共同生活
私は結局のところ気おされてしまったのだ。
今回ばかしはお金につられたのではなく、男の気迫に負けた。どうしてそこまで私に固執するのか。
理由が気になって、もう少しだけ付き合うことを私は選んだ。
それからは話がとんとん拍子に進んだ。
私たちは男の用意した婚姻届けにサインをして、役場に提出。
その後一億円のうちのいくらかを使って、今日から入れる部屋を借りた。それまで暮らしていたボロアアートを引き払い、荷物を運びこむ。
ちなみに、全て男が手配をして、どっからか黒塗りの高級車が来て作業をしていた。
私はほんとにただ座っていただけ。
そして、全てが落ち着いたころ、すっかり陽は落ちて、私の名前は「丸山みのり」になった。
「丸山、か。案外普通な名前なのね」
「ちょっとは気を許してくれた? もっと砕けた感じで話してよ~。俺たち、夫婦なんだから、さ」
いつの間にか一人称が僕から俺になっている。この男結構な狸かもしれない。
「夫婦ね。ほんとになっちゃったよ。ミスったかな」
「ええ~、一週間だけだし、仲良く行こうよお。人生何事も経験だぞ☆」
「うざっ。というか経験と言われてもね、私、どうせ死ぬしな」
「え!? まだ死ぬ気なの?」
当たり前だ。引き受けたのはこの男に多少の興味がわいたからで、疑問を解決したら生きている必要はない。
「冷たいなあ~、みのりちゃん」
「は!?」
素っ頓狂な声が部屋に響きわたる。男が借りた部屋は2LDKのなかなか綺麗なマンションの一室。隣の生活音が聞こえないくらいには壁が厚いようで助かった。
「……馴れ馴れし過ぎだから」
「夫婦なんだからこれぐらい普通だよ~。あ、俺のことは綾人って読んでね」
「え、あなた、丸山綾人っていうの?」
「さっき婚姻届けに書いたでしょ。嘘じゃないよ」
「………そう」
見覚えのある名前に思わずドキリとした。
全国にいないわけではない名前だし、気にしないようにする。
「で、結婚したはいいけど、この後はどうするのよ」
「んん~、今日はもう夜遅いし寝るかな。まあその前にディナーだね」
残り少ない癖にだいぶ余裕な男である。
綾人は設置された冷蔵庫からピザを取り出すと、レンジで温めた。ピザは先程デリバリーで頼んだもので、リビングに置かれた妙に質のよさそうな机には、他にもいつの間にか届いていた豪華な食事が並んでいた。
(贅沢だな……)
急に一億円を出してきたことに加えて、当然のように用意されるナフキンとフォークにナイフ。
綾人はどこぞのお坊ちゃんだったのかもしれない。
(私とは大違いね)
人がやっと一人寝られるぐらいのボロアパートに、近所の八百屋で買った野菜を少しずつ、ちぎっては食べていた。自分と比べて、目の前にある豪勢な食事に目がくらみそうになる。
「食べないの?」
綾人が不思議そうにこちらを見てくる。
「頂くわ」
もう払うものは払い終えたわけだし、今日ぐらいは美味しいものを食べても罰が当たらないだろう。
私はフォークを手に取った。
あくまでも上品に食べる綾人を尻目に、私はがつがつと食事を食らった。一口食べれば、ジャンクなピザは口の味を一気に塗り替えて鮮やかにしていく。
ほぼ無縁だった私にとっては、隣にいる男の目など気にしている余裕はない。
そんな私を、綾人はニコニコとみている。人に見られるのは得意ではない。
睨みつけるとさらににこりと笑われた。
(……胡散臭いやつだな)
食べ終わると、食器洗浄機なるもので勝手に皿が洗われていった。
私は、通信手段も社用携帯ぐらいしかなかったので、今日は発見が目白押しだ。
「あははは、みのりちゃんは面白いね。クールぶっているのに、顔に出やすいからわかりやすいや」
「………」
無言で睨みつける。綾人はおっかないという風に、首をすくめた。
「じゃあ、食事も済んだことだし、お風呂に入って寝ようか」
「え、本当に何もしないのね……」
「何かしてほしかった?」
「………」
また睨む。しかし、それにしても拍子抜けだった。
順番に風呂に入ると、用意されたそれぞれの個室にあるベッドでご就寝だ。
正直、一億をたてに色々要求されることも覚悟していたのに。まあ、強制された場合、けり倒してでも家を出ていくつもりだったが。
寝る前に、綾人が「明日は早いから夜更かししないでね」と言っていた。
早朝から出かけるとなるといったいどこに連れ回されるのだろうか。想像するだけで身体に疲労がたまり、今晩はよく眠れそうだった。
どうせ死ぬのだから、この際どこへでも付き添ってやるか。