しんじつのあい、再び。(婚約破棄リターンズ) 前編
突然の喚起に、煌びやかに着飾り夜会を楽しんでいた人々は動きを止める。
そして、たった今声が発せられた方へと注意を向けた。
「皆の者、静まれ!」
聞き覚えのある高めの声に若干の嫌な予感を感じつつ、フランシスカは声の発信源と思われる壇上をゆるゆると見上げた。
そこでは予感の通り、第二王子であるラインハルトが仁王立ちになり、したり顔でフロアにいる人々を見下ろしている。
(第二王子、また何かをしでかすところだわ。ほんと人騒がせな懲りないやつ……)
フランシスカは最早トラベルメーカーとしか思えないラインハルトを睨めつけた。どうせこちらになど気にしてはいないだろうと思い、嫌悪感を隠してはいない。
ただ、ある意外なことがフランシスカを瞠目させた。
第二王子の隣に、なんと聖女アスカがいるのだ。
驚愕しつつもよくよく観ると、アスカは眉間に皺を寄せ、まるで苦い物でも口内に含んでいるかのように顔を強張らせている。
その一方で、ラインハルトの表情は実に晴れやかで、これから自分が重大な発表をするからお前ら聞きやがれ的な尊大さを感じさせるものであった。
そんな二人の様子を見、フランシスカは何かが起こりそうな、嫌な予感を更に強める。
フランシスカは壇上を見上げながらも、離れたところにいたカタリナを目の端で捉え、距離を取ったまま目配せをする。
(あれは何かやる顔ね)
(同意だわ…)
また同じように、神官長含む3名が不安げに壇上の二人を見上げているのも確認した。
「その方との婚約を破棄する!」
第二王子ラインハルトは眼下の聴衆に高らかに宣言し、得意げな表情で会場内を見渡した。
一方で、隣にいる聖女アスカがあくまでも仏頂面を崩さないでいるのが対照的である。
婚約を破棄する。
――あれ? その言葉、全く同じ文言を、全く同じ声で聞いた覚えがあるぞ、とフロアの人々は訝しげな表情を深める。
人々の中でどうやら国外から訪れているらしい人物が、隣にいる夫人と思われる女性に耳打ちをした。
因みにこの人物は、ラインハルトが前回カタリナと婚約破棄をした時にも、同じように会場にいた人物である。
「ねえ君、彼は婚約を破棄するのが趣味なのかな?」
「しっ、黙ってあなた!」
「それと彼、もしかして少し恰幅が良くなったんムグッ」
見ると、青ざめ険しい表情をした夫人に力強く口元を押さえられているようだ。(あれはいけない。窒息してしまう)とフランシスカは不安に思った。
今、壇上にいるラインハルトが婚約破棄の言葉を浴びせた令嬢は檀のすぐ下におり、壇上のラインハルトとアスカを見上げている。
以前、カタリナがラインハルトに婚約破棄を言い渡された、そのカタリナがいた場所と同様の位置である。
あれは――確か現在の婚約者のディートリンデ様だわ、とフランシスカは思い出す。辺境伯の令嬢である。
フランシスカがさりげなく場内を見渡すと、この風景に見覚えのある人々は皆一様に「またか」とゲンナリとした表情をしているようだ。
そう、彼等の殆どが前回の婚約破棄を見ていた人々なのである。
「ねえ、第二王子太ってんじゃね?」
「す、少し、ふくよかになられましたわね……」
ラインハルトは前回の婚約破棄騒動で国王陛下、そして王妃陛下に散々諌められ、謹慎ということで王宮の目立たない場所で隔離されていた。そして、そんな幽閉のような状態で恐らく暇を持て余したのであろう、すくすくと順調に肥えたようであった。
嘗ての、見目麗しく令嬢たちの憧憬を一身に集めていた過去の美貌は見る影もなく、
小太り
と言って良い程の肉付きの良さである。
どうしてこうなった、と人々はやるせ無い気持ちで自国の第二王子を眺め、ガッカリ二倍、いや十倍か、と言ったどんよりとした視線を送っている。
フランシスカは(引きこもってお菓子ばっか食べてるからああなるのよね)と思った。するとすぐ近くにいた令嬢から「ええ、わたくしもそう思いますわ」と真剣な表情で頷きつつ同意を告げられ、うっかり脳内の言葉を口に出してしまったことに気付いた。
その思いがけない相槌に苦笑いを向けつつ、渋い表情の侍女に横から手渡された扇子をパタパタと広げ誤魔化した。
そこここで会場がざわつく中、ラインハルトとアスカに見下ろされている令嬢、ディートリンデの元気の良い発声が会場内に響いた。
「はいっ! 喜ん、じゃなかった破棄を謹んでお受けします!!!」
人々は前回と同様、破棄を言い渡されている彼の令嬢の背後にいた。
第二王子の婚約破棄の言い渡しに対し、弾んだ明るい返答をしたディートリンデに素早く視線が集まっていく。
彼女の背後に開放感かつ明るい華やいだオーラのようなものを感じるのは気のせいか。大層、快活な返答である。
そう、まるで待ち望んでいたような。
「なあ、いま『じゃなかった』って聞こえなかったか?」
「聞こえたような気もするが、気のせいだろう」
対してラインハルトは、想像もしていなかった明るい返答に拍子抜けしたのか口を半開きにしたまま固まっている。縋られることでも期待していたのだろうか。
観客はラインハルトとディートリンデに慌しく視線を移動させつつも「そうだろうそうだろう」と納得したような表情をしているものが大半だ。
殆どの貴族は、昨今の第二王子の乱心ぶりに辟易している。
前回の婚約破棄以来、手当たり次第に婚約の打診をばら撒いたラインハルトの評判は、疾っくの疾うに地に落ちていたのである。年頃の令嬢を持つ貴族は、いつ自分の娘が標的にされるか、日々心穏やかではなかったと聞く。
王子は仕切り直すつもりなのか、咳払いをし再び高らかに宣言をする。
「私はこの聖女と真実の愛を」
「畏まりましたっ!!! さあ、破棄を了承するサインはどちらに致しましょうか!?」
見ると、ディートリンデは既にペンを携え構えている。
彼女のごく近くに確認できる侍女が手渡したようだ。とても用意がいい。
ディートリンデの背後で人々は見ていた。
ラインハルトの「婚約破棄」という声を合図に、いや、「こんやくは」までの数秒でスッ――と音もなく侍女が近づき、そして視認できるギリギリの、途轍のない速さで主人にペンを手渡したのだ。また、ディートリンデ自身も待ってました! とばかりにペンを受け取り、それをクルリと手の中で華麗に一回転させ、秒で言葉を綴れるように構えたのだ。
人々はその様子を見、その有能そうな侍女を「欲しい……!」と思った。或いは、二人の連携の素晴らしさに感嘆の声を漏らした。
フランシスカも「あの侍女、うちの侍女に似てて優秀そうだわ」と思った。
聞けばディートリンデ、実は何かの拍子にうっかりロックオンされ、無理矢理婚約させられていたということだった。
とても、とても、とても嫌がっていた――と近くにいた情報通らしい人物から薄らと聞こえてくる。
彼女の両親も本人の意向を考え難色を示していたが、腐っても王族、辞退できなかったそうだ。最初はラインハルトからの打診だったようだが、その後王妃からもかなりゴリ押しされたそうだ――と近くにいた訳知り顔の貴族も事情を周囲に漏らしている。
それを、フランシスカは耳を象のように大きくして聞いていた。ふと見ると、カタリナもいつの間にかその事情通の貴族の側に寄っていた。カタリナも意外とミーハーなのである。
ラインハルトは再び咳払いをし、改めて口を開いた。兎に角、全て言い切りたいのであろう。
「私は聖女アスカと真実の愛を」
「ありません!」
「へ?」
「しんじつのあい、ありませんっ!!!」
今度はラインハルトの隣に立つアスカが、ディートリンデに負けず劣らず元気良く叫んだ。
しかもよくよく観察して見ると、アスカが何とかしてラインハルトから逃れ、距離を置こうとしているのを、ラインハルトが衣服をしっかりと掴んで離していないことが確認できた。
いつのまにか件の情報通から離れたらしいカタリナが、「ドレスに皺がよりますわ……」と呟いたのが隣で聞こえた。そう言う問題か。
そういえばおじいズはどうしているのかと見ると、先程まで離れた場所でハラハラしていた爺さん三人組は、アスカの「しんじつのあい、ありません!!!」という言葉にパァァ……と顔色を晴れやかに変化させていた。先程まで青ざめてオロオロしていたのに、大変わかり易い。
暫く、ラインハルトとアスカの「しんじつのあい」「ありません!」「しんじ」「ありません!!」の繰り返しが続き、じわり、じわりと人々の苦笑を堪える様子が広がって行った。
その時。
貴人の来訪を告げるラッパの音が会場に響き渡った。




