うわさの聖女ちゃん④
聖女アスカとの縁について話終わり、フランシスカは一息ついた。
「ふ、不思議な? ご縁ですわね……」
「うん……」
カタリナの様子を伺うと、何と感想を返そうか考えあぐねているかのような様子に見える。彼女からすると余りにも突飛な話の流れなのであろう。フランシスカも(わたしもそう思うわ)と思った。
それからフランシスカは勝負のターンが自分にあることに気づき、チェス盤をみてナイトの駒を取り上げる。
「そうそう、それで聖女ちゃん、どうやらあの第二王子に追いかけまわされているみたいよー」
コトリ、と盤上に駒を置いた後、フランシスカがふと動きの感じられないカタリナを見ると、眉間に皺を寄せて扇子を広げている。更に、扇にふうっと吐息をぶつけた音が聞こえてきた。
「……節操がないですこと」
と、まるで穢れたものを見てしまったかのような様子である。
第二王子はカタリナの以前の婚約者である。
本人も少々頭の足りない所があるのだが、類は友を呼ぶというのだろうか、取り巻きの側近候補もどうやら考えの足りないものが集まっていたらしい。
彼らは非常に優秀で自分たちの思い通りになりそうにないカタリナを王子の婚約者から外し、自分達の傀儡として扱えそうと判断したフランシスカを婚約者にしようと画策した。だが結果的に失敗し、まとめて失脚となった。
フランシスカは子爵令嬢なので、身分から考えて王子妃になることはあり得ないのだが、「殿下がその気になりさえすれば大丈夫だろう」などとあまり理解していなかったらしい。あれらを側近に選んだやつは誰なんだろう、とフランシスカは思った。恐らくフランシスカだけでなく、その婚約破棄騒動を見ていた誰もがそう思ったであろう。
そもそももし、第二王子を含め彼らの中にたったひとりでもチェスに興味を示すものが居たならば、そんな事は考えもしなかったであろう。
この国ではチェスの人気が高く、政治にも大きな影響力がある。
カタリナとフランシスカはそんなチェスの全国大会若年女子部門でトップを争う友人同士であり、国においての有名人なのだ。
だが、残念なことに彼らはチェスに全く、これっぽっちも興味はなく、この国で年に一度大規模な国内チェス大会が催されていることさえ知らず、恐らく交友関係も狭小でカタリナとフランシスカが友人であるという情報さえも得ていなかったのである。そこまで情報に疎いとはかえってわかりやすい無能で清々しい。周囲も、ああ、失脚やむなし、と考えたようだ。せめて、せめて国の行事とその内容くらい抑えておけよ、国の中枢に近い所にいることになるんだからさぁ、と誰もが思った。一方で「知らないって冗談でしょ?」と中々信じない者もいたと聞く。
今現在、第二王子は王位継承権を剥奪され、王宮の端の端の端の端で人目を避けるように過ごしていると言う。また、類友であった元側近候補達も、それぞれの場所で似たような状況下にあるそうだ。
と、いう状態ではあったのだが、今回聖女召喚という事で第二王子も王族挨拶として一時的に部屋から引っ張り出された。そこで華々しくお披露目されていた聖女アスカをロックオンしたようなのだ。
恐らく、城の端の方でいじいじと過ごしていながらも、何とか名誉を回復する、且つ自らに都合の良いジャンプアップ手段を模索していたのであろう。
第二王子が様々な貴族令嬢に婚約を打診しているということは、カタリナとフランシスカの耳にも届いていた。それらが全て撃沈している事も、更に、その婚約の打診はなんと第二王子が独自で、単独で、たった一人で、行なっており、しかも「すっごい上から目線で声かけてくるんだけどなんなの?」と酸っぱい噂までされている事まで、キッチリと、漏れなく、聞いている。まるで街中で婦女子に声をかける痴れ者のよう、とフランシスカは思う。
一体誰が、多くの貴族が集まる会の中で恥を晒し、それが元で王位継承権を失っている将来性の無さそうな王子と婚約したいというのか。王族からの正式な申し出でなく、本人が非公式にコソコソ打診を行なっている事も解せない点である。まともな考えを持っているとは思えない――と多くの貴族は呆れていた。もちろんカタリナとフランシスカも同意見だ。そのような状況であるにも関わらず、今まさに旬の人である聖女を婚約者にできれば汚名を返上可能と観て狙っているだなんて、身の程を知らない残念さである。
「実に、浅はかですわ」
カタリナは“実に”の箇所を強調して言葉を吐き出した。フランシスカも同調する。
「ねー」
「第二王子、ご容姿は素敵なのですけど……」
カタリナはその後に続く言葉は飲み込んだようだ。
一目見れば多くの女性たちが頬を赤らめ、熱い視線を送るほど、見目麗しい王子であったのに。
カタリナとの婚約が発表された際には落胆する女性が後を絶たなかったというのに。
フランシスカもカタリナと同様、飲み込んで脳内だけで留めた言葉があった。
恐らく、同じもの――“兎に角、残念”である。
フランシスカは先日のアスカとのお茶会で、アスカが紅茶を啜りながら宣った第二王子の印象についての言葉を思い出す。
『キラキラしているように見せて、お頭が弱そうですよねぇ』
『知性重要ですぅ』
『カタリナさま、良かったですよねぇ。王弟殿下にチェンジできて(なおこの時、聖女は親指と人差し指を立ててクルクルと回していた。チェンジの意味らしい)』
(って言ってたのは、同意されるかもしれないけど内緒にしといたほうがいいよね、うん)
と思い出しながら、フランシスカは少し温度が下がった紅茶で喉を潤した。
また、フランシスカは聖女が「カタリナ様の婚約者の王弟殿下って、何か忠犬っぽいですよねぇ! わたしの国には有名な忠犬の話があってですね、めっちゃ大きな街に銅像が立っているんですよぉ〜なんか、思い出しますぅ」なんて言っていた事も思い出す。
フランシスカはいつものように、ついうっかり心の声が口から出ないよう、ごくりと口中の水分と共に言葉を飲み込んだ。いつも「お嬢様、お言葉」と諌めて扇を渡してくれる侍女も、今は近くにいないのだ。
(犬、わかるけど、確かにみんなも言ってはいるけど、口には出しちゃ駄目でしょ)
どう考えても不敬である。聖女だから許されるのかもしれないが。あれ? 許される……か? どうなんだろう。でも、人前で口に出さないよう強く言っておかなくてはと、思い出して改めて思う。
フランシスカのそんな思いに気づかず、カタリナは問いかける。
「それで、聖女様は第二王子については何と?」
フランシスカは一瞬ビクッと肩を揺らし、聖女とのやりとりを反芻していた心中を読まれたかと戦慄した。が、視線を合わせて確認したカタリナの何ということもない表情でそれは杞憂と気づき、心を落ち着けた。
ええと、とフランシスカは上空を見上げてから言葉を返した。
「……確か、『さんじげんはちょっと』って言ってたわ」
「? なんですの? それ」
言いながら、カタリナは首を傾げる。
フランシスカも言ってはみたものの、実は自身も意味をよく知らない言葉だった。カタリナは知っているかもしれないと思って記憶にあったままを言葉にしてみたのだが、カタリナを見ると少しばかり眉を寄せ、怪訝な顔をしている。やはり知らないのであろう。今度アスカに会ったら、もう一度詳しく聞こうとフランシスカは思い直す。
「ええっと、生身の人間より絵姿が素晴らしいって話だったかしら」
視線を空に彷徨わせたまま、フランシスカは答える。
「……よく、わかりませんわ……」
カタリナの言葉にフランシスカも首肯した。
「……聖女様ってやはり、個性的な方ね……」
「ええ、うん、良い子なんだけどね……」
二人の手はすっかり止まっている。お互いに聖女のことで頭がいっぱいのようだ。目の前の勝負はすっかり冷え切っており、仕切り直しとなった。
若干劣勢だったフランシスカは密かに安堵し、カタリナに気づかれないように唇の端を上げた。