うわさの聖女ちゃん①
ある、晴れた日の昼下がり。
木漏れ日の優しい光が降り注ぐガゼボに、二人の少女が向かい合って座っていた。
一人は飴色に寄った黄金色の髪を精巧に結い上げられており、侍女たちの誇らしげな様子からもそれが渾身の作であることが伺われる。少し目尻の切れ上がった涼やかな目元は知性を感じさせるのだが、思案中なのか少々眉間に力がこもっているように見受けられる。
一方、もう一人は緩やかに波打つウェーブヘアをハーフアップにしており、庇護欲をそそるような儚げなつくりの顔の下半分を扇で隠している。どうやらその下では口元を綻ばせているようだ。
二人の間には市松模様の盤があり、その上に乗る駒は二人の小さな指先により、定期的にコト、コト、と軽快な音を立てて移動されていた。
少女たちは、つい先日行われた年に一度の全国チェス大会、若年女子部門の決勝戦で一戦交えた優勝者と準優勝者、侯爵令嬢のカタリナと子爵令嬢のフランシスカである。
この日はその一週間後。“先日のチェス大会の振り返り”という名目で定期交歓会が催されていた。
振り返りというが、それはただの大義名分。実際には噂話などのお喋りが主な定例女子会である。
数週に一度、ひっそりと行われるこの会はチェス盤を介した頭脳のぶつかり合いと並行して行われるのが常であった。
お互いの家を交互に訪れるのが自然なルールとなっており、この日はカタリナの実家である侯爵家で行われた。カタリナが優勢に駒を進めると、近くに控える侍女達が気取られない程度に安堵の溜息を吐くのはそのためである。
この日、一戦目はフランシスカが勝者となった。休憩を挟んだ後、二戦目は軽く人払いをして行われた。侍女たちは二人の声が届かない、辛うじて二人の姿は確認できるであろう位置に控えている。
フランシスカが唐突に、『そう言えば』と言葉を発した。
「そうそう。聖女ちゃんがチェス大会に参加したいんですってー」
と、駒をコトッと音をたてて進めた。
「聖女……」と、カタリナが空を見つめ、暫し思案する。
「……って、あの、最近ニッポンと言われる異世界からいらした方かしら?」コトッ
「そうそう! その方よ」と、フランシスカはすぐさま反応し、盤上の駒を動かしコトリと音を立てる。
カタリナがふふ、と笑みを溢す。
「なに?」
フランシスカが首を傾げ、カタリナの笑みの理由を尋ねると、
「あの方、初めて王弟殿下にお会いしたときに『いけめん! はわわ!』と仰ったのよ」
と、カタリナはコトリと駒を置いた。
それから「面白い方よね」と呟き、更に「チェックメイト」とフランシスカをチラリと見る。
フランシスカは盤を眺め、「ふむ」と小さく唸った。表情の柔らかさから察するに、目の前の勝負についてはまだ余裕があるように見受けられる。
少し間を置き、狙われたキングを摘み上げたフランシスカは、盤上に探し出した退路に駒をコトリと移動させた。
「“いけめん”って異世界では“素敵なひと!”って意味なんでしょ?」
「そうらしいわね」
カタリナがふわりと盤を見渡す。そして徐に再び駒を動かし、小さな音を響かせた。
カタリナの婚約者である王弟殿下は滑らかなブロンドに碧眼を持つ、正統派王子然とした佇まいの美丈夫である。どんな女性も、ひと時その姿を捉えれば目を奪われる容姿である事は疑いようもない、麗しい見目をしている。寡黙であると言われており、それを所以として“沈黙の貴公子”と言われている。
いや、言われていた。先日のチェス大会までは。
大会中、カタリナと王弟の婚約についての噂話に貴族令息数名が激昂し、それぞれ自らがカタリナの恋人であると主張し合うという意味のわからないアクシデントがあった。
その際の王弟の立ち回り、そしてその後の睦まじい(というより王弟のカタリナへの愛情深さ、というよりカタリナへの溺愛の、或いは下僕的な)様子を見、王弟殿下は寡黙ではあるけど、実は心中を気取られないよう努力をしているのだ、いじらしいと言えるのではないか? との評価に変わった。
この話になると誰もが微笑ましげでありながら、薄らと嘲笑めいた表情を見せるのが通常であった。
実は密かにカタリナ嬢の愛犬と言われているとかいないとか。不敬である。
「そう言えば、貴方はどちらで聖女様にお会いになったの?」
カタリナはフランシスカに尋ねた。“聖女ちゃん”と話題に挙げるほどの仲だ。フランシスカと聖女は懇意なのであろう、と考えたようだ。
通常であれば、子爵令嬢であるフランシスカが聖女と友好を深める機会はほぼ無い。
この世界では、魔を払う役割のある聖女は国の宝であり、周辺国も含めた地域の宝と遇される。対し、フランシスカはありふれた立場の子爵令嬢である。今こうして侯爵令嬢のカタリナと対面している事でさえイレギュラーなこととも言える。当人同士は気にしていないのだろうが、周囲の考えはそうではない。本来ならば子爵令嬢となると、侯爵令嬢と対等に話をすることは難しく、精々何かの催しで遠巻きにチラ見できる程度の関わり。言わんや聖女ともなれば、縁を得ることは尚更難しいであろう。
「少し前、王妃陛下とのお茶会があったのを覚えている?」
「ええ」
先日の全国チェス大会より少し前のその日、王妃陛下であるエリザベート主催で茶会が開催された。出席者はカタリナとフランシスカというごく小規模なものであった。