月夜の告白
四季のある緯度に位置する小さな島ティナに、二つの国が存在していた。
しかし二つの国ーアリセナ国とクルート国は開国以来冷戦状態で、ほとんど交流がなかった。
クルート国、王宮ハルクとアリセナ国の国境の中間地点にローレフという小さな街があった。
春先花が咲き乱れるローレフには、数日前から賑わいと活気で溢れていた。
それは明日、アリセナ国の使者がハルクからの帰路にローレフに訪れることになっていたからだ。
そしてその夜、ローレフの領主ーカリディア子爵家で、夜会が開催される予定だった。
そのカリディア家では、従者達が準備に追われていた。
そこに早朝から、両手いっぱいのピンク色のミニバラを持った少女が訪れた。
少女はレイという街下の花屋の娘で、持っている花に似つかわしいくらい可愛らしかった。
「おはようございます。よかったら夜会の際に使ってくださいと、私の母が。」
「レイさん、いつもありがとうございます。今日もよろしくお願いします。こちらでお待ちください。」
カリディア家の玄関先でレイは顔馴染みのメイド頭に花を渡すと、階段下に招かれた。
レイは仕事の合間を練って、明日の夜会の手伝いに来ていたのだった。
「…レイ!」
明るく響くレイの声が聞こえたと、朝食を済ましたばかりのカリディア家の末息子ーレオが居間から寝癖を治さぬまま顔を出した。
元々レイは年が近いレオと仲が良く幼なじみで、よく遊んでいたのである。
「レオ、おはよう。今日は起きていたのね。」
あまりに怠そうで辛気臭いレオの顔を見て思わず笑みを浮かべながら、レイは揶揄うように言った。
「今朝はお父様に叩き起こされたんだよ。朝から説教だよ、最悪だ。こんな朝早くから準備なんて。俺は外国の偉い人が来るなんて嫌だよ、本当。」
レオも領家の人間として、接待の準備を父親から強いられていたのである。
しかし全くやる気のないレオには接待など苦痛でしかないのだが、一つ楽しみなこともあった。
「それより、レイも準備は大丈夫なの?」
「準備?」
「華やかにしてくるんだろ。招かれたお客様だから。」
「…まあ、一応ね。」
レイが俯いて照れたように苦笑するのを見て、レオは不機嫌になった。
レオは、数ヶ月前に明日の夜会を予定することになったと父親から聞いた時のことを思い出した。
夜会は敵対する隣国の重臣が訪れる滅多にない大切な接待である場面だが、街娘を夜会の華として招いて欲しいと相手方からの要望があったのだった。
そこで成人前後である数人の街娘が候補に出され、その中の最有力が街でも噂される美少女のレイだった。
そしてただの街娘であるのにも関わらずどこか気品があり、気が利き愛嬌のあるレイを誰も選ばない理由はなく、レイも断る理由がなかった。
「まあ、華やかな衣装を着てもレイはレイだろうけど。」
「もう、どういうこと!」
レイは夜会に招かれたことを素直に喜んで楽しみにしており、レオはそんな姿を正直面白くなかった。
しかし憎まれ口を叩きながらも、レオは心の中ではレイが愛しくてたまらないのである。
揶揄われて頬を膨らますレイを頭一つ分低い愛しい少女の姿を見下ろしてポンポンと頭を撫でるとレオは笑った。
「レイさん、準備ができました。お手伝いお願いできますか?」
「ええ、もちろん!レオ、またね!」
レイはメイドに呼ばれると、なんだか楽しそうに満面の笑みで颯爽とその場から去っていった。
レオは中庭に出てデッキのベンチに腰を掛けると、向かいの客間で気の知れたメイド達と笑いながら、生き生き働くレイの姿を見つめていた。
「あぁ、他人に彼女を見せたくないな。」
レオは明日外国の重臣への接待よりも、周りから続々と言い寄られるだろうレイの姿を想像しては重苦しい気分になった。
「でも考えてもどうしようもないか。」
レオはそのままベンチに横になり空を見上げると、目の前に雲一つない青空が広がった。
屋根から顔を出した光の強さに、レオは目を開けられなくなった。
「レオ、今大丈夫?」
レイは日暮れ前に手伝いが終わると、レオの部屋をノックして声をかけた。
「レオも今日はお疲れ様でした。私、帰るね。」
レイがレオの部屋を見渡すと、隅の書斎でレオは明日の段取りについて書類を見返しては肘をつき頭を抱えていた。
レイは珍しく疲弊しているように見えるレオの姿に、控えめに声をかけるとすぐにドアを閉めようとした。
「レイ!送って行くよ。」
実は単に接待の内容の書いてある書類を読んでいて眠くなって居眠りをかいていただけのレオは、レイの声を聞いて目を覚まし立ち上がった。
「寝てたのね。もう、そんなことかと思った。」
二人は目を合わせては笑い合い、レオの部屋を後にした。
カリディア家から、小さな森を抜けるとレイの住む街はあった。
短い距離ではあるが、レイが家に来ると必ずレオはレイの家まで歩いて送って行った。
この他愛のない会話をする時間が、二人には心地よかった。
「明日、レイの誕生日だね。」
「あれ…?」
会話の中で自然な流れで言われたレオの一言に、レイはまさか自分のことと思わなかった。
レイは花屋の仕事と夜会の準備で慌ただしい日常の中、すっかり自分の誕生日を忘れていたのだ。
「ようやく俺と年が一緒になる。」
「でも来月になれば、レオが十九才になるわね。」
「まぁな。明日お祝いできる時間あるかなぁ。」
しかし明日だと気付いたところで、レイは自分の誕生日なんてと無頓着であった。
一方のレオは、毎年贈り物や外出で盛大にレイの誕生日を祝っていたため残念がった。
「いいのよ、誕生日なんて毎年来るんだから。ねぇ、明日来るのはアリセナ国の方達だけれど、なにか故国の王子様の話は聞けないかしら。」
レオはすっかり落胆している中、レイに珍しく他の男の話を振られて機嫌が悪くなった。
「…どっちの王子様?」
「お兄さんの方よ!」
「あぁ、セラ王子様はアリセナ国にいるんだっけか。」
二人の住むクルート国には、二人の王子様がいた。
第一王子様のセラと第二王子様のカラ。
セラ王子様は武勇に優れていたがテン王様の前妻である平民の母の子供で、宰相の娘の母に持つカラ王子の存在もあったことから粗末に扱われていた。
昨年からセラ王子様は、アリセナ国に人質として送られていたのである。
クルート国は現王の代から身分制度が緩和され、王族と同様に平民が選んだ宰相の権力が強かったが血族を尊重する思想は未だ絶えていなかった。
「実はレイ、セラ王子様派だったんだん」
「うーん、そういうのとは違うわ。昔け、セラ王子様に会ったことがあるからー。」
「ふーん、そっか。」
冷遇されている境遇とは相反し、金髪碧眼の容姿端麗なセラ王子様は年頃の女性からの格好の憧れの的であった。
だからレオはレイが突然そんなことを言って興味を持っている様子にあまり気に留めず、話題を変えた。
「ねぇレイ。真面目な話。」
森を抜けて明るい光が漏れ始めた時、レオは足を止めてレイと向き合った。
いつも怠そうにしているレオとは雰囲気が全く違うことに気付いたレイは、歩く足を止めて思わず息を飲んだ。
「今日ふと突然…もしレイが外国の人に見初められちゃったらどうしようかと思ったんだ。」
「そんな…レオ、他国の人との婚姻は国では認められてないわ。…レオ?」
レオの言葉を冗談と受け止め笑ったレイを、レオはレイの右手を取って強く引き身体ごと自分の胸に引き寄せた。
お互いの全身を伝う胸の高鳴り、二人は感じていた。
「レイ、ずっと好きだった。七年前に出会ったあの日から。レイを誰かに盗られる前に俺のものにしたい。」
「レオ…。」
レイはレオの胸の中で目頭が熱くなるのを感じた。
ずっと自分を大切にしてくれたレオの気持ちをー、今まで気づいていないわけではなかった。
レイはこの街よりももっと田舎の小さな村で生まれ育ったが、七年前に土砂崩れに遭った。
不遇な事故で、生家と家業、そして大切な父親を失った。
全てを失い絶望の淵にあった母娘は、レオの父親であるーカリディア家のロイ子爵に救ってもらい、ローレフで花屋を商うこととなった。
行く当てのない母娘の生活を救ってくれた恩で、カリディア家に奉公していたレイの母親ナタリーに連れられ、レイとレオは知り合い仲良くなった。
レイにとってレオは平民と貴族の身分を超えた、知り合いもいない見知らぬ土地で初めての友人で、なんでも心のうちを話せる頼り甲斐のある存在だった。
レイはこれまでのレオとの日々に込み上がってくる感情を堪え、レオの胸の中で強く目を瞑りレオの声を聞いた。
「俺も成人を過ぎた。近いうちに、お父様にレイのことを大切な人だと紹介したい。…レイの返事を聞かせて欲しい。」
「レオ…私は……。」
『自分もレオのことを大切に思っているーでもこの気持ちはレオと同じものなのだろうかー。』
レオは自分の腰に手を回したレイの震える両腕を優しく握りしめて身体を離し、向き合って言った。
「レイ、返事は明日でいい。パーティが終わったら。」
「…うん。」
そしてレオは何事もなかったのかのように歩き始め、レイはその後ろを着いて行った。
近付く街の騒々しい音は、二人には聞こえなかった。
「おかえりなさい、レイ。」
「ただいま。」
「レオ様は?」
「すぐに帰っちゃった。」
小さな花屋の前でいつもナタリーに挨拶をしていくレオだが、今日はそのまま去ってしまった。
レイは動揺する気持ちを強引に抑えて、お店の外に飾っていた花を取り込むナタリーに普段通りの笑顔を取り繕った。
「そう…。レイ、レオ様となにかあった?」
「ううん、なんでもない…!」
しかしレイは母親を前にうまく誤魔化せるわけもなく、明らかに自分のおかしい態度に気付いただろうナタリーの心配そうな顔にすぐに気付いた。
レイは逃げるように二階の寝室へと階段を足音を立てて駆け上っていった。
レイはそのまま寝室に行き、二つ並ぶベッドの窓側にある自分の柔らかいマットレスの上に身体を飛び込んだ。
ベッドの上にレイはうつ伏せになると、高鳴る鼓動を放つ胸を右手で強く押さえた。
「…どうしよう。」
明日返事をしなければいけないなんて早すぎると、レイは酷く動揺していた。
レイは今まで自分がレオに対して想う気持ちと向き合ったことが無かったのだから。
「明日どんな顔をして、レオに会えばいいの。」
レイは枕を羽交い締めにして、ベッドの上でジタバタした。
そのまま気持ちは落ち着くことがなく、夜もあまり眠れないまま夜会の前夜を過ごした。




