藍色のネックレス
「はぁ…。はぁはぁ。」
真冬の星一つない、漆黒の夜。
辺り一面は視界が見えないほどの吹雪だった。
そんな森の奥で、必死に走る一人の少年がいた。
「はぁはぁ……うっ。」
少年の体はもう限界を訴えるように悲鳴を上げていた。
少年は大木の下の雪の中に体を投げ出すように倒れこんだ。
その瞬間、冷たい暴風が吹き少年の全身は震え上がった。
「…お母様。」
少年は意識を朦朧としながら、最後の力でぎゅっと目を閉じた。
少年の目の裏に浮かび上がったのは、自分を産んでくれたたった一人の女性の女神のような優しい表情だった。
『お母様にもう一度、会いたかった。一度だけでいい。いや、本当はもっとずっと傍にいて欲しかった。』
少年には今まで、弱音を吐く人も泣く場所もなかった。
たった八歳の少年が母と生き別れるのにはまだ幼すぎた。
少年は両手を胸の上で重ね合わせ、母とー妹と笑い合った幼少期の記憶を頭に浮かべて柔らかく微笑んだ。
『このまま僕はここで死ぬんだ。お母様、先に待っているからね。』
少年は森に来る前からずっと、絶望の淵を独りで生きてきた。
大荒れの天気といわれた夜更け、少年が着いてきた一国の騎士団の陣地から抜け出して来ることに躊躇いもなかった。
そしてこの天気の中で、自分の身を投げ出してまで自分のために探しに来る者はいないだろう。
「……ねぇ、ねぇ!貴方起きれる?」
突然強く揺さぶられた少年は、凍り始めていた瞼をゆっくりと開けた。
そこには、自分と同じ年頃だろう少女の姿があった。
少女は少年の体に、持っていた小さな毛布をかけた。
そして少女はか細い腕で少年の腕を肩に担いで、精一杯の力で少年の体を起こした。
「すぐ近くに私の家があるの。一緒に行きましょう。」
「いいんだ…僕は…。」
「何を言ってるの!このままこんなところにいたら死んじゃうわ!行きましょう!」
少女は元々大きな目をぱっちりと開けて、少年を真っ直ぐに見つめた。
意志の強さを感じる瞳に、少年は目を逸らすことができなかった。
そして少女は少年を最後の力を振り絞らせて立ち上がらせ、半ば引きずるように近くにある自分の家へと向かった。
幸いほどなくして、少女を捜していた少女の父親に二人は発見された。
父親の逞しい両手に二人は担がれ、少女は母親が待つ暖かい家へと着いた。
家に着いた途端、少女はこんな悪天候の夜に、急に一人で家を飛び出したことを両親から怒声を浴びられるほど説教された。
そして少女の母親に服を着替えさせてもらった二人は、一緒に大きな毛布をかぶり、暖炉の火の前に座った。
「ねえ私、レイって言うの。貴方の名前は?」
「僕は……セラ。」
「セラね。ずっと気になってたこと聞いてもいい?どうして…この村に来ていたの?」
一刻前、強風が家の外壁を叩きつけるような騒音に、レイは一人なかなか寝付けずにいた。
ふとカーテンを開けて窓を見つめると、大雪の村の外を一人彷徨い森の中に入っていく少年の姿を見つけた。
そして両隣で眠る両親に気付かれないようにそっと寝室を出ると、レイはセラの後を必死で追いかけたのだ。
レイはセラの整った身なりを見てすぐに、きっと貴族の子供で、道に迷ってしまったのだと思っていた。
「…ここはお母様の故郷なんだ。」
「え?この村が?それならお父さんが知っているかも!」
「お願い、聞かないで。ただこの村を見たかっただけだから。」
セラはそう言うと俯いて口を塞ぎ、レイと目を合わさず、ただ暖炉の火を眺めていた。
しばらく沈黙が続くと、レイの母親が二人の元にそっと現れた。
「暖かいスープを置いておくから、二人で飲んでね。」
「お母さん、ありがとう。」
「ありがとうございます。」
「もう遅いから、お母さんも横になるわ。貴方たちも体が暖まったら寝なさいね。なにかあったらいつでも起こしてちょうだいね。」
レイの両親は、身元を語らぬセラを暖かく迎えた。
母は暖炉の近くにセラが眠れるように布団を敷くと、居間を出て行った。
「レイはまだ寝ないの?」
「うん。だって、寒いんだもん。」
レイの言葉は嘘だった。
一人塞ぎ込むセラのことが気にかかり、隣から離れられなかったのだ。
二人はレイの母親が作ってくれたじゃがいものポタージュスープを静かに飲んでいた。
レイがセラにかける言葉を熟念に考えていた時、セラがとても小さな声で言った。
「お母様、もういないんだ。」
「…亡くなっちゃったの?」
「違う…生きてはいるけど、もう二度と会えないんだ。」
「…どうしてか、聞いてもいい?」
レイが恐る恐るそう聞くと、セラはレイとやっと目を合わせたがまた俯き、自分の身上話を始めた。
セラは長子として産まれたが、二
年後に妹が産まれるとすぐに母親は不治の病を患ってしまった。
父親を支えることができなくなった母親は離縁を申し出て、隠居をしてしまった。
跡付きであるセラは父親の下に残り、幼い妹は母親の下で育てられた。
そして母親と離縁して間もなく、父親は若い女性と再婚した。
継母はすぐに男子を産むとセラを疎むようになり、父親も仕事が忙しくセラを気にかけてくれることは全くなかった。
「お母様に会いたい…。」
全てを話し終える頃、セラの声は震えており、瞼いっぱいに溜めていた涙が一筋流れた。
レイは思わずセラの小さな背中を後ろからそっと抱きしめた。
「…話してくれてありがとう。」
レイがそう言うとセラは糸が解れたように涙が流れ始め、セラは小さな背中を優しく摩った。
セラの抱えていた孤独感に、レイもいつのまにか瞼が涙で溢れていた。
「…私も本当のお母さんに会いたいな。」
「え?」
「私もね捨て子だったの。」
レイも自分の境遇を振り返り、セラに話した。
レイは生後間も無く、冬空の村の木陰で箱に、お包みに包まれた状態で捨てられていた。
ちょうどその日、臨月で死産をしてしまった妊婦がおり、その夫が捨てられた赤子を偶然見つけた。
身寄りも分からぬ赤子だったが、夫婦は育てることを渇望し、愛情溢れた家庭でレイはここまで幸せに暮らしてきた。
「私は血が繋がらないけれど、幸せな家庭に恵まれた。でもね心の奥では、私を捨てた両親に会ってみたいって思ったことがあるの。でもきっと私はこの村から探しに出ることはないし、両親も私を探しはしないでしょう。」
そしてレイは自分の境遇を偶然両親の話を盗み聞きしてしまったものだから、今まで誰にも話さずに平然と暮らしている。
「ねぇ、もし良かったらセラもここに一緒に住まない?」
「えっ…僕がこの村で?」
「そう。私が両親を説得するから。この村の人達すごくいい人だから。」
レイは本気でセラに提案していたが、セラは涙を手で拭って、レイに向き合い強く見つめて言った。
「格好悪いね、僕。女の子の前で泣くなんて。本当にありがとう。でもね、僕がここにいたらレイやレイの両親に迷惑をかけるんだ。」
「そんな…セラはこれからどうするの?」
「ごめん。嘘、僕は逃げる勇気がないだけ。きっと悪天候ご明けたら、一緒に来ていた者達が、きっと迎えがくるだろう。僕がいなくなってしまったら彼らは困るからね。」
そう言うと、セラはまた悲しい目をして俯く。
セラの持つ宿命はきっと自分の想像を超えるものだろうと、レイは息を飲んだ。
「ねえ、ちょっと気になってたんだけど。レイはどうして僕を助けてくれたの?」
「…セラを見た時、目が離せなかったの。私ね、セラが抱えているものを全ては分かってあげられないけど、誰よりも応援するわ。だってセラは、逃げない勇気を持ってるじゃない。」
レイは素直な気持ちを口にすると、セラに向かって柔らかく微笑んで、セラの両手を握った。
「大丈夫、セラを大切に想っている人はいると思う。ほら、ここにいる私がセラを大切に想う人の一人になるから。」
「…ありがとう。」
大切に想う気持ちに理由などいらなかった。
偶然出会って、命を救った。
セラの大粒の涙を見て、ただただ応援したいと思った。
明日になればセラは自分の帰るべき場所へ戻り、もう二度と会うことはないだろう。
ただ一晩でも募った想いは消えないだろうとレイは強く思った。
二人はそのまま寄り添って手を握ったまま眠気に襲われ、そのまま暖炉の下で朝を迎えた。
深夜のうちに吹雪は止み、眩しい日の光が部屋中を照らした。
レイが目を覚ますと、寝室の自分のベッドの上にいた。
「…セラ!」
レイは起きてそうそう慌てて、居間に駆けつけた。
そこにはまだセラがいたが、すっかり身支度を整えていた。
「レイ。迎えが来たんだ。僕は戻るよ。」
セラはずっとここにはいられない。
夜が明ければ、セラは帰るべき場所へ戻るだろう。
そんな当たり前の事実を分かっていたつもりなのに、レイは寂しくて哀しい気持ちで一杯になった。
そんなレイの下にセラは近づくと、首につけていたネックレスを外した。
「これをレイにあげる。」
「これは…?」
戸惑うレイの首に、セラはそのネックレスをつけた。
藍色に光るアクアマリンの石が、レイの白い首に映えて綺麗に輝いた。
「これはね、お母様から外敵から護るようにーと産まれたときにもらったものなんだ。これからはこのネックレスはレイにつけていて欲しいんだ。」
「えっ…。そんな大切なもの…。」
思わず首からネックレスを外してセラに返そうとしたレイの両手に、セラは優しく両手を重ねた。
「レイ。いつか僕が大人になったら、レイを迎えに来てもいい?」
「えっ。」
「その時にレイだと分かるようにネックレスをしていてほしいんだ。」
「…うん。」
レイは想わずカッと顔に熱が走ったのを感じ、恥ずかしくて俯いた。
すると一瞬の間に、セラはレイの額にそっと口付けをした。
「僕もレイをずっと大切に想っている。必ず迎えに行くからね。」
レイが顔を上げると、真っ赤の顔をしていたセラと見つめ合い、二人は笑い合った。
そしてセラはそんな二人を見守っていたレイの両親に深々くお辞儀をして、颯爽と外へ走り去っていった。
「ねぇお父さん…あの子ってもしかして。」
「あぁ…。この国の…王子様だっただろうとはな。」
レイの両親は困惑してそう囁きあった。
そんな両親をよそに、レイは熱を持った額に手をあてながらセラの後ろ姿を必死に目に焼き付けていた。
「セラ様、セラ様。」
セラは足下の悪い雪道の上を走りながら、自分を呼ぶ声が聞こえる方へと向かっていた。
「セラ王子様!あんな吹雪の中、村に行くだなんて。死ぬつもりだったんですか?私すごく心配だったんですよ。」
「フィン。申し訳ない。心配をかけてしまって。」
「セラ王子様、良かったです。生きて戻ってきてくれて。」
それは王族に仕える重臣の子供でセラと年齢が近く、日々共に切磋琢磨していたフィンとロクだった。
セラを見た瞬間、二人は急いで駆け寄ってきてくれた。
間もなくして騎士団が三人を見つけ出し、セラを囲んだ。
近くの街へ視察にきた騎士団に共に着いてきていた立場であったセラは、団長から叱りを受けた。
しかしこれまでの孤独や苦悩が晴れたセラは団長から何を言われても、心が満たされていた。
昨晩、セラは母の故郷である村から帰る際に大吹雪に遭った時、まるでそれが運命のようでこのまま死んでもいいと思った。
しかしこれまで堪えてい大量の涙を流し、一晩中側にいてくれたレイの存在が、自分の宿命と戦うことの勇気をくれたのだった。
「あれ?セラ様、ネックレスはどこに行ったんですか?」
帰路の途中、隣を歩いていたロクにネックレスの行方を問われた。
『物心ついた頃から大切に持っていた宝物は、もうここには無いが、僕はこれがなくなっても生きていかなくてはいけない。』
「置いて来てしまったんだー。いつかまた…取りに行くよ。」
ロクはそんなセラの反応に不可解な顔をしながらも深追いせずに、セラの明るい風貌に安堵するのであった。
『もうお母様の面影を追い、幸せだった頃の記憶に縋るのをやめよう。命を助け、僕を大切だと言ってくれた小さい女の子。僕は彼女を守れるくらい、強くならなければいけない。そしてこの国の王になって、レイを迎えに行くんだー。』
母の産まれた故郷で初恋をしたクルート国の王子様ーセラと、その村で育ったレイが再会したのは、十年の月日が経った時だった。
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この度はご閲覧いただき誠にありがとうございます!
雑文でありますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
しばらくセラはしばらくは出てきません。少々お待ちください。




