遠山しおんはほくそ笑む
それはしおんと僕、二人だけのゲームだ。
あなたはTRPGを知っているだろうか?
TRPGは、ビデオゲームRPGの元、ともいえるアナログゲームである。このゲームに使うのは、ルールブックと鉛筆、それとサイコロとメタルフィギュア。何もかも、アナログ塗れのなのである。
だからといって、そこらのボードゲームと同じにしてはいけない。
TRPGは、一生遊んでも飽きない、奥の深いゲームなのだ。
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僕が彼女と初めて言葉を交わしたのは、高校一年の秋の事だった。
その頃僕は、所属していた漫画部をクビになったばかりだった。漫画部では、互いの漫画の感想を言い合うのが常なのだが、どうも、僕は口が悪いらしい。おまけに嘘が付けない性分だ。だから、部員達の漫画の欠点をストレートに言い過ぎて、総攻撃を食らって叩き出されたのである。
「ウザいわお前。出て行けよ」
「キモッ。なに真剣に批評とかしてんの?」
「最後まで書いたら何? 偉いのか?」
部員たちから浴びせられた言葉が蘇る。
わかってる。僕にも問題はある。けど、何人もの人間から嫌われて居場所を奪われるのは、流石に堪える。
孤独。
それを噛みしめたのは何度目の事だろう。かといって、問題を見なかった事にしてヘラヘラ自分を騙し続けるなんて出来ない。もっと器用に生きられたら、どんなに楽だろう。なんて思う事もある。
部活をクビになり、暇を持て余している放課後の事だった。
僕は、教室に携帯端末を忘れたのに気付き、一人、取りに戻った。すると、淋しい教室の一番後ろには、女子生徒が一人、ポツンと居残っていた。
彼女の名は、遠山しおん。
僕はしおんとは、一度も喋った事がなかった。と、いうか、遠山しおんがクラスメイトと談笑している場面を見た事がない。しおんはいつも無口で、気が弱くて、社交性も低い。所謂、陰キャと呼ばれる類の生徒だった。
しおんはふと、ノートから目を上げる。僕と目が合うと、咄嗟に、ノートを閉じて顔を伏せた。何やら、一生懸命書いていた様子だが……。
「あった」
僕は、机の引き出しから携帯端末を取り出して懐に収める。少しだけしおんのノートが気になりはしたが、声をかける程ではない。僕は彼女に背を向けて、教室を出ようとした。その時だ。
コロリと、何かが転がった。それはコロコロ床を跳ね、僕の足元まで転がってきた。
小さなサイコロだった。
「あ、あ……」
遠山しおんは困惑を声にする。彼女は慌てて、サイコロを拾おうと立ち上がる。その途端に、スカートが引き出しに引っかかり、机が倒れた。
ガシャ。と、音を立てて、机の中身が床へと転がり出す。それは無数のサイコロとノート、そして、金属製の人形とか、オタクな香りのするアイテムたちだった。
「へえ。変わった形のサイコロだね」
僕は半透明のサイコロを拾い上げ、放課後の日差しに透かす。サイコロ越しに、しおんの不安な顔があった。
腰まで伸びた黒髪に、下がり気味の眉。眼も、気が弱そうで、体型は華奢だ。肌はすべすべで、色白……。
斜陽の中に佇むしおんは、幻想的なまでに美しかった。
僕と目が合うと、しおんは焦って目を背けた。そこには薄い恥じらいが浮かんでいる。
ぐっと、胸の奥を掴まれた気がした。しおんは疑いようもなく美人だ。一見、暗そうな雰囲気さえなければ、それなりにモテそうな生徒なのだが……。
「あ、ごめん」
そう言って、僕はサイコロをしおんに返してやる。そして、しおんと二人で、床に散らばったあれこれを拾い集める。そうこうする内に、僕は一冊のノートを手に取った。
それは先程、しおんが何か書き込んでいたノートだった。
「へえ」
頁を開き、思わず嘆息する。ノートには、アニメのキャラクターみたいな騎士の絵が、描かれていた。
「あ、それ……!」
慌てて、しおんがノートを引っ掴んで取り返す。
「どうして隠すの? 上手なのに」
「……ほ、本当に?」
「う、うん。上手だと思うけど。遠山さんは漫画を描いてるの?」
「う、ううん……。漫画じゃなくて、その、ゲームのキャラクター、なの……」
しおんは、辿々しい口調で、顔を真っ赤にして言う。人と話し慣れていないのだろう。彼女は緊張を浮かべ、でも嬉しそうに、指先で長い黒髪を弄りながらもじもじしている。その様子が、益々、僕の胸に刺さる。
やけに可愛らしい……。
「へえ。遠山さんもゲームやる人なんだね。もしかして、このサイコロもゲームで使うの?」
「そ、そうだけど……」
「どんなゲーム?」
訊ねると、しおんの瞳が一瞬、きらりと夕日を反射する。
「て、TRPGって、知ってる? アナログゲーム、なんだけど……」
少しだけ、しおんの声が明るくなる。
「聞いた事はあるよ。確か、サイコロを使うやつだね。これがそうなのかな?」
「そ、そうよ。絵を描いて、能力値を決めて、自分だけのキャラクターを作って冒険するの。ストーリーは、ルールブックの物を採用する事が多い。あ、だけど、私の場合は、オリジナルのストーリーを……」
「へえ、凄いね。遠山さんはシナリオも書いてるんだ? なんか楽しそうだね」
「ほ、本当に?」
「え? あ、うん。面白そうだ」
僕がゲームに興味を示すと、しおんは少々逡巡する。そして、
「じゃあ……ちょっとやってみる? あ、その、嫌じゃなければ、だけど……」
顔を赤くして、躊躇いがちに言う。それがあんまり可愛らしかったから、僕は思わず「うん。やってみたい!」。と、頷いてしまった。
次の瞬間、微かにしおんの口角が上がる。
「ふ。ふふふふっ……丁度、シナリオが機能するか試したかったの……」
しおんが笑い声を漏らす。
それは少しだけ意味深で、不気味な感じがした。僕はその感覚を、もっと信じるべきだったかもしれない……。