、茂みの向こうからは次々にゴブリンが姿を現す。その光景に、穴囲は震えそうになる拳を握りしめた。
その直後、穴囲たちの足元の石畳が急に光り出す。驚いたのは穴囲たちだけでなく、ゴブリンも同じようだった。その場に留まる穴囲たちに対して、ゴブリンたちは距離を取り始める。
「――よう、武器が無くてお困りのようだけど、俺様で良かったら使っていいぜ!」
人ではない。だが、機械的でもない金属質な音が辺りに木霊する。
気付けば穴囲の目の前に、剣の鞘が浮いていた。
「な、何だ? これ!?」
「何だとは失礼な奴だな。俺様は『聖鞘エトナ』。魔王を封印する聖剣エトナの鞘さ!」
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