元悪役令嬢エミー、二度目の人生を始める
「……ミー、エミー!」
私を呼ぶ声に目を覚ます。
ぼんやりする頭でベッドのかたわらにいる二人の女性に目を向ける。心配そうに眉尻を下げてこちらを見つめる母と、眉をピクリともうごかさず真顔でこちらを見下ろすそばかすのメイドだ。
まだ頭が記憶が鬱路として口をぽかんと開ける私に、母がほっと安堵した表情を浮かべた。
「よかった……。高熱を出して倒れたって聞いて、驚いたわ。熱は下がったの?」
「うん、だいじょうぶ……」
舌っ足らずな調子で私はそう答えた。
そういえば、と私は前世での記憶を思い起こす。
五歳の頃に生死を彷徨う高熱を出したことがあった。おそらくその頃の私に巻き戻ったのだと思われる。
「そう、無事目を覚ましてくれて本当によかった……」
母は目元を涙をハンカチで拭い、私の髪を優しく撫でた。
改めて母をじっと見つめる。私の頭を撫でる柔らかな手も暖かなまなざしも、本物だ。まやかしなんかじゃない。
懐かしい気分でうとうとしていると、メイドが口を開く。
「では、お嬢様の看病は私が引き続き行います。奥様はそろそろお戻りになられた方がよろしいかと」
「ええ、そうね。お願いするわ」
メイドの言葉に母は頷いて部屋を出ていく。
メイドは昔からこういった感じだった。淡々としていて、全ての指示を完璧にこなす、しかし、荒っぽくなく全ての所作が美しい。この頃の私は彼女を私たちと同じ人間だと認識するのに時間がかかったものだ。
メイドはそんな失礼な考えを知らず、変わらず接してくれたっけ。一緒にいたのは三年ほどだったけれど、よく覚えている。
ひんやりした彼女の手が、火照った頭に心地よい。
「お熱はまだあるようですね。もうしばらく休まれた方がよろしいかと」
メイドは手早く水を入れた桶にタオルを浸し、固く絞り上げると私の額の上に乗せた。
ひんやりとしたタオルが高熱でだるい体に心地よい。処刑された時の冷たい空気を経験しているから、今のような温かな優しい空気に、思わず涙が出てきそうになる。ここは、居心地が良い。すべてが仕組まれているだなんて、思いたくない。
「ありがとう」
「いえ、メイドとして至極当然のことをしたまでです」
メイドは表情を変えることなく返事をする。
相変わらず仕事一徹なメイドさんだ。まあそんな仕事熱心な彼女が、お気に入りなのだけれど。
彼女はちらりと腕時計に目を落とし、私に問いかけた。
「もうすぐ夕餉の時刻になりますが、お食事はいかがなさいますか?」
そう言われて気づく。あまりお腹は空いていないのだ。たくさん寝て体力が回復したとは言えど、まだまだ食欲はわかないらしい。特に死した直後たまから余計にそう感じてしまうのかもしれない。
「きょうはえんりょしておくわ……。あまりおなかがすいていないの」
「かしこまりました」
たどたどしく答える私に、メイドは頷きゆっくりと立ち上がる。彼女の名前を呼ぼうとしてふと、思い返す。
そういえば、彼女の名前、なんだったっけ?
頭の奥底で記憶を引っ張り出そうとするものの、滑りの悪いクローゼットのように、突っかかっていて思い出せない。もどかしい気持ちでいっぱいだ。
仕方がない、直接聞くしかないか。
扉のドアノブに手を伸ばすメイドさんの背中に声をかけた。
「ああ、あとひとついいかしら?」
「はい、なんでしょう?」
メイドはくるりと振り返り、こちらに目を向ける彼女に、私は咳き込みながら尋ねた。
「コホッ……、あなたのお名前って、なんていうのだっけ?」
メイドは目をぱちくりさせて首を傾げ、不思議そうな顔でこちらを見た後、答えてくれた。
「アンヌです」
「あ、そうだった……、ゴホッ」
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「えぇ、だいじょうぶよ……」
私は口元を押さえながらにこりと微笑んだ。
そうだ。彼女はアンヌ。私が生まれたころからこの家にいたメイドだ。忘れていた記憶が修復でき私は口許を綻ばせる。
「アンヌ、かんびょう、ありがとう。お母さまとお父さまに、わたしはへいきよって、つたえといてくれる?」
「承知いたしました」
私に一礼したアンヌは、そのまま静かに部屋を去っていった。
扉が閉まったのを確認したのち、私はゆっくりと体を起こす。
ずきずきと痛む頭を押さえながら周りの状況を把握する。
天蓋付きのベッドの上からゆっくり降りてテーブルの上に置かれたコップを手に取る。
まごうことなき、ここは私の寝室だ。
「ふぅ」
一息ついて再びベッドに横になり、目を伏せて冷静に考える。
ここが私の過去でこの世界がゲームであるならば、私は十年後、処刑されて死ぬ。
その学園で出会うアリシアの持つ、虹の魔石を手にしようとしたことがきっかけで、私は大罪を犯してしまったようなのだから。
その時の記憶さえ残っていればもっと順当に回避ができたのだが、なにせいつの間にか牢屋にいたのだからどうしようもない。
だが、原因がアリシアの持つ虹の魔石であるのならば、そもそもアリシアが通うことになる学園に入学しなければいいだけの話だ。
同じ学園に通わなければアリシアと出会わないし、大罪を犯すこともない。
うん。簡単じゃない。
万一何かがあったときのために、魔法の訓練は常にしておこう。
「そういえば、まほう……、今はどれくらいつかえるのかしら……」
試しに一番弱い魔法である、指の先から小さな炎を生み出す魔法を使ってみようとした。
人差し指を伸ばして、意識する。短い呪文を唱える。しかし、何も起こらない。
どんなに力を入れても意識してみても何も出ない。
それどころか、病態に鞭をうって魔法を出そうとしているせいで体が先ほど以上に熱い。
さすがにこれ以上はやめておこう。アンヌの看病が無駄になってしまう。
記憶は引き継いでいるが、流石に魔法の力までは引き継いでいないようだ。
幼いうちから強力な魔法が使えるようになってしまったら悪目立ちしてしまうだろうから、それはそれでよかった。
とにかく、今は体を休めることが先決だ。
私は頭まで布団をかぶり、目を閉じて再び眠りについた。
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